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繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

「定年」はやっと卒業

2018-01-17 09:24:06 | 日記

 今回は、とんでもない、「お題」ですが、早稲田のある先生が「隠居研究会」というのを開催し、それに参加させていただいて色々と、「定年後」を考えています。

 

その中で、私は日本においては「定年はやっと卒業」と思えるのです。

定年まで、幼稚園から、学校、会社とずっとどこかに所属してきているのが、日本の殆どの人達(サラリーマン)です。

定年は、会社によっては突然くる(くび)定年もあるでしょうが、だいたいが60とか65才です。

だから「定年後」は、この社会システムによるのです。

定年のない国だってあるのです。

 

 

日本の社会パターンとして、幼稚園から、学校、その後会社に属して、定年を迎え、その後は「老後」となり年金で暮らす。これは、戦後日本のいわば社会安定パターンとして構築してきました。

つまり、自営業や起業家、はたまた芸術家などが多くなると社会不安になり、GDP/GNP成長の足かせになるという考え方です。

戦後の成長期に「総中流意識」を持てたのも、こういう社会システムの恩恵で、確かに社会は安定して成長(GDP/GNP)したと思います。

郊外の団地に住んで、満員電車で、会社まで通い、残業して帰る。

これを普通の事とし、良い事としたのです。

 

日本人は、社会の安定と成長の為に、会社と何処かに所属して生きることが、「良い」という価値観になっている。

 

それが、バブル以降の社会的価値観の変化、及びITの進化で、価値観が多様化してきました。

さらに、先進国の課題である少子高齢化減少に対して、何も手を打てずにきている日本の政府。

戦後、自立心が無くなった政府、そのままきている。

戦争にトコトン負けたから、いわゆる形の上での国体は維持できたかもしれないが、国民の意識や価値観では国体は維持できていないのです。

永久平和を願う気持ちは、国民全員が持っているが、その為にするべきことは安保だけとなっている。

これは、政治的な話でなく国民意識の話で、「他力本願」が根付いてしまっているということを言いたいです。

つまり、自分の国を自分でまもれない。だからこそ、自分の国のあるべき姿を論じる事もないのです。

アメリカという傘のしたでしか生きられない日本。

結果、自発での企てや、行動指針や、とにかく自立したセンシング、リサ ーチと、認知、判断、それから行動・・・といかないのです。

 

今は、こういう認識をキチンと持って、将来に向かって、日本の社会システムのあるべき姿、ビジョンを創り、変革していかなければ、日本は先進国という立場ではなくなり、後進国となるだろう。

 

今まさに、ITの進化、AIの進化で、世界中の国は変革期を迎えている。もうはじまっているのです。

 

何も、GDPを追うとかそういう価値観で言っているのでなく、ブータンのような幸せ感を求める国でもいい。

つまり、国民が安全安心のもと、食えて、幸せ感を感じればいいのです。

 

日本の今後のビジョンはあったとしても、少くとも国民には伝わっていない。

どうなっていきたいのか?

明治の初めは明確だった。

 

それがあって国民で共有出来れば、日本人の「老後」も自ずとその生き方がわかってくるはずです。

 

ただ、少子高齢化から年金問題、国民の幸せ価値観の共有など、何も出来てない日本を見ると、政治家を批判しても責任を押し付けても、何の解決にもなりません。

 

私は、解決に導くには「教育」だと考えています。

日本の将来ビジョンをつくり、それに沿った「教育システム」を創り、その教育を受けた世の中を変革出来る優秀な人が育つのを待つ。

と言っても、気の長い話でなく、バブルの頃に生まれた人は今社会で活躍する年齢になっています。

 

 

「日本の将来ビジョンをつくり、それに沿った「教育システム」を創り、今は、その人材が居ないということになるが、明治の初めだっていなかった。

そういう意味では、日本国民が「危機感」を持つことなのです。

「危機感」は、人々の最大のモチベーションになります。

 

「危機感」をもって、「対処方法」の知恵を絞り、「実行」する。

国の生き様、国民の生き様、が定まれば、「老後」の話で盛り上がる事もな

くなります。笑。

 

 

それまで、だいたい25年くらいかかるが、この25年の意味を国民が納得することにより、「耐えていける」はずです。

夕張市は破綻して、病院が無くなった分、市民が健康になったと聞きました。

この人間の力を利用することが耐えることだと思います。

 

わかりやすいトップ事象は、「健康ファースト」だと思います。

「健康ファースト」にして考えて行けば良いのです。


あおり運転の続き

2017-12-17 11:03:41 | 日記

昨日の日本経済新聞社のニュースです。

「死亡事故に発展する恐れがある「あおり運転」など悪質で危険な運転が社会問題化しているとして、警察庁は16日までに、車を使って暴行事件を起こすなどして将来的に事故を発生させる可能性があると判断した運転者に対し、交通違反による点数の累積がなくても最長180日間の免許停止ができる道交法の規定を適用して防止するよう、全国の警察に指示した。」


いままでも、警察は「車間距離違反」の取締を特に多分高速道路と思うのですが、していました。

実は、私も10年以上前に、これで反則金を支払ったことがあります。

東北自動車道は宇都宮の先あたりまで3車線ですが、下り線の佐野を過ぎると登り下りのちょっとしたワインディングがあるのですが、その終わりのあたりでした。

私が、右側車線を走っていると前に絶対100km/h以下というクルマが走っていまして、近づいてみるとやはり遅いクルマで車間は詰まってしまいました。

その時、真ん中の車線を走っていた覆面パトが「う〜」と。

何か悪いことしたかな?とわからないまま、言われるままに停まるとお巡りさんが降りてきて、「車線距離違反です」と。

つまり、私が前のクルマとの車間距離をとらず煽ったということらしいです。

その「車間距離違反」という法規が出来て、「ドライバーに知らせるキャンペーンで取り締まっている」とお巡りさんはその時言っていました。

あとから、考えると前の極端に遅いクルマはオトリクルマだったような気がするのですが。

 

それで、最初のニュースの「最長180日間の免許停止ができる道交法の規定を適用して」と言うのは、この「車間距離違反」という法規を適用するのだと思いますが、これは判断が難しいですね。

単なる「車間距離違反」が「あおり運転」か。

前回も書きましたように、「あおり運転をドライバーのエゴで、やる気なやつ」は確かにいて、それはアウトというのは間違いないと思いますが、嫌がらせのように、ユックリ走ったり、車間距離を無用にとって走ったり、「ヒドイやつ?」もいます。

ちょうど昨日も、環八のあるトコで、非常に混んでたのですが、前のクルマが車間距離を大きくとるので、どんどん割り込まれ、さらにそれでなくても渋滞しているのにユックリと走られると後ろはさらに渋滞が厳しくなります。

これらは、交通マナーの問題で、法律の問題ではないのです。

それを煽ったと警察が認定すれば、即免停もありうるとなると・・・益々、渋滞は大きくなりそうですね。

つまり、トロトロと走るクルマは煽られず、自分が多くのクルマの流れに迷惑を賭けていることには知らんぷりで、ゆったりと走っても後ろのクルマは大きく車間距離を開けておかないと、警察のどういう判断で「あおり運転」と言われるかわからないわけですから。

 

東名高速道路では、50km/hで走っても法律にはふれません。制限速度内です。

 

警察など日本政府は、国民の声に耳を傾けるのは良い事と思いますが、いつも言われるように「臭いものには蓋」式で、「コトの本質を考えずに」、さらに「法律だけで」対処するのは、良くないと思います。

しかし、そうさせているのは実は国民ともいえます。

しかし、極端な話、警察はクルマが走らなければ事故は起こらず、周りの省庁や国民からも何も言われなくてすみます。

走ってもその速度が遅いほど、確かに事故はおこりにくくなります。

しかも、車間距離を大きめにとるのは、事故防止に最大に役立ちます。

でも、道路を走っているクルマは、ほぼ全車が制限速度ギリギリか少し超えるくらいで走るのは公知の事実です。

そんな中で、私は「法律を守っているから」「安全性運転だから」「燃費運転だから」という走りをされると、そこでは事故の確立は上がると思うのです。

初心者マークはその為にあるのではないでしょうか。

つまり、一年くらいで、多くのクルマの流れの中で走れるようになってください。それまでは、流れに乗らないクルマでも周りが注意します。というもだとおもうのです。

今は、初心者マークを付けていないクルマでも「法律を守っているから」という走りをするクルマを多く見かけます。これは、言うまでもなく交通の流れを乱します。

これは、返って事故の確立があがるかもしれません。

警察も自分達のことファーストで考えるのでなく、道路/クルマ/ドライバーの心理など、深くコトの本質まで考えて、事故を防止しつつ交通の流れも考えた行動をしてほしいと思います。

 

 

 

 


あおり運転で思うこと

2017-11-21 20:18:42 | 日記

 「あおり運転」などの危険な運転による事故やトラブルが後を絶たない。

最近のニュースの書き出しです。

私は今回、違った観点から、あえて書いてみたいと思います。

 

煽られた経験のある方は多いと思いますが、煽られた方々の側の話は、法律を守っていて、もちろん正論ですから、煽った側は何が何でもやっつけられますね。

 

しかし、煽る側には二通りあるのではと思うのです。

 

一つ目は何が何でも速く行きたくて、前のクルマが制限速度で走っていると、イライラしてつい「速く行ってよ」と煽る。

また、この間の事件のように、恨みをもって? 「ロードレイジ」に!!!

これらは当然アウトですよね。

自分個人の都合が優先している。

 

もう一つ目は、例えば二車線道路で、制限速度が50km/hのところで、全体のクルマの流れが55km/h〜60km/hで流れているのに、1台だけ45〜50km/hで右側を走るから、後ろのクルマは、左側追越をしてしまうし、左側追越しない人は、「速く行けよ」とつい車間距離を縮めてしまい、結果的に煽ってしまう。

 

しかし、この右側を走るドライバーは道路交通法という法規をまもって走っているから、何も悪いことはないということになります。

極端な話、右側を30km/hで走って、大渋滞を作っても、法規を守っています。

当然、警察の取締の対象にはなりませんし、パトカーがそういうクルマの後ろを走っても「速く走ってくださ〜い」というスピーカーからの声はきこえません。

 

(そう言えば、大昔、日産ローレルのキャッチコピーで「ユックリ走ろう」というのがありましたが、私はその時にローレルを運転していて、後ろのパトカーから「ユックリ走ろう」、とスピーカーで言われたことがあります。笑)

 

 

こういう場合はどうなるのでしょうか???

全体のクルマの流れを無視して「道路交通法を守っているのだからオレは正しい」と胸をはられるのです。

 

政治家にも多いですよね、「法律にはふれていません」という人。

「法律に触れていなければ、ホントにいいのでしようか」

日本の「おもてなし」なんてのは法律と関係ありません。

 

 

法律に触れなくても、まわりの多くの人が迷惑と感じることは普通はしないものです。

 

 

私も、ほぼ毎日クルマに乗っていて、「漫然と運転している人」を良く見かけます。

長い列を作って走っている時に、なんだか自分の車線は遅いなと思うと、前の方で車間距離をウント空けて走っている。

こういう人に限って、黄色信号になっているのに交差点に突っ込んでいく。

「ボー」っと運転しているのではないかと思うのです。

「シャキ」っとしていない。

もっというと、走る気があるの??と感じます。

 

何故、ボーっとした運転になるのでしょうか?

私が若い頃は、全員シャキっと走っていました。

シャキっとしないと、どんどん割り込まれて、どんどん後ろへ行ってしまいます。笑

また、自分の運転自体もシャキっとしていないと、周りがシャキっとしていますから、事故につながりかねませんでした。

大阪でのはなしですが・・・。

 

ボーっとした運転になるのは、幾つか理由があると思います。

まず一つ目は、先程の「法律守っているのたから、なにが悪い」という考え方の蔓延です。

左折する時も、非常にユックリとまわります。

つまり、教習車のようなクルマ。います、結構います。

 

次に、一人燃費運転を決め込んで走る人。

次に、クルマの運転スキルが教習所を出た時のままの人。

こういう人達は周りは気にせず自分中心に走ります。

 

あと、最近のクルマのドライビングが安楽過ぎてボーっと走る人。

この頃のクルマは100km/h出しても静かで乗り心地はよく、何の緊張感もなく、高速を走れてしまいます。

60年代までは高速は緊張したものです。

また、最近のクルマはブレーキも踏んだ以上にききます。

よく効くようになりました。

クルマが良くなりすぎたのです。その上、自動でブレーキが効くクルマまで出て、ホント安心です。

さらに、万一ぶつかっても、車内はエアーバッグだらけ。

(ホントは、クルマの運転なんて、そんなに安心ではないのですが、そう思う人が多いのではと推測しています。)

 

この安心感ってホントに安全運転の為に良いのか?

 

煽って、しかも「ロードレイジ」なんてホントにアウトですが、周りをイラつかすクルマやボーっと走るクルマもアウトじゃないでしょうか???

「煽り誘発」

 

しかし、突き詰めて考えると、警察的にいうと、速度など道路交通法を全員がキチッと守る。という当たり前といえば当たり前のことを行うことが出来れば、「煽り」もなくなるでしょうね。

ドイツのアウトバーンは表示される速度をまもらないとホントに危ないらしいです。

日本の制限速度の決め方はどうなのでしょうか?

どうせ、街中(都内)の平均速度は20km/h台が多いはずです。

また、「狭い日本・・・」じゃないけど、よっぽどの郊外にでないと、信号だらけです。

この辺に、解決策がありそうです。

くどいようですが、「ロードレイジ」は別ですよ。暴力です。

 

皆さんも、考えてみてください。

 


EVは中国の国策? 日本は?

2017-09-27 09:35:31 | 日記

今年のフランクフルトショーは、ドイツが国として「EV宣言」をしたこともあり、EV色の強いものになったそうです。

(残念ながら私は行っていません。ニューヨークに遅い夏休みで行っていました。笑

ニューヨークは国連があり、私の泊まったホテルにも誰かはわかりませんが「要人」が泊まっていたらしく、

ホテルの前は通行止め、ホテルに入るのに宿泊客も空港並のセキュリティチェックを受けるという、

しかもNYPDニューヨーク市警察は自動小銃を構えていますから、日本人からすると厳戒態勢に見えます。

やはりテロ相手に戦争状態なんだと実感しました。

日本は平和で良いですが、ちょっと平和ボケしていないか?とも思えました。)

 

しかし、トヨタはEVを展示しなかったらしい。

 

これは、「トヨタがEVの本質をわかっている」からそうしたのだと私は思います。

 

前回のブログでもリーフのことを書きましたが、一言で言うと「EVは単独商品」としては

「行きていけない」「売れない」のではないでしょうか?

つまり、国のエネルギー政策から、インフラ含めて、はじめてEV事業になると考えます。

もっというと、現在の内燃機関のクルマの商売の延長線上にEVはないと言うことです。

 

FCVは、現在の商売の延長線上にあります。

だから、ホンダもトヨタもFCVを頑張って開発スタートさせたのでしょう。

しかも10年以上前に。

「延長線上」と言うのは、FCVだと自宅に充電設備は不要で「スタンドに行って」水素を充填します。

EVは基本的に自宅で充電します。つまり毎回クルマを車庫に入れたら、充電コンセントをつなぎます。

また、FCVは現EVのような「電欠の心配」はありません。

使用状況によってバッテリーが劣化して走行距離に影響が出ることもほとんどありません。

つまり、ガソリン車と同じようなインフラで、ユーザーの使い方も今までのクルマと同じように出来るのです。

 

勿論、FCVは、技術的/コスト的なハードルは高く、事業化難易度はマックスです。

こういう数年後にものになるということは無いものに、よく補助金を政府は出すなと思います。

ハッキリ言って、この補助金は特定の「メーカー支援」ではないでしょうか?

税金の使いみちを我々は監視しないとね・・・。

 

世間では、EVの世界が直ぐにくるかのように伝えていますが、現実的にはまだまだ遠い先の事になると考えています。

ただ、中国のような新興国は先進国自動車産業を追い越す為、また自国産業育成を考え、国を上げて戦略思考で取り組んでいるから、EVなんです。(原発推進してます)

 

自動車先進国のヨーロッパだって、EVは難しいと思います。

しかし、ドイツは、多分「世界のリーダー国」になるという信念から、原発でなく再生可能エネルギーを開発し、そのエネルギーを基にドイツ社会インフラも開発し、その延長で自動車を走らせるという、壮大なテーマに果敢に取り組んでいるということだと思います。

ドイツは、自動車の排ガス対策は勿論、街の環境なども全て「環境ナンバー1国」をブランドとして目指し、

分別ゴミなどにもいち早く取り組んできました。

また、ドイツには大きな街がいくつもありますが、どの街も「クリーン」で、綺麗です。

(それだけに、VW やメルセデス・ベンツのディーゼル問題は、私にとってもショックでした。)

 

第2次大戦を真摯に反省した結果か詳しくはわかりませんが、世界の国の中で自国ブランディングをしっかりつくって先進国の中核になっています。

 

大切なのは、国が中心になりこういうコトを考えているという事です。

 

EVは、民間企業の収益目的だけでは、世の中に受け入れられないと思います。

国との連携であるべき自分達の社会のビジョンを描き、その結果としてのEVだと思います。

 

日本では、自動車産業は国の基幹産業と言われています。

その割には、自動車産業の未来を、国はその本質を取らまえて戦略思考できていないように私には見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 


日産の新型リーフは EVのあるべき姿か?

2017-09-13 10:15:03 | 日記

日産の新型リーフが発表されました。

 

昨日の週刊ダイヤモンドに「日産が新型リーフ販売目標の「数字」を明確にしない事情」という記事がありました。

その中で、発表会時に日産自動車の星野朝子専務執行役員は「これまでリーフ購入を控えていた方の不安は払拭された」と言ったそうです。

 

つまり、今までリーフには3つの大きな課題があってそれを今回の新型では払拭したということらしいです。

3つとは「航続距離」「充電スタンドの数」「価格」です。

 

これは、星野朝子専務執行役員にとっては言わざるを得ないということかもしれませんが、非常に楽観的コメントというか、私には「これまでリーフ購入を控えていた方の不安は払拭された」というのは少し言い過ぎで、また的外れではないかと思いました。

 

つまり、まず現行リーフブランドは、計画販売台数の大幅未達成でもわかるように、一部のユーザーにしか購入されず、リーフブランドとしては、浮かび上がらない水面下の状況にあります。

 

そんな中で、今回の新型は起死回生となり、浮かび上がるには、ガソリン車を鏡におくのでなく、EVとしての新しい異なる発想で余程のコトを行わない限り難しいと思うのです。

 

言い訳としては、「リーフ購入を控えていた方の不安」であって、多くのユーザーを相手に言ったものではないとなるのかもしれませんが、これはこれでコミュニケーションとしては寂しいものです。

 

 

初代のリーフを、多くのユーザーにとってEVを使えるインフラも性能もないまま、発売したことのEVブランドへのネガティブ影響は大きいと思います。

 

つまり、最初のリーフユーザーはいわゆる先行層で、トレンドリーダーとも呼ばれる人たちだったとおもうのです。

その人達は、いざ買って乗ってみると電欠不安に苦しみ、バッテリー劣化する人もいて、また買い替えたいと下取りにだすと安かったり、勿論中にはリーフを満喫した人も多いこととは思いますが・・・、

多くの初代リーフユーザーは多かれ少なかれリーフに不満というか期待はずれなとこがあったと思います。

これが無かったら、もっと販売台数は上がっていたと思うのです。

 

 

環境対策になるという正義の御旗を掲げたEVですが、走行中は確かにCO2をだしませんが、

本当に環境を考えた発電から廃棄まで、地球に有害なものをできるだけ出さない、というコンセプトが貫かれているとは言えません。

日本は、様々な理由はあるにせよ、火力発電のまっただなかです。

それは、政府の問題と他人事にしても、結局はEVの環境にいいという御旗がないということになります。

 

環境対策を正義の御旗とするEVなら、商品開発だけでは不足ということです。

水平的に、インフラから国のエネルギー施策までとりこまないとダメなのです。

 

 

今回の新型リーフですが、航続距離400kmと頑張ったのですが、地に落ちたブランドを復活させるのには「改良レベル」に過ぎず、ユーザー的にはリーフを見直すとまではなかなかいきにくいのではと思います。

 

皆さんも、「航続距離」が1.4倍の400kmになったと聞いて、「それなら安心」と思えるでしょうか?

確かに、造り手側からすると大変な技術やコストを投入しているでしょうから、「ここまで来た」感はあるでしょうが、ユーザーにそれは関係ないと思います。

例えば、最初は400kmでも、一年後に350kmになって、

その後また・・では元も子もないので、どれくらいのバッテリー劣化カーブになったとか、もう少し改良内容を具体的にユーザーに投げかけることができないと、「不安の払拭」には至らないのではないでしょうか。

 

また、価格は安くなって315万円らしく、でも決して廉価ではなく、また国からの補助金で270万円位になるらしいですが、補助金の原資はご存知のように税金ですからね。

 

270万で、数年後ガソリン車と同じような下取り価格がつくなら良いですが、EVの場合はその使用状況などによりクルマの個体差が大きく出る場合がありますが、それをどう見極めるか? これも、「不安の払拭」には大切ではないでしょうか?

 

 

スタンドの数を記事は「充電インフラについても、10年に全国で360基だった急速充電器が、現在は7000基以上に増え、初代発売時より格段に充実している。」と書いていましてそれはその通りと思いますが、対するガソリンスタンドは2013年時点で、25,690箇所というデータがあります。

最近ガソリンスタンドの数は少し減ったようですが、それでも出かけ先でガス欠になりそうになっても、飛び込めるスタンドはあり、5分もあればまた満タンに出来るわけです。

 

「チョット、バッテリーが減ったから充電スタンドに寄るか」

というほどの充電スタンドの数はなく、長距離などの場合は予めどの辺りで充電するか?は、目論んで置く必要がまだあるのではないでしょうか。

 

しかも、80%の充電に40分程度かかることもあり、まだまだガソリンを入れるような簡単な事ではありません。

また、極寒冷地でのバッテリー性能の課題などもあります。

 

このように、まだまだEVはガソリン車並みにはいかないのです。

 

なのに、新型リーフの形も旧型以上にあくまでもガソリン車と同じデザインで、このあたりもユーザーにEV独特の使い方を強いるなら、本来は考えてなくてはいけないことと思います。

 

逆に言うと、ガソリン車並みデザイン、しかもかなり一般的なデザインにしたということは、フォロワー層までをターゲットユーザーにおいているのではないかと思われ、そこには販売台数増を目論んでいると思われます。

 

つまり、日産自動車は今回の新型リーフこそ、EVの不安を払拭できたから、販売台数は伸びると本当に考えているのかもしれません。

(多分、後述の中国市場を中心に考えているものと思いますが)

 

現在、ニュースなどでカーメーカーのEVへの舵取りを伝えるものが多いですが、これは大きなマーケットの中国が自国の将来=エネルギー政策を考える上で、石油は既に輸入にたよる形になっていますから、それを打開したいと原子力発電に切り替えて同時に自動車産業もEV化すれば、携帯のように世界に打ってでられそうだという、自国の発展を考えた結果EV化に舵を切り始めたと言われる方も多いです。

つまり、EV商品ありきでなく国の政策からひもづいたEVということです。

多分バッテリー開発も国を上げてやっているでしょう。

 

勿論、新型リーフはそういう中国市場をメインに考えているものと思います。

中国の中で高級EVブランドになることを目指しているのではと思うのです。

 

中国現地メーカーEVは日本がそうであったように、自動車としての「品質」は少し足りなくても「廉価」であれば、数は相当数でるものと思われます。

本当に、世界を席巻するかもしれません。

 

日産、トヨタ、ホンダなどとの現地との合弁会社では、現地資本のメーカーと較べてどうしてもコスト高になります。

 

EVの世界は、ガソリン車が普及した時の世の中状況とはかなり異なります。

つまり、EVはガソリン車の垂直型産業でユーザーが喜ぶ商品を安くという単純な価値観では成立せず、EVと社会、国の政策などまさに水平型産業とも言える形で、考え方を変えなくてはならないと思うのです。

 

形、デザインも、ひょっとすると使い方も、ガソリン車と異なるEVにあったものに、これからは変化していくのではないかと思っています。

 

ガソリン車並み「品質」を目指して造るのがEVではないと思います。