さっと

東北・秋田県南での田舎くらし

弟の日

2022-03-06 09:07:33 | 日記
弟イメージのある俳優といえば?

今日は、旧初午で、一白 大安 つちのえ・うま 星 
世界一周記念日なのだそうです。


自分に弟はいないけれども「欲しい」と思った事は無かったし、そういうふうに弟がいる設定で見ていたようないろいろなドラマでも、弟役に注視して見たことは無かったもんなぁ。

今の朝ドラの弟役は・・・桃太郎とかっていう役名で、俳優さんは・・だめだ、わかんない><

再放送の”純ちゃんの応援歌”にも、弟役が出てきますが、そこまで意識して見た事は無かったなぁ
そのほかのドラマでも・・記憶にございません。




3.11が近づくにつれて、テレビでも防災報道が増えてきています。

あの時、私は・・・・ものすごい揺れで、しかも長かったから怖かったのですが、ここ・山際に住んでいたから、津波自体は他人事でした。
職場で自家発電が始まったらパソコンでいろんな情報を見ることができるようになり、次々と流れて来る投稿動画をたくさん拝見させていただきました。
電話は、二種類の回線を使っていたので、ADSL回線につけていたビジネスフォンではない一般電話機で、こちらと連絡を取ることが出来ていました。


自宅に戻ってから、懐中電灯は電池が早く尽きるかもしれないと、蝋燭いろいろをさがしました。
仏事用の大きい蝋燭セットもあるのですが、それらを含めて、火事になるのが怖くって、結局は使いませんでした。
ボンベタイプのポータブルレンジもありましたが、すぐになくなってしまうガスの供給を考えると使うことは出来ませんでした。
プロパンガスで調理は出来ましたから、貯蔵していたレトルト袋を活用して麺類を消費しました。
暖房は、電気が不要な反射式石油ストーブがありましたが、これを寝室などのモノがあるところに持ち込むと火事が怖いので、身体・お腹と腰の部分の下着の上に面積が大きいホッカイロを張って防寒具をその上に着用したままで布団に入って眠りました。
有難いことに、お役所に通電する電線の筋にあたるところに自宅があったから、早々に電気も復旧しまして、通常勤務・・・とはいっても、ヒトの動きは通常ではなかったような気がします。

余震があって、不安感は続きました。




どういう訳なのか、記憶が混乱していて、自宅・二階にいて、住宅がマッチ箱の外側の様に頼りなく大きく長く揺れて、電気が止まったためにテレビやパソコンからの情報が入らないために、直ぐに携帯電話で大阪にいる妹に「テレビをつけてみて!!」と依頼したのですが、話が通じなくって(テレビをつけるという意味が分からないらしくって)なかなか行動に移してくれなくって、電話使用料金の関係もあって焦っていたら、ようやくテレビをつけてくれて「あら…大きな地震があったのね。マグニチュード・・・・」ということでしたから「わかった、アリガトウ!」といって即・電話を切ったような記憶もあります。


有馬のホテルで、部屋のあちらこちらから警報アラームが鳴ってすぐに大きい地震があって、テレビをつけたら大阪で、学校の塀が倒れて、おじさんと女の子の二人がお亡くなりになった事・・そして山から大阪の空港に戻る交通手段確保に苦労し、空港でも食糧が確保できなくなって、それでも、551の一定のお土産は買えて、秋田空港行きの最終飛行機に乗れたケースはさすがに、3.11とは異なるということはわかるのですが・・


山のほうにダムが出来るまでは何回か水害も経験していますし、小さい頃から沢山の自然災害を経験した人生なのですねぇ。



さて、日曜日の今日も、いつもの通勤の送りがあります。
こうやって座ってばかりいてはいけないのですが・・・

ストーブをつけていますが、それでも寒いさむい家の中です。



東京で、車いすマラソンが・・・・出発・スタートしました。

東京マラソンが・・あと、間もなく出発するそうです。

友人から電話連絡で、ゆっぷるに

そこから鍼灸治療に車から降ろしていただいて、治療後に向かったのが




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