今朝、冷たくなっていました。
たった4日間だったけど、色んなことを体験させてくれました。
私自身、乳幼児のころ、脱水症状などで何度も死にかけているので、
その時、母やお医者さんは、こうやって看病してくれたんだろうな、
そのお陰で今があるんだなと感じさせてくれたり、
自分の無力さを、あらためて受け入れるしかなかったり…。
名前は『楽(らく)』とつけていました。
生れてすぐに、こんなに苦労しているから、後はただ楽しく、ラクに生きてくれればいいと思ってつけました。
でも一向に病状がよくならない。
日ごとにぐったりして鳴かなくなりました。
点滴してもらってたけど、どんどん痩せて、
何も口にしないのでお薬入りのシロップをスポイドでやり、
体温が低いので(通常は39度なきゃいけないのに35度8分)ペットボトルにお湯を入れ、
タオルで巻いて湯たんぽにして体を温めたけど回復せず。
下痢止めも効かず脱水症状はひどくなり、ここ2日は目も腫れ、目やにで瞼がくっいて開かなくなり…。
頭を後ろにそらせて、口を大きく開けて呼吸している姿が不思議で先生に尋ねると、
「鼻がつまっているから口で呼吸しているのでしょうが、ネコが口で呼吸する時は、相当苦しいんですよ…。なんとか1週間もってくれれば…。」
とおっしゃいました。
でもどうにもしてやれなかった。頑張れと声をかけるしかなかったけど、何としても命を助けて下さいと祈ることもしませんでした。
そう、『らく』には『らく』の都合がある。
生き延びることが、幸せでない時もある。
それを決められるのは、私じゃない…。
だから、ただひたすら、『らく』にとって最善がなされますようにと、天にお願いするばかりでした。
そして今日こういう別れがやってきて、またしても人の手の及ばない【宿命】を思い知らされた気がします。
そうと知っていても、【自我】は悲しみ後悔する。自分を責める…。
もっとして上げられることがあったのではないか…。
この体験を今後にどう生かしていくのか、ただ、感じていればいいだけなのか…。
そんなこと考える必要もないのか…。
ただ一つ確かなことは、
(こんな辛い思いをしたから、もう2度とネコは拾わない!)
と、心を閉じる方向に行ってしまうことだけは、してはならないことなのだろうということ。
どんな出会いにも体験にも感謝すること。
そしてどれだけ、その瞬間瞬間に、【今】に存在出来ていられたかということが大切なのだと、あらためて思いました。
その点で、私はまだまだ十分ではなかったと思わざるをえません。
もっと全身全霊で『らく』のそばにいて、出来ることがあったかもしれないのに、
色んな理由をつけて辛いことから目を背けようとしてた気がします。
でもそれが今の私の【器量】でもあります。
今は自らの人間としての器の小ささを認めて、ただ受け入れる。そしてこの先いつか、もっと大きな器の私になれていたらいいなと思います。
☆ ☆ ☆
楽くんへ。
楽くん、たった4日間だけど、一緒にいてくれてありがとう。
時間を大事にしなきゃいけないってこと、気を散らせて無駄に過ごしちゃいけないってこと、あらためてよく分かりました。
お母さんをさがして、ずっと鳴いていたんだよね。今は遭えましたか?
君を見つけた時、凄い勢いで駆け寄ってきて足にくるくるまとわりついて来ましたね。
なのに、私は育てる勇気がなくて、その時は家に連れて帰ってあげられませんでした。私にも捨てられた(拒否された)と思ったよね。
ごめんなさい。
でもやっぱり気になってそれから半日後に、今度は飼う決意で捜しに出かけ、やっと見つけた時には、
炎天下を何時間も歩き回ったせいか、疲れてボロボロになっていましたね。
通りがかる人々にどんなに近寄って行っても、誰も拾い上げてくれなくて、
心底悲しくなってしまっていたのかもしれません。
そのまま、私に心を開いた感もなく、(とても体がしんどかったせいもあるのでしょうが)ついに旅立ち…。
今は呼吸もお腹も楽になり、幸せでいると願っています。
すごく悲しいよ。でもとても感謝しています。
ありがとう。本当にここに来てくれて、私と過ごしてくれてありがとう。
そしてこれを読んで下さり、シェアして下さった方々すべてにもお礼申しあげます。
ありがとうございました。
☆ ☆ ☆
たった4日間だったけど、色んなことを体験させてくれました。
私自身、乳幼児のころ、脱水症状などで何度も死にかけているので、
その時、母やお医者さんは、こうやって看病してくれたんだろうな、
そのお陰で今があるんだなと感じさせてくれたり、
自分の無力さを、あらためて受け入れるしかなかったり…。
名前は『楽(らく)』とつけていました。
生れてすぐに、こんなに苦労しているから、後はただ楽しく、ラクに生きてくれればいいと思ってつけました。
でも一向に病状がよくならない。
日ごとにぐったりして鳴かなくなりました。
点滴してもらってたけど、どんどん痩せて、
何も口にしないのでお薬入りのシロップをスポイドでやり、
体温が低いので(通常は39度なきゃいけないのに35度8分)ペットボトルにお湯を入れ、
タオルで巻いて湯たんぽにして体を温めたけど回復せず。
下痢止めも効かず脱水症状はひどくなり、ここ2日は目も腫れ、目やにで瞼がくっいて開かなくなり…。
頭を後ろにそらせて、口を大きく開けて呼吸している姿が不思議で先生に尋ねると、
「鼻がつまっているから口で呼吸しているのでしょうが、ネコが口で呼吸する時は、相当苦しいんですよ…。なんとか1週間もってくれれば…。」
とおっしゃいました。
でもどうにもしてやれなかった。頑張れと声をかけるしかなかったけど、何としても命を助けて下さいと祈ることもしませんでした。
そう、『らく』には『らく』の都合がある。
生き延びることが、幸せでない時もある。
それを決められるのは、私じゃない…。
だから、ただひたすら、『らく』にとって最善がなされますようにと、天にお願いするばかりでした。
そして今日こういう別れがやってきて、またしても人の手の及ばない【宿命】を思い知らされた気がします。
そうと知っていても、【自我】は悲しみ後悔する。自分を責める…。
もっとして上げられることがあったのではないか…。
この体験を今後にどう生かしていくのか、ただ、感じていればいいだけなのか…。
そんなこと考える必要もないのか…。
ただ一つ確かなことは、
(こんな辛い思いをしたから、もう2度とネコは拾わない!)
と、心を閉じる方向に行ってしまうことだけは、してはならないことなのだろうということ。
どんな出会いにも体験にも感謝すること。
そしてどれだけ、その瞬間瞬間に、【今】に存在出来ていられたかということが大切なのだと、あらためて思いました。
その点で、私はまだまだ十分ではなかったと思わざるをえません。
もっと全身全霊で『らく』のそばにいて、出来ることがあったかもしれないのに、
色んな理由をつけて辛いことから目を背けようとしてた気がします。
でもそれが今の私の【器量】でもあります。
今は自らの人間としての器の小ささを認めて、ただ受け入れる。そしてこの先いつか、もっと大きな器の私になれていたらいいなと思います。
☆ ☆ ☆
楽くんへ。
楽くん、たった4日間だけど、一緒にいてくれてありがとう。
時間を大事にしなきゃいけないってこと、気を散らせて無駄に過ごしちゃいけないってこと、あらためてよく分かりました。
お母さんをさがして、ずっと鳴いていたんだよね。今は遭えましたか?
君を見つけた時、凄い勢いで駆け寄ってきて足にくるくるまとわりついて来ましたね。
なのに、私は育てる勇気がなくて、その時は家に連れて帰ってあげられませんでした。私にも捨てられた(拒否された)と思ったよね。
ごめんなさい。
でもやっぱり気になってそれから半日後に、今度は飼う決意で捜しに出かけ、やっと見つけた時には、
炎天下を何時間も歩き回ったせいか、疲れてボロボロになっていましたね。
通りがかる人々にどんなに近寄って行っても、誰も拾い上げてくれなくて、
心底悲しくなってしまっていたのかもしれません。
そのまま、私に心を開いた感もなく、(とても体がしんどかったせいもあるのでしょうが)ついに旅立ち…。
今は呼吸もお腹も楽になり、幸せでいると願っています。
すごく悲しいよ。でもとても感謝しています。
ありがとう。本当にここに来てくれて、私と過ごしてくれてありがとう。
そしてこれを読んで下さり、シェアして下さった方々すべてにもお礼申しあげます。
ありがとうございました。
☆ ☆ ☆