クルマは日本の基幹産業と言われ、その需要は高度成長とともに大きく膨らみ、それに応えるべくメーカーはハードを一生懸命造った(私もその一人だった)。
当初は、失敗の連続だったと聞いている。
クルマのボディがモノコック構造になって、ボディのフロアー部分、横側部分、天井とバラバラに鉄板プレスで作って、組み上げ溶接して所謂ホワイトボディとなるのだが、ご想像とおり、これらが無理矢理でも溶接してしまえる範囲でなく、大幅に20mmとか30mmとかズレたりした。
ドアのような蓋物はさらに難しかった。
エンジンは直ぐオーバーヒートしたり、ドアガラスを上下さすレギュレーターを回していたら、ガラスがドアの中に落ちたり、寒いところでラジェーターの水が凍ってラジェーターが割れて走り出したら溶けて水が抜けてしまったが、寒すぎて空冷で走れたとか、今では笑い話だ。
こういう基本的なことをクリヤーしていき、今度は軽量化とか省力化などの一段進んだことがテーマになり、鉄板を薄くしたり、簡単な工数で作れるようにしたり、サビないようにステンレスを使ったり、どんどん工夫を続けた。
技術テーマは一つクリヤーしたらまた次と絶え間なく、開発者をいじめているのではないかと思う位、次々と発生していた。
しかし、今では私達世代の努力で、20万キロ30万キロ、20年30年も走りきる位、基本的な耐久品質は向上し、ほぼ壊れなくなり、同様に操作性や衝突安全性など・・クルマのハードは大変進化した。
しかし、クルマの究極と言われる自動運転は騒がれているだけで、まだまだ時間はかかるだろう。
クルマのハードだけではどうしようもない領域がありそれをクリヤーしなければならない。
現実は、ペダル踏み間違いと言われているが、暴走し、駐車場から飛び降りたり路面店に突っ込んだり、まるで映画のシーンのようなことが起こっている。
ハードがそれほど進化していないときは、あまりこういうニュースは無かったように思う。
中途半端なハード進化(自動化)が引き金になっているように思えて仕方ない。
MT→AT、ハンドブレーキのスイッチ化、ABS,TCS,・・・。
ちょっとだけ自動化技術は、確かに人のスキルに頼った操作を減らし免許証を取り立ての運転が未熟な人でも運転できる様に、またストレスを感じにくく楽に運転できるようにと進化してきたが、それはひょっとして、安易に電子レンジのスイッチを押すような感覚で、注意散漫な運転を助長してしまっているのではないか?
ちょっとだけ自動化技術や運転サポート技術は、かえってドライバーの運転に対する注意力を下げてしまっているのではないか? というのが私の言い分だ。
そんな中で、オートライト機能が義務化されたが、これはいったいどういうことなのか? 考えてみたい。
点灯タイミングが良くない、つまり暗くなってきても中々点灯しないクルマの事故率が高いというのが主な理由らしい。
お役所は自動化するのにネガティブなことはコスト以外はないと軽く考えているのではと思ってしまう。
ユーザーは、グレードの高い車種、またオプションで選ぶような装備が最初から標準でついてくることになりウェルカムと思っているかもしれないが、ホントにそう考えて良いのか?
カーメーカーにとれば、必ずコストはその分上がっているので、どこかコストダウンするか、売値を上げるしかない。
企業努力という言葉でカーメーカーが飲み込めるほど、自動車は儲かる商売でなくなっている。
ただ、カーメーカーは見かけの商品力が上がるので歓迎だろう。
ライト自動化で私がネガティブと考えることは、ドライバーがライトスイッチに触れる機会が少なく無くなってしまうことだ。
つまり、ライトスイッチを触る「癖」「習慣」が殆ど無くなってしまうこと。
日本の道路は狭く、またそこを通行するのに人、自転車など混合している。
ヘッドライトには走行ビーム(ハイビーム)、すれ違いビーム(ロービーム)とあり、車両は普通は走行ビームで走る事となっている。これを話題性としてモータージャーナリストの方々が取り上げ、なるべく走行ビームで走るべきと発信されている。勿論、間違いでないが、もう少し突っ込んで考えていただきたいところだ。
現実の走行を考えると、地方の明かりの少ない道路や山道などでは、確かに走行ビームで走ることが安全運転につながるが、それでもたまに反対車線にクルマが来るときはすれ違いビームにしなければ、相手のドライバーを幻惑してしまう。特に、最近のLEDライトではたまらんでしょう。
街中の狭い一車線の混合交通の道路では走行ビームで走ることは反対車線のドライバーを幻惑し、事故につながってしまう。
(一部の自動的に走行ビームと相手の幻惑を考えてすれ違いビームに切り替える装備もあるが、万能ではない)
また、すれ違いビームでも、反対車線のドライバーを幻惑してしまう場合が街中走行には多くある。
特に、最近のLEDライトは「なんだ眩しいな」ですまない。強烈に眩しくホント幻惑状態に陥る。
例えば、踏切などは線路がカーブなどで一段とたかくなっているとこがある。
クルマが、線路の手前で停止するとき、また超える時には、クルマの前が上向きになり、反対車線のドライバーをすれ違いビームでさえ、幻惑してしまう。踏切でなく道路のアップダウン、坂道もそうだ。
こういう時は、臨機応変にスモールライトにしたいところだ。
それがマナーにならなければオカシイ。
何を言いたいかというと、ヘッドライトスイッチに触れる機会が走行中には多々あるのに、全てのクルマをオートライト化してしまうと、スイッチに触れる「習慣」が無くなっていくということ。
それは、今のクルマのヘッドライトの光量は凄すぎるので、反対車線のドライバーなどを幻惑してしまうことを意味しているということ。
結果的に、オートライト化は、ドライバーが状況にかかわらず、つまりボケっとしていて相手ドライバーのことなど考えるにも及ばずとなってしまうのではないかと懸念している。
(現実的に普段クルマを走らせていて実感する)
また、ライトくらい、自分でスイッチ入れないと、運転を安易に気配りや注意無しで運転してしまうのではないか。
暗くなる前に、ライトを点灯することが「カッコイイ」「わかっている人」と思われるようなプロモーションがあってもいい。
つまり、緊張をともなった運転でなく、漫然とした運転になるのではないか。
電子レンジのスイッチを入れればあとは温めてくれるという感覚で、漫然と運転してはじめてしまうのではないか。
それで予期せぬことが起こると、緊張していないからびっくりして、動転して、アクセルを踏んでしまうのではないか。
つまり、アクセルとブレーキを踏み間違えている事は間違いない事だが、正確に言うと漫然とした中で起こるから動転してしまう事が本質ではないか?
クルマは、家電のようにスイッチ一つで動かせることを良しとしてはいけないと思う。
自動車の自動化は100%自動化の技術が完成して初めて販売して出来るのではないか?
途中のステージ何とかで、販売してはいけないのではないか?
運転免許証はもっているとはいうものの、飛行機のパイロットのように「訓練」されたプロではない人達がユーザーという事も忘れてはいけない。
運転する時は、最大の注意をはらうようにさせなければならないのだ。
一旦停止で止まったか止まってないかで、取り締まってもなんの解決にもならない。
ただ、技術開発はその途中でも販売して、臨床試験と同じような事を繰り返さないと進化が遅くなり、しかも費用もかかり、極端な話、メーカーは開発しなくなるということもありえるかもしれない。