繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

本当に暴走する老人

2019-06-26 10:58:01 | 日記

『暴走老人』というのは、芥川賞作家の藤原智美さんのノンフィクション書籍です

石原慎太郎さんが『暴走老人』と言われたこともあり、本人も自ら『暴走老人』といっているのを聞いたことがあります。

 

今は、「本当に暴走する老人」が話題になっていますね。

テレビなどのニュースでは、それだけを選んで取り上げているのではないかと思うほど報道されています。

セットで「運転免許証の返納」も報道されています。

該当する「老人」の方は、穏やかでいられない!!!

隣に停まったクルマのドライバーをみて、「老人」だったら「大丈夫かぁ?」と思ってしまう。

それくらい、頻繁に報道され、「老人=暴走」が刷り込まれている私だ。

 

当然、「老人だから〜」とか「クルマのATレバーが〜」などという問題ではないでしょ。

 

コトの本質は、「人とクルマの位置づけ、関係が変化」してきているということにあるのではと考えます。

 

つまり、モータリゼーションが広まり始めた50〜60年代の頃は「自動車」と言いながら、殆ど自分では動かず、殆どすべて人が操作していました。

それが今では「話題」としてですが、(まだまだ自動運転にたどり着かないのに)自動運転が取り上げられています。

現状のクルマは、操作が楽になったり、コンピューターの力を借りて動いたり、50〜60年代の頃のように全て人力ではなくなりました。

また、少し自動で動く部分もでてきました。

 

ブレーキやアクセルはドライバーの事を忖度したものになっています。

ハンドルは軽くなり、ドアガラスは勿論やテールゲート、トランクなども、スイッチひとつで自動開閉します。

ペダルを踏んだ以上に加速したり(走り感の為?)、減速したり(安心感の為?)しますし、車室内は空調が効きます。

AT車の場合、スイッチ一つの操作とアクセルを踏むだけで何も注意しなくても簡単に車は走りだします。またたとえ、パーキングブレーキをかけていてもアクセルを踏むと自動的に解除されてしまいます。

さらに、アクセルを踏まなくても、ハンドルを切らなくても、先行車に追従して走れる様になりました。

また、安全装備と言われていますが、前方のクルマと近づきすぎたりすると自動でブレーキがかかります。

 

つまり、運転することが安易になり、人力でなくなり、日常の延長でできるようになってきました。

これらは、「自動車」を目指した自動運転につながる技術としてITの進化とともに「進化」してきました。

 

 

つまり、現在のクルマは中途半端な自動運転化が進んでいる状態の中に、さらに若いときに全く「自動車」とは言えない状態のクルマで運転免許証を取って運転し始め、途中様々な「新技術」=「運転の安易化」を経験してきた現在の老人が重なります。

 

「老人になると子供に返る」とも言われます。

 

若い頃に経験して身についてたものは落ちにくいと言われていますが、その後に経験して身につけたものは順に身から落ちていくような状態なのではないかと推測しています。

そこに、完璧な自動運転ではない、安易に動かせるクルマがあるのです。

こうなると、「何か起こらないほうがオカシイ」とも考えてしまいます。

 

そこで、「子供に返りつつある老人」には、クルマも「返る」ことになれば良いのではと考えます。

安易に動かせるクルマでなく、「儀式」のあるクルマに乗ってもらうのです。

それで「運転できない」という「老人」には、それこそ「運転免許証」を返納してもらえば良いかと思います。

パワーステアリングのないクルマに乗れないのなら、クラッチのあるクルマに乗れないのなら、・・・「運転免許証返納」。

 

そんなクルマをカーメーカーは用意する。

安易に動かせるクルマはつまらないと言われていますから・・・新しいマーケットになり、意外と売れてしまうかも・・・。

(笑)

 

 

 

 


著者が私の「自動車図鑑」の案内

2019-05-27 10:43:35 | 日記

知り合いから、私のブログで、私の著書の「自動車図鑑」(自動車解剖マニアル)を紹介してください。

というお話があったので、紹介させていただきます。

 

 

この「自動車図鑑」(自動車解剖マニアル)が発刊されたのは、ほぼ四年前になります。

なぜ、私がこれを書いたかというと、学生時代の友人が「図鑑屋さん」を経営していまして、私が定年になったときに「どうせブラブラしているんだろう、自動車造ってたと偉そうに言うのなら図鑑作れるだろう。」と声をかけてくれまして、いつもの軽いノリで、「俺はクルマ全般を見れる立場で見ていたから、そんなの簡単だよ」と。 また、「ライターさんは不要、全部私自身で書くほうが楽」と答えて引受ました。

それが、執筆し始めると本当に「見ていた」だけで、構造の多くの事がわかっていなかったと気が付きまして、慌てました。

仕方ないので、後輩に電話しまくり構造など教えてもらい、必死の思いで完成させました。

元、同僚、後輩、はたまた先輩、部品メーカーの方々に、この場を借りてお礼をいいたいと思います。

本当にありがとうございました。

 

ところで、この本の中で、ワイパー構造のイラストがありますが、これに関して図鑑を観たワイパーメーカーさんの知り合いというか、今では友人、当時大変お世話になった方から、「繁さん、このワイパーの構造は繁さんの時代のものだよ、今じゃもっとハイテクだよ。ウチはこんな古くさいワイパーはもう造ってないよ」と。

私は30才位の頃、ワイパー担当でしたので構造は熟知していました。それで、つい近々の構造を確認することなく、勝手に構造を手書きし、イラストの専門家の方に描いてもらいました。詳しいと思い込んでたがゆえの失敗でした。

しかし、ワイパー構造の基本は、つまりモーターの回転運動を、ワイパーブレードがフロントガラス面を行き来する往復運動に変えるとこにありますから、それはこのイラストではわかりやすいので、その後も改定はしていません。

 

ついでに、一番苦労したとこは「トルクと馬力」の説明です。

ホンダの友達(と言っても先輩ですが)に相談したりしてやっと書きました。

数ある図鑑の中で、意外と「トルクと馬力」を説明したものは当時はありませんでしたので、頑張りました。(笑)

 

あと、最後のページは、私はクルマが好きながら長くクルマ開発の仕事をしてきて、今のクルマの状況(商品開発の方向)に関してちょっと意見があったのでそれを書かせてもらいました。

 

今、私はクルマに関してはオタクというか病気とも言えるかもしれませんが、パワーウンドやパワーステアリングなどパワーとつくものは勿論コンピューターなんてとんでもないという価値観になっています。

これ以上書くと、二度と私のブログをみてもらえないと思いますので、今回は書きませんが、いずれは「私の自動車論」みたいなものも書きたいなと思っています。

ハイテクと言われる技術やコンピューターは、今までクルマに乗れなかった人たちでも乗れるようになったり、簡単に気持ちよく運転出来るようになったり、多くの人の役にたっていることは良いことだと思いますが、何かひっかかるものがあるのです。

 

私の著書の「自動車図鑑」(自動車解剖マニアル)を購入していただけれ方は、「Amazon 繁浩太郎」でググって貰えれば即でてきます。

中学生レベルから読んでいただけると思います。

勿論、今クルマを運転しているオトナも再度クルマの構造を見直す、クルマを考えるという意味でも面白いと思います。

よろしくおねがいします。

 

 

 

 

 


クルマの運転マナーと提案 ②

2019-05-27 09:59:52 | 日記

クルマの運転は、法律だけを守っていれば良いのではないと思います。

「運転マナー」も大切です。

というか、運転マナーこそ意識しておきたいと思うのです。

 

つまり、クルマの運転は運転者同士〜歩行者などとのコミュニケーションなしには成立せず、つまり他人への思いやり、他人のことを考えられるということが大切になるのです。独りよがりの運転は困りますし、事故に繋がります。

 

これが、昭和、平成、令和と長く生きてきている私からすれば、平成のITが本格進化した2000年あたりから、自分本位の意識の人が多くなったように思います。

つまり「権利と義務」でいうと権利の方を強く主張する人が増えてきていて、そういう感覚が運転マナーにつながっているのでは???

と、私の主張です。(笑)

 

となると、これは運転マナーだけの問題でなく、友達関係や職場での上下左右関係、近所関係・・・全てに影響しているのではと考えると、・・・多くの辻褄があいます。

 

 

さて、今回のテーマは、夜間運転における交差点や踏切、坂道でのライト消灯です。

 

交差点で赤信号の場合、昭和のドライバーはほぼライトを消してスモールランプにしていました。

理由は、「クルマが停車してアイドリングの時に、ライトのような大電量を使うとバッテリー上がりの心配がある」ということでした。

 

つまり、当時のクルマは充放電バランスが良くなくて、またバッテリー性能も良くなかったということで、とにかく「電気をあまり使わない」ように・・という考えです。

 

その後、クルマの充放電バランスの性能も上がり、バッテリー性能も上がり、いちいち交差点でライトを消さなくても大丈夫と言われるようになり、また返って点灯消灯を繰り返すとヘッドライトバルブ(電球)が切れやすくなるというような風潮もあり、多くのドライバーが交差点などで消灯しなくなりました。

 

消灯しなくなった状況は、交差点だけでなく、下記の図のような坂道の場合、特に踏切などでこういう状況が多いですが、以前のドライバーは対面しているドライバーを眩惑しないように消灯しましたが、今は殆ど消灯しません。

現在のドライバーの中には、こういう場合でも点灯しっぱなしのドライバーが多いのです。

先日、消灯してくれたクルマに出会いましたが、稀です。

 

 

 

自分の事だけでなく相対する他のドライバーのことまで考えて、相手のドライバーが眩惑されるだろうと想像し、消灯してほしいです。

消灯しても、前が見えなくなるほど真っ暗な道はほとんどありません。

これを「ライトを点灯してなかった」と取り締まる警察もいないでしょう。

 

自分も眩しいので、相手も眩しいから消そうという気持ちにならないのと、ひょっとすると、法律では走行時は点灯ということになっている!!!と頑張っているのかもしれません。

法律では、夜間の走行では点灯しろとは書いてありますが相手のドライバーのことを考えて消灯しろとは書いてないですからね。

当たり前ですが・・・。

 

 

さらに、カーメーカーも商品性向上は正義とばかりに、今のヘッドライトは非常に明るくなってきています。

 

交差点で直進する時に、対向車が右折待ちで車体が消灯せずに右折方向に向いていたりすると、眩しくて直進方向が見にくい時があります。

ロスでは、左右は反対ですが、こういう右折待ちの時は車体を車線に並行にして待ちます。

交差点の右折方向にカーブした車線が書いてあるトコがあり、本来その手前で待てばいいのですが、ソロソロと前に出ると、これは車体を傾けて待つことになります。

 

 

 

 

 

また、後続車のライトが走行ビームにしているわけではないのに、眩しいときがあります。

これは、H/Lの配光つまりカットの仕方にも課題があります。

大昔のシールドビームのころから左側通行では、歩行者確認の為?左側がよく見えるように配光しています。

この配向のまま今の明るいヘッドライトですから、二車線道路で左側を走っていると右側の車線を通り過ぎるクルマのH/Lが眩しく「煽られている」感覚になります。

  

 

 

 

D/Nミラーをナイト側に調整すれば後続車からの眩惑には良いのですが、D/Nミラーは後続車がいなくなると真っ暗になってしまい不安になるという欠点がありますし、なんといっても後ろから走行ビームと同じように照らされるわけですから、パトカーでも来たのかな?と、煽られた感じをもってしまいます。

 

とにかく、今のクルマのヘッドライトは、様々な道路環境、走行環境、技術レベルを考えて・・・眩しすぎます。

ユーザーやお役所、カーメーカーは夜間には点灯しなければという法律的なことだけを守って、実際の現場で起こっていることに対処していないということになりませんかね。

 

 

「H/Lが明るけりゃ、安全ですよ」とディーラーのセールスは言うでしょうし、ユーザーもその言葉に納得するでしょう。

つまり、クルマを買ったユーザー自身はH/Lが明るくなって良かった訳で法律に違反してないし、何が悪いの?って感覚で・・・確かに、何も悪いことはありませんが。(笑)

 

本来は、クルマのセールスの人がH/Lは相手を眩惑させることがあるので注意しましょうと言うとか(そんな事言うと、買ってくれなくなる!?)、カーメーカーが「明るければ明るいほうが売れる」というシンプル思考でなく、あるべき照度を照らし方など考えて欲しいですね。

勿論、お役所や自工会みたいなトコでも、法律とマナーに関して、三現主義で考えて欲しいです。

 

 

こういう感じは、何か今の仕事模様/関係でも感じませんか???

  

 

話がそれますが、日本人の学校教育(明治以降の)は終始「オペレーター育成教育」だったと思います。

明治から昭和のはじめにかけては、やはり軍国主義だったので多くの従順で、死を目の前にしても逃げ出さず必ず命令を守る人材教育(教育とは言えない???)だったのでしょう。

戦後も、高度成長でやることは決まっていて(アメリカという目指す見本があり)従順な社員が欲しくて、これが続いていたようです。(見本があるということは、創造性はほとんど必要なかったと?)

 

「詰め込み教育」とか言われました。

 

つまり、創造性よりも記憶を重視した、従順性を重視した教育だったと思います。

 

みんなと同じということも大切でした。

制服という同じ服を着て、給食という同じものを食べ、同じ教科書で、先生は毎年同じ内容を生徒に説明し記憶テストをし、体育の時間は「前にならえ」という号令のもと「整列」することから始まりました。団体行動を大切にし本当に画一的でした。

あの頃の時代はそれでよかったのかもしれません。

つまり、自由に発想することはあまり良しとされていませんでした。

「記憶テスト」の点数の悪い人やみんなと同じことが出来ない人、枠にはまらない人は「落ちこぼれ」?などと言われました。

それゆえ、「ゆとり教育」のような発想が出ましたが、これは、それまでのオペレーション教育を肯定しながらの(大きく変えないことを前提とした)お役所的発想だったように思います。

 

違う角度でいうと、オペレーション教育の現場での実行を大切とせず、ハグレモノだが真のスキルを持っていて、現場、現実、現物を大切にするちょっと前の医療ドラマ「ドクターX」を観ていると納得できます。

これが大衆に受けたわけですから、大衆も現実のチグハグさが、わかっているということになると思います。

 

昔のホンダなどでは、三現主義で現場、現物、現実を大切にしました。

机上で考えて決めたことは、実際の場では中々実行しにくいことがあったりうまくいかないことがある。

そういう時は、机上で決めたことに反しても、現実に起こっていることに臨機応変に対応する方がアウトプットはお客さんのためになり、ひいては法の精神/趣旨にそう。

つまり、コトの本質は外さないようにしながら、臨機応変な「マナー的なこと」を大切にしました。

 

交通安全の世界でも、かたくなに法規をまもるだけでなく、コトの本質をわかった上で「現場での臨機応変な行動」を大切にしたいですね。

また、「現場での臨機応変な行動」を理解し許さないといけないですね。

 


自動車産業体質 と「新型日産デイズ」

2019-04-22 18:17:29 | 日記

新型日産デイズ

 

■新型デイズの素性

日産自動車からデイズという新型軽自動車が発売されました。

以前の日産の軽自動車は主に三菱自動車で開発・製造されたものに対して外観などを少し日産風味にして発売されていたが、今回の新型ディズの開発はエンジンからボディまで全て日産自動車で行われました。

日産自動車の開発は登録車がメインで、つまり軽自動車より静かなクルマやより走るクルマ、より質感の高いクルマを造っており、感覚的に上級クラスの設計を知っている人達が造った軽自動車ということになります。

このことから「なんとなく良さそう」な感じがするでしょ!!!

・・・なんて、加減な話のようでずが事実はこういうものです。

 

製造は前モデルと同じ三菱自動車工業の水島工場ということです。

軽自動車を普通車と同じ製造ラインで流すと、わかると思いますが、コスト的に厳しくなります。

スズキやダイハツ工業は長く軽自動車を造っているだけあって、軽自動車専用ラインがあり品質はキープしながら、コストを押さえたクルマ造りとなっています。

 

 

■軽自動車のコスト

 コストの話をしておくと、軽自動車の原価は厳しいということは誰でも理解していると思います。

考えてみてください。

高齢者や足の不自由な方が乗られている「ホンダモンパル」は、35万〜します。

これに比べ、四人乗れてドアと天井もついて、匕ーターからエアコン、高速も快適に走れて・・装備も多くついて、150万〜・・・・機械としてみると絶対軽自動車は安いです。(笑)

 

そのコストは簡単に言うと、直材費(外部から部品を購入する費用)、内作費(カーメーカーの中で作る部品と完成車の塗装や組み立ての費用)、さらに販売費用と開発費用、人件費などからなります。

 

この中で、直材費は部品メーカーから購入するために数多く購入したりすると割安になり、少ないと割高になります。だからカーメーカーは機種間での共用部品を多くし数を増やすそうとします。

つまり、カーメーカー間で例えば同じ部品でも購入コストは変わります。

しかし、一台分のコストでいうとカーメーカー間の差は全体からみるとそれほど大きくは変わりません。この後の「内作費」や「販売宣伝、人件費」などの方がカーメーカー間の格差はあるように思えます。

内作費は、工場でボディやエンジンの部品を造る場合のコストと塗装組み立てのような生産コストで、これにはカーメーカーの体質(生産台数の多さとカーメーカーのコスト意識)が現れコスト格差がでます。

当然、軽自動車ならそれ専用の工場の方が割安になり、

さらに、内作費は工場の稼働率が大きく関係してきます。

当然、同じモデルを多く造る方が割安になります。

 

販売宣伝人件費では、カーメーカー間の人件費の差が大きくでる。

つまり収益を考えると、如何に少ない人数で、安い給与水準で造るかということになるのです。

販売宣伝費は、当面の収益ベストで考えるとよく削減対象になる項目ですが、リコール費用などのネガティブな費用も予算化して入っています。

開発費用に関しても、如何に少ない人数で、安い給与水準で開発するかということは同じですが、試作車を少なくし完成車テストを少なくすることが大きなポイントとなるので、トライ&エラーでなく一発必中が求められ、シミュレーション設計が大切になっています。

また、将来技術の仕込みもこの費用で行う。

近頃のクルマは電動化や自動化いわゆるCASE領域がプラスされて、開発製造コストはふくらみ、また全体的な販売台数減でカーメーカーの経常利潤率は数%から多くても10%以内となっているのが現状のようです。

厳しいですね。

 

また、販売店も全体的にクルマが売れなくなり、クルマ自体もダウンサイジングし・・と、新車販売だけでは中々厳しいという事情を抱えています。よって、車検を中心とした整備、さらに保険など、きめ細かい経営が必要となってきています。

あまり、値切らないように・・・苦笑

 

 

■カーメーカーにおける軽自動車の重要性

このように、自動車産業の収益構造は造って売るというだけでは厳しくなってきていて、カーシェアや通信などのように、トヨタ自動車とソフトバンクの関係をみても、サービスを売る方向に少しずつ変化してきているように思えます。

そんな中で、昔ながら?の販売台数を上げて収益を確保することを考えると、台数の出る軽自動車はカーメーカーにとって無くてはならない存在になっています。

勿論、1台当りの収益は低くても、相乗効果が期待できるのです。

 

このような背景から、日産自動車とホンダは自社で軽自動車を開発販売し、トヨタ自動車はグループのダイハツ工業と共に開発販売しています。

ダイハツ工業は歴史のあるカーメーカーで特に軽自動車造りにはその品質/コストで長けており、競争力のある軽自動車を造れるポテンシャルは高く、その総合性能はトップといえるかもしれません。

ただ、新型N-BOXなどはその商品力は素晴らしいですが、特に新型では動的性能が非常に向上しており、大変競争力のあるクルマとなっています。

それに今回日産自動車の新型ディズが加わり、軽自動車市場としては今後スズキの活躍期待と言いたいところです。

しかし、スズキはリコール問題がどれくらい響くか?という問題があり心配が残ります。

ホンダも、フィットの立て続け5回?に及ぶリコール問題でフィットブランドはかつての勢いを失くしました。

 

ところで少し気になることがありまして、なんで日産は、デイズ・ルークスというN-BOXやタント領域のスーパーハイトワゴンからでなく、ハイトワゴンのデイズからリニューアル(FMC)発売したのでしょうか?

多分何ヶ月かあとに、デイズ・ルークスは発売されると思うのですが・・・。

ワゴンR、ムーヴの元気が一時ほどではなくなっているし、ホンダもN-WGNはN-BOXほどではないし、「鬼の居ぬ間の洗濯」?? 笑。

 

 

■新型デイズ

軽自動車の販売が全体の四割近くに迫る中で、多くの車種が発売され、ユーザーにとっては良いことなのですが、カーメーカーにとってはその競争に拍車がかかります。

そんな中で、今回の新型ディズは追い上げる立場で、最新の装備や技術〜デザインをまとって、登場してきました。

今回、新型デイズに試乗する機会があったので、私の印象をいいトコ、良くないトコ含めてレポートしたいと思います。

 

日産自動車の地下駐車場から試乗に乗り出して、まず感じたのは「シート」の良さでした。

よくシートの良さは長距離乗ってどうのこうのという人もいますが、このデイズのシートは座ったときからその違いがわかります。

お尻と背中〜もも、体全体を優しく包んでくれます。

まさに、普通車品質です。

 

次に、外の一般道へ出て加速するとちょっとHEV車のような、ちょっとディーゼル車のような、660ccなのに低回転からのモリモリとまではいきませんが、トルク感があり実にスムーズに加速します。

これは「スマートシンプルハイブリッド」と名付けられた簡略ハイブリッド?によるようです。

最近のエンジンはフリクションを少なくして効率よく回るようになっているので、エンジンブレーキが効きづらいですが、試乗車は回生ブレーキもかかるので、エンジンブレーキとしての減速感はちょうど良い感じでした。

 

また、発進加速だけでなく、その後も一般道から高速まで、旧型デイズよりトルク感のある加速をします。軽自動車を超えた走り感があります。

またNVは、ドアガラスが薄いせいもあり?当然何かしらの社外の騒音は感じますが、一般道から高速まで全体的には静かでストレスは感じませんでした。

これも軽自動車を超えた感はあります。

ただ、高速ではセルフステアといいますか、ハンドルを少しだけ切ってハンドルから手を放すと、どんどん切れ込んで、真っ直ぐな走りに戻りません。

これは、道路には微妙に凹凸や傾斜があるので、それをドライバーがほとんど気づかないままに修正しながら走りますが、その修正がちょっとやりにくいということに繋がりますし、あとはフィーリングの良し悪しの問題になります。

EPS(電気パワーステアリング)の設定の問題ですね。

 

あと、静的には室内広さが大幅に向上しました。

トーボードつまりアクセルポイントが82mm前へ行き、その分室内が広くなりました。

認定上の室内長は、インパネ後端からリヤシートバックの後端までとなりますが、これだと薄いインパネや荷室を狭くすれば室内長は増えます。

つまり、実質的な室内長さは変わらないのに、設計の仕方で変わるということになります。

クルマの室内長をアクセダルポイントから、テールゲートの内板までとすると、そのクルマの室内長の実力が表せます。

簡単にいうと、全長規制のある軽自動車での室内長の実力は如何に、エンジンルーム長を短くするかとテールゲート厚さをいかに薄くするかという工夫に尽きるということです。

こういう意味で、新型デイズのトーボードが82mm前に設定できたということは、その分室内長が増え、前席と後席の間で68mm、荷室で約14mm増えたということになります。

(82mm=68mm+14mm)

エンジンルームを82mmも短くするのは、相当の工夫があったことと思います。つまり、設計的に苦労して勝ち得た数値ということになると思います。

実質的に、後席の膝スペースはシートバック形状の工夫とあわせて+70mmと発表されています。後席に乗ってみるとゆっくりと足を組めます。

軽自動車企画の全長3400mmの範囲の中で、室内で+80mmはすごいことです。

  

 

 

もう一つ、特筆ものはデザインです。

このデザインは、軽自動車としての「数」を考え、少しでも多くのユーザーに長く乗ってもらうことを考えたデザインなっていると思います。

この頃の軽自動車は、キャンプなどの遠出にも使うユーザーが増えているそうですし、都内でも軽自動車をよく見かけますので、ファーストカーとしての位置づけとなってきているようです。

つまり、ひと昔前の地方の奥様用のセカンドカー=軽自動車という時代とは異なってきているのです。

そういう意味で新型デイズは、パッと見のデザイン魅力を追求したのでなく、よく考えコントロールされたデザインになっているように見えました。

つまり、ファーストカーとして使っても耐える普遍的ともいえるデザイン。

悪く言えば「普通」と捉える方もいるかもですが、実際にクルマをみてもらうと所謂「手込み感」があって、高い質感を感じるデザインになっています。

デザイナーは、どうしてもパッと見のデザイン魅力を追求しがちなのですが、日産自動車のデザイナーは「オトナ」ですね。笑

 

■今後の軽自動車

 このように、新型デイズはクルマの基本設計となるパッケージングからリニューアルし、エンジン、トランスミッション〜安全装備、ハイテク装備、小物入れ等の親切装備、さらにカラーリング、デザインまで、オールリニューアルされました。 

今後の、スズキ、ダイハツ工業、ホンダ、日産自動車の四つ巴???がどうなるか???

ホンダは、N-BOX/N-BOX+/N-WGN/N-ONE/N-BOX SLASH/N-VANと多箱展開で、FMCしたのはN-BOXだけ。今後、これらの箱を全てFMCして回すのは開発工数的にも厳しいと考えますから、どういう戦略でくるのか? 楽しみです。

勿論、私なら「こうする」という考えはありますが、リタイアした身なので控えておきます。笑

 

ダイハツ工業はトヨタ自動車の「教育的指導」をどうこなすか? いなすか? いかにプラスにもっていくかが見ものです。

商品でいうと、ダイハツ・キャストのようなピントのボケた商品をいかにまっとうな商品にするか? つまり、ターゲット・ユーザーの履き違えを解決できるか?

 

カーメーカーの当事者の立場でなく、こうやって考えてくると、ホントに面白い。

現役の皆様、私のような外からみるとよくみえるものなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 


人事の話。企業が欲しがる「やんちゃな人材」

2019-02-22 09:37:43 | 日記

IT系人材の獲得競争はあらゆる業界で盛り上がっている。

GAFAを中心としたIT系だけでなく、大手電機メーカーから、自動車メーカー、自動車部品メーカーなどもIT系大学を卒業したエンジニアをターゲットにしていて、現実的に、ITエンジニアの奪い合いとなっているというのだ。

人の生活、身の回りの多くがIOTや自動運転などIT技術を応用した技術変革期に入っていて、技術開発を加速させる必要にせまられているということだろう。
 

つまり、IT系を基本とした新技術を次々に生んでいかなきゃいけない時代ともいえる。

創造性が大切な時代ということだ。創造的破壊とまでもいわれる。

 

創造性にはまっとうに勉強ができる優秀な人材よりも、ちょっと変わった人材、既成概念にとらわれない、あちこちに知恵が巡る人材のほうが良さそうだ。

 

そんな中、ソニーで人事部門を担当する安部和志執行役常務は「自分の専門分野に限らず、色々なことに好奇心を持つやんちゃなエンジニアが欲しい」と話したらしい。

同じような話を、古巣のホンダ時代にも聞いたこともある。

 

ここで思ったのは、「やんちゃなエンジニア」ってどんな奴だ?ということだ。

ソニーでいう「色々なことに好奇心を持つ」。さらに「やんちゃ」なんだから「型にはまらない」とか「リスクをおそれない」とか「知性より体力方向」とかを考えてしまう。

 

このような人材を欲しいと思う企業は社内にそういう人がいなくて、育っていなくて、必要と感じているから「欲しい」のだろう。

 

そんな企業はだいたいピラミッド型の組織で、トップダウンで仕事がまわるような体質と想像できる。

(創造性からは遠い体質)

そんな中で、雇った「やんちゃ」な人材が本領を発揮したら、これは浮いてしまうし、上司はどうしていいかわからなくなるだろう。

結果、「やんちゃな人材」は会社におられなくなる。あるいは、やんちゃでなくなっていくかもしれない。

 

多くの企業や会社のトップは「やんちゃな人材が欲しい」というが、人材を欲しがる前に、そういう人がやんちゃを発揮して成果をあげられる土壌、社内体質になっているのかという方が大切で、先だと思う。

 

だいたい、人事部で本当に「やんちゃな人材」を採用して、社内で浮いてしまったり、言うことを聞かず使えないとなると、企業のトップは人事部に対して「誰だ、あんな使えない奴を採用したのは」となる。

 

元々、人事部の採用に関しては「良くて当たり前、悪かったら叱られる」というものだし、短い時間、期間で人材の見極めは難しい。

人事部のトップや採用係は企業のトップからや現業部門からのパッシングを受ける確率は高い。

最悪の場合の「言い訳」を考えなきゃいけない。

それは、「成績は優秀でした」というものが一番言い訳しやすい。

これが繰り返されて、社内は「成績優秀な人材」で埋められるのだ。

さらに進むと「ピーターの法則」が待っている。

 

「やんちゃな人材」を雇って、社内に受け入れる体制や風潮がない中で、本当にやんちゃな行動をされると本人も会社にとっても不幸なことになる。

 

「やんちゃな人材」「創造的破壊が出来る人材」を雇い創造的な事が出来る会社にしたいなら、まず社長以下の社内でそういう人材を受け入れられる体質に改革しなければならないと思う。

それは、社長や役員などがおれは偉いぞ、言うことをきけ、というような権力構造でない体質。

つまり、ピラミッド組織やオペレーション組織の形ではなく、「創造的破壊が出来る人材」を受け入れられる組織や体質への改革がまず必要と考える。

その形は・・・。