昨年のお盆は、月が出るほどの天候であった。
縁台に座り、月と高灯篭を見ながら、どこかの花火大会の、
花火の音を耳にしながら、過ごしたお盆であった。
月明り 高灯篭に火をともす
縁台で 高灯篭と 月を見る
こんな愚作をブログに載せたものである。
今年は、雨が降るお盆になり、
その合間に、墓参りをするというような日が続いている。
いずれにしても、農作物だけでなく、体にもカビが生えそう?。
と言っても、どうにもならない。
いずれ、天気が回復することを気長に待つしかない。
きょうは、終戦記念日。太平洋戦争開戦から75年になる。
私が生まれたのは、この開戦から3か月もたっていない1942年2月である。
したがって、戦争の記憶らしいものは何もない、と言ってよい。
しかし、今になって「そうだったのか?」と、思っているのが仙台空襲で、
遠い記憶として、私の頭に残像として残っている?
それは、母の背中でB29であろう飛行機を見た記憶がある?
不気味な爆音を響かせ、北に向かったのを・・・・・。
多分、3歳児の子供の記憶ではっきりしないが、その後の見聞した、
諸々なものが混同しての記憶となっているものと思う?
いずれ、二度とこんなことがないほうが良いに決まっている。
しかし、戦争はこちらから仕掛けなくとも戦争になる場合がある、
それが、一番怖いし、避けられないのではないか?
我が国は、これだけ繁栄した近代国家となり、
しかも、70年経過しても、戦争の傷跡が癒されず、
好んで戦争するなどと言う愚かな理屈はない。
ただ、国際情勢、特に近隣諸国を見ると、
きな臭い動きを感じないわけではない?
こんな動きを、どう見ればいいのか?
楽観的な見方をしても、空の守り、海の守りは……・・?
何か問題が起こらないうちに、対処対応をするのが、
独立国家として当り前のことでなかろうか?
戦争は嫌だ、だけでは国を守れない。
憲法を守れ、だけでは国を守れない。
永世中立の国、スイスでさえ、
徴兵制で国民皆兵の国、と言うのである。
とにかく、いざという時の準備は万全、
核シェルターの備えも、万全と言うではないか。
話は、少しそれるが、米国のある会社に、
日本からの核シェルターの注文があるという事が、ネットで見たことがある?
いずれ、終戦記念日のきょうだから、
平和とか、戦争とかを考えるのも良いのではないか。
思考停止したように≪憲法改正≫、と言うと、
議論する前に「改正反対」。
「もしものことや、危ないことに触れたがらない」お国柄?
どんなものだろうか?
、
私が生まれたのは、この開戦から3か月もたっていない1942年2月である。
したがって、戦争の記憶らしいものは何もない、と言ってよい。
しかし、今になって「そうだったのか?」と、思っているのが仙台空襲で、
遠い記憶として、私の頭に残像として残っている?
それは、母の背中でB29であろう飛行機を見た記憶がある?
不気味な爆音を響かせ、北に向かったのを・・・・・。
多分、3歳児の子供の記憶ではっきりしないが、その後の見聞した、
諸々なものが混同しての記憶となっているものと思う?
いずれ、二度とこんなことがないほうが良いに決まっている。
しかし、戦争はこちらから仕掛けなくとも戦争になる場合がある、
それが、一番怖いし、避けられないのではないか?
我が国は、これだけ繁栄した近代国家となり、
しかも、70年経過しても、戦争の傷跡が癒されず、
好んで戦争するなどと言う愚かな理屈はない。
ただ、国際情勢、特に近隣諸国を見ると、
きな臭い動きを感じないわけではない?
こんな動きを、どう見ればいいのか?
楽観的な見方をしても、空の守り、海の守りは……・・?
何か問題が起こらないうちに、対処対応をするのが、
独立国家として当り前のことでなかろうか?
戦争は嫌だ、だけでは国を守れない。
憲法を守れ、だけでは国を守れない。
永世中立の国、スイスでさえ、
徴兵制で国民皆兵の国、と言うのである。
とにかく、いざという時の準備は万全、
核シェルターの備えも、万全と言うではないか。
話は、少しそれるが、米国のある会社に、
日本からの核シェルターの注文があるという事が、ネットで見たことがある?
いずれ、終戦記念日のきょうだから、
平和とか、戦争とかを考えるのも良いのではないか。
思考停止したように≪憲法改正≫、と言うと、
議論する前に「改正反対」。
「もしものことや、危ないことに触れたがらない」お国柄?
どんなものだろうか?
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