決定版「軽症うつ」を治す
著者 森下 克也 診療内科医・医学博士
うつは、薬に頼らずゆっくり治せばいい。最近、うつっぽいかもと思ったら読む本です。
1.「軽症うつ」とはどんな病気か
★外部環境からのストレスという社会的側面
職場の担当者の協力を得るなどして改善していかなければなりません。上司に知られると評価が悪くなる、体裁が悪い、などと考え、つい体調の悪いことをひた隠しにしてしまうようなことが起こりますが、これは心理的なプレッシャーを増し、自分を追い込むだけなので止めなければなりません。産業医、上司、保健師など、使える人材はなんでも使って、「軽症うつ」に至った現状が続かないようにします。
★ストレス耐性の弱さという心理的側面
病前性格の問題と言っていいでしょう。性格は変えられないと思われがちですが、そんなことはありません。もちろん、生来持っている人格構造を極端に変えることはできませんが、その構造の上に乗っかかっている思考のプロセスは変えることができます。そのことによってストレス対処能力を高めていきます。
★不定愁訴という身体的側面
一般の精神医療の中で捉えられるような、「軽症うつ」の単なる付随物ではありません。これは、身体のケアから入って「軽症うつ」を改善していくという意味で、「軽症うつ」を身体病として捉えるということもあります。
2.世の中は「軽症うつ」に満ちている
★「できるひと」ほど要注意
「軽症うつ」にかかりやすい人は、生真面目で完璧主義、凝り性で融通が利かないというものでした。
組織の中では疑うべくもなく仕事熱心な「できる人」です。「あの人に任せておけば安心」「仕事をするために生まれてきたような人」そういう言葉が周囲から挙がります。これが執着性格である。
そして、その人たちは、「できる」ように見えても案外「できない」のです。
この「できない」を掘り下げると、それは、「気がすまない」です。「どうしても皆からよく思われたい」など、これらの性格の人は、数限りない「気がすまない」に埋もれて日々の仕事をこなしている。
「気がすまない」は、一見仕事を遂行するポジティブなエネルギーのように見えても、実はそうではないのです。
この正体は一言で言えば、自己満足です。そもそも「完璧」などありえません。悲壮な面持ちで完璧を期そうとしている人を見ていると、あたかもフルマラソンをスタートから全力疾走しているかのようです。
続くはずがありません。仮に定年まで勤め上げるとして、仕事はそこに至る長距離走です。途中で歩を緩めたり、給水したり、前を走る人の背中に隠れて風を避けるなどしていかないと、走りきれるものではありません。
3.「軽症うつ」は身体の病気でもある
★心と身体の関係について
精神医学では、うつは心の病気です。「軽症うつ」もしかりです。ここであえて身体の病気として捉えていきたいと思います。
うつ病では、腰痛や頭痛、肩こり、便秘など、身体症状を併発することがよくあります。これは、従来の精神医学の考えでは、たまたま付随したものに過ぎません。心の問題とは何の関係もない、あくまで内科や精神外科の問題です。
なぜそういうふうに考えてしまうのかと言うと、そもそも西洋医学は心と身体はまったく別のものであるとする心身二言論に立っているからです。腰痛は腰の骨や筋肉の問題、便秘は腸の問題というふうに、各臓器固有のトラブルとして捉えます。
心の問題はどうしても切り離されるのです。
だから、患者さんがいくら便秘や胃痛を訴えても、精神科医は下剤や胃痛を処方するだけで、それをうつと関連付けて考えることはありません。
この考え方でいくと、身体症状が精神症状に何らかの影響を及ぼすという相互関係はありえません。しかし、それは間違っています。精神症状と身体症状は、互いが影響を及ぼし合う関係にあるのです。
心の状態は身体に反映され、身体の状態は心のあり様に影響を及ぼします。これを心身相関と言います。
★心と身体は、自律神経を橋渡しにして相互に影響し合っているのです。自立神経には二種類あります。
活動状態のときに働く交感神経と、休眠状態のときに働く副交感神経です。
交感神経は心の緊張にともなって優位となり、ストレスに立ち向かう態勢を作ります。いっぽう、副交感神経は身体をリラックスさせてくれる自立神経です。
★通常の反応では、「脳→臓器」という一方通行の反応が優位です。しかし、病的な状態になると、「臓器→脳」という逆の反応が強くなります。たとえば過敏性腸症候群という病気があります。これはストレスによって下痢、便秘、腹痛、腹部膨満感などを呈する病気です。(内臓知覚過敏)
★「軽症うつ」の身体症状
眠れない、喉の異物感、胸の圧迫感、息苦しい、手足のしびれ、動機、めまい、便通異常、吐き気など、医者の言う「異常ありません」は当てにできない。「軽症うつ」の身体症状は摑みどころがありません。
過重なストレスが自立神経のバランスをくずす。
★東洋医学では健康と病気をこう考える
この医学では「気」は「血」と「水」とワンセットで考えます。
これを「気血水理論」と言います。
まず、健康とは、これら三者が滞りなく循環し、それぞれがバランスよく身体の隅々にまで過不足なく巡っている血液も含みますが、自律神経や内分泌ホルモン系も広い概念です。
「血」の病的な状態は二つです。全身または局所において不足した状態がお血(けつ)です。お血が頭部の筋肉に起きれば筋緊張性頭痛に、肩から背中に起きれば肩こりに、腰の筋肉に起きれば腰痛に、目の下の皮膚に起きればクマに、女性の骨盤内に起きれば生理不順や痔になります。
「水」は血と同様に気の力によって身体を巡っている赤くない液体の総称です。リンパ液、細胞外液、尿、浸出液等、水の滞った病的な状態を水滞といいます。この症状を水毒といい、吐き気、めまい、耳鳴り、立ちくらみ、むくみ等があります。
★抗うつ薬でかえって悪化する身体症状はあくまで派生的なもので、精神状態が改善すれば自動的に治っていくものという位置付けでしかありませんので無理もないのかもしれません。セロトニンやノルアドレナリンなど、脳内の神経伝達物質を正常化することだけに注目しているのです。
さまざまな患者さんを診ていますと、身体が心に影響を与えるというのはやはりあることだと思います。
「一日中頭が働かない」「朝眠くて仕方がない」「吐き気や下痢がひどい」「倦怠感が取れない」、これらは抑うつ症状としての訴えでなく、抗うつ薬や精神安定剤を服用している間にしばしば聞かれるもので、薬の影響を強く疑わせるものです。
薬の悪影響の最たるものが副作用です。「口が渇く」「排尿困難」「便秘」「吐き気」「嘔吐」「眠気」「ふらつき」「集中力の低下」「心臓の機能低下」などです。
これらは結果として「軽症うつ」の身体症状を悪化させ、不快や不安などの感情刺激となって脳に影響するのです。
また、長期間にわたって抗うつ薬や精神安定剤を飲んでいる人で、気力も体力もみなぎって充実している人というのにはまずお目にかかりません。これらの薬は、東洋医学でいうところの「気」、特に「後天の気」を削いでしまうようなところがあるように思います。どこか生気が足りない、薬によって元気を奪われてしまっているように見えるのです。
薬を止めるに止められない厄介な問題が「依存」です。いい加減な情報も多々ありますが、依存が恐いというのは事実です。
とくに注意しなければならないのは精神安定剤です。精神安定剤の服用を急に止めようとすると、不安、不眠、筋肉痛、手足の震え、頭痛、吐き気、味覚や視覚の異常などの離脱症状が出現します。
そのつらさから逃れようと、また服用を重ねてしまい、結局、薬を止められないということに陥ってしまうのです。
パニック障害では、発作のたびに薬を服用していくうち、いつしか薬なしでは日常生活が送れなくなってしまうことも珍しいことではありません。
日本では精神安定剤を医者が気軽に使い過ぎており、日本のベンゾジアゼピン系薬剤の使用量は年間十八億錠を超え、群を抜いて世界一です。フランスは二億錠、オランダは一億錠です。これは人口を鑑みないと正確な比較にはなりませんが、いずれにしろ多いということに変わりはありません。
薬がないと日常生活を送れないというのは、健康な人間のあり方ではありません。服薬により、たとえ抑うつや不安が一時的に解消されても、何ら根本的な解決にはなっていないのです。心の底に常に恐怖感を抱えながら日々を過ごすことに、真の平穏はありません。
患者さんがこれらの不安を訴えても、医者は「そうは言っても薬は必要なので飲んでください」と言って強く薬をすすめようとします。西洋薬のすべてが悪いわけではありません。それが不可欠な病態も存在します。
しかし「軽症うつ」に関しては、全面的に向精神薬に頼ってしまうと身体症状を悪化させ、自らよくなっていくという芽を摘んでしまうのです。
抗うつ薬や精神安定剤はできるだけ使わない努力をし、使ったとしても必要最小限にとどめ、身体症状の改善、生活リズムの調整、運動など、別の方法を模索するようにすべきです。
著者 森下 克也 診療内科医・医学博士
うつは、薬に頼らずゆっくり治せばいい。最近、うつっぽいかもと思ったら読む本です。
1.「軽症うつ」とはどんな病気か
★外部環境からのストレスという社会的側面
職場の担当者の協力を得るなどして改善していかなければなりません。上司に知られると評価が悪くなる、体裁が悪い、などと考え、つい体調の悪いことをひた隠しにしてしまうようなことが起こりますが、これは心理的なプレッシャーを増し、自分を追い込むだけなので止めなければなりません。産業医、上司、保健師など、使える人材はなんでも使って、「軽症うつ」に至った現状が続かないようにします。
★ストレス耐性の弱さという心理的側面
病前性格の問題と言っていいでしょう。性格は変えられないと思われがちですが、そんなことはありません。もちろん、生来持っている人格構造を極端に変えることはできませんが、その構造の上に乗っかかっている思考のプロセスは変えることができます。そのことによってストレス対処能力を高めていきます。
★不定愁訴という身体的側面
一般の精神医療の中で捉えられるような、「軽症うつ」の単なる付随物ではありません。これは、身体のケアから入って「軽症うつ」を改善していくという意味で、「軽症うつ」を身体病として捉えるということもあります。
2.世の中は「軽症うつ」に満ちている
★「できるひと」ほど要注意
「軽症うつ」にかかりやすい人は、生真面目で完璧主義、凝り性で融通が利かないというものでした。
組織の中では疑うべくもなく仕事熱心な「できる人」です。「あの人に任せておけば安心」「仕事をするために生まれてきたような人」そういう言葉が周囲から挙がります。これが執着性格である。
そして、その人たちは、「できる」ように見えても案外「できない」のです。
この「できない」を掘り下げると、それは、「気がすまない」です。「どうしても皆からよく思われたい」など、これらの性格の人は、数限りない「気がすまない」に埋もれて日々の仕事をこなしている。
「気がすまない」は、一見仕事を遂行するポジティブなエネルギーのように見えても、実はそうではないのです。
この正体は一言で言えば、自己満足です。そもそも「完璧」などありえません。悲壮な面持ちで完璧を期そうとしている人を見ていると、あたかもフルマラソンをスタートから全力疾走しているかのようです。
続くはずがありません。仮に定年まで勤め上げるとして、仕事はそこに至る長距離走です。途中で歩を緩めたり、給水したり、前を走る人の背中に隠れて風を避けるなどしていかないと、走りきれるものではありません。
3.「軽症うつ」は身体の病気でもある
★心と身体の関係について
精神医学では、うつは心の病気です。「軽症うつ」もしかりです。ここであえて身体の病気として捉えていきたいと思います。
うつ病では、腰痛や頭痛、肩こり、便秘など、身体症状を併発することがよくあります。これは、従来の精神医学の考えでは、たまたま付随したものに過ぎません。心の問題とは何の関係もない、あくまで内科や精神外科の問題です。
なぜそういうふうに考えてしまうのかと言うと、そもそも西洋医学は心と身体はまったく別のものであるとする心身二言論に立っているからです。腰痛は腰の骨や筋肉の問題、便秘は腸の問題というふうに、各臓器固有のトラブルとして捉えます。
心の問題はどうしても切り離されるのです。
だから、患者さんがいくら便秘や胃痛を訴えても、精神科医は下剤や胃痛を処方するだけで、それをうつと関連付けて考えることはありません。
この考え方でいくと、身体症状が精神症状に何らかの影響を及ぼすという相互関係はありえません。しかし、それは間違っています。精神症状と身体症状は、互いが影響を及ぼし合う関係にあるのです。
心の状態は身体に反映され、身体の状態は心のあり様に影響を及ぼします。これを心身相関と言います。
★心と身体は、自律神経を橋渡しにして相互に影響し合っているのです。自立神経には二種類あります。
活動状態のときに働く交感神経と、休眠状態のときに働く副交感神経です。
交感神経は心の緊張にともなって優位となり、ストレスに立ち向かう態勢を作ります。いっぽう、副交感神経は身体をリラックスさせてくれる自立神経です。
★通常の反応では、「脳→臓器」という一方通行の反応が優位です。しかし、病的な状態になると、「臓器→脳」という逆の反応が強くなります。たとえば過敏性腸症候群という病気があります。これはストレスによって下痢、便秘、腹痛、腹部膨満感などを呈する病気です。(内臓知覚過敏)
★「軽症うつ」の身体症状
眠れない、喉の異物感、胸の圧迫感、息苦しい、手足のしびれ、動機、めまい、便通異常、吐き気など、医者の言う「異常ありません」は当てにできない。「軽症うつ」の身体症状は摑みどころがありません。
過重なストレスが自立神経のバランスをくずす。
★東洋医学では健康と病気をこう考える
この医学では「気」は「血」と「水」とワンセットで考えます。
これを「気血水理論」と言います。
まず、健康とは、これら三者が滞りなく循環し、それぞれがバランスよく身体の隅々にまで過不足なく巡っている血液も含みますが、自律神経や内分泌ホルモン系も広い概念です。
「血」の病的な状態は二つです。全身または局所において不足した状態がお血(けつ)です。お血が頭部の筋肉に起きれば筋緊張性頭痛に、肩から背中に起きれば肩こりに、腰の筋肉に起きれば腰痛に、目の下の皮膚に起きればクマに、女性の骨盤内に起きれば生理不順や痔になります。
「水」は血と同様に気の力によって身体を巡っている赤くない液体の総称です。リンパ液、細胞外液、尿、浸出液等、水の滞った病的な状態を水滞といいます。この症状を水毒といい、吐き気、めまい、耳鳴り、立ちくらみ、むくみ等があります。
★抗うつ薬でかえって悪化する身体症状はあくまで派生的なもので、精神状態が改善すれば自動的に治っていくものという位置付けでしかありませんので無理もないのかもしれません。セロトニンやノルアドレナリンなど、脳内の神経伝達物質を正常化することだけに注目しているのです。
さまざまな患者さんを診ていますと、身体が心に影響を与えるというのはやはりあることだと思います。
「一日中頭が働かない」「朝眠くて仕方がない」「吐き気や下痢がひどい」「倦怠感が取れない」、これらは抑うつ症状としての訴えでなく、抗うつ薬や精神安定剤を服用している間にしばしば聞かれるもので、薬の影響を強く疑わせるものです。
薬の悪影響の最たるものが副作用です。「口が渇く」「排尿困難」「便秘」「吐き気」「嘔吐」「眠気」「ふらつき」「集中力の低下」「心臓の機能低下」などです。
これらは結果として「軽症うつ」の身体症状を悪化させ、不快や不安などの感情刺激となって脳に影響するのです。
また、長期間にわたって抗うつ薬や精神安定剤を飲んでいる人で、気力も体力もみなぎって充実している人というのにはまずお目にかかりません。これらの薬は、東洋医学でいうところの「気」、特に「後天の気」を削いでしまうようなところがあるように思います。どこか生気が足りない、薬によって元気を奪われてしまっているように見えるのです。
薬を止めるに止められない厄介な問題が「依存」です。いい加減な情報も多々ありますが、依存が恐いというのは事実です。
とくに注意しなければならないのは精神安定剤です。精神安定剤の服用を急に止めようとすると、不安、不眠、筋肉痛、手足の震え、頭痛、吐き気、味覚や視覚の異常などの離脱症状が出現します。
そのつらさから逃れようと、また服用を重ねてしまい、結局、薬を止められないということに陥ってしまうのです。
パニック障害では、発作のたびに薬を服用していくうち、いつしか薬なしでは日常生活が送れなくなってしまうことも珍しいことではありません。
日本では精神安定剤を医者が気軽に使い過ぎており、日本のベンゾジアゼピン系薬剤の使用量は年間十八億錠を超え、群を抜いて世界一です。フランスは二億錠、オランダは一億錠です。これは人口を鑑みないと正確な比較にはなりませんが、いずれにしろ多いということに変わりはありません。
薬がないと日常生活を送れないというのは、健康な人間のあり方ではありません。服薬により、たとえ抑うつや不安が一時的に解消されても、何ら根本的な解決にはなっていないのです。心の底に常に恐怖感を抱えながら日々を過ごすことに、真の平穏はありません。
患者さんがこれらの不安を訴えても、医者は「そうは言っても薬は必要なので飲んでください」と言って強く薬をすすめようとします。西洋薬のすべてが悪いわけではありません。それが不可欠な病態も存在します。
しかし「軽症うつ」に関しては、全面的に向精神薬に頼ってしまうと身体症状を悪化させ、自らよくなっていくという芽を摘んでしまうのです。
抗うつ薬や精神安定剤はできるだけ使わない努力をし、使ったとしても必要最小限にとどめ、身体症状の改善、生活リズムの調整、運動など、別の方法を模索するようにすべきです。
gionさん元気で何よりです私も毎日楽しい生活をと心掛けているのですが・・・。これからの課題はシンプルライフ
とも思います。本当に単純が良いんですよね。\(^o^)/
れは自己表現の仕方が気になるところです。(-_-;)
誰でも何時でも「うつ」になる要素があるという事ですね。
「えい、やあ」「まあ、いいか」がいかに大切か・・・。
とにかく自分の人生を、前向きになる何かを摑んで欲しいと思うこの頃です。本当に愛が必要かもね。(~o~)
またなりやすい人となりにくい人がいる。
納得できますね。
また気持ちの問題と「さらり」と片づけることができたらいいですね。
「これ以上自分を追い込むと危ない」という限界点があるようです。その限界点に差しかかったら、「えい、やあ」と気合を入れて自分で振り払ってしまうのが良さそうです。
仮にうつ状態に陥っていても「えいやあ」と自分を切り替えることができたらいいのですが。
どうなんでしょう?
愛や人の助けが必要なのかもしれません。
本人が生かされている愛に気づくことが一番必要ですね。