永遠の0(ゼロ)
著者 百田 尚樹
1956年、大阪生まれ。同志社大学中退。放送作家として人気番組「探偵!ナイトスクープ」など多数構成。2006年、『永遠のゼロ』で作家デビュー。ずーっと重版しっぱなし。 170万部!!
(解説)
零戦パイロットにまつわる話だと徐々にわかってきた。零戦という戦闘機に戦争中の子どもの頃から憧れを抱いていたこともあるが、現代と戦争中を交錯する物語の面白さにぐいぐいと引き込まれ夢中になってしまった。
しかも途中、何度も心の底からこみあげてくる感動の嵐に胸は溢れ、突如うるうると涙し、本を閉じたときには、なにやらハンマーで一撃を喰らったような衝撃とともに、人間として究極とも思える尊厳と愛を貫いた男の生き様に深々と頭を垂れ、心の中を嵐と吹き抜けた清々しい一陣の風とともに美わしい人間の存在に思いっ切り心を洗われた。
ゼロとは太平洋戦争中、日本が世界に誇る名戦闘機としてその名を轟かせた海軍零式戦闘機、つまり「零戦」のこと。
太平洋戦争とはどんな戦争で、どのような経過を辿ったのか。この戦争に巻き込まれた我々日本人は、軍人は、国民は、その間に、どのように戦い、どのように生きたのか。国を護るために戦わなくてはならなくなった若者たちの心とは、命とは。
彼ら若者たちを戦場に送り出したエリート将校たちの心は、といったことを作者はものの見事にわかりやすく物語の中にちりばめている。
物語に触れると、そもそもは、四年連続で司法試験に落ちてしまい、なにやら人生の目標を失いかけてしまっている二十六歳の佐伯健太郎と、人生に「愛」は最優先させるべきものなのか、と悩み、仕事と結婚の狭間で人生の岐路に立つフリーライターの姉、慶子が、太平洋戦争で戦死した祖父、宮部久蔵のことを姉弟二人で調べはじめるところから話がスタートする。
宮部久蔵が本当の祖父であると知らされたのは六年前に祖母が他界したときであった。それまで血のつなっがっていると思い込んでいた祖父から、突然、宮部久蔵という人物こそが本当の祖父であり、彼は日本の終戦の数日前に神風特攻隊の一員として南西沖に散華したこともはじめて明かされた。
健太郎にアルバイトしない、と言って、特攻で亡くなった実の祖父のことを調べようと誘ったのが慶子だった。宮部久蔵が戦死したとき三歳だった母は、父に対してまったく記憶が無く、最近になって、ふと、死んだお父さんて、どんな人だったのかな、と呟くのを聞いた姉の慶子が、お母さんのためにも本当の父親がどんな人だったのかを知りたいと健太郎に調査の誘いをかけてきたのだ。
姉弟二人の祖父探しの旅がはじまり、物語は動き出した。
元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は、健太郎たちが予想もしないものだった。戦闘機乗りとして凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生き残ることにのみ執着する零戦パイロット、それが祖父だったというのだ。「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」「宮部久蔵は何よりも命を惜しむ男だった」「あいつは戦場から逃げ回っていたんだ」と侮辱の言葉を吐いた、最初に訪ねた元戦友は、奴の「お命大事」は隊でも物笑いの種だったと言ったあと、奴の「生きて帰りたい」という名言を誰知らぬ者はなかった、と卑怯者と言わんばかりに切り捨てた。
仲間から「臆病者」とさげすまれた祖父の久蔵、絶対に妻と子のために生きて帰るのだと宣言し、必死で生き残りをかけて空戦にのぞんでいた彼が、ではいったいなぜ終戦直前に特攻を志願したのか?
読み進むほどに宮部久蔵の真の姿が次第に浮かび上がってくる。男として、人間として、いかに彼が素敵な奴であったかが、読む者の心にぐいぐいと迫って来る。彼は決して臆病者でもなければ、ましてや卑怯者では絶対にないことが・・・。
特攻で散華した宮部久蔵二十六歳、彼の生きた足跡を辿る孫の健太郎も同じく二十六歳。日々死と直面し、愛する者のために生き残りをかけたパイロットとして史上空前の大空の戦いに挑んだ宮部久蔵と、止むを得ずとはいうもののニートとして無為な生活を送る現代の健太郎をリンクさせた壮大なロマンは、抱きしめたくなるような宮部久蔵への愛しさを覚える中で、人間とは、戦争とは、何なのかを痛切に考えさせられる。 (児玉 清)
★涙の嵐とはこういう事でしょうか。読み進めていくと何度も何度も目がウルウル・・・。もう号泣です。
とうとう終戦の数日前、宮部久蔵にも特攻の一員として出撃命令が出る。あれだけ死を避け、生にこだわった宮部久蔵がなぜ特攻で死んだのか。ひょっとしたら生きてるかも。運が宮部を助ける。やはりそんなことはなかった。あったかも知れないが、宮部は一人の予備士官の特攻隊員にあることを委ねた。 とても感動的な小説の出会いでした。
著者 百田 尚樹
1956年、大阪生まれ。同志社大学中退。放送作家として人気番組「探偵!ナイトスクープ」など多数構成。2006年、『永遠のゼロ』で作家デビュー。ずーっと重版しっぱなし。 170万部!!
(解説)
零戦パイロットにまつわる話だと徐々にわかってきた。零戦という戦闘機に戦争中の子どもの頃から憧れを抱いていたこともあるが、現代と戦争中を交錯する物語の面白さにぐいぐいと引き込まれ夢中になってしまった。
しかも途中、何度も心の底からこみあげてくる感動の嵐に胸は溢れ、突如うるうると涙し、本を閉じたときには、なにやらハンマーで一撃を喰らったような衝撃とともに、人間として究極とも思える尊厳と愛を貫いた男の生き様に深々と頭を垂れ、心の中を嵐と吹き抜けた清々しい一陣の風とともに美わしい人間の存在に思いっ切り心を洗われた。
ゼロとは太平洋戦争中、日本が世界に誇る名戦闘機としてその名を轟かせた海軍零式戦闘機、つまり「零戦」のこと。
太平洋戦争とはどんな戦争で、どのような経過を辿ったのか。この戦争に巻き込まれた我々日本人は、軍人は、国民は、その間に、どのように戦い、どのように生きたのか。国を護るために戦わなくてはならなくなった若者たちの心とは、命とは。
彼ら若者たちを戦場に送り出したエリート将校たちの心は、といったことを作者はものの見事にわかりやすく物語の中にちりばめている。
物語に触れると、そもそもは、四年連続で司法試験に落ちてしまい、なにやら人生の目標を失いかけてしまっている二十六歳の佐伯健太郎と、人生に「愛」は最優先させるべきものなのか、と悩み、仕事と結婚の狭間で人生の岐路に立つフリーライターの姉、慶子が、太平洋戦争で戦死した祖父、宮部久蔵のことを姉弟二人で調べはじめるところから話がスタートする。
宮部久蔵が本当の祖父であると知らされたのは六年前に祖母が他界したときであった。それまで血のつなっがっていると思い込んでいた祖父から、突然、宮部久蔵という人物こそが本当の祖父であり、彼は日本の終戦の数日前に神風特攻隊の一員として南西沖に散華したこともはじめて明かされた。
健太郎にアルバイトしない、と言って、特攻で亡くなった実の祖父のことを調べようと誘ったのが慶子だった。宮部久蔵が戦死したとき三歳だった母は、父に対してまったく記憶が無く、最近になって、ふと、死んだお父さんて、どんな人だったのかな、と呟くのを聞いた姉の慶子が、お母さんのためにも本当の父親がどんな人だったのかを知りたいと健太郎に調査の誘いをかけてきたのだ。
姉弟二人の祖父探しの旅がはじまり、物語は動き出した。
元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は、健太郎たちが予想もしないものだった。戦闘機乗りとして凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生き残ることにのみ執着する零戦パイロット、それが祖父だったというのだ。「奴は海軍航空隊一の臆病者だった」「宮部久蔵は何よりも命を惜しむ男だった」「あいつは戦場から逃げ回っていたんだ」と侮辱の言葉を吐いた、最初に訪ねた元戦友は、奴の「お命大事」は隊でも物笑いの種だったと言ったあと、奴の「生きて帰りたい」という名言を誰知らぬ者はなかった、と卑怯者と言わんばかりに切り捨てた。
仲間から「臆病者」とさげすまれた祖父の久蔵、絶対に妻と子のために生きて帰るのだと宣言し、必死で生き残りをかけて空戦にのぞんでいた彼が、ではいったいなぜ終戦直前に特攻を志願したのか?
読み進むほどに宮部久蔵の真の姿が次第に浮かび上がってくる。男として、人間として、いかに彼が素敵な奴であったかが、読む者の心にぐいぐいと迫って来る。彼は決して臆病者でもなければ、ましてや卑怯者では絶対にないことが・・・。
特攻で散華した宮部久蔵二十六歳、彼の生きた足跡を辿る孫の健太郎も同じく二十六歳。日々死と直面し、愛する者のために生き残りをかけたパイロットとして史上空前の大空の戦いに挑んだ宮部久蔵と、止むを得ずとはいうもののニートとして無為な生活を送る現代の健太郎をリンクさせた壮大なロマンは、抱きしめたくなるような宮部久蔵への愛しさを覚える中で、人間とは、戦争とは、何なのかを痛切に考えさせられる。 (児玉 清)
★涙の嵐とはこういう事でしょうか。読み進めていくと何度も何度も目がウルウル・・・。もう号泣です。
とうとう終戦の数日前、宮部久蔵にも特攻の一員として出撃命令が出る。あれだけ死を避け、生にこだわった宮部久蔵がなぜ特攻で死んだのか。ひょっとしたら生きてるかも。運が宮部を助ける。やはりそんなことはなかった。あったかも知れないが、宮部は一人の予備士官の特攻隊員にあることを委ねた。 とても感動的な小説の出会いでした。
表紙をよく見かけますので、
さっそく買い求めて、読んでみます。
私が小学校(当時は国民学校)6年のとき、
敗戦(1945年8月15日)でした。
自宅の50m先に、鳥取第40連隊の兵舎が、
あって、物心のつく以前から兵隊さんの
汗の臭いをかいで、育ちました。
中学卒業を待たないで、「予科練」に進む
コースを夢見ていたことを思い出します。
難関試験に合格して予科練へ入隊しても、戦前に
予科練を卒業した練習生は、太平洋戦争勃発と
共に航空機搭乗員の中枢を占め、期によっては
約90%が戦死。19年に入ると特攻隊としても
多くが命を落としています。
終戦の時、小学校6年生であったからこそ、今が
お幸せに過ごされるんですよね。感謝の気持ち
を大切にしたいと思います。
夏のお疲れ、気を付けてください。
新しい時代を呼吸するようになりました。
おっしゃるとおり、あの戦争が後1~2年
長引いていたら、こんなに長生きはして
いませんね。
改めて感謝の気持ちを大切にいたします。
一番強く印象に残っていることは、特攻が「九死に一生」ではなく「十死に零生」であること。
殺し殺され、生きるか死ぬかの過酷な戦場で、生き残るための日頃の鍛錬や執念が「九死に一生」の希望につながる。しかし、特攻はあらゆる生への希望が断たれた「十死に零生」
一体どんな気持ちで死んで行ったのだろうか?
「妻のため」「子のため」「国のため」に自分の命を捧げたのだろうか?
それともあきらめの気持ちだったのだろうか?
こんなふうに考えることすら失礼になるだろうか?
自分なりの考えを言うと、どんな戦争でも特攻を戦術にすることは正当化できないし、指導者は認めてはいけないと思う。
海軍は、日露戦争では東郷平八郎元帥が率いる連合艦隊が、世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を破ってアジアだけでなく世界の賞賛を得ました。しかし、大東亜戦争では過去の栄光にもかかわらず(過去の栄光のために)軍は、一流大学を出たエリートが統率する官僚組織に成り代わり、現場(戦場)と有能な人材は無視され、兵は上層部から簡単に補充できる捨て駒のような存在として扱われるようになりました。
ガダルカナルでは、戦いに勝つよりも空母や戦艦を温存することを優先したことが敗北の原因だったようです。
片やアメリカ軍は、初戦に負けはしたものの、兵器や武器の改良、人材の登用によって徐々に強力な戦う組織に変貌を遂げっていったようです。
零戦は、日本航空機技術の誇りと思っていました。が、この小説を読んでから考えが180度変わりました。開戦時の人間魚雷「回天」、零戦、戦争末期の人間ロケット爆弾「桜花」。
「回天」「桜花」は言うに及ばず、「零戦」ですら、搭乗員の生命を守る装備を徹底的に切り詰めあるいは排除した兵器といえます。
搭乗員を機銃掃射から守る背部保護板がなく、装甲を考えられる限り薄くすることで当時としては最高性能を引き出しています。その軽敏な機体と高度な操縦技術で相手の銃撃から身をかわし、20ミリ機関砲の破壊力で優位を誇っていました。
日本の航空機製作技術の優秀さを否定するつもりはありませんが、戦闘機乗りと言う人間、搭乗員の安全を犠牲にする設計思想なら、優秀と言っても世界に誇ることはできないのではないでしょうか?
当時のアメリカ軍には、二つの理由で零戦を作ることはできませんでした。
一つは徹底した軽量化の技術において、もう一つは兵の命を犠牲にすることを許さない市民社会の良識。
この二つではないかと思うのです。零戦の強さは決して胸を張って自慢できることではないのでは?
大東亜戦争。
多くのアジア諸国に植民地からの解放と有色人種の自信の回復をもたらしたことへの日本人への尊敬。
それに反し、何故こんなに日本人自身からは忌み嫌われるのでしょうか、自分の中で答えが出せないでいます。
「祖国のために命を捧げる」軍国少年は
また新たな夢を持ち始めたのでしょうか。
山草や花を愛する心を、いつまでも伝え
続けて欲しいと願います。
コメント有難うございました。
基地の跡を見るのは、感情的に辛いですよね。
太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり
この基地から150名以上の若者が南の空に
飛び立って行ったと言います。(宇佐航空隊)
軍用機を敵の攻撃から守るための施設、掩体壕
が残っており、当時地元の人々の勤労奉仕で
造られたとか・・・。
若い命と軍用機、やるせない思いがします。
いつも有難うございます。
特攻隊員のことを思うと胸が痛みます。
軍国主義教育を受け、将来は自分も軍人となって
お国のために死ぬことに疑いもなく育った少年は
どのように生み出されたのでしょうか。
軍部は航空兵不足の解消のため、新聞やラジオを
通じ、まだ徴兵年齢に達しない15歳の少年たちに、
飛行学校への入学を呼びかけていた。
だがそれでも、なかなか志願者が集まらないことに
いら立ち、全国の旧制中学校に飛行予科練の志願者
を割り当て、ノルマを達成するよう学校に圧力をかけたのだった。
その結果、学校は軍部と協力して生徒たちを洗脳し、
自ら志願させるように仕向ける手段をとるのだった。
人間魚雷「回天」、人間ロケット爆弾「桜花」、そして
「零戦」で散華した人たちに誰が罪を・・・。
答えを出せない、出さない問題も何故・・・。
いつか理解できる時が来るでしょうか。
コメント有難うございました。