結局、ミシンで縫ったところを解いて手縫いにした。機織りのつなぎ目ですが。
春の作品についてそう言われたからですが、自分の都合がいいようにした方がよかった。水洗いと糊付けも余計だった。不均等に縮んで仕上げに大変苦労した。
次はできあがったまま、そろっと仕立てよう。
午前中は手縫いにかかってしまい、午後から事務の経理的なこと少し。
夕方から友人親戚に来月京都での展示の案内を書いたけど、まだ出すに至っていない。
これから段ボール箱を作って無事に京都の業者さんに発送した後でないと万一と言うこともあるので。
そのあと「福田村事件」の出版社にはがきを書く。方言の意味について。
襲撃から辛くも逃れた人の目撃した手記。
棒や鳶口で頭を攻撃され、悲鳴を上げて少し下の松林に逃げ込むと、後から追いかけて行って(縄で?)くくって上に引き上げ、メンテイ(両手?)をやられていたの記述。
注では両手が攻撃されていたとあるけれど、香川の方言では額のこと。
頭を棒や鳶口で殴られて松林に逃げ込んだところを、(この時点で大量に出血していたのでは?)追いかけられて縛られ、両手ではなくさらに額を打擲される。(これが致命傷になったのではと思います)
既に頭に大けがしているのに、さらに攻撃したのが腕ではなくて額。これで事件の残虐性が一層際立つと思います。
既にほかからの指摘もあったかと思いますが、と断ってハガキを書きました。
普通に生活している人が、事件の加害者になる。その恐ろしさです。加害者を感情的に責めても事件の本質には届かない。そうしてしまった社会状況に思いを致し、どんな場合も人の命は何よりも大切。そのことを再確認したいと思います。
村人を止めた善意の警官・・・だったか村長。日本人だから殺すなって、じゃ、日本人でなければ殺していいのかという話。
取材には地元の人の口が堅く苦労したとか。加害者をも解放しなければとこの本にはあります。そのためには事件の詳細を明らかにし、背景まで解明することではないでしょうか。そうしなければ同じことが繰り返されないとも限りません。
負の歴史、忘れたいことの中にこそ、多くの教訓があるのではないでしょうか。
2012年11月。ドイツ、ローテンブルクで。