心ある写真家の方々が、最近「写真とは」と語るのを目にするようになった。
それはおもに写真を撮る人へ向けての”啓蒙”であり、”啓発”と言える媒体での発言なのだが、それだけ写真というものが一般大衆の価値観で見られるようになった結果の危機意識とも言えるのではないだろうか。
普通の人が写真としてイメージするのは雑誌の綺麗な景色だったり、興味のある可愛い猫などの小動物であったりで、またその手の雑誌や写真集が多く売られている。
普通の人にとっての写真の役割りはそういうものなのだ。
そしてデジカメで簡単に写真が撮れるようになり、普通の人が撮影するのは、やはりそういう興味のあるものだったりするのだ。
それだけが写真ではないんですよと言うのだが、そもそも写真というものはそういう興味の対象を写すものだと思っている人に理解してもらうのはなかなか難しい事だ。
大枠で写真とひとくくりにすると、このような”好み”の違いと言われてしまう問題になるのだけど、それは美術なんかでも同じで、日本人はやたらと印象派が好き、というようなものと同様の”問題”を抱えていると思う。
もちろん印象派が悪いという事ではなく、また”好み”の問題でもなく、そういうものしか目にしていないので絵画=印象派というイメージしか持てないという事だ。
こういう価値観の育てられ方が、写真にもあるというわけだ。
かといって、印象派のような絵を描く人ばかりがいるわけないのと同様に、写真も様々な表現形式があるということを「撮る方」が押さえておくべきだという話だ。
なぜならそういう世界を知った方が楽しいからだ。
見る方も楽しさが増すが、撮る方も世界が広がるのだ。
多様な価値観がある事を知る知的な楽しさだ。
その多様性の存在を心ある写真家はアピールしているのだ。
まあそれだけ多様性のない世界になってきたから、声を上げざるを得ない状況になって来たと言えるのだが。
その原因の一端がカメラのスペック紹介にだけ力を注いで来た業界関係者にあるのだけれどね。
一方でカメラスペックおたくを生み出して、一方で表現としての写真を語るという両輪の働きが、片方に偏った結果とも言える。
そういう点で、どこかの雑誌で見たような綺麗な景色や可愛いニャンコを撮っている人の中から、そこから飛び出して独自の世界に迷い込む人が出てくる可能性の方が高いのではないかと思うんだよね。
だってそういう人ってだいたいカメラの事にあまり興味がなくて、むしろ写っているものに対して興味を持っている傾向があって、もし視点が変われば世界も変わる可能性があると思うんだよね。
そういう変化はカメラスペックおたくには望めないもの。
そもそも写真には興味がないんだから。
そんなこんなで普通の人にとっての写真の中から、むしろ新しい視点というのが生まれてくるのではないかなと、期待はしているんだよね。
だから最近は綺麗な景色も可愛いニャンコの写真もOKに思えるようになったんだ。
そこに可能性の芽があると。
大城通り 2
東京都大田区西蒲田3,4丁目
撮影 2014年8月12日 火曜日 14時05分
それはおもに写真を撮る人へ向けての”啓蒙”であり、”啓発”と言える媒体での発言なのだが、それだけ写真というものが一般大衆の価値観で見られるようになった結果の危機意識とも言えるのではないだろうか。
普通の人が写真としてイメージするのは雑誌の綺麗な景色だったり、興味のある可愛い猫などの小動物であったりで、またその手の雑誌や写真集が多く売られている。
普通の人にとっての写真の役割りはそういうものなのだ。
そしてデジカメで簡単に写真が撮れるようになり、普通の人が撮影するのは、やはりそういう興味のあるものだったりするのだ。
それだけが写真ではないんですよと言うのだが、そもそも写真というものはそういう興味の対象を写すものだと思っている人に理解してもらうのはなかなか難しい事だ。
大枠で写真とひとくくりにすると、このような”好み”の違いと言われてしまう問題になるのだけど、それは美術なんかでも同じで、日本人はやたらと印象派が好き、というようなものと同様の”問題”を抱えていると思う。
もちろん印象派が悪いという事ではなく、また”好み”の問題でもなく、そういうものしか目にしていないので絵画=印象派というイメージしか持てないという事だ。
こういう価値観の育てられ方が、写真にもあるというわけだ。
かといって、印象派のような絵を描く人ばかりがいるわけないのと同様に、写真も様々な表現形式があるということを「撮る方」が押さえておくべきだという話だ。
なぜならそういう世界を知った方が楽しいからだ。
見る方も楽しさが増すが、撮る方も世界が広がるのだ。
多様な価値観がある事を知る知的な楽しさだ。
その多様性の存在を心ある写真家はアピールしているのだ。
まあそれだけ多様性のない世界になってきたから、声を上げざるを得ない状況になって来たと言えるのだが。
その原因の一端がカメラのスペック紹介にだけ力を注いで来た業界関係者にあるのだけれどね。
一方でカメラスペックおたくを生み出して、一方で表現としての写真を語るという両輪の働きが、片方に偏った結果とも言える。
そういう点で、どこかの雑誌で見たような綺麗な景色や可愛いニャンコを撮っている人の中から、そこから飛び出して独自の世界に迷い込む人が出てくる可能性の方が高いのではないかと思うんだよね。
だってそういう人ってだいたいカメラの事にあまり興味がなくて、むしろ写っているものに対して興味を持っている傾向があって、もし視点が変われば世界も変わる可能性があると思うんだよね。
そういう変化はカメラスペックおたくには望めないもの。
そもそも写真には興味がないんだから。
そんなこんなで普通の人にとっての写真の中から、むしろ新しい視点というのが生まれてくるのではないかなと、期待はしているんだよね。
だから最近は綺麗な景色も可愛いニャンコの写真もOKに思えるようになったんだ。
そこに可能性の芽があると。
大城通り 2
東京都大田区西蒲田3,4丁目
撮影 2014年8月12日 火曜日 14時05分