めざせ4万キロ 歩いて地球一周

主にウォーキングの日記(国内外・地元)

世田谷のボロ市 10km

2016-12-15 19:59:18 | 歩く

今日のウォークは歴史のある世田谷のボロ市を訪ねて
266名の参加者でした

小田急線の梅が丘駅から10分の羽根木公園集合 
9:30出発して世田谷八幡宮・豪徳寺・松陰神社をお参りして
今日初日のボロ市会場で解散というコースです

世田谷羽根木公園の空
天高く気温が低くて冷気が降りてくる朝です


世田谷八幡宮
かつては奉納相撲の勝敗によって来年の豊作・凶作を占ったり
今年の豊作を感謝したため、境内には土俵や力石がある


力石  四十八貫もある石を持ち上げたの?

毎年秋の例祭(9月15日)には東京農業大学相撲部による
奉納相撲が行われている。

世田谷線沿線を歩いているとカラフルな2両連結の
可愛い電車に会います ピンクの電車は写真を撮れませんでした


次に訪ねた豪徳寺


会員さんのお一人が世田谷の観光大使をされていらっしゃるので
豪徳寺にまつわるお話しの特別講義でした



招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に
招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを
大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという

招猫殿の横には、願が成就したお礼として、
数多くの招福猫児が奉納されています


桜田門外で水戸・薩摩の浪士らによって暗殺された
井伊直弼のお墓 墓石の高さ342cm


本堂と
直孝を始め井伊家代々の墓が並んでいます


若林にある松陰神社


明治新政府樹立に活躍した中心人物を
数多く育てた吉田松陰を祭神とした神社


昭和17年に境内に建てられた
松下村塾の模型

松陰は安政3年(1856)長州萩において松下村塾を開いて
高杉晋作、伊藤博文ら多くの子弟を薫陶し、かれらに
大きな影響をあたえたのである。
松陰は安政大獄のときに処刑された



講義室


明治41年木戸、伊藤、山県、桂、乃木などの
門弟たちが、松陰50年祭を営み
石の鳥居と石灯ろう26基を寄進した



世田谷駅から上町駅までの間に続く400年の
歴史あるボロ市に着きました IVVを頂いて自由に見物です
人の多さに圧倒されます
 カメラもなかなか向けられません




ボロ市の名の由来
 楽市として世田谷宿に開かれた市は、徳川時代になって
市町という名のもとに開かれていましたが、後に農家の作業着の
つくろいや、わらじになえこむボロが安く売られるようになって、
いつとはなしにボロ市の名が生まれました。ことにわらじをボロいっしょになうと
何倍も丈夫になるというので、農民は争って買いました。
大部分の農家にとって農閑期の夜なべのわらじ作りは、大切な
現金収入の副業だったのです。明治中頃までの市の最盛期には、
ボロ専門の店が十数件も出て、午前中にはほとんど売切れになったといいます

時代と共に変わってきて現在は食料品、玩具、装身具等が多く、
ことに植木類が多く売られています。古着類がわずかに
ボロ市の名を保っているようです



欲しいものは何もないけど歴史を知ると
見る目が変わって楽しめます
人の多いのにびっくり!

昨年は素通りした名物の代官餅を
今年は絶対食べようと意気込んだのですが
なんと2時間待ちという事で今年も残念でした!

でも近くのラーメン屋さんで最高においしい
濃厚スープの野菜たっぷりラーメンを頂き
満足して帰宅しました