Nonsection Radical

撮影と本の空間

カミングアウトは必要なんだろうか

2014年11月01日 | Weblog
少し前にアップルのCEOが同性愛者である事をカミングアウトして話題になったのだけど、意図はわかるとしてもカミングアウトって必要なんだろうかといつも思うんだよねぇ。
性的嗜好なんてわざわざ話さなくても構わない自由なものだと思っているんだけどね。
多数を占めると思われる異性愛者は、わざわざ「私は女(男)が好きです」ですなんて言わないんだから、同様でいいんじゃないのかなぁ。
だから「ジジイが好きです」「ババアが好きです」「ヤングが好きです」「にゃんこが好きです」「木が好きです」なんてのも言わなくてもイイと思うんだけど。
言わなくてもいいというのは否定的な事からではなく、あらゆる嗜好はマッチングすれば自由じゃないかと思うんだけど。
といいつつ、カミングアウトの背景には、そうせざるを得ない否定的社会背景が横たわっているからで、むしろそちらをの解決を問題にした方がいいのだけれど。
今回の事は、そういう社会背景の解決への提議としてなされたものらしいけど、自由への道は厳しいものなんだろうなぁ。
どうして他人の事をとやかく言うのかと不思議に思うんだけどね。
それで自分がどうなるものでもないのにね。
個人の思考なんて、それがどんなに多数を占めているとしても、単なる個人の思考でしかないので、その個人限りの限定的なものなんだよな。
だから時代が変われば、多数を占めていたと言われる思考だってすっかり様変わりするんだから。
江戸時代の人の価値観と今は全然違うし、戦前の価値観や戦後だって70年代の価値観は現在と違うしね。
そんな変わってしまう価値観に縛られてものごとを判断したって何の意味も持たないと思うんだけど。
ましてや個人の価値観で他人の事を判断するのも意味のない事だと思うんだな。
そういうことだからカミングアウトを聞いても、「で?」から”しか始まらない”んだよ個人的に。




中央通り 3
静岡県焼津市本町5丁目
撮影 2014年8月14日 木曜日 13時55分
コメント (2)
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