四国第一札所~第七札所巡り (2日目) 2018.11.7
昨夜 部屋に集合しての楽しいお喋りや専用バスで送迎のお風呂、美術館帰りの食事等 旅行ならでは
の時間はとても癒されます。朝食は8時 それまでは会員制リゾートホテル「エクシブ鳴門」から眺める
瀬戸内海の青と、雄大に広がる緑に極上の散歩と洒落る。
程良く写真にも納まり「ボナキュー」での朝食はアメリカンブレックファースト
瀬戸内海を臨み乍らの
食事を堪能です。
2日目の予定・・・ドイツ館と香川豊彦記念館、そして札所巡り、その他、 今日もよろしくお願い致しま~す。
(朝のホテルより)
瀬戸内海をバックに 手前はプール 夏 泳げれば最高かな
青い海よりホテルを眺める
正面玄関より広々としたゴルフ場の緑が眼下に
「ボナキュー」朝食前 素敵なシルエット
(札所巡り)
★「空海の道」の歌が頭をよぎる・・・一番札所 霊山寺 ここ振り出しに四国路を 今日も行く行く お遍路さんが
千年有余の今もなお 絶える事なき 空海の道 一人旅でも同行二人 阿波の徳島 発心の道場
四国八十八ヶ所巡礼お遍路ツアーも視野に入れておこう
一番札所(霊山寺) 二番札所(極楽寺)杉の大木が有名
三番札所(金泉寺) 四番札所(大日寺) 五番札所(地蔵寺)見事な銀杏の大木
六番札所(安楽寺) 七番札所(十楽寺)
うだつの町並み散策(徳島県美馬市) 伝統的建造物
★うだつは、二階の壁面から突き出した 漆喰い塗りの袖壁です。江戸時代は火よけ壁とも呼ばれ防火の役目を
していましたが 明治時代になると防火よりも装飾に変わってきました。
裕福な商家は富の象徴として、この「うだつ」を競ってあげました。ことわざ辞典に いつまでもぐずぐずして一向に
出世できないことを「うだつが上がらなぬ」と記しています。
(時々聞く言葉ですが このような背景があるのですね)
ドイツ館(鳴門市大麻町)
ドイツとの国際交流を深める目的で鳴門市ドイツ館はつくられている
★
なぜ鳴門にドイツ兵俘虜が?
第1次世界大戦が始まると、日本も参戦し、ドイツの祖借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。
敗れたドイツ兵士約5000人が俘虜となり、日本各地の収容所へ送られました。その内、四国の徳島・丸亀・松山に
いた約1000人が1917(大正6)年から1920年までの3年間を坂東俘虜収容所で過ごしました。
収容所での俘虜たちの活動は実に多彩!音楽面では、複数のオーケストラや楽団、合唱団が定期的にコンサートを
開き さまざまな曲を演奏、なかでも ベートーベンの交響曲第九番をアジアで初めて全楽章演奏したことは有名です。
(ここは第九のふるさと)このほか俘虜たちは、演劇、スポーツ、講演・学習など活発な活動を行い 地域の人々は
指導を受けました。そして坂東の街並みでは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、彼らとの間で日常的な交歓風景が
あたりまえのようにみられるようになりました。
(ドイツとバンドーの友好の架け橋・・・感動しますね)
賀川豊彦記念館(鳴門市大麻町)
★賀川豊彦記念館は、平成14年に、多くの人々の寄付金によって造られました。
明治21年に神戸で生まれ、4歳の時に両親を亡くし、父の実家がある鳴門市大麻町に引き取られました。孤独、家の破産
病苦など、おおくの苦難を乗り越え、神戸神学校の学生だった21歳の時、神戸のスラムに入り、救済活動を行いました。
その後、自伝的小説「死線を超えて」を執筆。400万部を超えるベストセラーとなります。
そして労働運動、普通選挙運動、農民運動、生活協同組合運動に献身し、関東大震災ではいち早く被災地に入り、救援
活動に尽力しました。
戦後は世界連邦運動を提唱し、世界平和を訴えました。ガンジーやシュバイツァーと並んで
世界の三大偉人と呼ばれ
現在も賀川の活動は、様々な組織で引き継がれています。
(友愛・互助・平和のために生涯を捧げた凄く立派な
人だと分かりました)
★♥今回一泊二日の旅も 大変充実しており
とっても良い勉強となり 刺激を頂きました。改めてお礼申し上げます。
2日間の運転と案内でさぞかしお疲れがと・・・翌日は腰の痛みがない事を心より願っております。
(Tさんご夫婦へ)
従兄のお元気なTさん、Oさんお疲れさまでした。
「ありがとうございました」