「野沢温泉行って野沢菜食べたい・・・」と夫がつぶやいていたのが7月。
しかし野沢温泉はとても遠い。我が家から列車各種乗り継いで8時間弱。
中津川一泊、翌日は長野県の入笠山へ行くことにしました。
伊吹山!
夫は仕事があって後から来ます。
一人で旅するつかの間の解放感!
前夜、川本三郎氏のエッセィ本に、中津川の次の落合川がいいと書いてありました。何というタイミングの良さ、行ってみます。
降りたのは一人旅らしい若い男性と、この私。
駅は無人。周り家はなく、川と山に挟まれたこの秘境感。ワクワク。
次の中津川行きまでは1時間ちょっと。
道案内に従って落合宿まで行くことにします。
吊橋を渡ります。
JRワンマンカ―の運転手さんに出発前、川があるんですよねと聞くと・・・川ではなくて池?・・・とのことでした。
確かに池。木曽川をせき止めてダム湖になっています。あちら下流。
落合川が木曽川と合流する場所にダム湖があります。
落合川上流と恵那山。
1キロくらい歩いたけどまだ着きません。
暑いし、お腹空いても店はないし、落合宿はもうすぐです。
落合宿に差し掛かりました。
翌日気が付いたのですが、旧中山道は小石を混ぜた歩道なので迷わなくて済みます。
途中、セメント会社の軒下の自販機でジュース買ってカロリー補給。
昼日中、だあれも歩いていません。
後ろは恵那山。
落合宿、本陣跡。
土日祝だけ開けてガイドボランティアの方が詰めているようです。
中は広いです。裏には蔵もいっぱい。
でも上がって見学する時間がありません。
「和宮もここを通ったんですよね」
「そうです。総勢2千人、長さが7キロ、先頭が落合まで来ても後ろはまだ中津川だった」と説明された気がしますが、列車の時間が気かがりで数字はうろ覚え。
とにかく大変な行列だったのです。なんで大回りの中山道を通ったかと言うと、勤王攘夷派が公武合体に反対して、和宮を奪うと心配したから・・・と何かの本で読んだ記憶が。
有吉佐和子「和宮様御留」は緊迫の行列の様子が書かれた小説。
和宮は明治維新後は京都に戻り、二条城二の丸で暮らしたそうです。いずれにせよ数奇な運命の人、数奇な運命でない自分の人生に感謝しながら駅へと戻ります。
やれやれ間に合いました。ホームは一つ。
普通列車が入線してきました。
乗るのは私一人。
中津川で待っていると14時過ぎ、夫がやって来て合流。やれやれ。
余りに暑いので中津川宿は明日行くことにして観光案内所でしばしの休憩。
映画を作ったそうですが、私の地元で公開したのかな?
藤村の生まれた馬籠宿は木曽路の最南端、以前行った時、岐阜の中津川と、県を越えた合併をするしないで揉めていたようですが、今は中津川になっているとのこと。
今の時代、「破戒」をどう映画にするのか、ちょっと興味があります。難しいかな。
15時になったので今夜の宿
長多喜 宿泊予約【楽天トラベル】 (rakuten.co.jp)へ行きます。
中津川宿で旅籠を営んでいたお宿が、昭和の初め、持ち山に古民家を移築して以来、街を見下ろす場所で続けているようです。
いゃあ~大変にユニークな旅館。まさに時代劇の世界。
歌人、俳人が訪れ、昭和時代、当時の皇太子も宿泊したそうで、翌日のホテルのオーナーにそのことを話したらちょっと驚いていました。
長くなるのでそれは明日以降に。
もっとも、バスツアー。 お手軽です。
でも、伊那・馬籠・木曽。
何処もよかった記憶があります。
今は、もっと、整備されているんでしょうね~。
和宮と中山道。 ロマンを感じます。
それにしても、8時間の長旅とは、大変な距離なのですね。
驚きました。
名前を 聞くだけで 嬉しい
写真も添えて 頂き
有り難う 御座います
この付近はバスツアーが効率よく周れていいようですね。きっとたくさんの思い出ができたことでしょう。
電車バスは便数少ないし、荷物全部持っての移動で年寄りには苛酷な旅でした。
御殿の外へも出たことないような人が中山道の長旅、運命を受け入れての覚悟の旅立ちだったことでしょう。
野沢温泉は東京経由が30分くらい近いのですが、あまりに時間がかかるので却下です。東北も行きたそうですが、機会がありません。残念です。
何度か通過しましたが、今回ゆっくり滞在して、山と空がきれいで、人も優しく、とてもいい場所だと思いました。