ここ何日か、雑草刈りをしたので今日は休み。
それでも、犬の散歩と雑用ぐらい私の役割?
そんなことで、来し方を振り返る時間があった。
人生の大半を過ごし、残り少なくなると、
いろいろ思い出される。
この間、尊敬している人、師と仰ぐ方々が何人かおられた。
共通していることは「生き方が真っ当」、ということ。
肩書のある人、教養のある人、
あるいは一代で財を築いた人等々をあげる人がいるが、
果たしてどうか?
最も、このような方々を否定している訳ではない。
その様な方々は、その地位を築くまで、
並みの努力では、なかなか難しいのではないか?
そんなことを考えると、一目置かざるを得ない。
だだ、このような方々でも、汚職等で逮捕等、
せっかくつかんだ地位を、汚してしてしまうこと等、
新聞報道で目にする通りである。
そんなことから、人それぞれと思うが、
私の尊敬に値する基準は、先ず正直に生きて来たかどうか、
頭がいいとか悪いとかよりも、あの人は「真っ当に生きている」、
これで十分でないか。
二つ目は、人に好かれること、言い換えれば人に愛される人。
足が速い、字か上手とか、と言うのと同じようなもので、
その人が持って生まれたものもあるとおもう?
ある意味では、一つの才能だと思う?
もっとも、努力すれば得られないものでもない。
いずれ、人生の来し方が身体全体から醸し出される、
俄かに作ろうとしても、なし得ないように思う。
まだ、残りの人生がある、
せめて、この方々のまねだけでもしてみたい。