繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

モータージャーナリスト的ネタ ①オートライト

2022-01-29 17:11:03 | 日記

 

 

クルマは日本の基幹産業と言われ、その需要は高度成長とともに大きく膨らみ、それに応えるべくメーカーはハードを一生懸命造った(私もその一人だった)。

当初は、失敗の連続だったと聞いている。

クルマのボディがモノコック構造になって、ボディのフロアー部分、横側部分、天井とバラバラに鉄板プレスで作って、組み上げ溶接して所謂ホワイトボディとなるのだが、ご想像とおり、これらが無理矢理でも溶接してしまえる範囲でなく、大幅に20mmとか30mmとかズレたりした。

ドアのような蓋物はさらに難しかった。

エンジンは直ぐオーバーヒートしたり、ドアガラスを上下さすレギュレーターを回していたら、ガラスがドアの中に落ちたり、寒いところでラジェーターの水が凍ってラジェーターが割れて走り出したら溶けて水が抜けてしまったが、寒すぎて空冷で走れたとか、今では笑い話だ。

 

こういう基本的なことをクリヤーしていき、今度は軽量化とか省力化などの一段進んだことがテーマになり、鉄板を薄くしたり、簡単な工数で作れるようにしたり、サビないようにステンレスを使ったり、どんどん工夫を続けた。

技術テーマは一つクリヤーしたらまた次と絶え間なく、開発者をいじめているのではないかと思う位、次々と発生していた。

 

しかし、今では私達世代の努力で、20万キロ30万キロ、20年30年も走りきる位、基本的な耐久品質は向上し、ほぼ壊れなくなり、同様に操作性や衝突安全性など・・クルマのハードは大変進化した。

しかし、クルマの究極と言われる自動運転は騒がれているだけで、まだまだ時間はかかるだろう。

クルマのハードだけではどうしようもない領域がありそれをクリヤーしなければならない。

 

 

現実は、ペダル踏み間違いと言われているが、暴走し、駐車場から飛び降りたり路面店に突っ込んだり、まるで映画のシーンのようなことが起こっている。

 

ハードがそれほど進化していないときは、あまりこういうニュースは無かったように思う。

中途半端なハード進化(自動化)が引き金になっているように思えて仕方ない。

MT→AT、ハンドブレーキのスイッチ化、ABS,TCS,・・・。

 

ちょっとだけ自動化技術は、確かに人のスキルに頼った操作を減らし免許証を取り立ての運転が未熟な人でも運転できる様に、またストレスを感じにくく楽に運転できるようにと進化してきたが、それはひょっとして、安易に電子レンジのスイッチを押すような感覚で、注意散漫な運転を助長してしまっているのではないか?

ちょっとだけ自動化技術や運転サポート技術は、かえってドライバーの運転に対する注意力を下げてしまっているのではないか? というのが私の言い分だ。

 

そんな中で、オートライト機能が義務化されたが、これはいったいどういうことなのか? 考えてみたい。

 

点灯タイミングが良くない、つまり暗くなってきても中々点灯しないクルマの事故率が高いというのが主な理由らしい。

 

お役所は自動化するのにネガティブなことはコスト以外はないと軽く考えているのではと思ってしまう。

ユーザーは、グレードの高い車種、またオプションで選ぶような装備が最初から標準でついてくることになりウェルカムと思っているかもしれないが、ホントにそう考えて良いのか?

カーメーカーにとれば、必ずコストはその分上がっているので、どこかコストダウンするか、売値を上げるしかない。

企業努力という言葉でカーメーカーが飲み込めるほど、自動車は儲かる商売でなくなっている。

ただ、カーメーカーは見かけの商品力が上がるので歓迎だろう。

 

ライト自動化で私がネガティブと考えることは、ドライバーがライトスイッチに触れる機会が少なく無くなってしまうことだ。

つまり、ライトスイッチを触る「癖」「習慣」が殆ど無くなってしまうこと。

 

日本の道路は狭く、またそこを通行するのに人、自転車など混合している。

ヘッドライトには走行ビーム(ハイビーム)、すれ違いビーム(ロービーム)とあり、車両は普通は走行ビームで走る事となっている。これを話題性としてモータージャーナリストの方々が取り上げ、なるべく走行ビームで走るべきと発信されている。勿論、間違いでないが、もう少し突っ込んで考えていただきたいところだ。

 

現実の走行を考えると、地方の明かりの少ない道路や山道などでは、確かに走行ビームで走ることが安全運転につながるが、それでもたまに反対車線にクルマが来るときはすれ違いビームにしなければ、相手のドライバーを幻惑してしまう。特に、最近のLEDライトではたまらんでしょう。

街中の狭い一車線の混合交通の道路では走行ビームで走ることは反対車線のドライバーを幻惑し、事故につながってしまう。

(一部の自動的に走行ビームと相手の幻惑を考えてすれ違いビームに切り替える装備もあるが、万能ではない)

 

また、すれ違いビームでも、反対車線のドライバーを幻惑してしまう場合が街中走行には多くある。

特に、最近のLEDライトは「なんだ眩しいな」ですまない。強烈に眩しくホント幻惑状態に陥る。

 

例えば、踏切などは線路がカーブなどで一段とたかくなっているとこがある。

クルマが、線路の手前で停止するとき、また超える時には、クルマの前が上向きになり、反対車線のドライバーをすれ違いビームでさえ、幻惑してしまう。踏切でなく道路のアップダウン、坂道もそうだ。

こういう時は、臨機応変にスモールライトにしたいところだ。

それがマナーにならなければオカシイ。

 

何を言いたいかというと、ヘッドライトスイッチに触れる機会が走行中には多々あるのに、全てのクルマをオートライト化してしまうと、スイッチに触れる「習慣」が無くなっていくということ。

それは、今のクルマのヘッドライトの光量は凄すぎるので、反対車線のドライバーなどを幻惑してしまうことを意味しているということ。

 

結果的に、オートライト化は、ドライバーが状況にかかわらず、つまりボケっとしていて相手ドライバーのことなど考えるにも及ばずとなってしまうのではないかと懸念している。

(現実的に普段クルマを走らせていて実感する)

また、ライトくらい、自分でスイッチ入れないと、運転を安易に気配りや注意無しで運転してしまうのではないか。

暗くなる前に、ライトを点灯することが「カッコイイ」「わかっている人」と思われるようなプロモーションがあってもいい。

 

つまり、緊張をともなった運転でなく、漫然とした運転になるのではないか。

電子レンジのスイッチを入れればあとは温めてくれるという感覚で、漫然と運転してはじめてしまうのではないか。

それで予期せぬことが起こると、緊張していないからびっくりして、動転して、アクセルを踏んでしまうのではないか。

つまり、アクセルとブレーキを踏み間違えている事は間違いない事だが、正確に言うと漫然とした中で起こるから動転してしまう事が本質ではないか?

 

クルマは、家電のようにスイッチ一つで動かせることを良しとしてはいけないと思う。

自動車の自動化は100%自動化の技術が完成して初めて販売して出来るのではないか?

途中のステージ何とかで、販売してはいけないのではないか?

運転免許証はもっているとはいうものの、飛行機のパイロットのように「訓練」されたプロではない人達がユーザーという事も忘れてはいけない。

運転する時は、最大の注意をはらうようにさせなければならないのだ。

一旦停止で止まったか止まってないかで、取り締まってもなんの解決にもならない。

 

ただ、技術開発はその途中でも販売して、臨床試験と同じような事を繰り返さないと進化が遅くなり、しかも費用もかかり、極端な話、メーカーは開発しなくなるということもありえるかもしれない。


EVの普及の難しさ。バッテリーも大変。

2021-10-26 11:52:49 | 日記

ニュースに出ていたが、LGの車載バッテリーが相次ぐ火災の原因とされて、リコールの届出をして対応(無償交換)しているらしい。

LGバッテリーは、韓国車だけでなくVWやGMのEVにも搭載されていて、大変な量と金額になっている。

当然、新車を生産している中でのリコール対応で、造っても造ってもバッテリー不足という事らしい。

 

EVにおいて、その発電方法ではCO2の排出を出来るだけ少なくという事に各国注意しなければ元も子もないという課題とバッテリー価格があった。

さらに航続距離と充電時間も課題だ。

発電は国によってマチマチだ。

例えば、日本は原発への風当たりが強くて、石油石炭等CO2排出から見れば悲惨な発電状況といえる。

バッテリー価格は韓国、中国などのメーカーが頑張り相当下がっていると聞いている。バッテリー価格は定価なぞなく、時価というかネゴというか、需給だけでは決まらないことが多いそうだ。

コロナワクチンの購入でも見られたが、日本人の苦手とするところだ。

 

そんな中、一番恐れられていた課題はバッテリーからの発火だ。品質が悪ければどんなにコストが安くても話にならない。

品質/コストは製造業の生命線だが、こちらは日本が得意とするところだ。

日本のパナソニックなどのバッテリーメーカーに頑張って欲しい。

 

あとは、日本の発電状況をどう解決していくか、こちらは政治に頑張ってもらわないと、日本でEVはすんなりいかないだろう。

 

最後は、製造コストだ。

現状のような高コストでは売価が高くなり、永遠に政府の補助金(税金)を出し続けなければならない。

日本の全てのメーカーがEVにおいて提携してモーターからタイヤまで走る曲がる止まるという機能は同一で造り、ボディのデザインの部分だけでメーカー差を出すという取り組みはどうかなと。

それでも、コストはそんなに下がらないか。

 

いずれにしても、EVは内燃機関のようにすんなりとはいかない、つまりそんなに置き換えはすすまないということは確かだろう。

 

 


「私の愛車遍歴」第16回「左ハンドル・ミニ」 

2021-05-05 10:27:31 | 日記

最後まで、愛車遍歴を書こうと思いたち、今回は「左ハンドル・ミニ」

ホンダの先輩から「私のミニに興味ないか」と問われ、即答「あります」と答え、トントン拍子にその「左ハンドルミニ」は私のとこにきた。

そのミニは先輩がオーストリアでレストア済?の66年式ミニを購入し日本に送り車検をとって乗っていたものだった。会社内ではちょっとした噂になっていた、というのも程度はもちろん良かったのだが、何しろ「半レーシング仕様」になっていた。ロールバーから、シートとフルハーネスベルト、エンジンのハイカム化まで、ジムカーナにすぐ出られる代物だった。

その噂を聞いていたので、二つ返事で譲ってもらった。しかも、価格は先輩価格で価格と言えるほどの金額でなかった。

名義変更などは元ホンダマンの後輩が自動車屋をやっていたのでお願いし、一緒に引き取りに行った。

その後輩もなかなかその左ハンドルのミニをみて関心した。なぜ左ハンドルかというと元はオーストリアだったからだ。日本では左ハンドルミニは珍しかった。

ただ、ミニは元々イギリスの車だったので右ハンドルだが、ヨーロッパ大陸は左ハンドルだ。だから右左の作り分けは簡単にできるようになっていた。

つまりアンダーフロアなどが同じで、ハンドルとペダルアッシーは簡単に左右ハンドルに合わせて組み付けられるようになっている。メーターはセンターだからそのままだ。センターメーターにはそういう意味もあった。ちなみに、ビートルはメーターとグローブボックスでやり取りを簡単にしていた。

そのレーシング仕様のミニを公道で走らすにはちょっと大変だった。

まず、乗り込むのが大変。フルバケットシートなので本来ハンドルを取らないと乗り込めないくらいだった。またそのベルトはフルハーネスなために装着に時間がかかった。やっとセンターにあるイグニッションキーを回すとエンジンは簡単にかかるが音がすごくアイドルはばらつく。アイドル回転を上げるしかなかった。

走り出しは、強化クラッチでドンとつながる。す〜っと静かに走り出すのは無理だ。しかもエンジントルクは最低3500rpmくらいからでないとトルクが出ない。排気量は確か160ccくらいだったが、そのトルクで強化クラッチでドカンと発進する。一人のときは良いが隣に奥さんが乗ると注意しているとはいえ首がガクンとなる。

その後、なるべくす〜っと加速しようと思っても、なんだかガクンと加速する。これはセナ足が要求された。どうもアクセルワイヤーの先の取り付けがスロットル軸に近いようだ。

隣の奥さんは首が鍛えられた。

最初は奥さんも喜んで乗っていたが、色も薄ブルーで可愛かったので、その後、だんだんと横に乗らなくなった。

太いロールバーが室内に入っていたので、後ろの席に入れなかった。つまり、シートはついているが乗れなかった。それどころか後ろのウインドが拭けなかった。つまり、ロールバーで後ろへのアクセスが全くだめだったのだ。

それでも、楽しくドライブしたこともあった。最初は近場の荒川沿いの秋ヶ瀬公園まで行ったりしていたが、かかりつけとなってしまったミニショップから、清里でミーティングがあると聞き、前泊で参加した。行きの中央道では制限速度の80km/hあたりで走ったが、凄まじい音と振動だった。横にのっていた奥さんは、クルマがバラバラになるんじゃないかと冗談半分で言っていたが、私は真剣だった。油温水温などのメーター類は正常を示していた。しかし、4時間ほどかかって清里に到着した。

前泊は費用の関係もあり、ちょっと若いとは思ったが、まだ残っていたペンションに泊まった。移動日もその日も晴れていて、林の中のペンションの早朝は気持ち良かった。しかも、泊まっている人達はミニのミーティングに参加する人たちが多く、外の駐車場にはいろんな色にカラーリングされたミニが並んでいて、自分達のミニと比べたり、ミーティング前にすでに盛り上がった。

朝食をすませ、会場へ行くとそれこそいろんな色や形のミニかいて、楽しく見て回った。当然ソフトクリームを食べ、お昼を食べてそろそろ帰るかとなった。

ミーティングで知り合った人たちに挨拶をすませ、会場をあとにして走り出して5分ほどしたら、エンジンの調子が悪くなった。

路肩にクルマを停めて、かかりつけのミニショップへ電話した。フロートが溢れていたので、相談すると「とにかくバラして再組すると治る場合があると聞いた」。私は工具は何も持っていなかったので、なんとか会場に戻り先程知り合った人に工具を貸してほしいとお願いした。もちろん貸してはもらえたが「66年式のクルマで工具もなしに遠出するなんて無謀」と言われた。確かにそうだと納得した。フロートへいくガソリンホースもだめだったので、困ったが、周りで見ていた人が「あるよ」とくれた。

ありがたくいただいた。

フロートを再組し、エンジンかけると気持ちよくかかった。

皆さんに、お礼を言って再出発した。調子のいい間に帰りたかったが、東京までの道のりは遠い。そのドキドキ感は、私には耐えられたがメカオンチの奥さんには耐え難い恐怖だったようだ。

帰ってから、二度と乗らないと宣言された。

この経験に様々なことが重なり、最後は離婚後遺症の金欠もあり、このクルマを楽しむのは私一人かと思うと、手放すしかないなと思うようになった。

しかし、先輩から譲ってもらったものだし、先輩は言わなかったが、私なら長く乗ってくれると期待していたと思うし、しかも66年式というビンテージ領域の車だし、なんとか乗り続けたいと思っていたがとうとう手放す決断をした。

ミニショップへ持っていったが、足元を見られたのか、非常に安い価格だった。私も元々安く買っているので仕方ないと思えた。

この後、黄色いデルソルはネットで販売し、元々乗っていたBMW3は処分に近い形で下取りしてもらって、またBMW3を個人でなく家のクルマとして買った。しかし、直6の味が忘れられない私の好みからだった。奥さんは、ピンクパール500台限定の特別色ボディカラーが気に入った。

しかし、これは後になって近所に意外と生息していてがっかりした。

 

 


クルマは楽しいか?

2021-02-19 17:11:28 | 日記

昔は、クルマの楽しさといえばだたいブッ飛ばすことにあった。

運転免許証を取ってすぐの若者はブッ飛ばし、事故率も高かった。

「速さ」は私の自動車図鑑(自動車 解剖マニュアル (まなびのずかん) | 繁 浩太郎 |本 | 通販 | Amazon)の最後にも書いてますが、2~3歳の子供をプラスティックのおもちゃのクルマに乗せて、ゆるい坂道を下らせると、声をあげて大喜びします。それで、何回ももう一回もう一回とねだってきます。

つまり、人間の歩く速さより速く動くものに対して本能的に「楽しい」のではないでしょうか。

 

やはり、人間は本能的にスピードが好きなんでしょう。

リニアモーターカーもその速さで盛り上がります。、

しかし、20年近く前から、若者はブッ飛ばさなくなったようだし、リニアモーターカーは新幹線ができた時代より盛り上がらないように思えます。

 

どうも、もう「速さ」は、そんなに注目されることもなくなったし、勿論楽しさのコアにもならないようです。

 

クルマの新しい楽しさ基準は「速さ」ではないでしょう。

 

クルマから「速さ」という価値観を奪うのは昔だとクルマの存在そのものを否定することになりかねませんが今だとそういうことでもなさそうです。

 

だいたい、道路インフラは、ドイツのアウトバーンでも速度無制限区間は大変少なくなってきました。

200km/h程度の高速で走るクルマは少なくなってきましたし、250km/hや300km/hというさらなる高速で走りたいという人は少ないと思います。

だいたい飛ばすと、燃費が悪くなるし環境にもよくありませんし、200km/hの高速なんて、人間の操作限界かもしれません。

カーメーカーも最高速度競うようなクルマは造らなくなってきました。売れないということですね。

 

だから、昔の価値観である速度でクルマをきっても、そこからクルマの楽しさはでません。

 

今どきのクルマの楽しさってなんでしょうか???

 

私はホンダにいる時に、ずいぶんと前ですが、これからのクルマの楽しさとして、ポケベルで待ち合わせ(ホント随分と前だ)、みんなで一つのクルマに乗りワイワイと楽しみながらカラオケに行くというイメージビデオを若手社員を出演者として手作りしました。(クルマは楽しさの対象でなく楽しさの為の道具だというビデオ)

これを、偉い人達にプレゼンして時代が変わっている事を伝えようとしたのですが、「クルマは自分で運転して走るから楽しいに決まっているだろう」の一言で、せっかくの手作りビデオはお蔵入り。

 

先日テレビで旧車30年乗っている人を取材する番組があり観ました。

そのオーナー達は勿論高齢者で、クルマも古すぎるのですが、スピードでなく散歩するようにクルマを走らせて「楽しんで」います。

私が80年代の中にビートル買った理由もそれでした。

旧車は老いぼれ老人と同じで、またオーナーも高齢者で・・・というある意味特殊事情がありますが、この辺りが新しい時代のクルマの楽しさをさぐるヒントになるのではと思います。

 

今どきの若い人は、運転が下手でスピードが上がると怖がります。(タックインなんて説明すると「なんでそこまでして速く曲がらないといけないの」ときます。)

パトカーの運転手は私世代のあこがれでした。いくらスピード出しても捕まりませんしね。

しかし、今どきのパトカーの運転手は高速で追っかけて捕まえるのが怖いというのを聞いたことがあります。

また、今どきの若い人は、コンプライアンス遵守意識も高く、公道の最高速度表示は本当に最高速度ととらえています。

よって若い人は制限速度以下で走ります。私の若い時とは全く異なります。

 

私の時代はA地点からB地点までどれだけ速くいったかが価値観となり友達に自慢しましたが、今は「そんなの意味ないじゃん」で終わってしまいます。

 

ただ、そういう人達も適度なスピードで風をきって走るクルマに爽快感を感じています。

 

今のクルマは高速まで快適に走れることを目標に造ってきましたが、結果「走り感」をなくしてきたように思います。

 

より低速で「走り感」を具現化すれば、クルマのスピード化に価値観の無い今どきの若い人たちにも「クルマは楽しい」といってもらえるかもしれません。

今どきの若い人の中でも旧車に興味を持つ人が増えてきているのは一つの価値観の兆候であるかもしれません。

 

昭和から平成の時代はスピード化の価値観から燃費の価値観に変わった時代でしたが、それらをふまえて今後令和は「ロースピードの時代」がきているのではと思っています。

 

多くのモータージャーナリストの方々がEVの走りを旧来の価値観で評論されているのをみて、なぜもっと新しい今後の社会の価値観でみれないのかな?と思います。

たとえばEV単体の商品力が上がって人々が買い始め多数になったら、日本の発電はこまり、さらにCO2も。

そんな日本でなんでEVなんだ? 多くのユーザーの人達はそう思っているでしょう。

 

EVはハードの評価だけでは語りつくせません。

そこにカーメーカーの事情や都合、さらに国が重なると複雑になってきます。

 

それらをモータージャーナリストは解きほぐして、ユーザーに示すことが大切なのかもしれません。

 

その評価でカーメーカーもクルマの新しい楽しさに気づき、それに対応したハードを造るようになると次世代の楽しいカーライフが始まると思います。

 

 

 


私のホンダ記録 Vol.2

2021-02-05 16:34:44 | 日記

前回のバラードの部品設計が終わって、二代目アコードのインパネチームに配属になりエアコンの吹出口となるアウトレット、インパネ本体前面から幅広くゆるくエアコンの風を出すための薄っぺらいエアーダクト、インパネアンダーカバーなどを担当した

図-1 エアコンの吹出口となるアウトレットと薄く幅広いアウトレット

 

入社後一年足らずだったが、多くの部品を任された。当時ホンダは急成長の真っ只中で人が足らなかったのだ。中途採用なら入社後一ヶ月も経てばベテランと言われた。

和光研究所の設計室は講堂のような広い場所にドラフターがズラッと並ぶという見たことのない景色だったが、そのドラフターの林の中を他の設計者との調整のために私は走り回っていた。

いわゆるホンダ独特の「ワンフロアー」だ。これは本田最高顧問の考えで「上下フロアーを階段やエレベーターで移動となると、どうしても億劫になり、コミュニケーション不足なりやすい。」という理由だった。

実際ワンフロアーは室課をまたいで見通せるので腰が軽くなった。

なぜ、そんなに調整が必要になるかといえば、ホンダは平行開発組織だったのだ。

エンジンや開発に時間のかかるものを除いて、ほぼ全ての部品の設計(作図)が同時スタートなのだ。普通は順を追って設計すると思うのだが。

設計者同士の調整不足のまま図面を描いてしまうと部品同士が干渉したり組み付かなかったりしてしまう。そうなった時は、すぐに設変して部品を造り直す。「走りながら考えろ」とよく言われた。全く慌ただしい設計室だった。

時代的にも高度成長期で「世はスピード時代」とも言われて、今とはスピード感が全く異なる。

 

さて、私の担当のアウトレットは、フィンを挟んだ風向調整つまみがあるデザインだ。

フィンはプラスチック製で薄いので、つまみを上下さすとグニャグニャする。また、左右方向の操作はカシャカシャとなり調整しにくい。

当時のアウトレットの主流はフィンとケースが一体になっていてケースごと動かして風向を変える通称「グリグリ」というものが多かった。

図2 グリグリ(フィンとケースが一体で風向調整はケースを動かす)

図3 フィン独立形式(風向調整はフィンだけが動く。ケースは固定。)

 

グリグリ式にしてくれないかと、デザイン担当に頼みに行ったら、「このインパネは平等院の鳳凰堂をイメージしている。繊細でありながら質感の高いものでないといけない。・・・」

とひとしきり講釈(デザインへの思い入れ)を聞かされて渋々設計室に戻った。

悩んだ時の基本は、「他車はどうしてる?」。

本などで色々と探すとなんとBMWの5シリーズのアウトレットとほぼ同じデザインじゃないか! 

デザイナーもなんだかんだと言っても真似てるじゃないか。

その構造を見るために実車を探しあて、つまみを操作してみると、至極しっかりとしていた。なんとフィンがダイキャスト(金属)製だったのだ。そりゃしっかりしているはずだ。しかし、当然プラスチック製よりコストは大幅高になる。

BMW5シリーズと当時の二代目アコードでは価格が違いすぎる。どう考えても、フィンをプラスチック製からダイキャスト製には出来ない。

困っていたら、泣きっ面に蜂のように、社長が急にきて試作車に乗ったらしく、その際に「このアウトレットのシャカシャカはなんだ! もっと水飴のようにネットリと動かないものか」と左脳系の設計者にはわかりにくい指摘をしたのだ。

何いってんだ、「コストを考えたからプラスチック製のフィンにしていて、同じプラスチック製のつまみではシャカシャカとなるのは当たり前」そんなこともわからんのかと頭にきた。

しかし、先輩は「社長はあるべき姿を言っていて、それに向かって努力するのが我々でしょ、どれ位考えたの?」など言われたが、とにかくもっと考えろという事だった。

その時から、「水飴フィーリング」という言葉に悩ませ続けられた。

悩むと悪知恵が働いた。

コストで出来ないフィンのダイキャスト化を、社長指摘の水飴フィーリングと一緒に解決できたら、コストアップもゆるされるかもしれない。

フィンがダイキャストになってしっかりするとそれにつまみがしっかりと食いつけばいい。

ただ食いつくのでなく、旋盤のベッドと往復台の合わせのように三角で合わせればうまくいくかもしれない。

図4 旋盤のベッド移動構造(3角面で受ける)

 

 

これは意外とうまくいって、この構造でパテントも生まれて始めてとった。

社長と役員が最終的に評価するクルマにこの構造のアウトレットを取り付けた。

ただ、その構造だけではイマイチだったので、設計仕様にはないが、ちょっとだけネットリする鼻薬をつけた。最高の水飴フィーリングになった。評価結果は勿論OKだった。

まぁ、評価員を騙したことになるが。

しかし上司は「騙したことにならない」「こういう水飴フィーリングと定めたこと、今後日々考えて近づいていきますということで、それを評価してくれたのだ。」と。

やらずにギブアップするのでなく、あるべき姿を造ってそれに向かって考え続けるコトが大切なのだという事を教わった。

 

インパネの薄っぺらいエアーダクトの設計課題は、ブロー成形でいかに薄っぺらい形に成形できるかというものだった。

ご存知のようにブロー成形は風船を金型内で膨らますような成形方法なので、まん丸だと均一の肉厚で出来るが、一部分尖っていたり凹凸形状があると部分的に肉薄や肉厚になってしまい、全部をカバーする材料費と成形時間がかかりコストが高くなる。

その薄いダクトは厄介なものだった。

そこで、次に設計する人が、困らないように「ブローダクト設計マニアル」というのを作った。

ちなみに、新卒で入った会社では、「標準化」といって、「誰でも出来る事が大切」と徹底して教育されていた、マニアル化は大切な仕事だった。

そのマニアルを誇らしげに上司のとこに持っていったら、上司からは「設計マニアル作ってどうするの」と言われた。

「アレ?」。

「マニアルを造るとそれを見て設計するから考えなくなるし、それ以上のものが出来なくなる。自分なりによく考え、前の人より良いものを造ることが大切なのだ。」「人間は自由で創造の生き物だ、なんでマニアル作って枠にはめるのだ。」と言われた。

ついでに言うと、ホンダでは転属の場合などでも殆ど引継ぎはしない。同じ理由からだ。

ホンダの人間尊重の理念は、福利厚生や労働環境が良いという事もあったが、各自の立場で自由闊達に創造性を発揮できるという意味でも使う人間尊重だったのだ。

とにかく、商品第一で所員は創造性を発揮する事に集中できた。

 

本田宗一郎の良い(勝ち抜く)商品を造るために創造性を大切にする気持ちと藤沢武夫が考え抜いた開発部門独立組織の形が両輪となって、その後のホンダブランドを形成する商品につながっていったと思う。