日記

日々のあれこれ

8/11 中津川「夜がらす山荘長多喜」に泊まる

2022年08月14日 | 旅行

 

中津川駅からタクシーで10分くらい。15時過ぎ到着。

早速宿の方が迎えてくれました。

 

建物横を通って奥へと案内されます。

部屋へ着きました。玄関入ると囲炉裏だあ~

天井。

昔の機織りの道具。

座敷は8畳、床の間つき。

 

あちらは6畳。

障子にガラスが入ってます。昔の建具。

やれやれ、一休み。

いろいろなセミと、秋の虫の音が聞こえます。

たまに中央本線の列車の音が、下の遠くの方から聞こえてきます。

縁側のずっと先に後付けのユニットバスが。コロナ対策で付けたそうです。

そこだけ網戸があって開け放しています。

遠くに恵那山が見えます。


障子には鍵がありません。玄関も内側から棒を差し入れする鍵が付いているだけ。

昔の家なので、きちんと戸締りができません。一人つずつ風呂へ行きます。

風呂は別棟。

コロナ以後、客室にもユニットバスをつけたそうですが、やはりこちらへ。

風呂は内側から鍵をかけて一人、または一グループで利用します。

木立の中の風呂。

誰もいないし、何の物音もしません。静かなのが落ち着きます。

ここを下りてきたのですが・・・

向こうへ上がります。

大広間は法事などに利用するらしい。

お客さんは泊まらないようです。

向こうに見えるのが私たちの泊まった離れ。

ここからそれぞれの離れへ行くようです。

一段高いところに大きな茅葺の建物が。江戸初期、栗の木で作ったそうで。

この宿は昭和32年、当時の皇太子が宿泊したそうで、その部屋に私達庶民も泊まれるようです。

庭の山野草いろいろ。ヒヨドリバナ。

コバノギボウシ。

ツリガネニンジン。

キキョウ。

ヤマハハコ。

リュウノヒゲ。

ツリガネニンジン。

鳥のエサ台。

玄関へ来ました。

待合室。

道沿いの看板。

フロントの横を周って奥へ。

小さな門。

出ると小道が。奥は山。

引き返します。だいぶ日が傾いてきました。涼しいです。

ここまで、風呂に行く人を遠くから見ただけで誰にも会いません。

有名人、芸能人がお忍びで行くにはいいお宿と思います。

そうでない私もうんとくつろげました。

値段は二食付きで・・・ですが(そう高くないのは建物の償却期間が過ぎているから?)、事前カード決済で一割引き。キャンセル料は前日の正午だったか、夕方までは無料。以後100%。前日に行けなくなるのはよほどの急用。諦めもつきます。納得の設定と思いました。


夕食は希望の時刻に一品ずつ部屋まで運んでくれます。厨房からは遠いのでサービスとは言え大変でしょう。特に雨や風、雪の日には。ありがたいことであります。

今回は「茶懐石くずし」という料理だそうです。はてさて、何が出てくるのでしょうか。

ピンボケ深謝。部屋は暗いです。60ワットくらいの電球一つ。陰影礼賛の世界。

そうです。ここでパナのLEDライトが天井に設置されていたら台無しです。

昔はきっとこの暗さだったことでしょう。懐かしい暗さ。この暗さを忘れていました。

右は何かの酢の物、左は何かの蒸し物。冷たい料理。食材いろいろで複雑なお味。

続いて汁物が。

もう終わりか?と焦る夫。

いえいえ、洋食なら食前のスープみたいなものとなだめる私。

丸いのは山芋でくるんだふわふわした蒸し物。それを椀仕立てに。

野菜いろいろの炊き合わせに・・・おいしかったです。

天然アユの塩焼きでございます。手前はトウモロコシの天ぷらでございます。

どうぞ。ということでした。いただきます。

大きなアユでした。近くで獲れるのでしょうか。

八寸でございます。おいしくいただきました。

手前のグルグルはアナゴ。アナゴもびっくり。

どれもおいしくいただきました。

旅館の定番料理、お刺身、天ぷら盛り合わせ、卓上で調理するなべ物などはありません。

肉も、蒸し物の中に少しひき肉があっただけ、山里のお料理でした。もっと高いコースは肉もあるそうですが。

でも私達には十分、おいしく心豊かな夕食でした。

宵の口に早く寝て夜中に目が醒めました。

備え付けの雑誌を別室で読みます。部屋が二つなので遠慮なく照明がつけられます。

昭和の初めに、それまで中山道中津川宿で宿を営んでいた方が、壊される古民家を買っては自分の持ち山に移築し、宿はこちらへ移転したそうです。

当時は霞網で小鳥を捕まえ、焼いてお客さんに出していたそうで、風流な遊びとして文人に人気があったそうです。

窓を開けたら涼しいのでしょうが、スタッフさん三人くらいでたくさんの雨戸を閉め、エアコンつけて寝ます。

昔に戻るなら開け放して蚊帳でしょうが、現代の生活様式との兼ね合いも難しいところです。

長くなるので今回はここまで。お付き合い、ありがとうございました。

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8/11 真夏の中津川、落合宿へ

2022年08月14日 | 旅行

「野沢温泉行って野沢菜食べたい・・・」と夫がつぶやいていたのが7月。

しかし野沢温泉はとても遠い。我が家から列車各種乗り継いで8時間弱。

中津川一泊、翌日は長野県の入笠山へ行くことにしました。


伊吹山!

夫は仕事があって後から来ます。

一人で旅するつかの間の解放感!


前夜、川本三郎氏のエッセィ本に、中津川の次の落合川がいいと書いてありました。何というタイミングの良さ、行ってみます。

降りたのは一人旅らしい若い男性と、この私。

駅は無人。周り家はなく、川と山に挟まれたこの秘境感。ワクワク。

次の中津川行きまでは1時間ちょっと。

道案内に従って落合宿まで行くことにします。

吊橋を渡ります。

JRワンマンカ―の運転手さんに出発前、川があるんですよねと聞くと・・・川ではなくて池?・・・とのことでした。

確かに池。木曽川をせき止めてダム湖になっています。あちら下流。

落合川が木曽川と合流する場所にダム湖があります。

落合川上流と恵那山。

1キロくらい歩いたけどまだ着きません。

暑いし、お腹空いても店はないし、落合宿はもうすぐです。

落合宿に差し掛かりました。

翌日気が付いたのですが、旧中山道は小石を混ぜた歩道なので迷わなくて済みます。

途中、セメント会社の軒下の自販機でジュース買ってカロリー補給。

昼日中、だあれも歩いていません。

後ろは恵那山。

落合宿、本陣跡。

土日祝だけ開けてガイドボランティアの方が詰めているようです。

中は広いです。裏には蔵もいっぱい。

でも上がって見学する時間がありません。

「和宮もここを通ったんですよね」

「そうです。総勢2千人、長さが7キロ、先頭が落合まで来ても後ろはまだ中津川だった」と説明された気がしますが、列車の時間が気かがりで数字はうろ覚え。

とにかく大変な行列だったのです。なんで大回りの中山道を通ったかと言うと、勤王攘夷派が公武合体に反対して、和宮を奪うと心配したから・・・と何かの本で読んだ記憶が。

有吉佐和子「和宮様御留」は緊迫の行列の様子が書かれた小説。

和宮は明治維新後は京都に戻り、二条城二の丸で暮らしたそうです。いずれにせよ数奇な運命の人、数奇な運命でない自分の人生に感謝しながら駅へと戻ります。

やれやれ間に合いました。ホームは一つ。

普通列車が入線してきました。

乗るのは私一人。


中津川で待っていると14時過ぎ、夫がやって来て合流。やれやれ。

余りに暑いので中津川宿は明日行くことにして観光案内所でしばしの休憩。

映画を作ったそうですが、私の地元で公開したのかな?

藤村の生まれた馬籠宿は木曽路の最南端、以前行った時、岐阜の中津川と、県を越えた合併をするしないで揉めていたようですが、今は中津川になっているとのこと。

今の時代、「破戒」をどう映画にするのか、ちょっと興味があります。難しいかな。

15時になったので今夜の宿

夜がらす山荘 長多喜 | (nagataki.info)

長多喜 宿泊予約【楽天トラベル】 (rakuten.co.jp)へ行きます。

中津川宿で旅籠を営んでいたお宿が、昭和の初め、持ち山に古民家を移築して以来、街を見下ろす場所で続けているようです。

いゃあ~大変にユニークな旅館。まさに時代劇の世界。

歌人、俳人が訪れ、昭和時代、当時の皇太子も宿泊したそうで、翌日のホテルのオーナーにそのことを話したらちょっと驚いていました。

長くなるのでそれは明日以降に。

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