繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

「私の愛車遍歴」第13回 CR-Xデルソル-1

2016-11-16 16:13:33 | 日記

 

 だいぶん、間隔があいてしまいましたが、今回はいよいよデルソルです。

「いよいよ」と言うのは、デルソルは私にとって、様々コトが重なり合ったクルマなのです。

 

 

私がアイデアを出して、開発をリーディングさせてもらったのもこの機種が初めてで、開発が難航し各ステップの評価会落ちまくりで、開発メンバーは勿論EG(ホンダエンジニアリング)や鈴鹿製作所さらに部品メーカーさん代理店さんなど多くを巻き込んで苦労させてしまったり、ホンダの開発や企業としてのシガラミも勉強したり、まさに私のホンダの開発業務のキャリアの中で、変換点となった思い出深い機種なのです。


私は自分が携わったクルマは購入する事がなく、若い時の82モデルのアコード特別従販以来、買っていません。また、アコードのあとのCITYカブリオレ以降は、ホンダ車は買っていませんでした。この理由は長くなるので、また次回としまして、先につづけると・・・何で買ったか???

 

私は、デルソルも新車時には買っていません。確か新車発売後10年程たってから中古で買いました。

最大の動機は、デルソルの開発時にカタログを担当していただいた某代理店に、入社したてのカワイイ女性がいまして、彼女がデルソルを発売とほぼ同時に買ってくれたのです。

私は、嬉しくて「◯◯さんが手放す時は譲って欲しいので言ってね」「リーチ」とかなんとか調子の良い事をつい言っていたのです。

それで、10年程経って、彼女と久々にばったりと会社で会った時に、「そう言えば繁さん、手放す時は引き取りたいって言ってましたよね」と親切に言われまして、正直言うと既に忘れていたのですが、当時はまだ若かったので頑張ったら、思い出し「そうだったね」と。

それで、クルマは当然数万キロ乗っていて、アチコチのキズもあり〜ので、さらにボディー色もブルーメタ(私は開発時から好きでなかった色)で、正直購買意欲をそそられる程のモノでも無かったのですが、これもご縁と思い、譲ってもらうことにしました。ちなみに、価格は、破格の安さでした。

その頃は、前回書きましたウーパールーパー・インテグラに乗っていたので、それと乗り換えました。

 

ボディー色は、ブルーメタリックで凹やキズもあったのと書いたように元々あまり好きな色でもなかったので、全塗装を決意しました。(全塗装の件はまたあとで)

デルソルのテーマカラーはグリーンメタリックでしたが、開発時は私の趣味でテスト車をピンク色に塗ってもらったりと、ぽわ〜っとしたデザインなので、パステルが似合うと思っていました。チョット白っぽい黄色なんかも似合うかなと思っていました。

勿論、これらの色は似合う似合わない以前に「数が出ない」ので、量産カラーからは外されていました。

当時から、売れるのは、白・黒・シルバーと良く言われ、当時のプレリュードのテーマカラーが赤で、これのイニシャル配車も赤でやったものですから、販売店さんから総スカンで大変だったと言うことを聞いた記憶があります。

勿論、デルソルのテーマカラーのグリーンメタリックは確信犯で、「数は出ないけど、このクルマはコレくらいのガツンとした色でないと」という、わけのわからん理由で承認をもらい量産にこぎつけました。

 

デルソルは何と言っても、社史に残るくらい難航した大変な開発でした。(残っていないことを祈ります 笑)

勿論、トランストップシステムの開発が大変でした。

そうそう、この名前決めるのだって、半徹夜でした。

ホンダでは、新規のハードシステムなどは、開発者が決めるという事になっていました。

開発者は技術には秀でていても、名付けはね〜、というのが、言い訳でしたが、この取り決めは開発者の想いがはいるので中々良いと思っていました。

トランストップは、長く名前を検討していましたが、イヨイヨ明日販促にトスしないといけないという夜に集まって、チームや他の開発者も入れてワイワイとやったのを思い出します。

深夜を過ぎても中々良い名前をおもいつかず、決まらず、とうとう時間切れのような形で、トランストップに決めました。

しかし、あとから考えると中々良い名前だと思いました。

今の、ホンダは新技術名称を名前のような「愛称」でなく、i-MMDのようにローマ字の羅列で、専門化しかわからない、お客さんを煙に巻くようなのが多く、威厳を付けたいのかもしれませんが、お客さんに呼んでもらえなかったら、名称の意味がありません。

最近の「ハイブリッド」もHEVでは??だし、IMAも??、

「ハイブリッド」といったからユーザーの間でも「ハイブリッド」と呼ぶようになったのです。

PHEVは「プリウスPHEV」と言ってトヨタから発売されていましたが、未だに「PHEVやPHV」はユーザーにとって「何?」となります。

すみません、話が、ずれてしまいました。

 

トランストップは一応、量産開発に入る前に「事前検討モデル」のようなものは作って検討しましたが、いざ量産開発になると「事前検討モデル」ではよくわからなかった、問題、課題の続出で開発は超難航しました。

 

ハード開発以外にも、「クルマにクレーンつけるとは何を考えてるんだ」とか、「スポーツカーは軽くて走らんといかん」など、至極ごもっともな意見噴出で、しかも開発が難航していると聞くと、「早く止めてしまえ」と言うような乱暴な意見もでたりと、大変な騒ぎになったのです。

 

ちょうどその頃、これは聞いた話なのですが、

若いデルソル開発者が「確かにデルソルの開発は難航しているが、こういうチャレンジが無くなったらホンダじゃない。頑張って乗り越えるから、開発させてくれ」と社長に直訴したメンバーがいたらしいのです。

社長はなるほどと思ったのか??とにかくおとなしくなりました。

しかし、今思うとこの若い開発者はだれだったのか??

すごい奴がいたものだとつくづく思います。

また、そういう事を直訴できる会社だったんですね。

いい会社だったと思います。(過去形ですが・・笑)

 

これで、会社全体としては、表向きおとなしくなりましたが、

CRXのフルチェンジだから、今更開発はやめられないし、トランストップが問題なら「マニアルトップ(手で脱着する)」に変更して、開発を続けようという、まともな意見も研究所の親分から出ました。

 

しかし、デルソルからトランストップをとったら、コンセプトの柱が無くなります。

 

一方で、トランストップの開発が失敗すれば、デルソルという機種そのものも無くなり、本田技研工業の商品開発部門である本田技術研究所の面目丸つぶれになります。

 

そんな中、私の上司は「メンバーがトランストップの開発で苦しんでいる時に、マニアルトップの話なんて出したら、楽な方に逃げて、トランストップは出来なくなる」と言い出し、これもまっとうな意見、当時裏ではじめていたマニアルトップの検討をスグやめろというのです。

 

つまり、クルマ自体の開発が頓挫しないようにリスク回避の意見と、あくまでも何が何でも、技術開発を頑張りきりデルソルコンセプトをやりきるという、2つの選択肢となったのです。

 

私は、困りました。

 

仕事には戦争用語が出てきたり、よく戦争に例えられますが・・・。

私は、攻めても攻めても落ちない二百三高地を、部下の死に苦しみながらも、また攻めて、攻めぬいた乃木希典大将を思い出しました。


やっぱりトランストップは諦めたらダメだ。やりきろう。

 

しかし、本田技術研究所の事も考えなきゃいけない。

メンバーの士気が落ちないようにしながら、マニアルトップも開発しておこう。

 

マニアルトップの担当になった設計者が、詳細は省きますが、非常に素晴らしいマニアルトップシステムを発案しまして、簡単にいうと「簡単に脱着出来て、収納出来るシステム」なのです。

トランストップの設計者達も「これは、いいね、よく考えたね」となり、これに負けないようにトランストップも頑張ろうとなったのです。

当時のチームメンバーは本当に優秀でした。

上司の心配は不要で、逃げなかったのです。

 

元々、私は艤装屋で、エンジン屋コンプレックスというか、妬みから、この先、エンジン性能はどの会社もソコソコ並ぶ時代になり商品差別化の主役からは落ちると勝手に予言し、これからは車体屋(艤装屋)の時代だと1人で思い込んでいて、何とか車体屋の技術で売れる商品を作りたかったのです。

ホンダでは、長男がエンジン屋で次男がトランスミッション屋、シャーシ、ボディ、艤装とハッキリと可愛がられる序列があるような気がしていたのです。

それで、CRXのモデルチェンジにあたって、スポーツカーに変わりはないけど、ある調査結果から「もっと走らないものができないか」という奇妙な話になり、私はそれならオープンカーで流す車だといいのではと進言しました。

が、上司は「オープンカーは良いけど、幌はイカン。S800に乗っていたが幌で苦労した」となり、私は「勿論ですとも、幌は古臭くてイカンです(揉み手)。ハードのルーフを電動で動かして見せますぞ」と息巻いてしまいました。

 

そこから、先程の、後に開発メンバーが苦労する開発が始まりました。私の揉み手から始まった??の??

 

長くなりました。二部構成にします。


私が以前に乗っていた、デルソル。

この黄色は悩んだあげく当時のM3の色にしました。

宇都宮の塗装屋さんにお願いしました。格安でやっていただきました。