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大王の夢~王たちの戦争~ 第60話 百済(ペクチェ)の涙

2018-06-09 07:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第60話 百済(ペクチェ)の涙 

 

新羅(シルラ)第29代王キム・チュンチュは 泗沘(サビ)城に入り

正式に 廃主ウィジャの降伏宣言を受け入れる

百済(ペクチェ)王室の玉璽を受け取った瞬間

プヨ氏の子孫は 新羅(シルラ)の民に帰属する

百済(ペクチェ)朝廷は廃され 新たな官府が設けられることとなるのだ

 

ようやく 三韓一統の礎を築いたことに安堵してはいられない

すぐにも蘇定方が 百済(ペクチェ)を植民地化しようとするであろう

唐軍の援軍がなければ成し得なかった 百済(ペクチェ)討伐ではあるが

三韓を植民地化しようという 唐軍の野心をも抑え込まなければならない

 

しかしまた 高句麗(コグリョ)を征伐するその時までは

何としてでも羅唐同盟を存続させねばならぬのだと…!

 

今回の戦いで キム・ユシンは 唐軍の野心と戦ってきた

同盟を結びながらも 真の敵は唐軍ではないかと錯覚するほどに…!

高句麗(コグリョ)へ攻め入る前に 一度唐軍と戦わねばというユシン

 

しかし武烈王は あくまでも同盟の大義名分を掲げ

唐軍の野心を抑え込み続けねばならないのだと主張する

 

次男キム・インムンは 父王の考えに賛同し

太子ボムミンは 武人として 伯父ユシンの考えに傾倒していた

政治を取り扱うキム・チュンチュと 骨の髄まで武人であるキム・ユシン

今は亡き猛将ケベクが指摘した 両者の決定的な違いなのであった

 

蘇定方は 廃主ウィジャと捕虜たちを 長安へ護送しようと考えている

これはまさに 唐の皇帝の命ずる皇命であり

これに逆らう者は 武烈王であっても逆賊になり得ると…!

 

蘇定方の側近たちは それにしてもこれは難儀なことだと憂える

新羅(シルラ)軍の抵抗を交わし 1万もの捕虜を護送することは

あまりに無謀で 現実的ではないことであると…

 

その夜

 

勝利の宴が催され 蘇定方が 廃主ウィジャを呼べと叫び

新羅(シルラ)王に酒を注げと命じた

一国の王が戦に負け 国を失い また王座も奪われた

戦勝国の王に酒を注ぐことは 当然のことである

 

蘇定方は 太子と大将軍にも酒を注がせ 最後に自らの盃を差し出す

あまりの屈辱に 廃主ウィジャは震え出し 酒をこぼしてしまう

『無礼者!』と突き飛ばされ 無様に転がる廃主ウィジャ!

長子プヨ・ユンが 声を上げて泣き 弟王子たちもむせび泣く

廃主ウィジャは 気がふれたように笑い出し

その笑いは 次第に泣き声へと変わっていく

 

誰はばかることなく オイオイと声を上げて泣く廃主ウィジャ

武烈王は 思わず立ち上がり そばに座り込み語りかけた

 

『あの日 お前が私を信じてくれさえしたら…

新羅(シルラ)と百済(ペクチェ)が同盟を結んでさえいたら

このように惨めな思いはせずに済んだであろう

過ぎ去った日々が まことに恨めしい』

 

すると将軍トチュンが 突然に叫び出した!

 

たとえ敗勝の王であっても 礼を尽くすのが道理だと!

そしてなぜ 百済(ペクチェ)の官僚であった者が宴の席につき

かつて仕えていた王の 惨めな姿を傍観しているのかと!!!

 

蘇定方は 将軍トチュンを睨みつけ 外で斬首しろと叫ぶ

トチュンは 兵士の剣を奪い 裏切り者チュンサン公の胸に突き刺した!

一瞬の出来事に 誰も止めることが出来ず チュンサン公は絶命する

 

黄山ヶ原で 猛将ケベクと共に散るはずだったトチュンである

しかし ケベクから 王様を守れと命じられ泗沘(サビ)城に戻ったのだ

これ以上の恥辱を味わうよりは…!

トチュンは チュンサン公を斬った剣で 自らの命を絶つ!!!

 

騒然となった宴は中断された

 

武烈王は この泗沘(サビ)城において 民に蛮行を行う者は

たとえ誰であろうと許さず 厳罰に処すと言明した

これを受け 蘇定行は 皇帝への報告のため長安に帰るという

その際に 廃主ウィジャを連行したいと申し出た

 

武烈王は即答を避け 朝廷で審議したうえで返答するという

 

太子ボムミンは 決して廃主を渡してはならないと主張する

朝廷の総意として 廃主の引き渡しに反対すべきだと!

 

そこへ 唐軍の宴の席に ユシンとボムミンが招待される

なぜ 反目している2人を招待するのか… 訝しむインムン

ユシンは いっそ何か仕掛けてくれれば 相応に対峙する!と息巻く

 

事を荒立てるべきではないというインムンに ボムミンが憤慨し

副総官の任を受け 唐軍に染まったのかと怒鳴りつける…!

何かにつけ興奮して ケンカ腰になる兄に対し インムンは声を荒げる

そのような了見で 太子として次期王座に就き 国を治められるのかと!

いずれにしても 張り詰めた緊張感の中で 宴は始まるのである

 

一方 武烈王は

 

廃主ウィジャに直接会い 腹を割って話そうと試みていた

百済(ペクチェ)の辺境では いまだ反発する民衆が存在し

国が滅びたことを受け入れられないまま 抵抗を続けている

百済(ペクチェ)王の 最期の務めとして 民衆を説得してほしいと…!

百済(ペクチェ)の民は 今後 新羅(シルラ)の民として生きる

抵抗すれば それだけ多くの血が 無駄に流れることになると説得する

 

しかし廃主ウィジャは これを受け入れない

真に衷情を示す 多くの臣下の命が消えていった

奸臣により 偽りの太平に酔いしれた 自分の不甲斐なさを嘆くばかりで

今後も生きていかねばならない民のことまで 思いやる余裕が無かった

 

このままでは 生き残った百済(ペクチェ)の民は

唐の奴隷になって生きることになるかもしれない

そうならないよう 救ってやりたいという武烈王だが

ウィジャは どの国の奴隷になろうが 奴隷は奴隷だと嘆くばかりだった

 

『三韓一統の大義のため 百済(ペクチェ)という国を滅ぼしたが

たとえ国が滅びようと 民までが滅びるわけではない!

百済(ペクチェ)の民は “三韓の民”として生きていくのだ…!』

 

『たとえ天に見限られ 王座を奪われても 操り人形にはなりたくない!』

 

『天が見限ったのではない! お前が天意に背いたことで

百済(ペクチェ)が滅びたことが なぜ分からぬ!

三韓の民を救いたいと 大志を抱いていたお前なのに…!

もはやお前には 君主としての資格が無い!!!

そんな者に 協力を求めようとしたとは…!』

 

武烈王の申し出を受けるほどの器であれば 国は滅びなかっただろう

廃主ウィジャが 名君となり得る機会は いくらでもあったのだ

何度も挫折しながら 王座に就いたキム・チュンチュ

盟友キム・ユシンとの間でも 政策の違いから何度も衝突してきたのだ

この2人の君主の明暗は 果たしてどこで分かれてしまったのであろうか…

 

唐軍の宴の席では

 

ユシンと太子ボムミンが 歓待され 居心地の悪さを味わっていた

そこで蘇定方は ひとつの書簡をユシンに渡す

書簡には 百済(ペクチェ)を平定した喜びを表す詩が書かれている

先帝は 遼東征伐の折に“功績碑”を建てたのだという

今回もまた 百済(ペクチェ)征伐を記念し “功績碑”を建てるという蘇定方

 

そこに刻む詩だというが その詩には 新羅(シルラ)の文字が無い

唐の皇帝を称え ただただ唐軍の兵士の功績を称えている

まるで唐軍が 単独で百済(ペクチェ)を滅ぼしたかのような内容であった

 

2人は これに激怒し猛抗議した

それにより 宴の席は一変し 互いに剣を構え一触即発の状況になる!!!

 

蘇定方は 2人を惨殺せよと命じ

門の外に待機していたプミルが 太子と大将軍を守れ!と号令する

数のうえでは 圧倒的にユシン側が有利であり 力の差も歴然である

蘇定方は あっという間に剣を突き付けられてしまう!

 

キム・ユシンが 今にも蘇定方を斬首しようとしたその時!!!

武烈王が 兵を率いて現れ 寸前でユシンの剣を止めた!

 

『ユシン! なぜ羅唐同盟に背くのだ!』

『陛下 この者を斬らねば 三韓が 唐の植民地と化してしまいます!

たとえ王命に背いた罪に問われようと構いません!』

 

これは 国と国との誇りを懸けた争いではなく

これ以上 三韓の民を苦しめないための闘いであるという武烈王

同盟に背き 蘇定方を斬首すれば 100万の唐軍との戦になる

それによって またしても苦しむのは 三韓の民なのだと…!!!

 

怒りに震えながらも 理性を振り絞り剣を下ろすユシン

するとその直後!!! 武烈王が剣を抜き蘇定方に突き付ける!!!

 

いかに蘇定方でも 王から剣を突き付けられては たじろぐばかりである

あくまでも皇命に従っただけで 他意はないと弁明する蘇定方

 

ここで武烈王は 蘇定方に対し“生きるか死ぬか”を選べという!

 

同盟に背いた罪により この場で斬首されるか

それとも 廃主を連行して帰国し 皇帝を説得するか… である

 

武烈王の気迫に 帰国して皇帝を説得すると答える蘇定方

 

『戻って皇帝陛下に伝えよ! 新羅(シルラ)王の意思は固く

また従う忠臣も剛健で 100万の兵でも植民地化することは難しいと!!!』

 

キム・ユシンは 武烈王の前にひざまずき 王命に背いた不忠を詫びるが

たとえこの身が斬首されようと 蘇定方を斬るべきとの考えは変わらぬと!

太子ボムミンも その隣にひざまずき 伯父に加勢した不忠を詫びつつ

それでも 唐軍と戦うべきという考えを曲げられないという

 

2人の手を取って立たせ 何を恐れているのか承知しているという武烈王

しかし 新羅(シルラ)の兵力だけでは 三韓一統の大業を成すのは難しく

百済(ペクチェ)の残党と戦うことさえままならないのが現実であると…!

 

大業を成すため 援軍を受けつつも 唐の野心をくじかねばならぬ!

そのためにも 太子とユシンの力が必要なのだという武烈王であった

 

『時機が来れば 必ずや唐軍と戦わねばならぬ

しかし今は その時ではないのだ! 私を信じて従ってくれぬか!』

 

西暦660年9月

廃主ウィジャと太子 そして90余人の王族と臣僚ら

そして1万2千余人の民が 捕虜として唐に護送された

捕虜となった民は ほとんどが技術者や学者であったと伝えられている

廃主ウィジャは 戦を引き起こしたことを 皇帝から厳しく叱責された

その後 赦免されたが まもなく病死したと伝えられている

 

高宗は 廃王ウィジャの葬儀を行い 碑を建てて弔った

ウィジャ王は 武(ム)王の長子であり

太子の頃は“海東曽子”と称され 中原や倭国にまで名を轟かせた

在位期間は20年であり 三韓の覇権を争い戦い続けた

晩年はほとんど政(まつりごと)をせず 奸臣に踊らされ民心を失った

 

国を失い 王座を追われた廃主ウィジャには諡号さえ与えられず

洛陽北部に埋葬されたと伝え聞くばかりである

結局 百済(ペクチェ)は 建国から678年で滅亡したのであった

 

唐の第3代皇帝 高宗は なぜ百済(ペクチェ)を植民地とし

徐羅伐(ソラボル)を攻めなかったのかと 厳しく蘇定方を責め立てた

蘇定方は 武烈王とその臣下が いかに手強いかを報告し

まずは高句麗(コグリョ)へ侵攻すべきだと進言する

これに納得した高宗は 百済(ペクチェ)を統治した後

高句麗(コグリョ)へ侵攻するよう 新たな皇命を下すのであった…!

 

高句麗(コグリョ)では

 

第28代宝蔵(ポジャン)王は 百済(ペクチェ)王の末路を知り

いつ羅唐軍が 平壌(ピョンヤン)に攻めて来るかと 気が気ではない

しかし 莫離支(マンニジ)ヨン・ゲソムンは 余裕の構えである

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

奸臣に惑わされ 油断したゆえに 百済(ペクチェ)は滅亡したが

この高句麗(コグリョ)に限っては 断じてあり得ないと豪語する

 

まずは 百済(ペクチェ)辺境で いまだ暗躍する抵抗勢力と結託し

打倒羅唐軍の動きに加勢すれば 必ずや勝機はあると…!!!

 

百済(ペクチェ)辺境で 抵抗し続ける将軍ボクシンのもとへ

ゲソムンの命により 高句麗(コグリョ)から援軍が派遣された

将軍ボクシンは 卑怯にも羅唐軍に寝返った裏切り者から始末すると息巻く!

 

唐軍の蛮行により 全滅させられた地域を視察するサンヨン公

滅亡を余儀なくされる百済(ペクチェ)の未来を按じ

自ら投降し 新羅(シルラ)人として生きる道を選択したが

百済(ペクチェ)再興を願う 将軍ボクシンの剣に倒れ 絶命する

 

白昼堂々 抵抗勢力に襲われるとは…! 武烈王が激怒するものの

蘇定方の帰国後 泗沘(サビ)城を任された劉仁願は

警備にはまったく関心がなく 百済(ペクチェ)王族が残して行った

財宝を探すことに兵力をつぎ込んでいるのだという…!

 

反抗勢力は 羅唐軍に投降する民を許さず 皆殺しにしていく

唐軍の蛮行で命からがら生き残った者たちは

三韓に唐軍を招き入れた武烈王を憎み 新羅(シルラ)軍を恨んでいた

 

武烈王が成そうとする 三韓一統の大業への道のりは険しく

キム・ユシンは 唐軍が蛮行を続ける限り 大業は遠のくだけだという

 

『今からでもまだ遅くはない 百済(ペクチェ)の地から唐軍を追い出せば

陛下は 百済(ペクチェ)の民心を取り戻せるはずだ

唐軍に百済(ペクチェ)の地を奪われるか あるいは唐軍と戦うか

いずれは決断を迫られることになるだろう』

 

そこへ 唐より 百済(ペクチェ)を治める都督が派遣されたと報告が入る

 

これはまさに 百済(ペクチェ)を植民地化するという唐の魂胆であると

ユシンをはじめとする将帥らが 攻撃命令を!と口々に叫ぶ

その中で 兵部令(ピョンブリョン)キム・ジンジュが

ただひとり 唐の皇帝の真意を探るのが先決だと反論する

 

※兵部令(ピョンブリョン):軍事を担当する中央官庁の長官

 

親唐派が兵権を握っている限り 唐に舐められるばかりだと叫ぶユシン!

ジンジュは 今は羅唐軍が分裂している時ではないと言い返した

武烈王の一喝が 両者の激論を止める

 

羅唐同盟の大義を守り抜くという 武烈王の意思は固く

キム・ジンジュが正しいのだと言い置き 退座しようとする

 

キム・ユシンは そんな武烈王に『待たれよ!』と叫んだ…!

 

『あくまでも 大王陛下が 唐の手先になるというのなら!

朝廷と このキム・ユシンは 大王陛下に立ち向かい

唐軍との決戦に臨むことを ここに言明致します!!!』

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第59話 泗沘(サビ)城の陥落

2018-05-29 08:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第59話 泗沘(サビ)城の陥落 

 

泗沘(サビ)城への進撃が遅れているのは

キム・ユシンと蘇定方のいがみ合いが原因であるとし

参謀カンスと側近たちは ユシンを帰還させるべきだと進言する

 

武烈王は 直ちに進撃命令を下し 蘇定方を説き伏せられない場合は

キム・ユシンから 総大将の任を解くと明言した…!

 

元々は 唐軍との同盟には反対だったユシンである

同盟の大義を守ることを無視し あくまでも唐軍と戦うのであれば

大業を成すためにも ユシンを更迭せざるを得ないという武烈王であった

 

刺客を送った黒幕が キム・ユシンかもしれない…!

蘇定方自ら百済(ペクチェ)より妓女を迎えながら 言いがかりも甚だしい

これもみな 統帥権を握りたいが故の策だとすれば…

 

或いは自分が退けば 唐軍は進撃するのかと問うユシン!

すでに副総官の座を退き 新羅(シルラ)軍に戻ったキム・インムンは

刺客に襲われたからではなく 陣営に現れた白いカラスのせいだという

 

たかが1羽の鳥のために進撃できないとは…

それを凶兆とか ケベクの怨霊だと言って恐れるならば

ユシンは まさに生きたケベクと剣を交え 死に至らしめたのだ

何を恐れることがある!と言い放ち 白いカラスを射殺してしまった!

 

なぜ愚にもつかぬ理由を並べ立て 進撃を拒むのか…!

これはユシンの懇願というより 叱責にも似た“進撃命令”であった

 

『誰であろうと 今後進撃を拒めば利敵行為として罪を問う!!!

蘇総官 今ここで決断せよ! 進撃するか! この弓を受けるか!!!』

 

共に進撃し 泗沘(サビ)城を攻めることにはなったが

どう攻めるかの策を練る段階で またしても意見が食い違う…!

 

ユシンは 所夫里ヶ原での決戦を想定し 四方から待ち伏せる作戦だが

蘇定方と側近らは 百済(ペクチェ)軍が先攻するとは考えず

ただ城内で援軍を待っている敵に 水路から泗沘(サビ)城を目指すという

 

そこへ偵察隊が戻り 1万の百済(ペクチェ)軍が

所夫里ヶ原を目指し進軍していると報告した

蘇定方は 見事に予測したユシンを褒め 先鋒を!とほくそ笑む

こうしていよいよ 羅唐軍と百済(ペクチェ)軍の決戦が始まった

 

百済(ペクチェ)軍は 3人の王子が兵を率いてはいるが

やはり 猛将ケベクが抜けた穴は大きく 軍は精彩を欠いていた

 

西暦660年7月12日

1万の百済(ペクチェ)軍は 所夫里ヶ原において果敢に戦ったが

キム・ユシンと蘇定方率いる18万の羅唐軍相手では 全く歯が立たず

壮絶な戦いの末に全滅を余儀なくされたのである

 

ウィジャ王と太子プヨ・ヒョは 一部の兵を率い熊津城へ逃れた

難攻不落とされる熊津城に籠り 高句麗(コグリョ)軍を待つのである

 

武烈王は まだ気を緩めてはならないと命じ

百済(ペクチェ)辺境の兵士が集結し 戦列を整える前に

必ずや百済(ペクチェ)王に 降伏を宣言させると明言する

 

高句麗(コグリョ)の莫離支(マンニジ)ヨン・ゲソムンは

百済(ペクチェ)の敗因を こう読み解く

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

城に籠って守るべき時に城外へ出て 敵と対峙し

城を出て戦うべき時に城内に籠り 敵を蹴散らす好機を逃がしたのだと…!

 

しかし 百済(ペクチェ)のウィジャ王は 今でこそ民心を失っているが

かつては名君と称され 善政を施し 百済(ペクチェ)を再興させた人物

簡単に降伏し 羅唐軍に玉璽を奪われることはないと断言するゲソムンであった

 

一方 百済(ペクチェ)に向けて進軍した 高句麗(コグリョ)の援軍は

武烈王自ら出向いた新羅(シルラ)の軍隊により 足止めされる

 

武烈王は このまま帰還し 高句麗(コグリョ)の王に伝えよ!と言い放つ

これ以上 百済(ペクチェ)を救おうとするのであれば

泗沘(サビ)城を陥落させたその足で 高句麗(コグリョ)に攻め入ると!

 

しかし 実際に泗沘(サビ)城を陥落させることは そう簡単ではない

その泗沘(サビ)城では 王子たちによる内紛が起きていた…!

父王と太子を追い出し プヨ・テ王子が 玉座に座りほくそ笑んでいる

百済(ペクチェ)の国運を守るべく 自ら玉座に就いたと豪語し

兄プヨ・ユン王子に 剣を突き付けるのであった…!!!

 

『父上はすでに戦意を欠き 降伏しようと考えているだろう

太子は 父上に評価されようとして無謀に戦い敗戦した

今やこの国を守れるのは私しかいないであろう!!!』

 

すでに奸臣たちは プヨ・テ王子を“大王陛下”と呼んでいる

この戦乱の中で 身勝手にも“即位した”と豪語し もし同意しなければ

たとえ兄であっても プヨ・ユン王子を殺害すると宣告した

 

困惑するプヨ・ユン王子の前に サムグァンが現れる

サムグァンに同行し サンヨン公の姿もあった

サンヨン公は プヨ・ユン王子に降伏するよう嘆願する

父王の敗走を促し その隙に王座を奪う国の再興など 決してあり得ぬ

これ以上 百済(ペクチェ)の民を苦しめず 三韓一統のためにも

降伏するべきだと 必死に説得するサンヨン公

 

サムグァンは 羅唐軍の攻撃が始まる前に降伏すれば 命は助かるという

攻撃が始まってからでは 反逆を容認した罪で裁かれてしまうと…!

 

同じ時 蘇定方は深く考え込んでいた

 

皇帝陛下よりの皇命では 百済(ペクチェ)を陥落させた後

新羅(シルラ)に攻め入り 植民地化せよということであった

同盟を詠いながら やはり3代皇帝高宗は 三韓を奪うつもりだったのだ

 

しかし 所夫里ヶ原でのユシンの戦いぶりを見た蘇定方は

その気概溢れる剣さばきと 新羅(シルラ)軍の勇猛さに勝てる気がしない

まともに戦えば 無残に負けることは目に見えていると…!

 

すると側近たちが 泗沘(サビ)城攻めにおいてユシンを先鋒に立たせ

勢いを削いだところで 一気に攻め入れば勝機はあると言い出す

しかし その策を講じているところへ…

百済(ペクチェ)のプヨ・ユン王子が降伏したとの知らせが入る!!!

 

王子の降伏で 百済(ペクチェ)軍の士気は下がる一方である

今こそ進撃の時だと思った矢先

ユシンのもとへ 唐軍が攻撃を始めたとの知らせが!!!

 

蘇定方は ユシンに先鋒をと考えていたが

敵王子の降伏を知り これは抜け駆けで攻めるよりほかないと判断したのだ

 

泗沘(サビ)城内に籠るプヨ・テ王子は 兄が降伏したことで意気消沈し

もはや降伏するしかないと言い出し 奸臣たちを困惑させる

 

ウィジャ王と太子が 熊津城へ敗走した翌日

2人の王子が相次いで降伏を宣言し 泗沘(サビ)城は陥落した

聖(ソン)王の遷都以来123年の月日が流れての出来事であった

 

唐軍は 城を陥落させた後も 民への蛮行を行い

多くの民が無残に殺され 暴行を恐れた女たちは自ら命を絶った

そんな蘇定方を “逆徒の頭目”と揶揄し非難するユシン!

 

『総官の前で降伏したプヨ・テは 王ではなく王子である!

従って 百済(ペクチェ)の陥落はまだ成立してはいない!!!

熊津城へ進軍し ウィジャ王を降伏させるまでは浮かれるでない!』

 

キム・ユシンに叱責され またしても恥辱を味わう蘇定方であった

 

熊津城へ逃げ込んだウィジャ王は 今さらながらに悔やんで泣いた

ソンチュンのような忠臣を無視し続け 奸臣に踊らされていた歳月

あの時 忠臣の苦言に耳を傾けていれば 泗沘(サビ)城を追われることも

唐軍の蛮行により 民が惨殺されることもなかったのだと…!

 

将軍トチュンは 涙ながらに再考をと訴える

このままでは ケベク将軍をはじめ無念に逝った者たちが浮かばれないと!

しかし 抵抗を続ければ それだけ民の犠牲が増えるのだと

ウィジャ王の決意は固く 直ちに泗沘(サビ)城へ行き降伏するという

 

キム・ユシンと蘇定方が待つ泗沘(サビ)城において

ウィジャ王は 降伏宣言を行うはずであった

 

しかし 唐の皇帝に代わり その宣言を受けようとする蘇定方に

キム・ユシンが憤慨し まだ降伏宣言は受けられぬ!と言い放つ

新羅(シルラ)王の到着を待たずに 何という無礼か!と憤り

武烈王は 必ずや唐軍が百済(ペクチェ)の民に行った蛮行の罪を問うと!

 

降伏宣言をしようというウィジャ王を置き去りに

唐軍と新羅(シルラ)軍は またしても一触即発の状況に陥る

そこへ 武烈王到着を知らせる ほら貝の音が鳴り響く…!!!

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第58話 黄山伐を越えて

2018-05-20 07:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第58話 黄山伐を越えて 

 

新羅(シルラ)軍と百済(ペクチェ)軍の戦いは 明け方まで続いた

決死の戦いの中で 百済(ペクチェ)陣営の門が破られる

続いてサムグァンが 左右の門を中から開け 味方を率いれた…!

 

サムグァンを間者と知ったファシが 背後から襲いかかると

サンヨン公が サムグァンを庇い ファシに斬りつけた!!!

 

すべての門が破られ 裏切った奸臣らが兵糧に火を放つ!

 

ケベクは トチュンに 泗沘(サビ)城へ行けと命じる

しかし 最期まで共に戦うと言って聞かないトチュン!

 

『私は この黄山ヶ原で命尽きるだろう!

しかしお前は ここで死んではならぬ!

必ず生き延びて泗沘(サビ)城へ行き 大王陛下をお守りするのだ!』

 

ここで死すると決めた ケベクの反撃は 凄まじいものであったが

新羅(シルラ)軍の弓隊に四方を囲まれた時 命運は尽きた…!

ユシンは 射手の構えを解かせる命令を出す

そして ケベクの前に進み出て 殺したくないという

 

『ケベク 私と共に三韓一統を成そう!』

『この戦いには負けたが 衷情の心までは負けたくない』

『お前が 命乞いをする人間ではないと分かっている

だからこそ…! お前の命を奪いたくないのだ』

 

※三韓一統:新羅(シルラ)・高句麗(コグリョ)・百済(ペクチェ)の三国統一

 

今ここで死ぬことに悔いはないが 唐軍に三韓を奪われはしないかと

それだけが心残りであるというケベク

必ずや唐軍を退け ユシン公の手で三韓一統を成すと

その確約を得て死にたいというケベクであった

 

将軍ケベクは たった5千の決死隊を率い 5万の新羅(シルラ)軍と戦い

4度の戦いで勝利した後 5度目の戦いにおいて絶命した

この戦いで生き残った百済(ペクチェ)軍は 寝返った臣僚20余人のみである

その後 サンヨン公らは 武烈王に許され官職と財を与えられた

まさに今 百済(ペクチェ)は 国家滅亡の危機に陥っていた…!!!

 

百済(ペクチェ)のウィジャ王は ケベクの死を悲しみ

一体 太子や王子たちは何をしていたのだと怒り狂う…!!!

 

太子プヨ・ヒョは 自らの失態を民に着せ皆殺しにしている

プヨ・テは 勝てる戦と楽観し ケベクを置いて戦場離脱した

太子を廃された長子プヨ・ユンだけが 父王に進言する

決してケベクの死は無駄死にではないと…!

唐軍との合流に足止めしたことで きっと敵は内紛を起こす

その背後を 加林(カリム)城と辺境の兵士に追撃させれば

まだ十分に勝機はある! と明言したのだ

この進言に満足したウィジャ王は プヨ・ユンに兵権を与える

 

新羅(シルラ)では

 

見事に黄山ヶ原を脱出したユシンに 称賛の言葉を贈る武烈王

そして この勝利のために命を落とした名も無き兵士たちの功績を称え

その遺族に対し 十分な恩給を贈るよう命じるのだった

 

その一方で 浮かぬ表情で深く考え込む武烈王

 

この勝利のために クァンチャンをはじめとする尊い命が失われた

そしてまた 戦乱に巻き込まれた 多くの百済(ペクチェ)の民もまた

三韓の民であり 武烈王が守らねばならない尊い命であったと…

 

その心情を 痛いほどに理解している文明王妃が

三韓が互いに争っている限り 悲しみは消えないと言い

だからこそ三韓一統を成さねばと 悩める夫を励ますのだった

 

太子妃もまた 失われた多くの命を慰めるため 慰霊祭を行いたいと言い

武烈王は 敵将ながら勇敢に戦って死んだケベクの霊も弔い

その忠心を正史に記し 三韓の民の模範にせよと命じた

 

とはいえ これで戦いが終わったわけではない

羅唐同盟を破棄することなく 百済(ペクチェ)を滅亡させるためには

まず 指揮権を独占しようとする蘇定方と 対峙しなくてはならないのだ

 

蘇定方は 合流期日に遅れた罪を厳しく問い 軍紀将の首を出せと言い出す

その軍紀将とは ユシンの息子サムグァンを指していた

 

フムスンは 我が息子パングルの敵を討つためにも

唐軍など無視し 単独で百済(ペクチェ)を攻め落とせばいいと喚く…!

しかし太子ボムミンは 羅唐同盟を無視するわけにはいかないという

 

キム・ユシンは 息子の首を差し出しても 同盟を維持すると言い出す

それでは兵士たちの士気が下がると 側近たちは猛反対するが…!

ユシンの意思は固く 誰の進言も聞こうとはしなかった

単独で 泗沘(サビ)城を陥落させることは容易いが

百済(ペクチェ)を滅亡させた後 高句麗(コグリョ)へ侵攻する時にも

羅唐同盟は 生かされねばならないのだと…!

 

この新羅(シルラ)軍の葛藤を 十分に予測し 高笑いする蘇定方

果たしてユシンが どんな結論を出すのか 高みの見物を決め込んでいる

 

『さすがにユシンも 息子の首を斬ることは出来ないだろう

その誇り高い鼻をへし折り 新羅(シルラ)軍を率いて進撃するのだ!』

 

そこへ ユシンが軍紀将の首を斬るとの報告が入る…!!!

 

蘇定方は 息子を斬れるわけがないと 刑場の場へ赴く

キム・ユシンは 我が息子の背後で剣を構えており

息子サムグァンは 怯える様子も見せず 堂々と座り首を差し出していた

 

軍紀将を処刑するにあたり 蘇総官に問う! と叫ぶユシン

 

上陸して葦のムシロで砂州を脱出した後 蘇総官は何をしていたのかと…!

新羅(シルラ)軍が 黄山ヶ原を突破しようと 必死にもがいていた時

加林(カリム)城を陥落させるでもなく ただ合流の期日を待っていた

統帥権を握ることだけに拘り 援軍も送らずただ見物していたのだ!!!

 

『援軍もなく 自力で黄山ヶ原を突破した“仲間”を労うことすらせず

ただ遅れたことを責め 統帥権を握ろうと 同盟の大義を無視したのだ!』

 

キム・ユシンは 息子をこの場で処刑すると同時に 唐軍への宣戦布告をした

泗沘(サビ)城に攻め入る前に まずは唐軍と一線を交えると…!!!

 

『サムグァン! お前の死は 新羅(シルラ)軍としての誇り高き名誉だ!

お前の首を斬った後 唐軍の首をすべて斬り お前の御霊に捧げるぞ!!!』

 

キム・ユシンという男は 決して脅しでハッタリをかけたりはしない

それを知っているからこそ 蘇定方と側近らはたじろいだ

構えた剣を振り下ろしたと同時に 新羅(シルラ)軍は攻めて来る!!!

 

いかに粗暴で傍若無人な蘇定方であっても それがどういうことかは分かる

今にも剣を振り下ろそうとするユシンを止め 遅延の罪は不問に付すと言い

一触即発の状況から一転し 両者は 和解の握手をするのだった…!

 

こうして“羅唐軍”として 泗沘(サビ)城へ進撃することとなったが

ユシンから受けたこの恥辱で 怒りに震える蘇定方であった

 

そんな蘇定方を 百済(ペクチェ)のプヨ・ユン王子が訪ねて来た

高句麗(コグリョ)の援軍が到着するまでの 時間稼ぎである

これを口実に 進撃を遅らせるという蘇定方

ユシンに進撃を請わせてから 余裕で重い腰を上げてやろうと…!

 

百済の使臣と蘇定方が会談したことは ユシンの耳にも入っている

いずれは百済(ペクチェ)を滅ぼし 唐軍との戦闘は避けられないだろう

結局 三韓一統の大業は 新羅(シルラ)の力だけで成し得ねばと…!

 

百済(ペクチェ)の妓女を呼び 宴に興じる蘇定方

しかし その妓女の中には あのファシが…!

ファシは 亡きケベクの敵を討とうと 舞いながら蘇定方に近づく!!!

蘇定方に剣を突き刺したファシだったが その場で斬り殺されてしまう

しかも蘇定方は 強靭な鎧を身に着けており 致命傷にはならなかった

刺客に襲われたことを名分に 黒幕を暴くまでは動かぬと明言する蘇定方!

そして黒幕の正体が キム・ユシンかもしれないと 疑念を投げかけた

 

もはや 泗沘(サビ)城へ攻め入る前に

唐軍と新羅(シルラ)軍が一戦を交えることは避けられないという参謀カンス

報告を受けた武烈王は 怒りをあらわに言い放つ!!!

 

『三韓一統の大業を阻む者は この剣で罪を問う!!!』

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第57話 花郎(ファラン)の決意

2018-04-13 07:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第57話 花郎(ファラン)の決意 

 

黄山ヶ原の決戦において キム・ユシンは大敗してしまう

一時はケベクを追い詰めたが あまりにも敵陣に近づき過ぎ

無数の投石機による攻撃を受け またたく間に劣勢となってしまったのだ

 

これを受け 参謀カンスは 1万の援軍を送ろうと進言する

しかし武烈王は たかが5千の敵に 5万の兵でも勝てぬ戦に

1万の援軍を送ったところで まったく意味が無いという

 

百済(ペクチェ)では

 

たった5千の兵で 5万の敵を蹴散らしたケベクを称える一方で

唐軍に大敗した太子を叱責するウィジャ王

 

太子プヨ・ヒョは 将軍たちが油断したせいだと言い訳し

プヨ・ユンが 酒に溺れ出陣の機会を逃がしたことを なぜ隠すのだという!

情けない息子たちのいがみ合いに 辟易し激怒するウィジャ王

 

新羅(シルラ)の陣営では

 

大敗して意気消沈する兵士たちもさることながら

キム・ユシンこそが戦意を失い 絶望してしまっていた

合流の期日までには もう一刻の猶予もないと 檄を飛ばす太子ボムミン

しかしユシンは その焦りこそが大敗につながったのだという

 

『なぜそんなに弱気なのですか!!!

これでは兵士たちが失望してしまいます!』

 

黄山ヶ原の百済(ペクチェ)陣営では

 

敵を蹴散らしたことも 兵糧を奪ったことも

すべては 王子である自分の手柄だと報告させるプヨ・テ

 

『しかし 俵の中身は偽物でした』

『そんなことは宮殿の父上には分からぬ! 言われた通り報告せよ!!!』

 

さらにプヨ・テは 黄山ヶ原をケベクに任せ 城に戻ると言い出す

ケベクは 王子の帰還には反対しないが 臣僚は残るべきだと進言し

それもそうだと無関心の王子に 奸臣たちは渋々納得する

 

ユシン大敗の報告を受け 高笑いする蘇定方

唐軍の単独勝利は 確実になったも同然であった

 

そこへ 新羅(シルラ)王より親書が届けられる

 

〈唐軍が単独勝利を強行するのであれば

羅唐同盟を無視し両国を反目させる総官を 裏切り行為の罪で弾劾する

さらには出征軍に 単独で泗沘(サビ)城を陥落させよと命ずる!〉

 

この事態を引き起こしたのは 蘇定方の独断であり

すべての責任は総官にあると明言され さすがに蘇定方は抗えない

小国とはいえ 一国の王に弾劾され これ以上押し通すことは出来なかった

 

副総官キム・インムンは まだ油断は出来ぬ!と警戒する

一時的に進撃を止めることは出来たが いつ蘇定方の気が変わるとも限らない

単独勝利が 唐の皇帝の意向だとすれば 親書の効力も危ういと…!

 

インムンの命令により 黄山ヶ原に向け援軍が送られた

しかし 当のキム・ユシンは出撃命令を出すことなく沈黙したままである

勝手に兵を動かすことも出来ず もどかしく時を過ごす将軍たち…

 

するとそこへ 花郎(ファラン)の代表が進み出る

上仙(サンソン)は 大耶(テヤ)城攻撃の時にも同じであったと

 

※花郎(ファラン):美しく文武両道に秀でた青年の精鋭集団

※上仙(サンソン):風月主(プンウォルチュ)を務めた花郎(ファラン)

 

つまり 戦意喪失している兵士たちに攻撃命令を出しても

命令には従うだろうが 良い結果は望めないというのだ

兵士たち自らが奮起し 出撃させてほしいといきり立つまで!!!

ユシン公は “その時”を待っているのではないかと…!

 

花郎(ファラン)の代表は 自分たちが先鋒に立つことで

必ずや 兵士たちの士気を高めてみせるという

たとえケベクの前に死すとも! 誇りと名誉まで傷つけられはしないと!

 

太子ボムミンは これでいいのかと憤り ユシンに談判する!!!

 

しかしユシンは 妻子まで斬ったケベクの思いに突き動かされ

百済(ペクチェ)の兵士たちは 死に物狂いで戦っているのだという

それに勝るほどの思いがなければ 数万の兵士でも立ち向かえないのだと…

 

『花郎(ファラン)が死ぬしかないというのですか! そんな…』

 

花郎(ファラン)たちが先鋒に立つといっても それは正規軍ではない

したがって 正式に将帥がが命ずるというよりは… と押し黙るユシン

そこへ 右将軍キム・フムスンが 息子と共に陣を離れたとの報告が入る…!

 

フムスンは 兄ユシンの思いを知り 花郎(ファラン)である息子パングルに

命懸けの出撃命令を下した…!

パングルは 味方の士気を高めるべく 先鋒となって散る覚悟だった

 

百済(ペクチェ)の陣営

 

単騎で現れた新羅(シルラ)の兵士に対し 単騎で将軍を向かわせるケベク

いずれの将帥かと思い 戦ってみれば まだ若き花郎(ファラン)だった

ここで初めて ケベクの表情が曇る

あっけなく散った この若者の取った行動が 何を意味するのか察していた

 

ケベクにより 丁重に扱われ戻されたパングルの亡骸

フムスンは 変わり果てた我が息子に縋りつき号泣する…!

すると花郎(ファラン)の代表が進み出て 嘆くだけでいいのかと叫んだ!

自分たち花郎(ファラン)が先鋒となり 黄山ヶ原に勝機を呼び込むと!!!

 

この花郎(ファラン)の代表こそ キム・プミルの息子クァンチャンである!

ここでもまた ユシンではなく 父プミルが命令を下す

 

クァンチャンもまた 単騎で敵の陣営に乗り込み

ケベクを“ウィジャ王の犬”と言い放ち 戦いを挑む口上を叫ぶ!!!

 

ユシンの策を見抜いたケベクは クァンチャンを生け捕りにする

その気概を褒め 死ぬにはまだ若過ぎるという

兵士たちは 天下のケベクに戦いを挑む若者を笑い 十分に辱めた

 

兵士たちの中には 間者として潜り込んでいるサムグァンの姿もある

乗って来た馬に括り付けられ 惨めに返されるクァンチャンであった

 

百済(ペクチェ)の陣営では

 

サンヨン公が 他の奸臣をそそのかし 都に戻って大王を守ると言い出す

もう自分たちがいなくても 勝ったも同然の戦であると笑い出した

この腐った臣僚たちに憤ったケベクは 大剣を突き付けて一喝する

次の戦いには 臣僚たちも前線に出撃してもらうと…!!!

 

その時…!

 

生きて帰したクァンチャンが 再び乗り込んできたと報告が入る

惨めな姿で 一度は戻されたが 今度は鎧もつけず単騎で現れた…!

また帰しても おそらく何度も戻って来るであろうと

これが続くようでは こちらの士気が下がってしまうという側近

果たしてケベクの判断は…!!!

 

新羅(シルラ)の陣営

 

またも戻って来たクァンチャンの馬は無人であり 血染めの袋が下がっている

キム・プミルは 袋の中の我が息子の首を抱きしめ 誇らしいと泣き叫ぶ

ようやく高まる士気を感じ 今こそ出陣の時だと言い放つユシン!!!

 

数に勝る兵力を過信し 合流の期日に焦るだけの兵士たちが

ようやく決死に戦う気概を取り戻した瞬間であった…!

 

クァンチャンの首を帰した時から こうなることは予測していた

ケベクは 今夜にも攻撃が始まるだろうと警戒する

そして公言通り 臣僚たちにも甲冑を身に着けさせた

 

老いた奸臣たちが先鋒に立てば 犬死することは間違いない

サムグァンは サンヨン公に接触し このままでいいのかと詰め寄る!

 

新羅(シルラ)軍は

 

左将軍と右将軍が それぞれに我が息子の命を差し出し士気を高めた

その復讐心はすべての兵士に通じ おそらく勝つことは不可能である

 

ケベクの目を盗み 新羅(シルラ)軍に対し降伏すれば 命だけは助かる

反対派さえ 自分の民だと言う武烈王であれば 必ず慈悲を施すと…!

 

キム・ユシンは パングルとクァンチャンの魂を“英霊”と称え

兵士たちの士気を高め 何としてもこの黄山ヶ原を突破しよう!と言い放つ

 

そしていよいよ 戦いの火蓋は切って落とされた!!!

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第56話 竜虎相搏つ

2018-03-21 07:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第56話 竜虎相搏つ 

 

キム・ユシンが重体との報告を受け 自ら出陣すると言い出す武烈王!

それでは 徐羅伐(ソラボル)が高句麗(コグリョ)に狙われてしまうと

側近らがどんなに説得しようとも 武烈王の意思は固かった…!

 

※徐羅伐(ソラボル):新羅(シルラ)の首都 現在の慶州(キョンジュ)

 

あんなにも思慮深かった方が… と嘆く文明王妃

武烈王は ただユシンの重体を嘆いて言っているのではない

これにより 新羅(シルラ)軍が遅れを取れば 唐軍の単独行動となる

もし 唐軍だけで泗沘(サビ)城を陥落させた場合

羅唐同盟は無視され いずれその矛先は新羅(シルラ)に向けられるだろう

足並みを揃えてこそ 同盟が効果的に作用するのだ

 

すると チソ王女が進み出て 涙ながらに武烈王の前にひざまずく

大将軍は必ずや回復し 任務を遂行するはずと…

どうか夫を信じ 待っていてほしいと懇願するのであった…!

 

黄山ヶ原 新羅(シルラ)軍の陣営では

 

キム・ユシンの矢傷は 奇跡的に急所を反れ 一命を取り留めていた

側近らは 会談の帰途を狙ったケベクを 卑怯者だと責め立てる

しかしユシンだけは ケベクの仕業ではないと確信していた

正々堂々と戦うことを信条とするケベクであれば 尚更のことである

むしろ 上命下服の軍律が乱れているということが露呈した

すでに民心は離れ 軍律も… となれば

百済(ペクチェ)は それほどまでに壊滅的状況と言える

 

百済(ペクチェ)軍の陣営では

 

軍令を守らず勝手な行動を取ったとして ケベクがプヨ・テを叱りつける

敵の大将軍を射止めたのに なぜ責められるのかといきり立つプヨ・テ!

その浅はかな考えを さらに一喝するケベク!

 

数のうえでは 圧倒的に不利な百済(ペクチェ)軍なのだ

敵将がもし 卑怯な矢に討たれ死んだとなれば

新羅(シルラ)軍は怒り狂い 総攻撃を仕掛けて来るだろう

となれば もはや苦肉の策で足止めしているだけでは敵わないのだ

ケベクの言葉に 次第に蒼ざめていくプヨ・テだった

 

新羅(シルラ)軍の陣営に ファシが 傷薬を届ける

卑怯にも奇襲しておきながら…! と激怒する太子ボムミンだが

ユシンは ケベクより送られた薬を 有難く受け取る

 

敵による傷を 敵に送られた薬で治す… 何とも皮肉なことだが

互いの力を認め合い 正々堂々と戦おうとする2人であればこそであった

 

蘇定方は 白江の岸辺に上陸すると 高宗の詔書を朗読したという

これはまさに 百済(ペクチェ)への宣戦布告と言える

百済(ペクチェ)を討とうとしているのは あくまでも唐軍であり

新羅(シルラ)軍は ただの援軍に過ぎないという表明である

 

黄山ヶ原を突破するためにも 蘇定方に対し援軍を請おうと

太子ボムミンが駆けつけ 偶然にも この朗読を目の当たりにし激怒する…!

唐軍は あくまでも新羅(シルラ)軍のための援軍であると抗議し

同盟の意味をはき違えているとして 蘇定方を弾劾した

 

弟インムン率いる兵を 黄山ヶ原に連れて行くというボムミン!

しかし蘇定方は それこそ皇命に背く行為だとし

皇帝より副総官に任ぜられているインムンを 処刑すると言い放つ!!!

 

副総官インムンは 何とか兄ボムミンをなだめようとする

いかにボムミンが怒り狂おうとも この場は蘇定方が正しいのだと…!

 

合流の期日を延期するか 援軍を出してほしいと請うつもりが

ボムミンは 蘇定方を激怒させ 頑なにさせただけとなってしまった

 

一連の情報を得た武烈王は 憂慮していたことが現実になったという

同盟を結んだ時点で すでにこうなることは予測していたと…

小国が 大国に頼って大業を成そうとする時

いつの間にか主役が入れ代わり 国ごと奪われてしまう危険がある

しかし必ずや 名将キム・ユシンが 百済(ペクチェ)を討つと信じ

今はただ 待つのみの武烈王であった

 

このまま三韓が争う歴史を繰り返している限り

いつかは唐に侵略され 植民地化し 民は奴隷にされてしまうだろう

だからこそ三韓一統の大業は 必ずや成し遂げねばならないのだ

 

※三韓:新羅(シルラ) 高句麗(コグリョ) 百済(ペクチェ)のこと

 

そこへ 高句麗(コグリョ)から 1万の軍勢が出征したと報告される

武烈王は 国境の部隊に 決して高句麗(コグリョ)軍を近づけるなと命じた

キム・ユシンが任務を遂行するまで 是が非でも阻止せよと!!!

 

新羅(シルラ)国内には 疫病が流行り 負傷兵も多く担ぎ込まれている

それらの民や兵士の世話は 文明王妃と婦女子が一手に引き受けていた

病室を見舞う父王に チソ王女は 陣営の兵士の看護に行きたいと願い出る

しかし武烈王は 前線に婦女子を行かせるわけにはいかないという

チソの姿を見れば 兵士たちが妻子を思い出し命を惜しむだろう

故郷に残した妻子を思い浮かべては 士気が下がってしまうと…!

 

それでもチソは 将軍ケベクが妻子を斬り 出征した話を持ち出し

自分もまた 必ず兵士たちの士気を高める役目を果たすと食い下がる…!

 

百済(ペクチェ)では

 

高句麗(コグリョ)の莫離支(マンニジ)より 親書が届く

必ず唐軍を撃退するゆえ 泗沘(サビ)城に援軍が到着する10日後までは

何としてでも持ちこたえるように と…

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

これを受け ウィジャ王は 加林(カリム)城を死守し

唐軍を 決して泗沘(サビ)城に近づけてはならぬとの王命を下す

 

しかし… 加林(カリム)城は すでに唐軍に敗れていた

すべては唐軍に協力し 萱でムシロを編んだ民のせいだと…!

太子プヨ・ヒョの怒りは 敵に協力した民に向けられた!

 

民を守るための戦であることを 心の片隅にも意識しないプヨ・ヒョは

裏切った民を ひとり残らず斬り殺すと息巻く…!!!

その剣を止めたのは 長子プヨ・ユンであった

そもそも民を避難させ ムシロを焼かなかったのは自分たちの罪であると!

 

『なぜ自分の落ち度を民に着せるのだ!』

『何! 民心を得て太子の座を奪おうというのか!!!』

 

敵前で兄弟喧嘩を始める王子たちに 奸臣たちも戒めの苦言を呈す

しかしプヨ・ヒョは 民を 唐軍の間者と称し惨殺してしまう!!!

 

これにより 民心は 完全に百済(ペクチェ)王室から離れた

蘇定方は 加林(カリム)城を射程圏内に置き この状況を利用しようとする

 

黄山ヶ原では

 

一刻も早く黄山ヶ原を突破し 期日までに唐軍と合流しなければ

羅唐同盟は事実上破棄され 三韓は唐に奪われてしまう

しかし 百済(ペクチェ)軍に包囲された状況を どう打破するのか…!

 

そこへ チソ王女が到着したとの報告が入る

なぜこんな場所へ現れ 士気を下げようとするのか! ユシンは激怒する

チソ王女は 懐から血染めの布を取り出し 静かに差し出した

 

それは 将帥の妻たちが戦勝を祈る血書であった…!

 

たとえ武器を持ち戦えずとも 婦女子たちもまた戦勝を一心に祈っている

ただただその思いを伝えるためだけに来たのだと…

 

羅唐軍の陣営では

 

蘇定方が 突然に加林(カリム)城攻撃を中止すると宣言し

先鋒将を命じられていたキム・インムンが猛抗議する!!!

しかし 期日までに泗沘(サビ)城へ到着するには もう時間がないという

このまま加林(カリム)城を無視し 泗沘(サビ)城に向かうしかないと!

 

これを知ったキム・ユシンは せめて兵糧だけでも陣営に届け

蘇定方に 新羅(シルラ)軍の思いだけでも伝えようと言い出す

百済(ペクチェ)軍を油断させるため 大宴会を開いて大騒ぎし

その隙に 兵糧を運ぶ少数の兵が陣営を出発した…!

 

百済(ペクチェ)陣営では

 

プヨ・テ王子が こっちも負けずに宴会を開こうと言うが…

堅物のキム・ユシンが 士気を高めるために このようなことはしないと

何か策を練っているのだというケベク!

ユシンという人物を知り尽くしているからこそ 見抜けることであった

 

そこへ 偵察に出ていたファシが戻り

兵糧を乗せた荷車が300台減っていたと報告する…!

 

三韓の民が苦労して実らせた米を 一粒たりとも唐軍には食わせぬ!

ケベクは 直ちに兵糧を運ぶ一団を追い すべて奪ってしまう!

 

大事な兵糧を奪われた左将軍キム・プミルは 責任を痛感し自害しようとする

すると息子クァンチャンが進み出て 自分が代わりに自害すると言い出した

キム・ユシンは 父子の衷情を称えつつ 任務は失敗していないという

 

一体どういうことなのか… 戸惑う父子に 太子ボムミンが説明する

 

運んだ兵糧はすべて偽物であり これはケベクを誘い込む作戦であった

あからさまに兵糧を運ぶところを見せつけ ケベクを陣営から引き離し

その隙を突き 敵陣営に間者を送り込むことが真の目的だったのだ

 

ケベクは すぐに陣営内の捜索に当たっている

兵糧が偽物だと分かった瞬間に ユシンの策の全てを見破ったのだ

まさにこれは ユシンとケベクの 知略と知略の勝負であった!!!

 

新羅(シルラ)軍の陣営に潜り込んだ間者は サンヨン公に接触する

このサンヨンという官僚は 新羅(シルラ)と内通し私腹を肥やしてきた

百済(ペクチェ)が滅亡するとなれば 寝返るのは必至であると睨み

百済(ペクチェ)軍を内部から切り崩すために 取り込もうというのである

 

これらはすべて 太子ボムミンが練った策であるが

敵将の内応がなくても キム・ユシンは 総攻撃でケベクを討つと宣言する

ケベクを討って 堂々と黄山ヶ原を突破してこそ 真の勝利であると…!!!

 

西暦660年7月9日の夜が明ける

 

愛する妻子を斬り殺し 戦勝を誓う将軍ケベク!

三韓一統の大業を成すべく 百済(ペクチェ)軍に挑むキム・ユシン!

いよいよ 両者が決戦の時を迎えるのであった…!!!

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第55話 黄山伐

2018-03-13 14:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第55話 黄山伐 

 

黄山ヶ原において ケベク率いる5千の兵と 新羅(シルラ)軍が対峙する

すでに民心を失っているウィジャ王だが ケベクが士気を高めていく

新羅(シルラ)軍は 黄山ヶ原に陣を置き 泗沘(サビ)城を狙っている

敵に戦列を整える隙を与えず すぐにも進撃しようというフムスン

しかし キム・ユシンは慎重であった

 

『叔父上 何をためらうのです? こちらは10倍もの兵力なのですよ』

『ケベクを甘く見てはいけない 妻子を斬り捨ててまで挑んでくるのだ』

 

ユシンの慎重さに苛立つボムミン

合流の期日を守れなければ 唐の蘇定方に軍事権を奪われてしまう!

将帥の焦りは禁物だと 甥を諫めるユシン

 

これまでのボムミンであれば 伯父の言葉に素直に従っただろう

しかし 将帥の優柔不断さこそが 勝利の機会を逃がすと反論する

他の将軍らも太子ボムミンに賛同し ユシンは ボムミンの意見を尊重した

 

戦いの火蓋が斬られると 間もなくケベクは 全軍に撤退を命ずる

この機を逃がしてなるものかと 追撃を命ずるボムミン!

その直後!

新羅(シルラ)軍は 外門から内門に誘導され 皆殺しに遭う!!!

多くの兵が絶命していく中 全滅を免れるためには 見捨てて逃げるしかない

 

これによりボムミンは 5百の鉄騎兵と1千の歩兵を失う

一同が賛同したとはいえ 未熟な将帥の焦りが招いた結果である

将帥として また太子として学ぶには あまりに大きい犠牲であった

しかしこの教訓を生かしてこそ 犠牲となった命に報いることが出来る

ユシンは 落胆する甥に 後の世の多くの民を救う礎とするよう諭す

 

百済(ペクチェ)では

 

ウィジャ王の次男プヨ・テが 先勝の宴に酔いしれている

しかしケベクは まだ勝利が決定した訳ではないと苦言した

 

キム・ユシンは あらためて黄山ヶ原という地を検証する

黄山ヶ原は 四方を山に囲まれており狙われやすい

しかも 泗沘(サビ)城へ向かう先に 百済(ペクチェ)軍が布陣している

少数精鋭で山中に潜み 多くの敵兵を討つことが出来る

数のうえでは敵わない場合の 兵法に則たケベクの策であった

 

さらにケベクは 布陣した場所とは逆方向から夜襲をかける…!

しかし攻撃はすぐに終わり あっけなく撤退していく

つまり どの方向からも狙えるのだと 挑発してきたのである!!!

 

陣営に戻ったケベクは 圧倒的に優勢でありながら厳しい表情を崩さない

そんな陣営で またしてもプヨ・テ王子が宴を開いている

宴の席には妓女が呼ばれ 戦場とは思えない状況である

 

優勢とはいえ 楽に勝って陣営に戻ったわけではない

ケベクとて 何度も危機を潜り抜け やっとのことで帰還出来たのだ

奸臣に煽てられ 浮かれ気分の王子を 敗け戦にするつもりかと一喝する!

 

『百済(ペクチェ)は 何度も新羅(シルラ)軍に勝利している

なのに今 なぜ国運さえ危ういのかご存知ないのですか!

勝つ前から浮かれて 油断しているからだと なぜ分からぬのですか!!!』

 

王子としての誇りを傷つけられたプヨ・テが ケベクに剣を突き付ける!

しかしケベクは その剣を振り払い 王子の喉元に大剣を突き出した!!!

身分こそ低いケベクだが この戦はウィジャ王に一任されている

たとえ王子とて 軍紀を乱せば斬る!!!と言い放つ!

 

一方 高句麗(コグリョ)では

 

唐 第3代皇帝 高宗(コジョン)より送られた親書に

莫離支(マンニジ)ヨン・ゲソムンが 大いに激怒していた

もし百済(ペクチェ)に味方すれば 遼東に攻め入るという脅しである

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

ゲソムンは 脅しに屈せず援軍を送るべきだと主張するが

泗沘(サビ)城の陥落は時間の問題であり もし間に合わなければ

援軍を送ったという事実だけが残ってしまう

そんな宝蔵(ポジャン)王の危惧など無視し 出征せねば!というゲソムン

 

百済(ペクチェ)と共に羅唐軍を蹴散らし 新羅(シルラ)を討つ!

三韓の地を 唐に売ろうとしたキム・チュンチュを許すまじと!!!

 

そんな中 新羅(シルラ)で 自軍の武運を按じていたチュンチュが病に倒れる

 

ウィジャ王は 戦場で劣勢の新羅(シルラ)軍が 王の病で士気が下がり

今こそ完全勝利へ向かう時だと息巻く…!

すると 太子プヨ・ヒョが進み出て 新羅(シルラ)の太子のように

自ら加林(カリム)城へ出陣し 唐軍を撃退したいと言い出す

 

新羅(シルラ)軍敗戦の知らせは 船上の蘇定方のもとにも届いていた

果たして約束の期日に 合流できるのかどうか…

キム・ユシンの名声も噂だけだったのかと 高笑いする蘇定方であった

 

さらに蘇定方は 予定の船着き場には向かわず

別の場所から 陸路で泗沘(サビ)城へ進軍すると言い出す…!

傍若無人で身勝手な蘇定方を 誰ひとり説得できる者はいなかった

 

上陸した唐軍を迎え撃つのは プヨ・ユン率いる軍であるが

そこへ 太子プヨ・ヒョが合流し 兄の策をことごとく否定する…!

もはや太子を廃された兄の意見など 聞く気もないプヨ・ヒョであった

 

唐軍が上陸した地は砂州であるため 騎馬では苦戦する

一刻も早く進軍し 足並みが揃わない唐軍に奇襲をかけたいところだが

プヨ・ヒョは 慌てるまでもないと言い まずは宴で士気を高めると…!

 

太子プヨ・ヒョに 戦で勝とうという意識はない

戦は既に勝っているも同然 ただ先鋒に立ち 功績を我がものにしたいのだ

 

同じ時 唐軍は

 

砂州のぬかるみに苦労し やはり船で行く方が… と進言する側近たち

しかし 一度決めたからには撤回せぬ!と 意地を見せる蘇定方であった

 

宴を楽しんだ後 余裕で砂州を目指すプヨ・ヒョ

プヨ・ユンは 砂州の辺りの静けさが気にかかる

するとその時…!!!

葦原の向こうから 唐軍が姿を現したのであった!

 

蘇定方は 砂州に群生する葦に目をつけた

それを兵士たちに刈らせ 近隣農民を捕え ムシロを編ませたのである

なぜ農民たちが ムシロ編みに協力したか…?

それは 命が惜しかったからというだけではない

それほどまでに 民心は ウィジャ王から離れていたに他ならない

 

なぜ葦原に火を放たなかったのか…!

勝てる戦を むざむざ負けた太子に激怒するケベク

黄山ヶ原で新羅(シルラ)軍を見張るプヨ・テは 兄弟の失敗をあざ笑い

これで太子の座は自分のものかもしれない とほくそ笑む

次男プヨ・テ 三男プヨ・ヒョには それぞれに奸臣が群がり

次期王座への欲を剥き出しに 栄華を欲していた

 

新羅(シルラ)軍の陣営では

 

唐軍が 先に泗沘(サビ)城へ到着するのでは? と焦る太子ボムミン

しかし 四方から見張られている状況では 黄山ヶ原を突破できない

キム・ユシンは 今こそ焦らず 好機を待つのだという

 

そして 百済(ペクチェ)の将軍ケベクに 会見を求めるユシン…!

 

たとえ敵と味方になって戦おうと 互いへの信頼は失っていない

いつものように囲碁を打ち 語り合う2人

 

すでに 百済(ペクチェ)の滅亡は目に見えている

しかしケベクは 黄山ヶ原で新羅(シルラ)軍を壊滅させ

すぐさま泗沘(サビ)城へ引き返し 唐軍を討つと豪語する

自分が妻子を斬ったのは 死を覚悟してのことではなく必ず勝つためだと!

 

ユシンもまた 黄山ヶ原を突破し 泗沘(サビ)城を陥落させると言い放つ

囲碁の勝負はユシンの負けとなったが 互いに勝利を宣言して別れる

 

別れ際

 

ケベクは 高句麗(コグリョ)の援軍を待っているのではなく

百済(ペクチェ)辺境を守る兵が 駆けつけるのを待っているのだという

 

『もし貴公が私を倒せねば 百済(ペクチェ)軍が一丸となり

徐羅伐(ソラボル)へ向かい 月城(ウォルソン)に討ち入る…!

そして 三韓に唐軍を介入させた新羅(シルラ)王を討つ!』

 

陣営に戻るキム・ユシンを狙う者がいた

ウィジャ王の次男プヨ・テである

狙いを定めたその矢は 確実にユシンの胸を貫いた…!!!

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第54話 出征

2018-01-01 08:15:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第54話 出征 

 

百済(ペクチェ)の王宮で 奇妙なことが起きていた

真夜中に鬼が現れ <百済(ペクチェ)が滅ぶ!>と叫んで消えた

そして鬼が消えた場所には 文字が刻まれた甲冑が埋められていたという

 

“百済同月輪 新羅如月新”

~百済(ペクチェ)は満月のようであり 新羅(シルラ)は新月のようなもの~

 

つまり 満月の百済(ペクチェ)は 欠けていくのみ

いつか国運が尽き 滅びゆく運命であると

しかし新羅(シルラ)は 次第に満ちていく月 繁栄していく国であると

 

神宮の巫女は 甲冑の文字を読み解き 大王が酒色に溺れていることを諫める

忠臣をないがしろにし 奸臣を側に置く大王に 天が啓示を授けたと…!

 

もはや 巫女の言葉を真摯に受け止めるウィジャ王ではない

怒り狂ったウィジャ王は 巫女をその場で斬り殺してしまった…!

奸臣たちは 百済(ペクチェ)が栄えるという意味だという

そこでようやく機嫌を直すウィジャ王だった

 

これに対し忠臣フンスは 天の啓示などではないと進言する

百済(ペクチェ)を滅ぼそうとする輩の画策であり

鬼の正体を 徹底的に調べるべきだと…!

 

この進言により フンスは官職を奪われ流刑の身となった

今や 正しいことを進言する忠臣は すべて排除されてしまう

ウィジャ王は 耳に心地よい言葉だけを信じ 酔いしれるばかりだった

 

『誰が何と言おうと 今は太平の世である!!!

この王座に挑む者は皆 大逆罪人なのだ! ウワァッハッハッハ…!』

 

鬼の正体は サムグァンとグングァンであり

ユシンの命令で 謎の甲冑を埋め 流言飛語を流したのだ

百済(ペクチェ)の奸臣たちは既に買収されており

ウィジャ王を翻弄し続けているのだ

 

流刑地へ護送されていくフンスの前に ケベクとファシが現れる

百済(ペクチェ)の現状に絶望したフンスは すべてをケベクに託す…!

 

新羅(シルラ)では

 

上大等(サンデドゥン)クムガンが 病床で危篤となっていた

クムガンは 武烈王の即位に反対した不忠を詫びる

 

※上大等(サンデドゥン):新羅(シルラ)の高級貴族階層の最高官職

 

そんな自分を それでも上大等(サンデドゥン)に任命した武烈王

その聖恩に報いるべく 御霊になっても三韓一統を祈り続けると言い遺し

武烈王に見守られながら この世を去るのだった

 

武烈王は 空席となった上大等(サンデドゥン)の座を

閼川(アルチョン)に要請するが 閼川(アルチョン)は固く辞退し

キム・ユシンこそが その座に相応しいと進言する

ユシンは 閼川(アルチョン)に なぜ拒んだのかと問う

 

『私は 4代の大王に仕え 既に臣下としての道理は果たした

今後は朝廷を離れ 風流を友に余生を送りたい

ユシン公 大業を成すべく大王を補佐してほしい…!』

 

かつては権力の欲に駆られ 道理を見失った閼川(アルチョン)であった

しかし今 そうした“束縛”から解き放たれ 真の意味の衷情を悟ったのだ

 

西暦660年5月

武烈王は キム・ユシンを 出征軍の総大将に任じた

そして5万の兵を率い 百済(ペクチェ)征伐のため 自らも出征する

今まさに 三韓一統を成すための戦いが幕を開けたのであった

 

これを受け 唐の高宗は 蘇定方を大総官 キム・インムンを副総官とし

13万の兵を援軍として派遣する

この当時 最強大国であった唐の出征により

後に 三韓と倭国が参戦する大戦争へと繋がり

東アジアの歴史が 大きく変動していくことになる

 

新羅(シルラ)の出征を受け 百済(ペクチェ)の王宮では

奸臣らがウィジャ王を持ち上げ 敵は恐るるに足らずという

しかし 唐軍が13万の派兵をしたことが気にかかるウィジャ王

 

『チュンチュが唐の力を借りるというのなら

我らは高句麗(コグリョ)と手を組み さらには倭国の兵を呼び寄せる!

今こそ 新羅(シルラ)を滅ぼす絶好の機会なのだ!!!』

 

高句麗(コグリョ)では

 

援軍を請いに来たケベクとプヨ・ユンを迎え ヨン・ゲソムンがいきり立つ!

ゲソムンは 羅唐軍が狙うのは高句麗(コグリョ)だと主張し

高句麗(コグリョ)軍が派兵するのではなく むしろ百済(ペクチェ)軍が

派兵するべきだというのである

 

将軍ケベクは これに真っ向から反対する

ここで莫離支(マンニジ)が判断を誤れば 高句麗(コグリョ)もまた

厳しい立場に追い込まれるだろうと…!

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

ゲソムンは はっきりとした物言いをするケベクと会談する

そこで 援軍を送ったら 百済(ペクチェ)は何をしてくれるのかと問う

 

『なぜ大義を無視し 実利だけを追求するのですか

派兵を拒むというのであれば 百済(ペクチェ)はそれ以上無理強いはしない

自力で羅唐軍と戦い 百済(ペクチェ)の国運を立て直すまでです!』

 

ケベクの気概を大いに称賛し 我が高句麗(コグリョ)の将帥であればという

しかしケベクは…

 

『私が高句麗(コグリョ)の将帥だったとしたら

まずは君主の命を奪った莫離支(マンニジ)を排除し

王権の立て直しを図るでしょう』

 

ヨン・ゲソムンは 一気に表情を変える

しかし ここで百済(ペクチェ)の将軍とケンカをするわけにはいかない

 

まずは百済(ペクチェ)と手を組み 羅唐軍を撃退し

その上で ケベクの無礼を処断する考えであった

 

百済(ペクチェ)国境付近 新羅(シルラ)陣営では

 

武烈王が 速やかに泗沘(サビ)城を陥落させよと命じていた

戦いを長引かせず 一刻も早くウィジャ王を捕えてこそ

民の苦しみが最小限に済むことを 徹底的に兵士らに周知させよと…!

 

キム・ユシンと太子キム・ボムミンは 唐軍を迎えるべく徳勿島へ向かう

 

蘇定方は 長い船旅の疲れを労うボムミンに なぜ手ぶらなのだと問う

わざわざ助けに来た唐軍に 贈り物も用意していないのか!と一喝し

粗相に扱うなら 今すぐ兵を率いて撤兵するというのだ…!

 

この態度に激怒し いきなり剣を抜くキム・ユシン!!!

新羅(シルラ)の太子に無礼を働き 財物を要求し

皇命を無視し 兵を撤退すると脅迫したことは斬首に値する重罪だと!!!

 

蘇定方は 共に船に揺られてきたキム・インムンになだめられ

ようやく冷静さを取り戻し 部下に剣を下ろせと命ずる

新羅(シルラ)は あくまで属国であるという認識があり

また 考えがあって高飛車な態度で振る舞ったが

ここで撤兵など出来ないことは よく承知しているのだ

 

キム・ユシンもまた ボムミンになだめられ 怒り心頭ながら剣を下ろす

両者が互いに我慢をし 今回のことは不問に付すこととなったが

いかに同盟を結んだとはいえ その結束力は盤石とは言えなかった

 

表向きは 百済(ペクチェ)を討つための援軍だが

おそらく唐の皇帝は 三韓を奪うつもりなのだというユシン

 

その読みは 見事に当たっていた

蘇定方は 皇帝より勅命を受け 三韓を奪うことを念頭に置いている

百済(ペクチェ)を陥落させることが勝利ではなく

すぐにも徐羅伐(ソラボル)へ進軍し 三韓を手に入れるつもりであり

わざと因縁をつけ キム・ユシンと 太子ボムミンの度量を試したのだった

 

※徐羅伐(ソラボル):新羅(シルラ)の首都 現在の慶州(キョンジュ)

 

問題は いかにして唐軍との合流を果たすかであった

唐軍は船で合流地点に向かうが 新羅(シルラ)軍は峡谷を通っていく

そこで百済(ペクチェ)軍の奇襲に遭えば ひとたまりもないのだ

 

将軍フンスは 流刑地からウィジャ王に上奏文を送る

唐軍と平地で戦うことは 自殺行為となるだろう

峡谷で奇襲をかければ 十分に勝算はあると…!

しかし 奸臣たちの手により この上奏文は否定的にとらえられてしまう

流刑の身のフンスは 勝つ方法を知っているのにもかかわらず

ただ百済(ペクチェ)が滅びゆくのを見ているしかないと嘆くのだった

 

唐軍の分の兵糧を持ち 何としても期日までに合流地点に到着せねば

また蘇定方が問題視し 指揮権を奪おうとするのは必至だった

 

フンスから話を聞き 策を練ったはずのケベクは

峡谷ではなく 敢えて平地で勝負を決めると言い出す

おそらく最後になるであろうユシンとの戦いに卑怯な戦法を使いたくない

正々堂々と勝負し勝利したいという ケベクなりの思いがあったのだ

 

出征を前に ケベクは 妻子のもとを訪ねる

これが何を意味する帰省なのか 妻にはすべて分かっていた

世にその名を轟かす将軍ケベクという人物を愛したその時から

妻はどこかで この日が来ることを覚悟していたのかもしれない

 

やがて出征の時

 

ユシンの軍勢が いよいよ峡谷を通る

ここで伏兵に襲われれば たとえ勝つことが出来たとしても

期日まで合流地点に到着することが難しくなる

 

しかし妙であった

必ずここに伏兵を置くべきことは ケベクも承知しているはずなのに

一向に伏兵が現れることもなく 偵察隊は 何の情報もなく戻って来る

 

すると 進行方向からファシが現れ ケベクからの届け物を差し出した

 

ユシンが その包みを開けると 中から血染めの衣服が…!

ファシによれば その衣服は ケベクの妻子のものだという

ケベクは 思いを残さず存分に戦おうと

後ろ髪を引く存在である妻子を 自らの剣により亡き者にしたのだ!!!

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第53話 大義合一

2017-11-10 07:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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 第53話 大義合一 

 

『キム・ユシン!!! なぜ王命に背くのだ!

お前がどうしても従わぬというのなら!!

この場でお前を斬首し 王としての威厳を示してやる!!!』

 

武烈王の気迫に キム・ユシンは一歩も引くことなく反論する

なぜ唐軍に助けを求めるのか なぜ新羅(シルラ)軍を侮辱するのかと…!

 

2人の口論は 大殿(テジョン)の外まで響き渡り 大臣らを動揺させた

ユシンを辺境から戻し 重職に就けるべきだという参謀カンス

 

※大殿(テジョン):王が住む宮殿

 

しかし辺境は ユシンが自ら望んで赴任した地であった

別に 論功行賞に不満があってごねているわけではないというボムミン

これに対し弟インムンは 伯父上を罰せねば 父上の治世に傷がつくという

 

そこへキム・ユシンが現れ いきなり剣を抜き円卓に突き立てた!!!

もし大臣らが身を惜しみ 大王の誤りを正せないなら

直ちに辺境から徐羅伐(ソラボル)へ舞い戻り 斬り捨てると!

 

※徐羅伐(ソラボル):新羅(シルラ)の首都 現在の慶州(キョンジュ)

 

『私は 新羅(シルラ)の臣下で 三韓の民なのだ!

唐の手先となる者を 断じて許すことは出来ぬ!』

 

兄ユシンが冷たく追い返されたことを 文明王妃は憂えた

ボムミンは そんな母親をなだめるように話す

命懸けで諫言した伯父上に対し 父上が 王の責務を果たしただけだと

 

武烈王は 今こそユシンの意思をくじいておかねば

いずれ朝廷が分裂し 引いては民までもが分裂してしまうという

そして 誰に説得されるでもなく ユシンが自ら考えを変えねば無意味だと

 

ユシンが 親唐と反唐の反目を乗り越えて徐羅伐(ソラボル)に戻ると

そう信じなければ… そうあらねば三韓一統は成し得ないという武烈王だった

 

※三韓一統:新羅(シルラ)・高句麗(コグリョ)・百済(ペクチェ)の三国統一

 

武烈王は 長子であるボムミンの立太子を行うという

いずれは王室の責務を継承し 大業をも受け継がねばと…!

 

辺境では

 

谷川に釣り糸を垂れるキム・ユシンの姿があった

そこへ 黒装束の一群が現れ包囲する

高句麗(コグリョ)の莫離支(マンニジ)ヨン・ゲソムンの差し金だった

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

ゲソムンは ユシンが同じ考えを持つ人物と見て接触を図って来たのだ

2人で手を組み 新羅(シルラ)の親唐派を倒そうと…!

もしユシンが挙兵するなら 喜んで支援するというゲソムン!

 

『まさか 私に謀反を起こせと?』

『謀反ではなく革命だ!

新羅(シルラ)の摂政となり この莫離支(マンニジ)と手を組めば

唐軍も 迂闊に三韓を攻められなくなるだろう』

『莫離支(マンニジ)!!! これは離間の計か!』

 

※離間の計:対象の仲を引き裂く心理戦

 

三韓の民として 新羅(シルラ)王に仕える者として

ユシンは 決して惑わされはしないといきり立つ!

しかし ヨン・ゲソムンも真剣であった

唐の皇帝に太平頌を贈り 唐の年号をも取り入れる新羅(シルラ)王!

そのような者に 三韓の民を救えるはずがないと!!!

 

※太平頌:唐の高宗の治世を称える詩

 

『この度 太子になったボムミンは 非常に誇り高い人物と聞いている

ユシン公が 太子を即位させ摂政になれば 共に唐に立ち向かえるのだ!

私情ではなく 三韓の大義のもとに決断してくれ!』

 

ヨン・ゲソムンとの会談を終え 戻る途中

ユシンの前に キム・ボムミンが兵を率いて現れる

 

辺境を守るキム・ユシンが なぜ国境を渡ったのか…!

ボムミンは 決して伯父を見張っていたのではなく

父である大王陛下と 伯父との間の誤解を解きたくてやって来たのだ

 

ユシンは 国境を渡った言い訳をすることなく 伯父として問いかける

もし自分が親唐派を倒し 陛下を廃位させたなら 即位してくれるかと

 

『何を言うのですか!!!』

『答えろ! 私が挙兵したら お前はどちらの味方に付くのだ!!!』

『もし伯父上が謀反を企てるなら 私は伯父上を斬ります!!!』

『ボムミン お前は 大義のために天倫を断つことは出来ぬのか…』

 

キム・ユシンは ヨン・ゲソムンと同じ考えを持っている

そしてまたボムミンも 同じ考えを持っていると信じていた

だからこそ 敵とはいえゲソムンの持ちかけを 無下に突き離せない

三韓一統の大業を目指しながら 決定的に異論を唱える武烈王ではなく

ボムミンが即位するなら 共に大業を成せるのではないかと…!

 

『父上は 途方もなく遠くを見渡しておられます

だからこそ父上を信じるべきなのです! 決して忠義を捨てないでください!』

 

キム・チュンチュとキム・ユシンが反目したと聞き

百済(ペクチェ)のウィジャ王は高笑いして喜んだ

 

『父子で親唐と反唐に別れ争う隙に 徐羅伐(ソラボル)を攻めよう!』

 

ユシンは確かにチュンチュと反目しているが 忠義を重んずるがゆえ

王座に挑むことは 決してあり得ないという将軍ソンチュン

側近フンスも 新羅(シルラ)の内紛を待つことなく

唐との親交を図り 羅唐同盟を揺るがすべきだと進言する

 

常に百済(ペクチェ)王室を支えてきた側近たちも

歳をとったものだと笑うウィジャ王

 

唐が百済(ペクチェ)に攻め入るとして

その途中には 高句麗(コグリョ)の精鋭が待ち構え

また倭国の軍隊が 新羅(シルラ)の後方を見張っている…!

羅唐同盟軍が この泗沘(サビ)城に攻め入ることは容易ではないと!

 

新羅(シルラ)では

 

ユシンが ヨン・ゲソムンと密談したことが問題視されていた

明らかに朝廷に背く大逆行為であると 臣僚を代表し進言するクムガン

 

これに猛反発したのは太子ボムミンである

伯父ユシンは 武烈王の即位に最も貢献した功臣であり

王室の血筋である人物なのだと…!

しかし 弟インムンが ゲソムンは反唐を掲げ国王も暗殺した者であり

そのような者と密会した伯父を 決して許すべきではないという

 

キム・ユシンを 花郎徒(ファランド)の誇りとする臣僚たちは

上仙(サンソン)を捕えるなら 揃って辞職すると騒ぎ出す!

 

※花郎徒(ファランド):花郎(ファラン)に仕える貴人の子弟

※上仙(サンソン):風月主(プンウォルチュ)を務めた花郎(ファラン)

 

これを受け武烈王は ユシンを徐羅伐(ソラボル)に呼び

すべての疑惑について 本人の口から釈明させるという

 

辺境のユシンのもとへ 弟フムスンが駆けつける

ユシンは 辺境から動こうとせず 武烈王の動向を見守っていた

チュンチュが自分を疑い 兵を差し向けるなら 自分も忠義を捨てると…!

 

そんなユシンのもとへ 閼川(アルチョン)が訪ねて来る

チュンチュが即位し武烈王となって以来 政治に関わらずに来たが

2人が反目していると知り とうとう黙ってはいられなくなったのだ

 

キム・チュンチュが即位し 名将ユシンが補佐するなら

どんな太平の世になるのかと 新羅(シルラ)の民は安堵したのに

2人が親唐と反唐に分かれいがみ合うとは まったく情けない!と吐き捨てる

 

『チュンチュを王座に就け後悔しているなら 今すぐ挙兵しろ!

ヨン・ゲソムンと手を組むなら 今すぐ長安に攻め入り皇宮を燃やせ!』

『閼川(アルチョン)公…』

『どちらも出来ぬなら 大王陛下に従え!

推挙した本人さえ従わぬなら 他の誰が王命に従うというのか!』

 

閼川(アルチョン)は 親唐政策に猛反対し

百済(ペクチェ)と手を組もうとして失脚したのだ

だからこそ 今のユシンに言える言葉がある

 

『あの和白(ファベク)会議で チュンチュ公は

ユシンを失うくらいなら 王座に挑む資格も捨てると言ったのだ

そんな陛下を なぜ信じることが出来ぬのだ!!!』

 

※和白(ファベク)会議:新羅(シルラ)の貴族会議

 

ここまでユシンを一喝できるのは 閼川(アルチョン)であればこそ

他の誰も 武烈王とユシンの反目に 意見できる人物はいなかった

キム・ユシンは 閼川(アルチョン)の言葉を受け 武烈王と和解する

そして武烈王もまた 決して唐に対し 誇りまで捧げることはしないと誓う

 

ユシンに釈明させることを口実に 徐羅伐(ソラボル)に呼んだが

武烈王の目的は それだけではなかった

文明王妃と相談したうえで 娘のチソ王女をユシンの妻にと考えたのだ

これは 王女自らも望んだことであった

 

伯父と姪の間柄で 歳も親子ほど違うと 最初は拒むユシン

そんな伯父に 是非にもと後押ししたのはボムミンだった

チソ王女が 激しく反目し合った2人を繋ぐ架け橋となり

睦まじい王室の姿を見れば 朝廷も民も 心から安心するのだと…

 

キム・ユシンが 武烈王の3女であるチソ王女と婚姻したのは61歳である

この時代の新羅(シルラ)では 近親婚が当たり前であり

キム・チュンチュとキム・ユシンは 義兄弟であり義理の親子となった

まさに 武烈王がユシンの信頼を得るための 政略結婚であった

 

ユシンの婚姻を 風の噂で聞いたケベクは 大いに喜んだ

そして自身も なかなか会えない子らを大切にしていた

戦場を駆け巡り 家に戻る暇もない夫のため 野営地を訪ねるケベクの妻

猛将と称されるケベクも 愛する妻子を慈しみ

いつの日か戦乱を治め 家庭に帰りたいと望んでいたのである

そうした当たり前の幸せを望むからこそ 国と民のため戦えるのかもしれない

 

新羅(シルラ)では

 

武烈王が 唐の皇帝と交わした秘密同盟の国書を ユシンに見せていた

新羅(シルラ)が三韓一統を成し得ない時は 20万の援軍を送る

それがチュンチュと先帝が交わした密約であった

 

しかし 三韓一統を成し得た後 唐軍が攻めてきたらどうするのか

 

武烈王は 王座を懸け唐軍に立ち向かうと言明した

そして 唐を打つ先鋒将は ユシンしか有り得ないと…!

さらに持論を展開する武烈王

百済(ペクチェ)は およそ200の城に精鋭軍を配備している

豊かな農地により 兵糧も十分に蓄えられる

たとえ100万の軍勢を送ろうとも 簡単に破れぬ強国であった

 

朝廷が分裂し 民心が乱れない限り 容易に征服することは出来ないのだ

ユシンは 武烈王の前にひざまずき

必ずや百済(ペクチェ)を分裂させ 民心を乱れさせると誓う…!

 

西暦659年 武烈王6年

百済(ペクチェ)の王宮では 賑やかに宴が催されていた

三韓一統を唱える新羅(シルラ)王は 一向に攻めて来る気配もない

唐にへつらい王座に就いた武烈王など 敵ではないと豪語するウィジャ王

 

するとそこへ 将軍ソンチュンが現れ 苦言を呈する

いかに国の財物や農地が豊かでも 君主の贅が過ぎれば国は滅びると…!

奸臣に甘んじ 享楽の限りを尽くせば いずれ民心が乱れると…!!

 

ウィジャ王は ソンチュンの命懸けの諫言に激怒し

奸臣らは 不忠なソンチュンを厳しく罰するべきだと進言した

長子プヨ・ユンは 身を賭して忠言する臣下にご慈悲を!というが

すでに太子を廃されたユンの進言は無視された

 

ケベクは 国境近くの新羅(シルラ)の城を 次々に攻め落とす

しかし 戦勝を上げながらも 何かが変だと感じていた

新羅(シルラ)軍は 以前のような覇気がなく 簡単に城を捨て退却する

すぐにも密偵を送り 新羅(シルラ)の内情を探れと命ずるケベクだった

 

『ひょっとしたら これはユシンの策かもしれぬ』

 

確かに新羅(シルラ)軍は変わった

そして ウィジャ王もまた 変わってしまったと感じるケベク

連戦連勝の報告に酔いしれるウィジャ王は 先を見通すことをしなくなった

今の百済(ペクチェ)は危ういという 臣下の忠言を聞く耳はなく

目前に広がる 三韓一統の野望を夢見て酔いしれるばかりだった

 

ケベクは 捕らわれの将軍ソンチュンに会う

すでに死を覚悟したソンチュンは 誰にも赦免を請うなと命じていた

ウィジャ王が 自分を庇う者は同じ罪に問うと 明言していたからだ

 

今の百済(ペクチェ)の太平は 偽りに過ぎぬというソンチュン

いずれ新羅(シルラ)が 唐軍を率いれ戦争を起こすと…!

そして 国運が傾くさまを見ずに死ねるのは 幸いかもしれぬとつぶやく

 

長きに渡りウィジャ王に仕えた名将ソンチュンは

命懸けの忠言を最期に 獄中で餓死した

奸臣に惑わされ 時世が見えなくなった百済(ペクチェ)王

 

キム・ユシンは 今こそ百済(ペクチェ)に攻め入る好機だと進言する!

偽りの敗北を重ね 百済(ペクチェ)が先勝に酔いしれ

好機が訪れるのを待ち続けたユシンであった…!

 

これを受け 武烈王は いよいよ唐へ国書を送り

キム・ユシンは 各軍に戦闘準備を整えるよう命じ 出征に備えた

 

ふと 花郎(ファラン)の修練に目をやり ある若者に注目するユシン

将軍キム・プミルの息子クァンチャンは まだ15歳の少年であった

憧れの名将キム・ユシンに呼ばれ 緊張して挨拶するクァンチャン

 

※花郎(ファラン):美しく文武両道に秀でた青年の精鋭集団

 

ユシンは クァンチャンの気概を褒めつつも 戦場に出るには早いという

その昔 ユシンは16歳で 椵岑(カジャム)城へ単騎で出陣した

それは今も 花郎(ファラン)の伝説として語り継がれている

クァンチャンは 年齢を理由に早いと言われ 名将に対し勇敢に反論した

 

ほほう… と感心し 兄ユシンに目くばせするフムスン

ユシンも苦笑し いい息子を持ったという

プミルは 誇らしげに我が息子を見つめるのだった

 

ユシンは 息子サムグァンと側近グングァンに 奇妙な甲冑を見せる

亀の甲羅を模した甲冑には 文字が記されてる

“百済同月輪 新羅如月新”

この甲冑を 百済(ペクチェ)王宮内に埋めてきてほしいというのだ

すでに 百済(ペクチェ)の臣僚を買収しているので問題はないが

なぜこれを?と まったく意味が分からない2人

 

『これが世に出る時 百済(ペクチェ)の国運は尽きる…!』

 

一方 武烈王は 閼川(アルチョン)を呼び語らっていた

閼川(アルチョン)の説得なくして 今の状況はなかった

またあの時 摂政の座を譲り受けなければ 王座に就くこともなかったのだ

 

そんなことを語り合うために 呼んだわけではないだろうと

こうして王宮に呼んだ 武烈王の真意を訊ねる閼川(アルチョン)

 

『陛下 私に何か任務でも?』

 

それを話す前に 武烈王は 今でも羅唐同盟に反対か?と問う

今でも朝廷は 親唐派と反唐派に分かれている

しかし武烈王は 派閥を問わず すべての臣僚を大事にしていた

その治世を見て今さら 何を疑うことがあろうかと答える閼川(アルチョン)

 

そこで初めて 任務について口を開く武烈王

長安へ行き援軍を請う役目を 閼川(アルチョン)に任せたいと…!

閼川(アルチョン)が同盟に反対していたことは 唐にも知れ渡っている

その本人が 自ら援軍を請いに出向けば 大義を疑う者はいないと

 

己の罪を認め 政治から身を引いていた閼川(アルチョン)

この大役を果たすことが出来れば 願ってもない罪滅ぼしになると

謹んで王命を受ける閼川(アルチョン)だった

 

唐の皇宮

 

使者としてやって来た閼川(アルチョン)に対し

第3代皇帝高宗が 容赦なく詰問する

同盟に反対し 高句麗(コグリョ)と手を組もうとまでした

そんな閼川(アルチョン)が使者では 簡単に信じられるものではない

 

『先代皇帝は 三韓の大業は 三韓の民が成すべきと仰せでした

私は その意思を信ずるのみでございます』

 

高宗の意地悪な詰問が続き 唐が援軍を出した場合

新羅(シルラ)軍は 唐軍の指揮下に置かれるとまで言い放つ!

 

三韓の地の利に不確かな唐軍が指揮をすれば 上命下服の軍律が守れない

それでは 先帝の意思に反すると 真っ向から反論する閼川(アルチョン)

同行しているインムンは 形勢が不利になる気がして表情が曇る…!

 

『先帝と結んだ同盟の意義に従い 両軍の将帥に同等な地位を保証すれば

今回の戦いに 初めて勝算が生まれるのです!』

 

唐の皇帝にへつらうことなく 真摯に援軍を請う閼川(アルチョン)

これにより 正式に同盟が果たされることとなった

三韓一統の足掛かりとなる 百済(ペクチェ)出兵の王命が下されたのだ!

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第52話 太宗武烈王

2017-09-25 07:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

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50話より〈gooブログ〉からの公開となります

 

 第52話 太宗武烈王 

 

花郎徒(ファランド)は ずっと新羅(シルラ)の柱となり

数々の宰相や将帥を輩出しながら この国と王室を支えてきた

キム・ユシンは 上仙(サンソン)として

どうしても チュンチュの考えに賛同できなかった

 

※花郎徒(ファランド):花郎(ファラン)に仕える貴人の子弟

※上仙(サンソン):風月主(プンウォルチュ)を務めた花郎(ファラン)

 

いずれは王となる摂政が ここまで親唐派を推してくるのであれば

まるで花郎徒(ファランド)が 唐に仕える臣下に成り下がっていくと…!

 

あれほどチュンチュに協力をと願ったのに…

弟フムスンは 花郎徒(ファランド)の支援なしに

和白(ファベク)会議で 閼川(アルチョン)に勝つことが出来ないと訴える

ユシンは 政争を語る弟を ギロリと睨み付けた!

 

※和白(ファベク)会議:新羅(シルラ)の貴族会議

 

何も 和白(ファベク)会議で閼川(アルチョン)に勝とうとは思っていない

王の一存で 自分が摂政になることを拒んだだけのチュンチュであった

 

チュンチュは 久しぶりに再会できた喜びで 酒を酌み交わしたかったが

ユシンは すぐにも辺境に戻ると言い 頑なに心を開こうとしない

 

三韓一統を成すために 唐の協力を得ることが なぜいけないのか

大業を成すためなら どんな手段を選択しようと構わないのではないか

この心に誇りを失わない限りは 目先の屈辱など問題ではないというチュンチュ

 

※三韓一統:新羅(シルラ)高句麗(コグリョ)百済(ペクチェ)の三国統一

 

ユシンは それには答えず 金官伽耶はなぜ滅びたか?と聞く

その昔 新羅(シルラ)に従っていけば 国が潤うと考えた者たちがいた

今のチュンチュと同じように 心まで売るわけではないと言いつつ

その者たちは やがて新羅(シルラ)の貴族になって

伽耶の民は亡国の憂き目に遭い 辺境に生き 今も差別されている

 

伽耶王室の子孫であるユシンは 新羅(シルラ)人として生きながらも

心のどこかで 伽耶の血を意識することがあるのだ

 

共に大業を成そうと誓った少年時代

あの日 ここまで考えが対立し 訣別するなどとは思いもしなかった

 

そんな2人の諍いを 閼川(アルチョン)を推す者たちは

今こそ好機だとほくそ笑み 閼川(アルチョン)もまた ユシンに会う

自分が摂政になったら ユシンを上大等(サンデドゥン)に推挙し

親唐派で溢れた朝廷を刷新したいと 抱負を語っていく

 

※上大等(サンデドゥン):新羅(シルラ)の高級貴族階層の最高官職

 

しかしユシンは 閼川(アルチョン)を勝たせたくてしたことではなく

ましてや 自分が朝廷に出仕するなど 考えたこともなかった

 

今日はチュンチュと決別したが 2人の大義が違ったとは考えていない

大義を成すため 唐の協力を得ようとすることが許せないのだ

閼川(アルチョン)に対してもそうだと言い切るユシン!

親唐派を排除しようとして 高句麗(コグリョ)に協力を求めるなら

それもまた 決して許すことは出来ないと…!

 

徐羅伐(ソラボル)を去ろうとするユシンを ボムミンが引き止め

責めるべきは 唐に太平頌を届けた自分であり 父とは和解すべきだと訴える

 

※太平頌:唐の高宗の治世を称える詩

 

しかしユシンは 三韓一統を成すべく唐と同盟を結んだことは

信義に背く行為だとして 決して譲ることはない

そしてチュンチュも 情に流され信念を曲げることは望まないはずだと…!

 

大業を掲げて心をひとつにする2人が まさかこんな形で決別するとは

夫と兄が 親唐か反唐かで こうも対立するものかと嘆くムニ

妻の嘆きを受け 今一度話し合おうと チュンチュは辺境へ向かう

 

まだ自分を説得しようというのか

閼川(アルチョン)との間に密約があるか確認しに来たのか

ユシンは 和白(ファベク)会議を前に 辺境に来たチュンチュを訝しむ

 

チュンチュはただ 2人の間の誤解を解きたい一心であった

共に手を取り 大業を成そうと…!

 

鉄騎兵を有する高句麗(コグリョ)軍と 精鋭揃いの百済(ペクチェ)軍

両国を制して三韓を統一するためには 唐軍の支援がなければ無理だと

チュンチュは その考えを曲げることが出来ない

 

ユシンが いかに猛将だとしても 永遠に戦い続けることは不可能なのだ

ならば唐軍を盾に 大業を成すことの どこが間違っているのか!

 

しかしユシンは 自分との信義より 唐との信義を重んじられたようで

もはや チュンチュを信頼することが出来なくなっているのだ

 

誤解を解こうと訪れた辺境の地で 2人は さらに溝を深めてしまう…!

 

一方 閼川(アルチョン)は

高句麗(コグリョ)の ヨン・ゲソムンから届いた親書を読んでいた

是非とも摂政になり 両国が互いに親唐派を始末すべく動こうという内容である

 

この親書への返信として 密書を運ぶ密偵が捕えられた

閼川(アルチョン)は ヨン・ゲソムンとの間に密約を交わそうとしたのだ

 

和白(ファベク)会議の当日

 

早朝より チュンチュは 真智(チンジ)王の墓参りに訪れていた

真智(チンジ)王は キム・チュンチュの祖父であり

暴君として汚名を着せられ 廃位となっている

もし チュンチュが摂政になり いずれ王位に就けば

亡き祖父の 無念を晴らすことが出来るのだが…

 

しかしチュンチュは 身内の無念を晴らすことより

新羅(シルラ)再興と 三韓一統を成すために生きると誓う

そうすることこそが 民を救済すべく生きた亡き祖父の目指す道だったと…

 

(おじい様 私が王座を欲するあまり不義になり

三韓一統の大義が揺るがぬよう 見守っていてください)

 

会議の場に 遅れて現れたチュンチュは 決議に参加しないと宣言する

それはつまり 摂政になる資格を放棄することになる

そして 摂政になる道は捨てても 新羅(シルラ)再興の改革は

決して諦めないと言い放った…!

 

『この場に集った貴族の方々にお願いする!

今日のこの和白(ファベク)会議を どうか最後としてほしい

貴族が王座に挑む和白(ファベク)会議は 廃止されるべきである!』

 

すべての貴族が既得権を放棄し 厳しい王権のもとに団結してこそ

新羅(シルラ)の再興は果たされると…!

 

同じ時 ボムミンは 花郎徒(ファランド)を率い 王宮を目指す!

そして侍衛府(シウィブ)の武装解除を行い 大王陛下の護衛についた

 

和白(ファベク)会議の場には キム・ユシンが兵を率いて現れ

閼川(アルチョン)を摂政とする決議に 異議を唱える…!

摂政と認められぬ者には 断じて従えないと!!!

 

閼川(アルチョン)の前に進み出て 威勢をはるサジンは

ユシンが揮った剣で 一瞬のうちに斬り捨てられた!

 

『私は確かに警告した!

高句麗(コグリョ)と内通するなら 決して許してはおかぬと!

なぜ高句麗(コグリョ)に内通する者が 摂政の座に就くのだ!!!』

 

目の前に示された密書を見て 貴族たちも驚愕する

 

チュンチュは 三韓一統のために唐と手を結ぶと言って譲らず

閼川(アルチョン)もまた 親唐派一掃のため

高句麗(コグリョ)と結託し 唐に攻め入るというのだ…!

 

『閼川(アルチョン)公! 摂政の座に目が眩んだのか!!!』

『うるさい! 摂政に楯突く反逆者を捕えよーーーっ!!!』

 

この騒ぎを知らず チュンチュは 清々しい思いに浸っていた

一時は 摂政の座に執着したが ユシンの心を失っては意味が無い

大業を成すなら やはりユシンと共にありたいと思うチュンチュだった

 

閼川(アルチョン)によって 羅唐同盟が崩れるとしても

唐と和親を結ぶことは 止められない時代の流れだというチュンチュ

 

そんなチュンチュのもとへ ユシンから呼び出しがかかる

 

再び 和白(ファベク)会議の場へ行くと

落ち着きを取り戻した閼川(アルチョン)が 後悔の涙に暮れている

ひとえに国と民を思い あのスクルチョンと対峙してきたというのに

摂政から王座へと挑む権力欲に 負けてしまったのだ

 

この事実が すべての貴族に知れ渡れば 国は根幹から揺らいでいく!

 

この事態を打開できるのは もはやチュンチュしかいないと

閼川(アルチョン)が自ら願い 摂政の座に就いてくれと言い出す

 

少し前まで 清々しさの中にいたチュンチュである

その意思が固いものであることは 誰もが承知していた

 

臣僚らが 固唾を飲んで見守る中

閼川(アルチョン)が チュンチュの手を取り 衷情を尽くすと明言し

ユシンもまた この難局を打開する道は他にないという

 

キム・ユシンは 羅唐同盟を受け入れるつもりはない

しかし チュンチュを摂政の座に推挙するからには

臣下となり チュンチュに従うと約束し チュンチュの前にひざまずく…!

これこそ ユシンが 武将として生きる証明であった

 

 

西暦654年

真徳(チンドク)女王が崩御し キム・チュンチュが即位し

新羅(シルラ)第29第王 太宗武烈王となる

「三国史記」によれば 貴族らが閼川(アルチョン)を摂政に推挙し

閼川(アルチョン)がチュンチュを推挙したとある

これまで 聖骨(ソンゴル)のみが受け継いできた玉座を

真骨(チンゴル)のキム・チュンチュが 初めて受け継いだ

これはまさに 新しき世の幕開けと言えるだろう

 

※聖骨(ソンゴル):父母共に王族に属する者

※真骨(チンゴル):父母のどちらかが王族に属する者

 

羅唐同盟を前面に押し出すチュンチュの即位は

高句麗(コグリョ)と百済(ペクチェ)を緊張させていく

 

百済(ペクチェ)のウィジャ王は これで新羅(シルラ)の命運も尽きたという

そして一刻も早く 高句麗(コグリョ)のヨン・ゲソムンに会って同盟を結び

新羅(シルラ)に攻め入ろうという

 

これに対し 長男プヨ・ユンが 今は戦争を控えるべきだと進言する

長きに渡る戦乱に 民心が揺らいでいると…!

すでに太子の座を廃されているユンだが その信念は変わっていない

ウィジャ王は そんな長男が大いに不満であった

 

高句麗(コグリョ)では

 

ヨン・ゲソムンが怒り心頭になり すぐにも新羅(シルラ)に鉄騎兵を送り

チュンチュを懲らしめると息巻いている!

 

太宗武烈王は

 

クムガンを上大等(サンデドゥン)に任命し 国政を託す

しかしクムガンは 任命に感謝しながらも すぐに受け入れることが出来ない

一時は 閼川(アルチョン)を摂政に指名した責任を感じていたのだ

 

太宗武烈王は 朝廷の和合を成すため

過去の党派を問わず 優秀な人材を登用すると明言した

クムガンは 恐れ多くも 粛々と任命を受けるのだった

 

ここでボムミンが

 

北の辺境に 高句麗(コグリョ)軍が侵攻していると報告する

高句麗(コグリョ)は 百済(ペクチェ)や靺鞨と結託していた

 

キム・ユシンの鉄騎兵を!と進言するボムミンだが

それでは 百済(ペクチェ)との国境が守れない

鉄騎兵には鉄騎兵をという参謀カンスの考えにも 武烈王は首を横に振る

唐に国書をしたため 高句麗(コグリョ)を攻撃させるというのだ

 

『辺境を守る兵が 王命なしに動けば 大逆罪を問う!!!』

 

太宗武烈王となったキム・チュンチュは 絶対的な権威を見せる

辺境に留め置かれた兄ユシンを思い 憤慨するフムスン!

一体 誰のおかげで即位できたのかと…!

 

何の功労もなく 罪を犯したクムガンが上大等(サンデドゥン)になり

なぜ兄ユシンが冷遇され 辺境を守らねばならないのかと息巻く

 

キム・ユシンは 国境付近で 時折ケベクと会っていた

時には酒を酌み交わし 朝まで語らい 時には碁盤を挟み対局した

しかし今夜 こうして過ごすのも最後になるだろうというユシン

次に会う場所は おそらく戦場であろうと…

 

ウィジャ王と善徳(ソンドク)女王は 幾度となく同盟を結ぼうとした

しかし様々な陰謀と思惑が絡み合い とうとう実現できずに終わる

もし両国の同盟が実現していれば…

ケベクとユシンは味方となって 唐に攻め入っていたであろう

 

互いの度量を認め合い こうして酒を酌み交わす僚友であろうと

国と国とが対立したなら 生死を分ける戦いを繰り広げることとなる

それが 武将として生きる者の運命(さだめ)なのだ

 

キム・ユシンは 決意を秘め 太宗武烈王に謁見し

百済(ペクチェ)侵攻の先鋒将にと願い出る

 

同じ大義を掲げていた少年時代とは違う

一国の王と臣下となった2人は 真剣な表情で睨み合うのだった

 

『キム・ユシン!!! なぜ王命に背くのだ!

お前がどうしても従わぬというのなら!!

この場でお前を斬首し 王としての威厳を示してやる!!!』

 

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大王の夢~王たちの戦争~ 第51話 崩れた信義

2017-08-25 09:00:00 | 大王の夢~王たちの戦争~ あらすじ

“散る花と咲く花がいつもここにある”のブログより移行しています

1話~49話はこちらで公開しています

50話より〈gooブログ〉からの公開となります

 

 第51話 崩れた信義 

 

キム・チュンチュが帰国するという詳細は 機密情報である

高句麗(コグリョ)の巡視船が なぜそれを知り襲ってきたのか…!

 

チュンチュは 機密情報を高句麗(コグリョ)に売り

新羅(シルラ)と唐の信頼関係を崩し 国運を傾けようとしたのなら

たとえ上大等(サンデドゥン)であろうと 許されることではないと言い放つ!

 

※上大等(サンデドゥン):新羅(シルラ)の高級貴族階層の最高官職

 

閼川(アルチョン)は チュンチュこそが唐と密約を交わし

この国を売り飛ばそうとしているのだと息巻く…!

 

2人の口論を ヨムジャンが取り成し 何とか落ち着くよう説得する

他の臣僚らも口添えするが 閼川(アルチョン)の怒りは収まらない

 

国の領袖である閼川(アルチョン)に 真っ向から立ち向かい

決して裏切りは許さないというチュンチュ…!

2人の溝は深くなるばかりであった

 

チュンチュは 大耶(テヤ)城を奪還したことで

ようやく取り戻した 城主夫妻の位牌の前で涙する

父として 娘夫婦の亡骸を奪われた悲しみは 長い年月癒えなかった

 

それを支えてくれたのは 他でもないキム・ユシンである

しかも今回 生還するために ユシンの側近中の側近ナンスンが犠牲となった

 

三韓一統の大業を成すため いくつもの尊い命が失われてきた

その者たちの犠牲を無駄にしないためにも 必ずや三韓一統を成さねばと…!

 

キム・チュンチュは 敢えて唐の官服を着て朝廷に立つ

そして 真徳(チンドク)女王の前で 堂々と“信義の証し”だと述べる

唐からすべてを学び 吸収し 朝廷を改革していくと…!

 

それは伊飡(イチャン)の意向か! それとも唐の皇帝の意向か!

閼川(アルチョン)は激怒して詰め寄る!!!

 

※伊飡(イチャン):新羅(シルラ)で2番目の官位

 

チュンチュは落ち着き払い そんなに自信がないのかと反論する

たとえ唐から多くを学んでも 決して新羅(シルラ)の誇りは傷つかないと!

そして唐は 新羅(シルラ)の製紙技術を羨んでさえいる

それさえ 元々は中原から取り入れた技術であり

他国のものだと受け入れずにいたら 今の技術革新さえなかったと…!

 

臣僚らは 次第にチュンチュの話に耳を傾け始めた

製紙技術であれ 政治制度であれ 良いものを取り入れるのは

今後の新羅(シルラ)のためであり いつか他国の者が学びにやって来ると

 

真徳(チンドク)女王は チュンチュの提案を受け入れ

まずは 唐の官服を取り入れるようにと命ずるのだった

 

面目が潰れ 憤懣やるかたない閼川(アルチョン)に サジンが近づき

チュンチュはやがて 和白(ファベク)会議も廃止する

そんな噂さえ流れていると 耳打ちするのである

今の女王にも子がなく 次代の王は真骨(チンゴル)しかいない

だとすれば チュンチュにもユシンにも 機会はあるというサジン…!

 

※和白(ファベク)会議:新羅(シルラ)の貴族会議

※真骨(チンゴル):父母のどちらかが王族に属する者

 

和白(ファベク)会議が廃止され 貴族の力が奪われれば

それも十分にあり得ると言い サジンは 閼川(アルチョン)の反応を窺う

 

『黙れっ!!!!!』

 

怒鳴りつけられ 驚いて怯むサジン!

閼川(アルチョン)は サジンが チュンチュの帰国日を密告したと知っている

チュンチュと仲違いさせただけでは足りず まだ混乱を招くのかと憤る!!!

 

同じ時 ヨムジャンが ヨン・ゲソムンの密偵トチムを呼びつけ

高句麗(コグリョ)の莫離支(マンニジ)に密告したのは誰かと聞く

トチムは 財宝さえもらえるなら… と答えニヤリと笑う

 

※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職

 

しかし トチムは財宝に目が眩んでなどいなかった

ヨムジャンは サジンの手下によって殺されてしまう…!

これで 真の内通者がサジンだと知る者は 閼川(アルチョン)だけとなった

 

百済(ペクチェ)では

 

ウィジャ王が 唐と新羅(シルラ)の同盟を知り 高笑いしていた

高句麗(コグリョ)に敗退した唐など いかほどのものか…

そして そんな唐と組んだ新羅(シルラ)もまた 恐れるに足りぬという

 

すると太子プヨ・ユンが 百済(ペクチェ)も唐に学ぶべきであり

そのためにも新羅(シルラ)と和親を… と言いかけ一喝される…!

 

ウィジャ王は 新羅(シルラ)に奪われた城の奪還に固執していた

柔軟さを口にする息子に我慢がならず 二度と持ち出すなと釘を刺す!

そこへ 唐の皇帝が崩御したとの知らせが届いた…!

 

 

西暦649年4月

唐の皇帝 太宗(李世民)が52歳でこの世を去る

太宗(李世民)は 唐を建国した高祖(李淵)の次男として生まれ

兄弟を惨殺するという骨肉の争いの末 皇帝になった人物である

非常に征服欲が強く 突厥を征服し さらに高句麗(コグリョ)に攻め入った

 

しかし645年

安市城で敗戦し 高句麗(コグリョ)への遠征が失敗してしまう

太宗(李世民)は 志半ばの高句麗(コグリョ)攻めを中止せよと命じ

そのまま永眠してしまったのである

 

 

キム・チュンチュは 唐の新たな皇帝と 早々に和親を結ぶべきという

いかに中原を平定したとはいえ 創建30年という若き国であり

高句麗(コグリョ)にも敗退した国だと 懸念の声も上がるが

大王陛下が太平頌を捧げることを認め 全責任をチュンチュが取るなら…と

閼川(アルチョン)をはじめとする臣僚らが賛同する

 

※太平頌:唐の高宗の治世を称える詩

 

チュンチュは 長男のボムミンに 太平頌を届ける大役を命ずる

しかしボムミンは 賛同できない役目は果たせない!と 固辞する

弟のインムンが 代わりに行くと申し出ても チュンチュは聞き入れない

 

父親同士が交わした約束を 王位継承の息子同士が確認する

そのことにこそ意義があるのだと諭していく

 

『あくまでも固辞するというなら 三韓一統の大業を捨てたとみなし

父と息子の縁を切るつもりである!』

 

そこへ 怒り心頭のユシンが訪ねて来た

 

チュンチュの作った大仰な頌歌に 心底腹を立てている…!

それこそ新羅(シルラ)の恥であり 三韓の笑い者になると!!!

しかしチュンチュは 唐との同盟こそが新羅(シルラ)を守ることだという

 

『同盟? …何を言っているのだ!』

 

今の今まで ユシンは“軍事同盟”の話を聞かされていなかった

唐の第2皇帝 太宗は 崩御する前にチュンチュと同盟を結んでいたのだ

 

新羅(シルラ)が 大業を成せず戦乱に陥った場合

唐が20万の援軍を送って加勢するという まさに“軍事同盟”である

さらにチュンチュは たとえ援軍を送ったとしても

新羅(シルラ)の国政には介入しないとの約束も 取り付けていた

 

この同盟あってこそ 三韓一統の大業は完遂できると

そしてそれは 新たな皇帝にも引き継がれているというのだ

 

同盟の詳細を知り 茫然とするキム・ユシン

チュンチュは あくまでも三韓一統の実現を目指し

そのための手段は選ばないという姿勢である

同じく大業を掲げながら まったく正反対の考えを示すチュンチュ

それだけでなく ユシンの失望感は これまで聞かされなかったことにある

 

いくら間者の耳に入らぬよう 極秘裏に事を進めたのだとしても

まずは一番に打ち明けてくれるはずだと 信じていたユシンであった

 

その失望感を堪え ユシンは 全力でチュンチュを説得する

いかに独自の信念があるとしても “唐の忠犬”とまで噂されることは

これまで築き上げてきたすべてを失うことになりかねないと…!

 

しかしそれでも チュンチュの信念は揺るがない

 

数百年にわたる戦乱の世を終わらせ 苦しむ民を救うためにも

三韓一統の大業は 何としても成さねばならないのだ

築いてきた名声や拘り 恥辱を受けるつらさに怯んでいては

いつまで経っても大業完遂の日は訪れないと…!!!

 

屋敷を出て行くユシンを ボムミンが追いかける

自分と同じ考えで 父のやろうとしていることに反対する伯父ユシン

勘当するとまで言われたボムミンは 伯父に説得を頼むしかないのだ

 

『ボムミン たとえ国中のものが父上を中傷しても

お前だけは父上を信じ 守っていかねばならぬ』

 

ユシンが チュンチュの考えをすべて理解できたわけではない

しかしチュンチュが 誰より誇り高き人物であることは知っている

なのにそれでも唐にへつらうのは それなりの思いがあるからだと

今はボムミンに しっかり役目を果たせと言うしかなかった

 

同じ時 サジンは 閼川(アルチョン)の横でほくそ笑んでいた

新たな唐の皇帝に 太平頌を捧げることで チュンチュは自滅すると

だからこそ 敢えて反対しなかったのだろうと聞かれ

閼川(アルチョン)は 何も答えずじっと考え込むのであった

 

高句麗(コグリョ)では

 

唐と新羅(シルラ)の接近を按じるポジャン王に

ヨン・ゲソムンが 心配無用だと豪語している

何より チュンチュは 今回の件で失脚し

いずれ上大等(サンデドゥン)が 新羅(シルラ)の朝廷を牛耳る

 

閼川(アルチョン)は ヨン・ゲソムンの密書を黙認した

関与はしなかったが 黙認した… ということは

いずれ高句麗(コグリョ)の側に立つ人物であると…

 

一時は チュンチュを気に入り 敵ながらも その才を認めたが

唐の機嫌取りをするような男だったのかと ヨン・ゲソムンは失望していた

 

やがてボムミンは 太平頌を届けるという任務を遂行すべく 唐に向かう

父チュンチュから申し付かった言葉を 海原を見つめながら思い返す

 

唐の新たな皇帝は 先帝の遺志を無視し

高句麗(コグリョ)征伐を企てているのだという

“羅唐同盟”も いつ反故にされるか分からない

高句麗(コグリョ)を討った先に いずれは新羅(シルラ)に攻め入るだろう

三韓は さらなる戦乱にみまわれ ますます民の苦しみは続く

今回の任務は 太平頌を届けるのみに終わらない

羅唐同盟の信義を確約し 戦乱を回避する道筋を作るものであると…!!!

 

唐の3代皇帝 高宗(李治)は ボムミンが届けた太平頌に満足げだ

先代皇帝とキム・チュンチュが 軍事同盟を結ぶ瞬間にも立ち合っている

それを破ることは親不孝であると言明する高宗(李治)

 

しかし 同盟とは無関係の 新羅(シルラ)の年号に話が及ぶ

唐への信義を示すというならば 直ちに独自の年号を廃し

唐の年号を使うのが筋であろうと迫る…!

 

年号の使用を迫られた新羅(シルラ)の愚かさを 鼻で笑うウィジャ王

これで新羅(シルラ)は 唐の植民地になり下がったと…!

たとえ辺境の城をすべて奪われようとも

決して百済(ペクチェ)の誇りを捨てたりはしないというウィジャ王だった

 

『大国に頼り 国格を守るのが なぜいけないのですか!』

 

父王の高笑いを遮ったのは 長男プヨ・ユンである

太子でありながら 敵国チュンチュの政策を称賛する息子!

ウィジャ王は激昂し 息子に剣を突き付けた…!

 

『余が どれほどチュンチュを恨んでいるか 知らぬはずがない!』

 

今にも息子を斬ろうとするウィジャ王!!!

太子の前に立ちはだかり守ったのは 将軍ケベクだった

息子ばかりか 最も信頼する将軍がかばい さらに激昂していくウィジャ王!

 

『ここで父子が争い決別すれば 王室の権威が失墜します!!!

このまま権威が失墜し 朝廷が混乱することは 誰も望みません!!!』

 

この言葉に 剣を下ろすウィジャ王であったが

太子には自粛を命じ ケベクの顔も もう見たくないと言い

辺境へ行けと命じるのだった…!

 

ボムミンは 太平頌への応えとなる国書を持ち帰る

そして 喜ばしい国書と同時に 皇帝から言い渡された年号の件についても

真徳(チンドク)女王に報告しなければならなかった

 

唐の官服を取り入れ 太平頌まで捧げ さらに年号まで変えるとは…!

臣僚を代表し 閼川(アルチョン)が怒りに震え訴える

チュンチュはそれでも ここで逆らえばすべてが無駄になると説得する

 

断じて受け入れられぬと そっぽを向く閼川(アルチョン)

するとチュンチュが 静かに腰を下ろしひざまずき 土下座の姿勢を取る!

誇り高きキム・チュンチュが 臣僚の前にひれ伏したのだ

 

そこへ キム・ユシンが 部下を引き連れ乱入する!

 

ここは一体 新羅(シルラ)の朝廷か 唐の別宮かと揶揄し

大国に国運を委ねるキム・チュンチュを なぜ弾劾しないのかと憤る!

 

何とかチュンチュを理解しようとしたユシンであったが

年号まで変えるとあれば もう我慢の限界であった

 

『国益を得るために 国格まで売り渡すのか!

唐の甲冑を着て戦えと言うのか!!!』

 

『たとえ唐の官服を着ても 唐の年号を使おうとも

“徳業日新 網羅四方”という大義を捨てぬ限り 誇りを失いはせぬ!

大業完遂のため命をも捨てる気ならば 真の誇りは揺るがない!』

 

ここは最早 新羅(シルラ)の国ではないと

徐羅伐(ソラボル)を出て行くと言い残し 立ち去るユシン!

 

※徐羅伐(ソラボル):新羅(シルラ)の首都 現在の慶州(キョンジュ)

 

鉄壁の信頼関係と思っていた両者の決別を目の当たりにし

臣僚らは 言葉を失い立ち尽くす

チュンチュは 悲痛な表情でユシンを追いかけた!!!

 

少年の日 真興(チヌン)王の碑前で 大業を誓った2人である

『あの日のお前に戻れ!』 そう言い残し立ち去るユシン

打ちひしがれるチュンチュのそばに 息子ボムミンが寄り添う

 

臣僚を説得するどころか 盟友との絆さえ壊れてしまった

失意のチュンチュは 酒に溺れ 妻ムニに当たり散らす

唐の援軍20万は 新羅(シルラ)の民20万を救うのに

なぜ皆は それを理解してくれないのだ…!

ユシンに去られたチュンチュの 揺るがぬはずの信念が崩れていく

 

『兄上は いつかきっと分かってくださいます

必ずまた戻って 共に大業を成そうと言ってくださいます…!』

 

妻の言葉に さめざめと泣きだすチュンチュ

今のチュンチュにとって 弱音を吐ける相手は 妻ムニしかいなかった

 

苦しんでいるのは チュンチュだけではなかった

ユシンもまた 渓谷の夜の闇に紛れ 泣き腫らしていた

 

そんなユシンの前に 将軍ケベクとファシが現れる

2人の間には 国を超えた友情があった

傷心のユシンに必要な物はこれしかないと 酒瓶を揺らし微笑むケベク

 

百済(ペクチェ)の泗沘(サビ)城では 親唐を上奏した太子が廃された

しかしケベクは 親唐も反唐も関係ないと言い放つ

自分は あくまで百済(ペクチェ)王室に仕え

百済(ペクチェ)の民のために戦うのみ!

ただ王室と民のために戦うという ケベクの姿勢は 実に単純明快であった

 

『ケベク 実にお前は真の名将だ』

 

ケベクは 将軍としてのユシンに 共通点が多い

しかしチュンチュは 我々とは違うのだと諭す

政治家として千変万化するチュンチュの考えを 察することは難しいのだと

 

目の前の敵を 兵法を以って打ち取るという 単純明快な戦い方ではない

政治家のすることは そもそも我々には理解できないのだと笑うケベク

ユシンは 胸のつかえがとれたような気分で聞いている

 

ケベクは チュンチュについてそれ以上語らず

ただただ面白おかしく酒を酌み交わし 時が過ぎていった

 

 

西暦654年 真徳8年

真徳(チンドク)女王は 気力が弱まり死を意識するようになる

国政を執ることも難しく 摂政を立てたい意思を示す

 

死期を意識した摂政であれば すなわち“王位継承者”の指名となる

それを認めたうえで 真徳(チンドク)女王は チュンチュの名を口にした

それは 誰もが警戒していたことであり チュンチュが最も拒む問題だった

 

しかし チュンチュが摂政になり 王位を継承することは

先王である善徳(ソンドク)女王の遺志でもあった

真徳(チンドク)女王は 閼川(アルチョン)に総意を託す

 

上大等(サンデドゥン)の地位は 王位に次ぐ重職である

その座にいながら 伊飡(イチャン)のチュンチュに摂政を奪われてしまい

閼川(アルチョン)の胸中は複雑であった

 

黙り込む閼川(アルチョン)の前で 声高に反意を示すサジン!

前例に倣い 和白(ファベク)会議により 摂政を指名すべきだという

つまり 大王の意思ではなく 貴族の決議を以って推挙すべきだと!

 

朝廷の総辞職も辞さないという臣僚らの動きに

キム・チュンチュの側近たちは警戒する

 

閼川(アルチョン)は すでに王命に背いているというボムミン

直ちに上大等(サンデドゥン)を弾劾し 朝廷を制圧すべきだと…!

 

しばし考え込むキム・チュンチュ

 

そしてチュンチュは 自ら王に謁見し

摂政は 和白(ファベク)会議の決議で推挙すべきだと進言する

閼川(アルチョン)の同意もあり 真徳(チンドク)女王は

和白(ファベク)会議の召集を許可し 摂政の推挙を委ねた

事実上 閼川(アルチョン)とチュンチュが 摂政の座を争うことになる

 

キム・フムスンは 兄ユシンに チュンチュと和解すべきだと訴える!

ケベクと飲み明かした夜… そして弟の嘆願に じっと考え込むユシン

 

そしてユシンは 和白(ファベク)会議の前に

上仙(サンソン)会議を召集する意思を固めるのだった…!

 

※上仙(サンソン):風月主(プンウォルチュ)を務めた花郎(ファラン)

 

数年ぶりとなる再会を懐かしむチュンチュ

しかし 花郎徒(ファランド)の最高上仙(サンソン)として

また会議を主催する者として

ユシンはチュンチュとの私的な会話を 一切受け付けなかった

 

朝廷を 閼川(アルチョン)のものにせぬよう

チュンチュに加勢すべく戻ったと思われたユシンは

花郎徒(ファランド)が 和白(ファベク)会議に関与することを禁じた!

そして 親唐派である者が 摂政になるべきでないと明言したのである!!!

 

『私の意思に逆らう者は 花郎徒(ファランド)から追放する!』

 

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