中津川駅からタクシーで10分くらい。15時過ぎ到着。
早速宿の方が迎えてくれました。
建物横を通って奥へと案内されます。
部屋へ着きました。玄関入ると囲炉裏だあ~
天井。
昔の機織りの道具。
座敷は8畳、床の間つき。
あちらは6畳。
障子にガラスが入ってます。昔の建具。
やれやれ、一休み。
いろいろなセミと、秋の虫の音が聞こえます。
たまに中央本線の列車の音が、下の遠くの方から聞こえてきます。
縁側のずっと先に後付けのユニットバスが。コロナ対策で付けたそうです。
そこだけ網戸があって開け放しています。
遠くに恵那山が見えます。
障子には鍵がありません。玄関も内側から棒を差し入れする鍵が付いているだけ。
昔の家なので、きちんと戸締りができません。一人つずつ風呂へ行きます。
風呂は別棟。
コロナ以後、客室にもユニットバスをつけたそうですが、やはりこちらへ。
風呂は内側から鍵をかけて一人、または一グループで利用します。
木立の中の風呂。
誰もいないし、何の物音もしません。静かなのが落ち着きます。
ここを下りてきたのですが・・・
向こうへ上がります。
大広間は法事などに利用するらしい。
お客さんは泊まらないようです。
向こうに見えるのが私たちの泊まった離れ。
ここからそれぞれの離れへ行くようです。
一段高いところに大きな茅葺の建物が。江戸初期、栗の木で作ったそうで。
この宿は昭和32年、当時の皇太子が宿泊したそうで、その部屋に私達庶民も泊まれるようです。
庭の山野草いろいろ。ヒヨドリバナ。
コバノギボウシ。
ツリガネニンジン。
キキョウ。
ヤマハハコ。
リュウノヒゲ。
ツリガネニンジン。
鳥のエサ台。
玄関へ来ました。
待合室。
道沿いの看板。
フロントの横を周って奥へ。
小さな門。
出ると小道が。奥は山。
引き返します。だいぶ日が傾いてきました。涼しいです。
ここまで、風呂に行く人を遠くから見ただけで誰にも会いません。
有名人、芸能人がお忍びで行くにはいいお宿と思います。
そうでない私もうんとくつろげました。
値段は二食付きで・・・ですが(そう高くないのは建物の償却期間が過ぎているから?)、事前カード決済で一割引き。キャンセル料は前日の正午だったか、夕方までは無料。以後100%。前日に行けなくなるのはよほどの急用。諦めもつきます。納得の設定と思いました。
夕食は希望の時刻に一品ずつ部屋まで運んでくれます。厨房からは遠いのでサービスとは言え大変でしょう。特に雨や風、雪の日には。ありがたいことであります。
今回は「茶懐石くずし」という料理だそうです。はてさて、何が出てくるのでしょうか。
ピンボケ深謝。部屋は暗いです。60ワットくらいの電球一つ。陰影礼賛の世界。
そうです。ここでパナのLEDライトが天井に設置されていたら台無しです。
昔はきっとこの暗さだったことでしょう。懐かしい暗さ。この暗さを忘れていました。
右は何かの酢の物、左は何かの蒸し物。冷たい料理。食材いろいろで複雑なお味。
続いて汁物が。
もう終わりか?と焦る夫。
いえいえ、洋食なら食前のスープみたいなものとなだめる私。
丸いのは山芋でくるんだふわふわした蒸し物。それを椀仕立てに。
野菜いろいろの炊き合わせに・・・おいしかったです。
天然アユの塩焼きでございます。手前はトウモロコシの天ぷらでございます。
どうぞ。ということでした。いただきます。
大きなアユでした。近くで獲れるのでしょうか。
八寸でございます。おいしくいただきました。
手前のグルグルはアナゴ。アナゴもびっくり。
どれもおいしくいただきました。
旅館の定番料理、お刺身、天ぷら盛り合わせ、卓上で調理するなべ物などはありません。
肉も、蒸し物の中に少しひき肉があっただけ、山里のお料理でした。もっと高いコースは肉もあるそうですが。
でも私達には十分、おいしく心豊かな夕食でした。
宵の口に早く寝て夜中に目が醒めました。
備え付けの雑誌を別室で読みます。部屋が二つなので遠慮なく照明がつけられます。
昭和の初めに、それまで中山道中津川宿で宿を営んでいた方が、壊される古民家を買っては自分の持ち山に移築し、宿はこちらへ移転したそうです。
当時は霞網で小鳥を捕まえ、焼いてお客さんに出していたそうで、風流な遊びとして文人に人気があったそうです。
窓を開けたら涼しいのでしょうが、スタッフさん三人くらいでたくさんの雨戸を閉め、エアコンつけて寝ます。
昔に戻るなら開け放して蚊帳でしょうが、現代の生活様式との兼ね合いも難しいところです。
長くなるので今回はここまで。お付き合い、ありがとうございました。