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第59話 泗沘(サビ)城の陥落
泗沘(サビ)城への進撃が遅れているのは
キム・ユシンと蘇定方のいがみ合いが原因であるとし
参謀カンスと側近たちは ユシンを帰還させるべきだと進言する
武烈王は 直ちに進撃命令を下し 蘇定方を説き伏せられない場合は
キム・ユシンから 総大将の任を解くと明言した…!
元々は 唐軍との同盟には反対だったユシンである
同盟の大義を守ることを無視し あくまでも唐軍と戦うのであれば
大業を成すためにも ユシンを更迭せざるを得ないという武烈王であった
刺客を送った黒幕が キム・ユシンかもしれない…!
蘇定方自ら百済(ペクチェ)より妓女を迎えながら 言いがかりも甚だしい
これもみな 統帥権を握りたいが故の策だとすれば…
或いは自分が退けば 唐軍は進撃するのかと問うユシン!
すでに副総官の座を退き 新羅(シルラ)軍に戻ったキム・インムンは
刺客に襲われたからではなく 陣営に現れた白いカラスのせいだという
たかが1羽の鳥のために進撃できないとは…
それを凶兆とか ケベクの怨霊だと言って恐れるならば
ユシンは まさに生きたケベクと剣を交え 死に至らしめたのだ
何を恐れることがある!と言い放ち 白いカラスを射殺してしまった!
なぜ愚にもつかぬ理由を並べ立て 進撃を拒むのか…!
これはユシンの懇願というより 叱責にも似た“進撃命令”であった
『誰であろうと 今後進撃を拒めば利敵行為として罪を問う!!!
蘇総官 今ここで決断せよ! 進撃するか! この弓を受けるか!!!』
共に進撃し 泗沘(サビ)城を攻めることにはなったが
どう攻めるかの策を練る段階で またしても意見が食い違う…!
ユシンは 所夫里ヶ原での決戦を想定し 四方から待ち伏せる作戦だが
蘇定方と側近らは 百済(ペクチェ)軍が先攻するとは考えず
ただ城内で援軍を待っている敵に 水路から泗沘(サビ)城を目指すという
そこへ偵察隊が戻り 1万の百済(ペクチェ)軍が
所夫里ヶ原を目指し進軍していると報告した
蘇定方は 見事に予測したユシンを褒め 先鋒を!とほくそ笑む
こうしていよいよ 羅唐軍と百済(ペクチェ)軍の決戦が始まった
百済(ペクチェ)軍は 3人の王子が兵を率いてはいるが
やはり 猛将ケベクが抜けた穴は大きく 軍は精彩を欠いていた
西暦660年7月12日
1万の百済(ペクチェ)軍は 所夫里ヶ原において果敢に戦ったが
キム・ユシンと蘇定方率いる18万の羅唐軍相手では 全く歯が立たず
壮絶な戦いの末に全滅を余儀なくされたのである
ウィジャ王と太子プヨ・ヒョは 一部の兵を率い熊津城へ逃れた
難攻不落とされる熊津城に籠り 高句麗(コグリョ)軍を待つのである
武烈王は まだ気を緩めてはならないと命じ
百済(ペクチェ)辺境の兵士が集結し 戦列を整える前に
必ずや百済(ペクチェ)王に 降伏を宣言させると明言する
高句麗(コグリョ)の莫離支(マンニジ)ヨン・ゲソムンは
百済(ペクチェ)の敗因を こう読み解く
※莫離支(マンニジ):高句麗(コグリョ)の政策を総括する最高官職
城に籠って守るべき時に城外へ出て 敵と対峙し
城を出て戦うべき時に城内に籠り 敵を蹴散らす好機を逃がしたのだと…!
しかし 百済(ペクチェ)のウィジャ王は 今でこそ民心を失っているが
かつては名君と称され 善政を施し 百済(ペクチェ)を再興させた人物
簡単に降伏し 羅唐軍に玉璽を奪われることはないと断言するゲソムンであった
一方 百済(ペクチェ)に向けて進軍した 高句麗(コグリョ)の援軍は
武烈王自ら出向いた新羅(シルラ)の軍隊により 足止めされる
武烈王は このまま帰還し 高句麗(コグリョ)の王に伝えよ!と言い放つ
これ以上 百済(ペクチェ)を救おうとするのであれば
泗沘(サビ)城を陥落させたその足で 高句麗(コグリョ)に攻め入ると!
しかし 実際に泗沘(サビ)城を陥落させることは そう簡単ではない
その泗沘(サビ)城では 王子たちによる内紛が起きていた…!
父王と太子を追い出し プヨ・テ王子が 玉座に座りほくそ笑んでいる
百済(ペクチェ)の国運を守るべく 自ら玉座に就いたと豪語し
兄プヨ・ユン王子に 剣を突き付けるのであった…!!!
『父上はすでに戦意を欠き 降伏しようと考えているだろう
太子は 父上に評価されようとして無謀に戦い敗戦した
今やこの国を守れるのは私しかいないであろう!!!』
すでに奸臣たちは プヨ・テ王子を“大王陛下”と呼んでいる
この戦乱の中で 身勝手にも“即位した”と豪語し もし同意しなければ
たとえ兄であっても プヨ・ユン王子を殺害すると宣告した
困惑するプヨ・ユン王子の前に サムグァンが現れる
サムグァンに同行し サンヨン公の姿もあった
サンヨン公は プヨ・ユン王子に降伏するよう嘆願する
父王の敗走を促し その隙に王座を奪う国の再興など 決してあり得ぬ
これ以上 百済(ペクチェ)の民を苦しめず 三韓一統のためにも
降伏するべきだと 必死に説得するサンヨン公
サムグァンは 羅唐軍の攻撃が始まる前に降伏すれば 命は助かるという
攻撃が始まってからでは 反逆を容認した罪で裁かれてしまうと…!
同じ時 蘇定方は深く考え込んでいた
皇帝陛下よりの皇命では 百済(ペクチェ)を陥落させた後
新羅(シルラ)に攻め入り 植民地化せよということであった
同盟を詠いながら やはり3代皇帝高宗は 三韓を奪うつもりだったのだ
しかし 所夫里ヶ原でのユシンの戦いぶりを見た蘇定方は
その気概溢れる剣さばきと 新羅(シルラ)軍の勇猛さに勝てる気がしない
まともに戦えば 無残に負けることは目に見えていると…!
すると側近たちが 泗沘(サビ)城攻めにおいてユシンを先鋒に立たせ
勢いを削いだところで 一気に攻め入れば勝機はあると言い出す
しかし その策を講じているところへ…
百済(ペクチェ)のプヨ・ユン王子が降伏したとの知らせが入る!!!
王子の降伏で 百済(ペクチェ)軍の士気は下がる一方である
今こそ進撃の時だと思った矢先
ユシンのもとへ 唐軍が攻撃を始めたとの知らせが!!!
蘇定方は ユシンに先鋒をと考えていたが
敵王子の降伏を知り これは抜け駆けで攻めるよりほかないと判断したのだ
泗沘(サビ)城内に籠るプヨ・テ王子は 兄が降伏したことで意気消沈し
もはや降伏するしかないと言い出し 奸臣たちを困惑させる
ウィジャ王と太子が 熊津城へ敗走した翌日
2人の王子が相次いで降伏を宣言し 泗沘(サビ)城は陥落した
聖(ソン)王の遷都以来123年の月日が流れての出来事であった
唐軍は 城を陥落させた後も 民への蛮行を行い
多くの民が無残に殺され 暴行を恐れた女たちは自ら命を絶った
そんな蘇定方を “逆徒の頭目”と揶揄し非難するユシン!
『総官の前で降伏したプヨ・テは 王ではなく王子である!
従って 百済(ペクチェ)の陥落はまだ成立してはいない!!!
熊津城へ進軍し ウィジャ王を降伏させるまでは浮かれるでない!』
キム・ユシンに叱責され またしても恥辱を味わう蘇定方であった
熊津城へ逃げ込んだウィジャ王は 今さらながらに悔やんで泣いた
ソンチュンのような忠臣を無視し続け 奸臣に踊らされていた歳月
あの時 忠臣の苦言に耳を傾けていれば 泗沘(サビ)城を追われることも
唐軍の蛮行により 民が惨殺されることもなかったのだと…!
将軍トチュンは 涙ながらに再考をと訴える
このままでは ケベク将軍をはじめ無念に逝った者たちが浮かばれないと!
しかし 抵抗を続ければ それだけ民の犠牲が増えるのだと
ウィジャ王の決意は固く 直ちに泗沘(サビ)城へ行き降伏するという
キム・ユシンと蘇定方が待つ泗沘(サビ)城において
ウィジャ王は 降伏宣言を行うはずであった
しかし 唐の皇帝に代わり その宣言を受けようとする蘇定方に
キム・ユシンが憤慨し まだ降伏宣言は受けられぬ!と言い放つ
新羅(シルラ)王の到着を待たずに 何という無礼か!と憤り
武烈王は 必ずや唐軍が百済(ペクチェ)の民に行った蛮行の罪を問うと!
降伏宣言をしようというウィジャ王を置き去りに
唐軍と新羅(シルラ)軍は またしても一触即発の状況に陥る
そこへ 武烈王到着を知らせる ほら貝の音が鳴り響く…!!!