こんにちは
さて、旅のつづきします…
春日山城址をあとにして、つぎは上杉謙信公が幼少の頃
学問を身に付けたといわれる林泉寺に向かいました。
この林泉寺は、1497年越後国守護代
長尾能景(ながおよしかげ)公が亡父重景(しげかげ)の
17回忌にあたり長尾家の菩提所として創建されました。
それから40年後、能景公の孫上杉謙信公は、
六世天室光育大和尚に学問を学び、さらに
十七世益翁宗謙大和尚について禅の教えを学び、
さとりを開きました
後を継いだ景勝公のときに、上杉家が会津に移封となり、
かわって越後領主となった堀家、高田城主松平越後守家、
榊原家の菩提所となり、また代々から「禁制状」を下され、
あつく保護されてきました。
また、徳川二代将軍秀忠公以来、御朱印地の寺領を拝領し、
「下馬、下乗」の札を立てる特遇も許されるなどの歴史を重ねて
現在にいたっています。
(パンフレットより)
禅寺という事で立派な三門がありました。
三門に近づくと参拝にきていた人たちのほとんどが
三門の天井をしきりに見て感心し、天井にカメラを向けていました。
不思議に思い近づいて見てみると…
三門の天井には2枚の龍の絵が描かれていてびっくり
この絵は当時のものか、あと付けのものかは定かではありませんが、
上杉軍ののぼりには「龍」と、書かれていたのを思い出しました。
さらに、三門の境内側には「第一義」と掲げられていました。
里帰り中のカオリンファミリーと合流し美味しい海鮮が
食べれるレストランを教えてもらう事となっていたため
春日山城址の駐車場にて待ち合わせました。
暑い中、赤ちゃんと一緒に家族総出で外出していただき
ありがとうございました。
(スッタフのOさん、里帰り中)
…つづく
さて、旅のつづきします…
春日山城址をあとにして、つぎは上杉謙信公が幼少の頃
学問を身に付けたといわれる林泉寺に向かいました。
この林泉寺は、1497年越後国守護代
長尾能景(ながおよしかげ)公が亡父重景(しげかげ)の
17回忌にあたり長尾家の菩提所として創建されました。
それから40年後、能景公の孫上杉謙信公は、
六世天室光育大和尚に学問を学び、さらに
十七世益翁宗謙大和尚について禅の教えを学び、
さとりを開きました
後を継いだ景勝公のときに、上杉家が会津に移封となり、
かわって越後領主となった堀家、高田城主松平越後守家、
榊原家の菩提所となり、また代々から「禁制状」を下され、
あつく保護されてきました。
また、徳川二代将軍秀忠公以来、御朱印地の寺領を拝領し、
「下馬、下乗」の札を立てる特遇も許されるなどの歴史を重ねて
現在にいたっています。
(パンフレットより)
禅寺という事で立派な三門がありました。
三門に近づくと参拝にきていた人たちのほとんどが
三門の天井をしきりに見て感心し、天井にカメラを向けていました。
不思議に思い近づいて見てみると…
三門の天井には2枚の龍の絵が描かれていてびっくり
この絵は当時のものか、あと付けのものかは定かではありませんが、
上杉軍ののぼりには「龍」と、書かれていたのを思い出しました。
さらに、三門の境内側には「第一義」と掲げられていました。
里帰り中のカオリンファミリーと合流し美味しい海鮮が
食べれるレストランを教えてもらう事となっていたため
春日山城址の駐車場にて待ち合わせました。
暑い中、赤ちゃんと一緒に家族総出で外出していただき
ありがとうございました。
(スッタフのOさん、里帰り中)
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