トルコのトピックス

トルコの新しい話題をご紹介しています

トルコの湿地帯に元気なカモはいなくなった

2022年01月31日 | 国内
2月1日 トルコで7番目に大きいブルドゥル湖に生息する鳥を調べたら、無傷の、元気なカモはいなかったそうです。ブルドゥル湖はこの50年間で、面積が46%に縮まっています。

  
 Hurriyet

かつてはカモたちの冬の生息地だった地域に、元気なカモの姿は見られなくなりました。22年間、ブルドゥル湖近くで現地調査を行ってきた、著名な鳥類学者ラーレ・アクタイ・ソズュエルさんは、ブルドゥル湖には以前は多くのカモの姿があったが、もう元気なカモはいなくなったと語りました。

「ブルドゥル湖はラムサール条約によって守られてきたトルコの湿地のひとつです。条約の対象になった最も重要な要因のひとつは元気なカモたちです」と彼女は言いました。「鳥たちの70%が最近までこの地域で冬を越していました」

「私たちはもうカモたちの生態を記録することができなくなりました。2019年にはたった18羽になりました。この50年で湖の水位は18メートル沈下しました」とソズェルさんは言いました。

・・・「ラムサール条約」は湿地の保存に関する国際条約です。


トルコは15000人の新しい教師を任命した

トルコが重点を置いているのは教師の質の向上だと、エルドアン大統領は、1月31日、新しい教師の任命式で語りました。

 Hurriyet

「近年、トルコは、テロとくだらないイデオロギーのために新しい世代を失うという大きな脅威を体験してきました。私たちはこの度任命された新しい教師たちによって、教育と訓練を強化します。私たちはパンデミック中も、教育を中断することなくつづけ、成果を上げてきました」と大統領は語りました。

エルドアン大統領は、子供たちの教育は決して中断させないという決意を示しました。「私たちは教師と生徒が離れ離れにならないよう、子供たちが学校環境から引き離されないよう、あらゆる努力をします。パンデミックに関わらず、私たちは、2021~2022年の第1学期をりっぱに終えました」

「教師の皆さんの努力と、親御さんたちによる対策、生徒たちのルールの順守によって、政府は学校を開けてこられました」

「パンデミック中は、もちろん、トラブルや、困難、障害がありました。私たちは一部の集団から不公正で、根拠のない、大袈裟な批判も受けました」と大統領は言いました。「彼らはソシアルメディアを使って、人々をまちがった方向へ導こうとしています。しかし、政府は、子供たちと学校の間の障壁となる者を許しませんでした」とエルドアン大統領は言いました。


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隈研吾設計のトルコの博物館がベスト25博物館に選ばれた

2022年01月30日 | 文化
1月31日 中央アナトリア・エスキシェヒル県の美術館が、ニューヨーク・ベースの有力な美術雑誌「アートニュース」が選んだ最近100年の博物館の建物のベスト25に入りました。

   Hurriyet

日本の有名な隈研吾設計事務所が設計したオドゥンパザル近代美術館(OMM)が、過去100年の最も優れた博物館ビルのリストに入りました。

「優れた博物館とはいかなるものか? それは内部のアートだけではなく、展示物を見せるために造られた建物についても言えよう」と、同誌は1月24日の記事で言っています。「長年、多くの建築家が実証してきたように、博物館の建物はアート作品同様、アートたり得る。展示された傑作同様に、建物が認識されることもある」

「オスマン伝統の木造の家から着想した、隈研吾とその事務所によるデザインは、優雅な丸太小屋のようにも見える。黄金色の木材の薄板を、リンカーン・ログ(アメリカのオモチャ)のようにスリットを入れて組み合わせ、箱型の構造をなしている」と、同誌の記事は付言しています。

2019年、エルドアン大統領も列席した開館式が行われた博物館の建物は、伝統的なオスマン時代の家と日本の伝統建築から着想されデザインされました。


1日のコロナ感染者は94,783人、死亡者174人

この24時間で、94,783人がコロナウイルスに感染し、174人が死亡したと、1月29日、保健省が発表しました。

 Hurriyet

保健省のインフォグラフィックによると、この24時間で85,503人の患者が回復しました。また、この1日で、440,017回のテストが行われたと、保健省は付言しました。

インフォグラフィックによると、トルコは昨1月にワクチン接種キャンペーンを始めて以来、1億4170万回のワクチン接種を行っています。

接種1回受けている人は5740万人以上、2回接種を受けている人は5230万人です。3回目の接種を受けた人の数は2480万人を超えました。


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「猛吹雪でパンデミックが小休止するかも」専門家たち

2022年01月30日 | 国内
1月30日 雪と寒気と学校の中期休暇が、イスタンブルのコロナ感染を少し減少させるかもしれないが、同時に、休暇で県間の移動とリスクが増すかもしれないと、専門家は言っています。

 Hurriyet

今週初め、近年まれな猛吹雪が、人口1500万のイスタンブルの生活をストップさせました。しかし、専門家は、猛吹雪で人々が家にこもり、市内の活動が減少したことはよかったと見ています。オミクロン株が引き金となって、イスタンブルでは1日3万人が感染しています。

「猛吹雪で、人々は蟄居を強いられました。パンデミック状況下で、私たちには小休止になるでしょう」と、イスタンブル大学医学部病院のハカン・テュケク内科部長はミリエト紙に語りました。

テュケク部長は、1日の感染はわずかながら減少するだろうが、学生たちが郷里に帰ったり、家族とリゾートに出かけることも増えるだろうと警告しています。「学生たちがマスクやソシアルディスタンスのような基本的なコロナ対策を無視したら、彼らが訪れる地方にウイルスがひろがることになります」

感染症の専門家ドゥラン・トク氏も同意見で、「雪のために起こった隔離」によって、今後の10~15日は、感染は減少するかもしれませんが、1か月後にはまた増えるかもしれない」と言っています。「イスタンブルでも、全国でも、2月の第2週には感染者数がまた増えはじめるかもしれません」


2000人以上の不法移民が捕まった

内務省によると、治安部隊が全国同時作戦を行い、2000人以上の不法移民と約130人の人間運び屋を捕らえました。

 Hurriyet

警察隊と憲兵隊、沿岸警備隊からなる治安部隊が、不法移民を阻止し、人間運び屋を逮捕するための作戦の一環として、全国でチェックと検問を行いました。

36,000人の治安部隊が、空きビル、外国籍者が多い界隈、娯楽場、トラック駐車場、バス・ターミナル、公共交通の駅など8800か所をチェックしました。

全国的なチェックの結果、2028人の不法移民と、72人の外国人を含む127人の人間運びが捕まりました。逮捕者の中の6人はテロ組織と関与していたと、内務省は言っています。

治安部隊はまた、人間運び屋が使っていた7台のトラック、ミニバス、自動車のほか、偽造パスポート、6丁の散弾銃、マルフアナ、ヘロイン、メタンフェタミンなどのドラッグを押収しました。


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アンカラの「そり祭」に家族連れが集まった

2022年01月29日 | 国内
1月29日 寒さがつづき、首都アンカラも雪に覆われましたが、市内チュブク区では雪祭が行われ、大勢の家族連れが集まって、さまざまなイベントを楽しみました。

  
 Hurriyet

市内で初めて行われた「そり祭」では、家族連れがチュブクー2ダムの周辺のスロープで、そりレースを競いました。ピクルスを食べたり、綱引きをしたり、雪だるまつくり競争に参加する人たちもいました。競技の勝者には賞品が贈られました。

「待ち望んでいた雪が1週間も降りました。私たちはこれを、休暇中の子供たちが楽しむチャンスに変えたかったのです。そり競争をしたのも、そのためです」と、チュブク区のバキ・デミルタシュ区長が、競技後に言いました。チュブク区では雪が30センチも積もったところもありました。

猛吹雪のため出張中のラビがモスクで一夜を明かした

猛吹雪のためイスタンブルのモスクに避難していたラビ(ユダヤ教の聖職者)が、無事イスラエルに帰りました。

 Hurriyet

カシュルート(ユダヤ教で許されている食品)の管理者でもあるラビのイスラエル・エルバウムさん(62)は、仕事でイスタンブルに来ていましたが、猛吹雪のため高速道路で半日、立ち往生し、トルコの治安部隊にモスクに誘導されました。

エルバウム・ラビはテルアビブ行きのフライトが発つ前に、イスタンブル空港で記者団に、皆さんに助けられ、温かいモスクで一夜を明かすことができたと語りました。

「皆さん、とても親切に、私たちを助けてくれました」とラビは言いました。「翌朝にはムスリムの礼拝者たちとともに、シャハリート(ユダヤ教の朝の祈り)を祈りました」

彼はまた、トルコのアシュケナージのメンディ・チトリク・チーフラビにも助けられたと語りました。「わが友、エルバウム・ラビも、雪のため車が動けなくなりましたが、元気に帰国しました」とチトリク・チーフラビはツイッターにシェアしました。


・・・アシュケナージはディアスポラで東ヨーロッパに定住したユダヤ人です。

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「トルコは不可欠な同盟国だ」新任アメリカ大使

2022年01月28日 | 国際
1月28日 トルコはなくてはならないNATOの同盟国であり、変動の絶えない地域での重要なパートナーであると、新任の在トルコ・アメリカ大使が、1月26日、言いました。

 Hurriyet

「アメリカとトルコの関係は、両国が世界の平和と安全に対する真の脅威と立ち向かうとき、発揮されるだろう」と、ジェフリー・フレイク在トルコ・アメリカ大使は、1月26日、エルドアン大統領に信任状を渡した後、大使館のウエブサイトに掲載された「政治は水際で止まる」と題した記事で言いました。

フレイク氏は共和党議員で、ジョー・バイデン大統領のホワイトハウス入りに賛同しています。2001年から2013年は下院議員、2013年から2019年はアリゾナ選出の上院議員を務めました。

「トルコとアメリカの関係は、政治や安全保障の域を越えて拡大し、バランスのとれた貿易の樹立、投資、改革、協力に基づく経済的パートナシップとなっている」と彼は言っています。

今日、トルコには、アメリカ最大のブランドを含む、ほぼ2000社のアメリカ企業が進出し、トルコの企業もアメリカで成功を収めていると、フレイク大使は語りました。「2021年、アメリカはトルコの第2の最大輸出市場になりました。文化、科学、教育の交流も両国民を結びつけています」

トルコは豊かな文化と、深い歴史、大きな可能性を持った国だと、大使は言いました。「トルコとアメリカが緊密に協力をつづければ、より安全で、豊かで、ハッピーな未来が両国を待っていると、私は心から信じています」


ロシアとの危機の中、トルコはNATOの義務を果たす

エルドアン大統領は、「トルコはNATOの同盟国としての義務を果たしつづける。トルコは現行の紛争の抑制と平和的解決のために、ロシアとウクライナ双方に要請する」と言い、調停の提案をくり返しました。

 Hurriyet

「トルコはいままで通り、NATOの同盟国としての義務を果たしつづける。この問題に関して躊躇の余地はない。われわれは交渉を続ける」と、エルドアン大統領は、1月26日夜、NTVテレビのインタビューで語りました。

エルドアン大統領は、ウクライナに関するヨーロッパとロシア間の現在の行き詰まり状態の中でのトルコの立場についての質問に答えました。

「われわれの希望は、対話と外交によって現在の危機の解決法を見出すことにあります。われわれはそれが可能だと信じています。われわれはまた、ロシアとウクライナに建設的かつ抑制心をもって行動するよう要請しつづけます」と大統領は語りました。

ロシアが、民族的にロシア系の人々を守ることを口実に、ウクライナに軍事侵攻することをNATOは懸念しています。エルドアン大統領は、トルコの主要な目的は、危機が大きくなる前に、問題を解決することにあると言い、トルコは外交的解決のために、両国を支援する用意があることを表明しました。


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新任の米国大使がエルドアン大統領に信任状を渡した

2022年01月27日 | 国際
1月27日 新しい在トルコ・アメリカ大使、ジェフリー・レイン・フレイク氏が、1月26日、エルドアン大統領に信任状を渡しました

  
 Hurriyet

共和党議員だったフレイク氏は、1月7日、トルコに着き、デヴィッド・サッターフィールド氏と交代しました。サッタ―フィールド氏はアフリカの角のアメリカ特使になります。

アリゾナ出身の共和党の政治家フレイク氏は、ドナルド・トラムプ前大統領に批判的でしたが、2020年11月の選挙でホワイトハウス入りしたジョー・バイデン大統領によって報われました。

フレイク氏の任命は議会で承認されました。彼は、カマラ・ハリス副大統領が出席した任命式で宣誓しました。1月7日、フレイク氏は記者団に「ここに来て幸せです。歓迎に感謝します」と語りました。

サッタ―フィールド氏はアフリカの角の特使に任命され、ジェフリー・フェルトマン氏と交代しました。サッタ―フィールド氏は2019年8月から、アメリカ大使としてアンカラで働いてきました。


トルコとギリシアが11年ぶりに経済委員会会議を開催

トルコとギリシアの共同経済委員会(JEF)が、1月24日、2010年以来初めて、アテネで会議を開催しました。

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会議の第5セッションでは、トルコのムスタファ・トゥズジュ副貿易相とギリシアのコンスタンティノス・フラゴジアンニス副外相が共同議長を務めました。両代表団の長は、共同声明で、11年ぶりのJEFの反響に満足したと語りました。

「両サイドは建設的な議題に含まれた要素を立ち上げ強化し、両国の経済協力と相互貿易を中心に努力を続けることで合意した」と声明は言っています。

両サイドは広範な問題を討議しました。相互貿易と、貿易を多様化させ、増加させる方法、また投資のイニシアティヴと、ギリシアとトルコの共同イニシアティヴを諸企業に奨励することなどが話し合われました。

また、安全なエネルギー供給のためのエネルギー分野の協力の強化、環境保護、廃棄物管理、水質と水源、森林火災の防止のような気象変動に関する重要な問題も会議の議題になりました。

さらに両国は、両国間のツーリストの流動の増加を目的とする協力を強化する方法を模索することでも合意したと、声明は付言しています。


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ブルガリア人旅行者がエディルネでPCRテスト受けている

2022年01月26日 | 国際
1月26日 トルコ北西部のエディルネに買物に来るブルガリア人たちが、ブルガリアに帰る前に、エディルネ市内でPCRテストを受けています。

 Hurriyet


ブルガリアではPCRテストは100レフ(600~700トルコリラ)かかりますが、トルコの保健施設では170リラでできます。「私たちはPCRテストを受けるブルガリア市民たちを関心を持ってみてきました。トルコではブルガリアより安く受けられるのですから」と、エディルネの私立病院の内科部長ビュレント・ハムザさんは言いました。

この2か月ほど、大勢のブルガリア人たちが買物と休暇のためにエディルネを訪れています。ところが、ブルガリア政府は、最近、国外に出た市民に対し、帰国時にPCRテスト証明を提出させることにしたため、エディルネを訪れるブルガリア人が減ってきました。ブルガリアのワクチン接種率は約27%です。

エディルネ当局は、エディルネで受けられる割安のPCRテストが、またブルガリアの人々を惹きつけるだろうと、楽観視しています。「テスト結果は1時間半で出るし、テストは非常に信頼できます」とハムザさんは言いました。

ブルガリア市民はエディルネでまず買物をし、その後、PCRテスト・センターに行きます。「テストはブルガリアでは高価です。私はワクチン接種を4回も受けているのに、ブルガリア政府は国内に入る前にPCRテストを要求します。だから私はここでテストを受けたのです」とブルガリアから来たエミン・トゥンジャさんは言いました。


トルコのシンドラーが97歳でなくなった

トルコのユダヤ人社会では有名な人物ラファエル・エスライルさんが、97歳でフランスでなくなりました。1940年代、彼は、ドイツ・ナチに捉われたユダヤ人たちを強制収容所から救いました。

 Hurriyet

エスライルさんは有名なハリウッド映画「シンドラーのリスト」に描かれた人物と同様、ナチとの闘いの日々を送りました。来週、フランスのビアリッツでエスライルさんの葬儀が行われます。

エスライルさんは1925年5月10日、トルコのエーゲ海地方マニサで生まれました。1歳のとき、両親は全財産をマニサに残し、イズミルに住む親族とも別れて、彼を連れてフランスのリヨンに移住しました。

[1943年、彼はナチに対する抵抗運動に身を投じ、ドイツ人と戦い始めました」と、フランス・ソルボンヌ大学のトルコ人研究者プナル・クラヴスさんは1月25日、ヒュリエット紙に語りました。

1947年以来、トルコで刊行されているユダヤの週間新聞「シャローム」のパリ特派員でもあるクラヴスさんは、「エスライルの使命は、ユダヤ人を強制収容所から救うために、偽の身分証明書をつくることにあった」と言いました。

ナチは1933~45年、ドイツとドイツが占領したヨーロッパ各地に1000以上の強制収容所を設けました。エスライルさんとその友人たちが、何人のユダヤ人を救ったかは定かではありません。「シンドラーのリスト」はオスカー・シンドラーの生涯を描いたハリウッド映画で、ドイツの実業家シンドラーは、1000人のユダヤ難民を彼の工場で働かすことによって、彼らをホロコーストから救いました。

クラヴスさんによると、エスライルさんは1944年1月8日、ナチ警察に捕らえられ、パリ郊外の強制収容所ドランシー・キャンプに送られ、そこで妻となるリリアンヌさんと出会いました。その後、ナチはエスライルを何百人ものユダヤ人捕虜とともに、ポーランドのアウシュヴィッツ・キャンプに送りました。

アウシュヴィッツでは110万人が殺害されています。エスライルさんは何度も逃亡を試みましたが、第2次世界大戦が終わる1945年までアウシュヴィッツにいました。1948年、リリアンヌさんと結婚したエスライルさんは、1980年代、強制収容所の日々を描いた自伝を書き、「アウシュヴィッツ居住者協会」を結成しました。

「エスライルさんは2020年5月に妻を失ってから2年後になくなりました」とクラヴスさんは言いました。イズミルのウルら地区には、彼の両親の家だった館が、いまは市のゲストハウスとして残っています。


・・・日本にも「日本のシンドラー」と言われる杉原千畝さんがいらっしゃいましたね。

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シベリア7500キロを歩いてトルコ人のルーツを明かした研究者

2022年01月25日 | 文化
1月24日 トルコの学者が、調査研究のため、1か月かけてロシア、トルコ系諸国、中国、モンゴルの7500キロを歩き、アンドロノヴォ文化がトルコ人のルーツを形成していることを明らかにしました。


 Hurriyet

「私はトルコ人の歴史家として初めて、アンドロノヴォ文化がトルコ人のルーツを形成したことを明らかにするため、シベリア南部を調査しました」と、イスタンブル・アイドゥン大学の著名な歴史家エルヴィン・ユルドゥルムさんはミリエット紙に語りました。

「トルコのステップ(草原)文化の誕生:アンドロノヴォ文化」と題した彼女の研究は、TUBA(トルコ科学アカデミー)の社会科学名誉賞に値すると評価されました。

「アンドロノヴォ文化はBC2500~1000年、ウラル川の東部からハカシアまでの地域に存在しつづけました。今日のロシアにあるアバカン市が、トルコ人の最初の故郷のひとつだったことがわかりました」とユルドゥルムさんは語りました。

彼女の話によると、アンドロノヴォ文化という名は、シベリアのアンドロノヴォ村に由来するそうで、ロシアの考古学者アルカディ・ツガリノフが、1914~1924年、この村で数基の墓を発見したそうです。人骨は、装飾された陶器とともに、かがんだ姿勢で埋められていました。

「これらのモチーフは、トルコ人が歴史の舞台に登場した時代から、アナトリア、カザフスタン、キリギスタン、バイカル、アルタイ、天山山脈でも見られます」とユルドゥルムさんは語りました。「トルコ人のルーツは、アルタイ・サヤン・ステップから、何百年もかかってアナトリアへひろがりました」


大雪のため、イスタンブルは空の便欠航

気象庁が警告していた通り、全国を襲った大雪と猛吹雪のため、トルコは雪に覆われ、交通は混乱していますが、子供たちは雪だるまをつくって雪を楽しんでいます。

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フライトは大雪のため、通知があるまで欠航すると、IGAイスタンブル空港が、1月24日午後発表しました。トルコ航空は、イスタンブル空港とイスタンブル・サビナ・ギョクチェン空港からの便の状況は、ウエブサイトでチェックするよう勧めています。他の空港に着陸した飛行機もあり、乗客たちはホテルに泊まったと、トルコ航空は言っています。

Hurriyet

先週は、大雪と猛吹雪がトルコ中央部と東部に集中しました。西部と北西部では、週末から気温が大きく下がっています。イスタンブルは、22日、小雪が舞い、ときどき日が差していましたが、23日は夜から強い吹雪が始まり、イスタンブルの高地は40センチの雪に覆われました。

市の除雪車が道路の雪をかき、市のチームが凍結を防ぐために道路に塩をまきましたが、交通事故を完全に防ぐことはできませんでした。

トルコ気象庁によると、大雪と寒波は週の中頃まで、トルコの大部分に影響を与えつづけるでしょう。小中学校は期末休暇のため、雪に覆われた街路や公園は子供たちで溢れました。大きな公園や坂道では、子供たちは木製やプラスチック製のそりで滑っています。悪天候のため、期末テストが延期になった大学生も、子供たちといっしょに雪で遊んでいました。


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昨年、イスタンブルでは5000人のタクシー運転手が罰金を科された

2022年01月22日 | 国内
1月23日 イスタンブル当局は、住民やツーリストから頻発する苦情に応じて、昨年、規則を守らなかった5000台のタクシーとミニバスの運転手に、総計280万リラ(208,000ドル)の罰金を科しました。

  Hurriyet

イスタンブル市当局は、昨年、タクシーやミニバスその他公共交通機関に関する法に基づいて、予告なしの調査を行いました。チームの調査結果によると、無許可就労、非登録運転手の雇用、乗客に見えない許可証が、罰金のトップ3でした。

「客を選んだ」「短距離の客を拒否した」「走行中、メーターをまわした」という理由で罰金を科された運転手は、予想外に少なく142人でした。

イスタンブル市民の苦情は「タクシーの数が足りないこと」「運転手が無礼で気分が悪いこと」などでしたが、運転手に関する主要な文句は「短距離だと断られること」「地元民よりツーリストを乗せたがること」でした。

市当局によると、タクシー問題を解決する唯一の方法は、タクシーの数を増やすことですが、タクシー協会はこの提案に反対しています。


トルコはウクライナとロシア間の調停に努める

ロシアとウクライナ間の緊張が高まる中、トルコは両国の調停のため、ロシアのウラジミル・プーチン大統領とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領をトルコに招待して面談させると、エルドアン大統領が、1月20日、言いました。

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「ロシアとウクライナ間に戦争の気配が漂ってきて以来、両国と関係を持っているわが国は、このような状況に異を唱えてきました」と、エルドアン大統領は語りました。

「わが国はできるだけ早く、プーチン氏とゼレンスキー氏を招き、対面の会談をしていただく。私は2月初旬、ウクライナを訪れます。わが国は彼の地が平和に統治されることを願っています」とエルドアン大統領は言いました。

トルコは「欧州安全保障協力機構」(OSCE)のミンスク・グループの次の会合がイスタンブルだ開催されるよう試みると、トルコの外交ソースは言いました。ウクライナに関する「3者連絡グループ」には、ロシア、ウクライナ、OSCEとドンバス紛争地域の代表も入っています。

両国は「トルコの調停に好意的」だと外交ソースは言い、トルコは両国間の緊張が収まり、紛争が回避され、対話が増すことを願っていると付言しました。

「NATOに参加しているウクライナとロシアの緊張は続いています。トルコは関係諸集団と連絡を取っています」と、トルコのメヴリュト・チャウシュオール外相は、1月20日語り、「話し合いによる段階的縮小を願う」と付言しました。

ロシアがウクライナのクリミア半島を併合した2014年以来、ウクライナは、ロシアと国境を接する、分離した2地方で、親モスクワ反乱軍と戦ってきました。東部ウクライナのこの紛争で、いままでに13000人以上が死亡しています。


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政府は昨年、環境汚染者に3億5000万リラの罰金を科した

2022年01月22日 | 国内
1月22日 環境・都市化・気象変動省は、昨年、多くの調査を行い、最も汚染を生んでいた諸企業を認定し、総計3億5000万リラの罰金を科しました。

  Hurriyet

全国81県で56000回以上のチェックが行われ、環境法の規制を破って、大気や水を汚染している企業・組織が認定されました。当局は調査の結果、3942の組織が環境法に違反しているとして、総計3億5020万リラの罰金を科しました。

また、406の組織はその活動によって環境が汚染されているとされ、活動の停止を命じられました。当局のデータの内訳によれば、廃棄物による汚染を防ぐために、761件の行政処分が行われ、違反した組織に科された罰金は1億6000万リラに達しました。その他の3300万リラの罰金は大気汚染に関するケースです。

当局はまた、575件の水の汚染のケースに6700万リラの罰金を科しました。また、騒音関連の行政処分では、罰金額は360万リラになりました。


「100万人以上のシリア人が故国に帰った」国防相

100万人以上のシリア難民がトルコから故国に帰ったと、フルシ・アカル国防相が言いました。

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「トルコ軍はシリアにテロ地帯がつくられるのを阻止し、国境を守る作戦を行ってきました。これらの作戦で、100万人以上のシリア人が故国に帰りました。イドリブ県に帰った人は47万人になります」とアカル国防相は、最大野党・共和人民党(CHP)のスザン・シャヒン議員の質問に応えて言いました。「トルコ軍のイドリブ駐在は、イドリブからトルコへやってくる移民の波を防ぐ抑止力になりました。国境を守るために、技術集中対策が行われています」

国防相はまた、「テロ集団PKK/YPG/PYDは、ユーフラテスの東だけでなく、シリアの他の地域でも活動していません。わが軍はテロ・グループがいれば、あらゆる対策を取ります。われわれのテロに対する戦いは続いています」と語りました。

シリア紛争によるシリア難民の波は、14000人のシリア人がトルコに押し寄せた2012年から始まりました。シリア難民の数は年ごとに増えて、2018年には360万人になりました。移民管理局によると、シリア人の大部分(約50万人)はイスタンブルに住んでいます。南東部ガジアンテプには46万人がいます。


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