日頃、思っている事を書き並べたら長くなってしまいました。
ホントの事故原因はなんだろう???
お店にクルマが突っ込んだり、道路を逆走したり、多くは高齢者ドライバーのようですが、高齢のせいにするのは本質ではないような気がして、考えてみました。
アイサイト、オートライト・・・・ひいてはATまで。
「ドライバーの負担を減らして、その分他の安全向上にドライバーは注目する。」
そう言う考え方で装備される技術が多くなってきた。
多分、事故ゼロの自動運転を目指しての途中経過の技術をオプションや標準装備で搭載しているのだろう。
そんな中、偏見も含まれるが高齢者の事故の報道が増えている。
この考え方で、ドライバーの負担が減った分、本当にドライバーは他の安全向上に注目しているのか???
アイサイトは実際の統計データで、アメリカ市場での事故死亡率は約50%、事故死亡率の低い日本市場でも、死亡率は約10%低い数値を持っていると発表された。
さらに、アイサイトの有無により、人身事故が約61%減、追突事故84%減と、自動化安全技術の証明と、SUBARU Lab所長の柴田氏は語っている。
少し意地悪?かもしれないが、アイサイトで安心して事故を起こしてしまったケースは無いか?ごくわずかか? わからない。
いずれにしても、最大の課題は、
「ドライバーの負担が減った分、本当にドライバーは他の安全向上に注目しているのか???」
ドライバーの負担軽減装備が、本当にどの程度ドライバーの安全運転に寄与しているのか??? 高齢者ドライバーも含めて。
また、「ドライバーの負担が減った分、特に操作系で返ってドライバーの頭の中で混乱したり、注意散漫になっていないか???
日本人を想定すると、ホントはドライバーの負担が減ると、その分「不注意」になっているのではないか???
つまり、私が注目する「漫然暗転」につながっていないか???
カーメーカーが安全の為によかれ、お客さんに買ってもらうために良かれと思って設計し装備している事が、本当に安全性向上に寄与しているのか???という疑問だ。
有名になったプリウスのシフトレバーは、操作が簡単で、未来感があってユーザーにアピールするかも知れないが、ユーザーの操作心理まで考えると安全性が高いと言えるのだろうか???
操作系の変更には慣れというか習熟が必要なのではないか???
高齢者の事故が目立って報道されるが、高齢者の場合操作系の変更に対する習熟には時間がかかるだろう。
操作しやすいはずのものが、頭の中では整理されず混乱してしまっているとは考えられないか???
また、操作が簡単になると「漫然運転」につながらないか???
自動車の運転には命がかかっている。つまり、人がドライバーの限り、厳重な注意の上に行われなければならない。
そう言う意味では、全部を信号機のない交差点にした方が、かえって事故率が低くなるのではないか??? (クルマの流れは悪くなる。)と想像する。
つまり、よりドライバーが注意するから。
こう考えると、今のクルマはスマートキーで、ワンプッシュでエンジンがかかりレバーやボタンでギヤがはいり、スタートしてしまう。
他の事考えながらでも、クルマは簡単にストレスなく動く。
つまり、安全運転とはドライバーが良い意味のだろう運転(「かもしれない運転」というそうだが、一般化していないので。)をすべきで、これから起こる先を頭で予測する、つまりいつも運転に集中し考えることが大切で、ドライバーを楽な状態にすることが安全運転につながるのか???という疑問だ。
「人は本能として、楽な方に流される」
ドライバーの運転負担を楽な方にすればするほど「漫然運転」につながっていかないか???
「ヘッドライトを薄暗くなってもつけないドライバーが多くて事故につながるから(薄暮時の事故率は高いらしい)、オートライトにすれば事故は減る。」という考え方。
なるほどオートライトにすれば薄暮時の事故率は低くなるかもしれない。
しかし、その分「漫然運転」につながるのでは???
道路の状況などで、対向車にLEDの眩しい光で幻惑を与えていても、我関せずで走り抜ける。
実は、LEDライトも明るいので安全の為に良いと言われているが、ホントにあそこまで明るさは必要なのか?
暗い道でのヘッドライトの光量不足での事故と対向車に幻惑されて起こる事故とどちらがどうなのかという問題だ。
(お役所の方々には机上で、今の面前の状況だけで考えるのでなく、三現主義で実際のところを知って、つまりマーケティングして法制化してほしい。)
薄暮時の事故率を低くするには、解決策はオートライトでなく、「薄ぐらくなりそう、点灯しなきゃ」とドライバーに認識させることを考えることではないか???
認識するためには、常時緊張して注意深く運転しなければならない。ドライバーは疲れるのだ、いや疲れなきゃオカシイ。
勿論、人間のいい加減な判断に頼っているから事故がおきるのだ。
よって、全てITなりなんなりが人のいい加減な判断をしないように、代行してくれればいい。
つまり、完全自動運転になれば、ITのバグやフリーズがない限り、事故は起きないだろう。
(ちなみに、IT関係はフリーズしたりするのは当たり前で、ユーザーはそれを前提にして利用しろと造り手は言っている。バックアップを取れと。しかしクルマに対してはそんな話しでいいのか? これからもずっと少なくともIT関係の設計者はフリーズは当たり前と思って設計していくのだろう。 つまり、フリーズしたりすることは無くならない。これを解決するには、カーメーカーのような安全をよく考えてきたメーカーの設計の考え方を共有することだと思う。)
ドライバーを楽にする目的で、車両販売が目的で、さらに事故を減らす目的で装着される装備は、相反してよりドライバーを「漫然運転」に向けていくのではないか???という疑問をかんじているのだ。
自動運転なんてまだまだ遠い先の技術だ。
安全運転の為には、まだまだドライバーの完璧な注意が必要なのだ。
その為には、人の命を預かる運転をするのだという自覚が必要なのだ。
ある意味、覚悟を持って運転するドライバーでないと運転してはダメなのだ。
そう言う意味では、運転免許証の与え方にも大きな課題がある。
経済事情からみると、馬鹿でもチョンでも運転出来ないと収入が途絶えたり経済が回らなくなる。
これはこれで大切なことだ。(それを技術で救いたと考える事も大切だ。)
だが、自動車の事故という観点では、「馬鹿でもチョンでも運転」では困る。
よって、運転免許証というのがあるのだが、これがザル過ぎるのではないかと思う。
まず、「運転スキル」。
たとえ教習所を満点で卒業して運転免許証を持っても、その多くは公道ですぐに流れに乗って運転できないという現実がある。
だから初心者マークがあるというのは何となくわかるが、これはよく考えるとおかしな制度だ。
初心者マーク(一年)の間でも事故はこまるので、トロトロ走ったりいきなり急ブレーキを踏むから周りのドライバーにそれらを許してやってくれという印ということなのか?
公道で事故につながりかねない運転をしながらでも運転させて、運転が上手くなっていくことを期待しているのだろうが。
それは程度モノだが、運転免許証を与えるハードルが低すぎるということを意味していないか???
ハードルを上げることは、お役所が大変で自分自身の苦労につながるので避けたいだろうが、そこを考えるのが役所の仕事ではないか???
(役所は仕事を取り違えていないか???)
雨の日のカーブでは滑るので速度を落とせというが、どこまで落としていいかドライバーはわからない。
先のクルマがこの速度で走ったから自分も大丈夫かと思って突っ込んだら滑った。ということも多いはずだ。
バランスの取れた乗用車と、硬いタイヤをつけて荷物をのせているクルマ、また重心高の高いクルマとでは、自ずと安全に走行できる速度は変わる。
バランスの取れた乗用車でも、ドライバーが想定するより少し高い速度で突っ込んだり前のクルマのブレーキランプがついたりして、慌てなくていいのに慌ててブレーキを踏むというスキルの低さでは事故は防げない。
たとえ教習所で運転スキルをもっと高いレベルで教えて卒業させても、日本の公道では特に法規だけでなくマナーが必要だが、
そういう「運転意識、運転マナー」はどうするのか???
つまり、安全運転にはスキルはまず必要だが、それだけではダメでマナーや運転者の自覚が必要なのだ。
ドアミラーに斜め後ろからクルマが来ている場合は、それを知らせるマークが出るクルマがある。
確かについうっかりを防ぐには、有効だと思う。
しかし、それに頼ってミラーを見ないでそのマークの注意喚起だけで運転するとどうなるか???
勿論、カーメーカーはいざという時を考えて責任逃れはしている。
車線を読み取ったり自動でハンドリングしてくれるものも一般化してきたが、最後はまだハンドリングはドライバー責任になっている。
ドライバー責任と言っても、毎回毎回自動でハンドリングしてくれれば、ドライバーは人間なので責任を忘れてしまう。
そんなときに、何かの原因で自動でハンドリングしなくなるとクルマは突っ込む。
ドライバー責任をうたう限りそれが「漫然運転」につながってはダメなのだ。
自動運転に関しては途中の中途半端な技術、未完成の技術は、「漫然運転」につながるのではないか???
(ラジオ~白黒テレビ~カラーテレビ~ハイビジョン~4K,8K。この進化は途中の技術でもそれぞれの段階で楽しめたが。)
事故を無くすには、途中の技術をドライバーに与えるより、「ついうっかり」を無くす方向の技術開発に向かう事だと思う。
つまり、人の命を預かるクルマの運転は、メンドウで疲れるものの方が、事故は少なくなるのではないか。
もう一つ。
最近のクルマのブレーキはチョイ踏みですごくよく効く。
となると、少し心にすきが出て、早く走ったり、ブレーキ操作が遅れる、またギリギリまで踏まなくても大丈夫となる。
それだと、少しブレーキの効かないクルマに乗り換えたら事故を起こしてしまう。
(レーサーはエンジンやシャシーが良くてもブレーキが効かないと速く走れない。)
私は、あえてブレーキの効かないクルマに乗っていたことがある。
その時は、良い意味のだろう運転で早め早めのブレーキになる。
(だろう運転とかもしれない運転という?異なる言葉が二つ並ぶと一般的に理解しにくい。どちらも想像運転自体は肯定している。役所の机上の資料的にはスッキリとするが。)
急な飛び出しがあっては困るので、そういうような道路ではスピードを控えクルマのブレーキの効く範囲での速度で走ることになる。
それでも、急な飛び出しは予見しきれないので、非常に慎重な運転になる。
後続のクルマにはマナー的に迷惑なことだが、事故は起こさない。
ブレーキが効きすぎるのも、事故という観点からは良し悪しかもしれないと言いたい。
役所が表面的な調査結果で対策を机上で検討し、話が通っていれば問題ないという人達の数を背景に、法制化することはやめて欲しい。
またカーメーカーも「安全が一番」というが、クルマの進化方向は「お客さんに購入してもらえる方向」に、また「責任逃れの方向」にずれていないだろうか???
事故を起こしにくい運転と新技術の在り方を考えていきたい。