Nonsection Radical

撮影と本の空間

ニャンコだって暑いようだ

2014年07月11日 | Weblog
我が家のニャンコはナデナデされるのが大好きだが、抱っこされるのは好きじゃない。
パパリンと一緒にネンネするのはキライだが、パパリンの上に乗っかって寝るのは好き。
さすがに気温が高くなるとパパリンを敷き布団代わりに寝るのも暑いようで、箱の上など適当なところで寝ている。
それがここ数日、パパリンがベッドに寝転ぶと寄ってきて、ベッドの上で寝るようになった。
といってもパパリンと同衾するわけではなく、ニャンコ特有の距離の取り方である「微かに肌を触れ合わす」ように寝転ぶのだ。
どうしてかなぁと考えると、最近の暑さに寝る時に扇風機をつけて寝ている事が思い当たった。
つまりニャンコも扇風機の風に当たって寝ようとしているのだ。
それを証明するように、タイマーで扇風機が止まると、いつの間にかベッドから降りていつもの寝場所へ移動する。
扇風機の風は嫌いだと思っていたけど、寝苦しい夜には背に腹は代えられないという事なのだろう。
用がなくなれば、さっさとベッドから退散する。
ちょっと淋しさを感じるこの距離感が、人間相手でも、ニャンコ相手でも、ワンコ相手でも、キライではない。



商栄会通り 2
奈良県五條市須恵3,2,1丁目
撮影 2014年6月21日 土曜日 11時25分
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理研と意見

2014年07月10日 | Weblog
今日も思いつきでたわごとを書くぞ(笑)。
理化学研究所(理研)での問題っていろいろ言われているじゃないですかぁ。
いろいろとは、いろいろですよ。
で、その中で、理研の研究者ってのは、ほとんどが有期の研究者で、短期間に成果を求められる体制に問題がある、なんて事をいう人もいるようだ。
もっとジックリと時間をかけて研究するのが学問というものだ、などと旧来の大学研究機関を擁護するようにも聞こえる話なんだけど、そういう事が判断出来る立場にはいないので、いろいろな意見というのを聞いてみたいんだよね。
一度教授になれば、たいした成果を上げなくても定年までずっと教授でいられるのはおかしい、なんて話も聞くしね。
青色発光ダイオード量産の道を開いた中村修二氏なんかは、アメリカの大学へ研究の場所を求めて出て行ったけど、その話では、単に研究だけしていればいいというものではなくて、予算獲得とか明確な目標だとか達成出来ないと研究者として生き残れないとか言っていた。
また青学の福岡伸一氏は、アメリカへ研究者として渡り、ポスドクなんかを経験している。
そういう人が、理研をはじめとする日本の研究体制をどのように思っているのか訊いてみたいねぇ。
なんでも理研なんかの体制は、アメリカのシステムに近いものだとかいうし。
期限が限られているから成果を焦ったという論調に、どのような意見を持っているんだろう。
また、欧州などのシステムを経験した人も、日本やアメリカと違うところ、同じところをどのように思い、研究体制をどうすればいいと考えているんだろう。
そういう事を聞いて、シロートはそうなんだぁと思いたいんだよねぇ。




橋本駅前
和歌山県橋本市古佐田1丁目
撮影 2014年6月21日 土曜日 09時55分
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描写を選んで

2014年07月09日 | Weblog
デジタルカメラの登場で大きく変わったのは感度のとらえ方だ。
フィルムカメラの時には、感度=フィルムの種類で、感度の高いフィルムを使うと粒状性が悪くなった。
ところがデジカメになって、高感度で撮影してもフィルムよりもずっと粒状性が良くなり、挙げ句の果てにフィルム時代では考えられない高感度での描写をウンヌンするようになった。
フィルムだとASA(古すぎるよなあまりに)もとい、ISO100とかISO400のフィルムが普通で、自分で現像するような”好き者”はISO400のトライXというのが定番だったが、今このフィルムで撮影した写真を見ると、パソコンモニターで評価するシロート”画像”マニアの現在の基準では、「どうしようもない」ものとなるだろう。
今日は、紙にプリントして鑑賞する”写真”とモニターで見る”画像”の問題なんか話さない。

デジカメになって、たとえコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)であっても、フィルム時代に比べて格段にレンズも写りも良くなったのは確かなのだ。
いやいや昔のレンズの描写は・・・、フィルムの性能は・・・などとメンドクサイ話は各自が勝手にプリントを前にやってもらう事にして、もっと別の視点で考えてみようと思うのだ。
高性能のおかげでダウングレード出来る、ということに目を向けようかと。
描写にウルサイ(単にウルサイだけかも)カメラ好きの人は、おそらくカメラの設定を最大限”キレい”に写るようにしているだろう。
でも考え方を変えると、写りを悪くにも設定出来るのだ。
写りを良くするのに様々な設定があるように、写りを悪くするのにも様々な設定が出来るのではないか。
そうやって描写を変える事が出来る。
それで表現を変える事が出来る(のではないか)。
そんなのは”よこしまみち”ではないかと言う人もいるだろうが、フィルムの時だってわざと描写の粗いフィルムを使ったりとか、現像で荒らしたりしたではないか。
またワンテンカメラとか、ハーフサイズとか、インスタント写真とかの写りを「個性のある描写」などと言い換えたではないか。
それがデジカメの高性能のおかげで、意図して作り出す事が出来て、自由に描写を選んで撮影出来る時代になったのだ。
高性能のデジカメばかり追い求めるのではなく、自分の意図した描写のために低性能のデジカメを選んで使う事も出来るのだ。
画像加工によっても、様々な表現が出来る。
これを今まではどちらかというと”よこしまみち”ととらえがちであったが、もっと積極的に活用する事で、フィルム時代とは異なる写真表現の道が開けるのではと期待するぞ。
写真を「真を写す」などとレ点もないのに読み替える勘違い派を無視して、別の視点から取り組む人が増えてくれば、やたらと花を写してばかりで描写ウンヌンの”守旧派”の理解を超える表現が生まれるのではと期待するぞ。
いやきっと、従来の写真のセオリーなんか知らない「新人類(死語)」が現われて、写真を別の世界に持って行ってくれる動きがすでにあるのかもしれない。

文章の内容を考えると、まったく意味のない口絵画像であるのは勘弁してくれ、単に順番に出しているだけだから。




諫早駅前歩道橋からの街並み
長崎県諫早市永昌東町
撮影 2014年3月22日 土曜日 11時25分
コメント (2)
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OH! モーレツ

2014年07月08日 | Weblog
ラジオの天気予報で、沖縄・宮古島近辺ではモーレツな風が予想され・・・などと報じられると、NHKでもモーレツなんて言葉使うんだぁ、などとボケた事を思ってしまう。
知っているんだよ、モーレツが猛烈という漢字である事を。
でもどうしても頭の中ではモーレツというカタカナで思ってしまうんだよ。
カタカナというより、「も”ー”れつ」と伸びるイメージなんだよ。
その原因は、当然もーれつア太郎や丸善ガソリン「OH! モーレツ」なんだけど、言葉っていうのは一度イメージづくりされたら、いつまでたっても変わらない困ったものなんだなぁ。
そして発音も「もうれつ」ではなく、「もーれつ」と発するのが正しいので、いつまでたっても小川ローザのイメージから脱する事が出来ないんだよな。
まあどうであっても、現在ではモーレツなんて言葉は気象用語でしか使わない時代になってしまったという事だ。
モーレツ社員なんて死語だしね。




五条駅周辺
奈良県五條市須恵3丁目
撮影 2014年6月21日 土曜日 11時20分
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いつからそうなった

2014年07月07日 | Weblog
サンダルを探しにスポーツ店を巡ったんだけど、どうしてこうもと思うほど人が多かった。
ランニングシューズのコーナーが大きくあり、いろいろな種類の靴を買い求める人、ウェアを見る人などランニング人口が再び増えている事をうかがわせる賑わいだ。
学生だった頃、走るというのは陸上競技をする人だけがすることで、そもそもジョギングという言葉さえもなかった。
何を好き好んで走ったりするものか、という時代だ。
それがいつの間にか市民権を得ているのに時代の流れを感じる。

そして登山用品コーナーに行くと、歩くのにも苦労するほど人がいる。
山歩きをしていた20年ほど前には、登山屋さんに来るのはむさ苦しいニイちゃんばかりで、冬場になるとスキー用品を買い求める人がいたぐらいだ。
スキーだってユーミンの歌以前には、好き者がやる道楽でしかなかった。
夜行列車でぎゅうぎゅう詰めになりながら、雪国を目指した。
何を好き好んで田舎に行って坂を滑るんだ、という時代だ。
ましてや、風呂も便所もない山に何日も籠って、汚い、臭い、重い、キツい思いをして山を登らなきゃならんのだ、という時代だ。
つい最近まで、山登りといえば、ジジババの老後の暇つぶしだったではないか。
それが今では、オシャレなジョシがカラフルなウェアを買い求めているのだ。
どうしたんだ、みんな?

確かに環境が整ったという面もあるだろう。
流行という面もあるだろう。
それでもなぜ?という気持ちがある。
どうしてこの“楽しさ”を知ってしまったんだ?
苦しさの中に喜びを見いだすことを誰から教えてもらったんだ?
世の中には、楽しい事がたくさんある事を知ったのはなぜだ?
これまでは、楽しい事に苦労はいらないという時代だったのに、苦労があっても楽しい事があればやってみる、という時代に変わったのはなぜだ?
ひょっとしたら、希望の持てる世の中が来るかもしれんぞ。
前向きな意識が芽生えてきたのか?
そんなに世の中は甘くないけどさ。




堀川通から正面通へ
京都府京都市下京区門前町,丸屋町,珠数屋町,玉本町,仏具屋町,柳町,紅葉町
撮影 2014年4月13日 木曜日 12時45分
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