11月30日 ギリシャのオルガ・ケファロジャンニ観光相とトルコのエゲメン・バーウシュEU相が、11月27日、イスタンブールに新らたにできるギリシャ観光オフィスのオープニング・レセプションで会談しました。
Hurriyet
歓談中のケファロジャンニ観光相(右)とバーウシュEU相。観光相のセクシーな
お召物に、トルコの紳士方、目のやり場に困ったのでは?
お召物に、トルコの紳士方、目のやり場に困ったのでは?
ケファロジャンニ観光相とギリシャ観光オフィスのパノス・レイヴァドス所長が、イスタンブールのギリシャ領事館で開催したこのレセプションには、フェネルのギリシャ正教総主教座のバルトロメウ総主教やギリシャ諸都市の市長を初め両国の要人が出席しました。
レセプションのギリシャ料理は有名なギリシャ人シェフ、レフテリス・ラザロウさんとステロス・パルリアロスさんが担当。オフィスのオープンはギリシャ=トルコ観光の新たな出発点となるでしょう。
レセプションのギリシャ料理は有名なギリシャ人シェフ、レフテリス・ラザロウさんとステロス・パルリアロスさんが担当。オフィスのオープンはギリシャ=トルコ観光の新たな出発点となるでしょう。
・・・ギリシャももう少しマジメに観光に力をいれて、経済たてなおしてください。
アナトリアの歴史が始まったキュルテペの遺跡
1948年に始まったカイセリ県キュルテペの古代古墳遺跡の発掘は、いま66回目の今年の発掘を終えるところです。キュルテペはアナトリアの歴史が始まった中心地と考えられます。
今年の発掘では、大きなモニュメント的遺構が出土したと、キュルテペ発掘隊長のフィクリ・クラクオール教授は言っています。
今年の発掘では、大きなモニュメント的遺構が出土したと、キュルテペ発掘隊長のフィクリ・クラクオール教授は言っています。
Hurriyet
遺構の大きさは75×60メートル、その一部が出土したのですが、「これはアナトリアはもちろん、中東地域で見つかった最大の建造物です」とクラクオール教授は言いました。
この古墳遺跡は初期青銅器時代、中期青銅器時代、鉄器時代、古代ギリシャ・ローマ時代の部分からなっています。
最も重要な記録はBC2000年の石板です。この石板から、当時、アナトリア地方にはいくつかの王国があり、カニシュ(Kanis)王国が最も有力な地方王国だったことがわかりました。
発掘隊長のクラクオール教授は、キュルテペ古墳はトルコで最も長期にわたって発掘がつづいている遺跡だと言っています。
「発掘の最初の目標は青銅器時代の歴史の発見でしたと、クラクオール教授は言いました。
発掘は70人で行なわれています。カニシュ地域の発掘はすでに終わり、次はアッシリア商人が最も訪れていたカルム(Karum)へ移動します」
アナトリアの中心だったキュルテペの人々が読み書きを身につけ、そのおかげでアナトリアは有史時代に入ったと教授は言っています。
これまでに23500点のクサビ型文字の石板が見つかっています。しかし、キュルテペは広い。これまでに掘ったのはこのエリアの1%に過ぎないと、発掘チームは考えています。
・・・写真の動物の出土品の説明がありません。古代人もユーモラスで、かわいいものをつくったんですね。
この古墳遺跡は初期青銅器時代、中期青銅器時代、鉄器時代、古代ギリシャ・ローマ時代の部分からなっています。
最も重要な記録はBC2000年の石板です。この石板から、当時、アナトリア地方にはいくつかの王国があり、カニシュ(Kanis)王国が最も有力な地方王国だったことがわかりました。
発掘隊長のクラクオール教授は、キュルテペ古墳はトルコで最も長期にわたって発掘がつづいている遺跡だと言っています。
「発掘の最初の目標は青銅器時代の歴史の発見でしたと、クラクオール教授は言いました。
発掘は70人で行なわれています。カニシュ地域の発掘はすでに終わり、次はアッシリア商人が最も訪れていたカルム(Karum)へ移動します」
アナトリアの中心だったキュルテペの人々が読み書きを身につけ、そのおかげでアナトリアは有史時代に入ったと教授は言っています。
これまでに23500点のクサビ型文字の石板が見つかっています。しかし、キュルテペは広い。これまでに掘ったのはこのエリアの1%に過ぎないと、発掘チームは考えています。
・・・写真の動物の出土品の説明がありません。古代人もユーモラスで、かわいいものをつくったんですね。
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