繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

XV、インプレッサ、フォレスターに通ずるスバルの設計思想

2016-01-08 11:20:38 | 日記
昨年末に、スバルの試乗会にお邪魔しまして、その時の事を記事にして載せていただきました。
Auto critiQue(オート・クリティーク)というWEB媒体です。
定期的に様々テーマで、掲載していただいています。
今回は、「XV、インプレッサ、フォレスターに通ずるスバルの設計思想」と言うもので、スバルのクルマづくりに対する姿勢に感心しまして、書かせていただきました。
バックナンバーもありますので、良かったら見て下さい。

http://autocq.co.uk/news/13348

シエンタの顔は人相が悪い? (トヨタブランド戦略)

2016-01-07 17:24:31 | 日記
このお題は、私の周りから良く質問される項目の1つです。


シエンタの初代は、一般的に若い女性や若いファミリーをイメージさせるクルマで、当然「何であんなデザインなの?」という周りからの質問はありませんでした。


トヨタ・シエンタ は、2001年デビューしたホンダ・モビリオを追っかけるように、2003年にデビューしました。
ホンダ・モビリオは、デビューに先立ち東京モーターショーでお披露目されており、その時点からサイズ的にはスペース重視の5NOフルサイズミニバンとコンパクトスモールカーとの間の市場創造型商品として開発されていました。
そのデザインは今までにないもので、ヨーロッパのトラムをモチーフにしたような新しいデザインでした。
つまり、マーケティング的にはサイズも価格も5NOフルサイズのステップワゴンより下ですが、そのデザインテイストは異なりハイセンスなもので、ヒエラルキーにハマるものではない商品として提案されました。


これらに先立って、2000年10月に発表発売されたホンダストリームを見てトヨタ自動車が2003年1月にウイッシュを開発し発売したのは有名な話ですが、モビリオとシエンタはストリームとウイッシュと同じ構図だったような気がします。
つまり、「トヨタは他社の提案型商品でマーケットの確実性を見てから、より良い商品で追い越す」と当時のステークホルダーの間では言われていたようです。

もし、そうだとするとトヨタはイケそうな商品を見つけ、後出しジャンケンでよりお買い得でより良い商品に改善して出す。そこには、新車開発の為のマーケティング費用、投資が不要な訳でよりリスクレスな商品開発が出来るという事になります。
一見お得なようですが、開発メンバーの心情、モチベーションを考えると、そう喜べないと思います。
「あれが良いから似たようなのを作れ」と言われて喜ぶクリエーター(デザイナー、マーケッター、設計者など)はいません。
しかも、こうなると本当のマーケティングが必要なくなり、従業員のモチベーションも下がり、いざ市場創造提案型商品を自分達で作る時にはハードルが上がります。
つまり、後追いの無難さで数をおいかける商品がメインになっていきます。

その事に、一番危機感を抱いたのは創業家で長いスパンでトヨタ自動車のことを考えられる豊田章男社長と私は想像しています。他の経営者のように「定年まで勤めれば終わり」という訳にはいきません。血統でトヨタ自動車のことを真剣に考えていると思います。
事実「トヨタのクルマづくりを変えたい」と発信しています。


シエンタの人相が悪いという話の前に、トゥインゴの変遷を見るとシエンタの事も理解しやすいのではと思いつき、長くなりますがチョット紹介します。

トゥインゴは1993年から2007年まで14年間も販売された初代、2007年より2014年の7年間販売された2代目、現在は三代目となります。
初代は、ホンダ・トュデイによく似たモデルでしたが、EUの中ではかなり先進的デザインでありました。


二代目は、あまり特徴の無い普通のハッチバック。


今回のRRになった三代目はコリッとしたまとまったデザインではありますが、そんなに先進的でもなく特徴は少ないデザインとなっています。


初代は1993年から2007年までと、14年間も販売した。途中当然MMCは行われましたが、これは異例の長さです。
ちなみに、販売不振を続けた初代スマートは1997年から2007年まで10年間販売後FMCを行い二代目に移行しています。
つまり、長く1つのモデルを売り続けるというのは、「償却」に関係しているのではと想像しました。
元々、ヨーロツパのカーメーカーはモデルチェンジサイクルは5年以上あり日本に比べ長いですが10年は長過ぎます。
日本のカーメーカーの傾向としてはたとえ償却しきらなくても一定のサイクルでFMCしてユーザーを刺激し、台数を上げるという考え方で、スクラップ& ビルト的なのが多いように思います。

ということから、この期間が長いということは、あまり売れなかったということを意味するのではと思いました。
つまり、トュインゴの初代は先進的コンセプト・デザインで評判にはなったが、実際はあまり売れず、二代目の普通のハッチバックのトュインゴは販売好調だったということです。その学習の成果か? 三代目はRRというパワートレーンを採用しながらも、その特徴や良さを出す先進的デザインというより、一般的なハッチバックスタイルを踏襲しています。

当たり前な結論ですが、あまりチャレンジせず、マーケットの売れ筋に沿ったコンセプト・デザインのクルマにしておけば万人に支持され販売には良いということになります。
(価格は大切になりますが)
これは、マーケティングからみる1つの解答かもしれません。

ここでの大きな問題は、万人好みに作ったクルマは数が見込めるというのは、誰もがわかっている真理で、量を売りたいメーカーはどうしてもそこにたどりつく。しかし、これは隣のカーメーカーも同じコトを考え、結果似たようなクルマで特徴・個性つまり今風に言うとキラーコンテンツがないと、最後は「価格競争」になっていきます。

ヨーロッパのユーザーは同じような個性のない商品より、個性・特徴のある商品を好む傾向にあったと思います。
つまり、ユーザーはメーカー間の個性、独自性等を尊重し評価してきたのです。

なのに、トュインゴのような現象が出ると言うことは、「クルマに対する価値観」があまりにも提案型の商品はEUでは受け入れられにくいということかもしれません。
また、ブランドイメージに合わない個性、独自性等を提案してもスッと受け入れられない。
新ブランドである鳴り物入りの個性派コンセプトのスマートは、(そのコンセプトは万人には受け入れ難いものだったかもしれませんが)もっと評価されても、つまりもっと売れても良いのではなかったかと思うのですが、マーケットにとっては飛びすぎていたのかもしれません。

また、提案型の商品は別としても、個性を好むと思っていたヨーロッパのユーザーは実は保守的で、「先進のクルマ」より「実績のクルマ」なのかもしれません。あるいはクルマ離れで「クルマに前ほどの興味を抱かなくなってきた」ということもあるかもしれません。

このようなヨーロッパの特性をみて、その頭で日本を見ると、日本でもチャレンジングなコンセプト・デザインのクルマはチラホラありますが、昔から「万人向け」がメインになってきました。

工場の生産能力を大きく抱えた(人件費・固定費)トヨタなどにとっては、「万人にウケて、数が出る」また「数が読める」ことが、経営上の大きな課題だったと思います。

だから、ストリーム・・ウイッシュ、モビリオ・・シエンタの関係が出てくるのです。
多分こういうような図式が長く続いたため、「トヨタのクルマはつまらん」というような事が言われ始めたのだと思います。
豊田章男社長はここに危機感を感じ「良いクルマ」と言っていますし、とにかくまずは「個性」を重視した方向に舵を切ったのではないかと思うのです。

「86」なんかも、数は出ないのはわかっていても、「トヨタのクルマはつまらん」を突き破るのには「まずはスポーツカーから」という考え方で、開発・投資効率を考えてスバルとの握手につながったと思います。
(しかし、スポーツカーならなおさらトヨタ自身で全て開発した方が本来ブランディング的には良い)
また、ピンククラウンなど、今までのトヨタのイメージを破ること、中庸な万人向けのトヨタというブランドイメージを変えたいと強い決心を示したと思います。
コミュニケーションも「Reborn」と飾りの「リボン」をかけたものまで用意しました。

長くなりましたが、このようなことから「シエンタのFMC」には大きな決心があったと思います。
モビリオのあと、「ちょうどいいフリード」が快走をつづけていました。この領域にマーケットはありました。
そこに、ストリーム・・ウィッシュの時のように、万人向けで数が読めるデザインで追っかけることはしないで、
「トヨタのクルマはつまらん」を突き破るを考えて特徴的なデサインにしたのではないかと思っています。

つまり、万人にとっては「少し最初は、ええ~」というデザインにすることで、「トヨタは変わった」というメッセージを送る。これはブランド創りの第一歩です。
次に、その変わったものが、本当にいいものだったんだと思ってもらう。
これは、AUDIもこの手法をとっています。
(繁浩太郎のブログ参照)

ただ、トヨタ・シエンタの場合は、その後「本当にいいものだったんだ」と思ってくれるか?というところに課題があると思います。
私は、基本的にシエンタは人相が悪いので難しいかもしれないと考えています。
(人は本能的にクルマの前面を顔として見てしまう傾向があります。よって、クルマの顔はそのクルマの性格表現ととらえられやすいです。)
また、商品全体としてもブランド作りの為の「本当にいいものだったんだ」と思ってもらえる事になっているかと言うと疑問です。キラーコンテンツはなんでしょうか?
シエンタは発売後、好調な販売と伝えられていますが、今年の終わりまで、あるいはそれ以降もつづくのでしょうか?
予想ですが、もう少し人相のいい顔にMMCで変更するのではと想像します。

ただ、ユーザーはその後見慣れてくると言う事もあります。とっつきにくい顔の人でも毎日横にいて見ていると慣れてきます。
私は、恋愛のときこの方法を使いました。
私のように自分の顔に自身のない人は、気後れせずにドンドン好きな彼女の前にたつべきなんです・・・笑。

後は、ヨーロッパのところでふれましたが、日本のユーザーは特に「クルマへの興味」が薄れてきていますから、「特徴のあるデザイン」でもそれ程気にしないと言うこともあると考えます。

いずれにしても、トヨタは今「Reborn」の途中と思います。
途中ですから色々と摩擦は起きるかとは思いますが、先進的、チャレンジ、センス良い、などというイメージワードがトヨタにふさわしくなる日は将来きっと来ると思います。

やることやれば、そうなるんです。 
・・・種をキチンとまけば必ず花はさきます。種を撒かずに自然に任せたり、撒いても土壌が悪かったりでは花は咲きません。
種と土壌と水/太陽です。





2016年 日本は水素社会を目指している途中

2016-01-05 12:45:17 | 日記
明けましておめでとうございます

今年は「暖かい冬」ですね。 また、天気も良く良いお正月を皆様すごされた事と思います。

しかし、こう暖かいと、頭をよぎるのは「温暖化」「CO2」等の言葉です。
そういえば昨年は異常気象などと言われ、不安を感じて、「温暖化」「CO2」を実感しましたよね。


政府の「温暖化」「CO2」解決策は「エネルギー政策」と「経済成長」の両輪政策の中の1つとして、「水素社会に」と言われています。
確かに、エネルギー政策と経済成長は両輪と言えると思います。そのエネルギー政策の中に「温暖化」「CO2」課題は入っています。
「温暖化」「CO2」課題の難しさの本質は、経済発展と相反するということです。
経済発展するとつまり人の生活が近代化するとCO2が増えると言う事で、相反しているのです。

エネルギーの元を自然界(水)にある水素に求めるのは良いのですが、その水素をエネルギーにするには、水素を作り出さなきゃいけない。その為にまた経済的な事とCO2が関わってきます。
CO2が出ないように、水素を作るエネルギーも水素で・・・??「鶏卵」?
お金をかけて化石燃料から水素を取り出したり・・・。
このあたりよく分からんですよね。

工業用水素の相場はだいたいですが1立方メートル当たり約150円。FCVは水素1立方メートルで10キロメートル走るとして、150/10=15円/km。
ガソリンが今120円/Lで燃費20km/Lとして、120/20=6円/km
FCVは走らす燃料費用だけで倍以上のコストです。
さらに、FCV製造やステーション設備投資などのコストが乗ってきますから、ざっとみてもガソリン車の倍では全くすまなくなります。
「やっぱり矛盾している」? となる。

水素社会は「水素を作る」という、その入口から困難が待ち構えているのです。
チャレンジングな事は良いのですが、少しくらいは「技術見通し」が必要になります。
まして、政府の主導でやっていることですからね。当然多くの税金が使われています。
「技術見通し」や「目論見」なしで進むとしたら、それは「無謀」といえるのではないでしょうか。






地球の歴史の中で、確かに産業革命以降に燃やしすぎ?


CO2はリーマンショックで落ち込んだ。経済活動とリンクしている。


家庭生活を充実させるとCO2が増えるということになると思う。


きゅうりを一年中食べられるということはCO2を多く発生している。


世界の自動車保有台数は新興国(開発途上国)が増えています。


自動車保有台数を見ると、先進国はサチレートして新興国は伸びている。
保有が伸びるということは、廃車にするより新車が多いということでマーケットが広がっている、大きくなっていると言うことになります。
自動車メーカーが、大量生産・販売、大量消費の同じ産業体質のままで、収益が見込めるのはマーケットが広がっている所です。

新興国の代表の中国が頭打ちになれば、インド、・・・アフリカとマーケットは続く。
これらの国は少なからず経済的な課題はありますが、需要は確実にあります。
支援をして経済を活性化させ、自動車を買っていただく。
新興国の人だけでなくとも、人はだれでも先進国のような電化/自動車生活をしたがるのは当たり前のことです。

この様に、先進国新興国を含めた価値観や需要が続く限り各自動車の燃費が良くなっても、地球的な自動車台数増には、及ばないのではないかもしれません。

いわゆる環境車は、自動車メーカーがマーケットを求めてどんどんクルマを売っていく為の「免罪符」なのかもしれないとも思います。
もっと言うと、CAFÉは自動車メーカーを収益・技術様々に苦しめていますが、それをクリヤーすることで、新興国にどんどん車が増えてもCO2増にはそれ程寄与していないと言いたいと言うことかもしれません。
つまりこれは「言い訳」になっているかもしれません。

また、HEVやFCV等になってくると、新興国カーメーカーは技術的についてこれなくなる。
これは現カーメーカーの対進行国カーメーカーに対する競争力になる。苦しくても頑張る。
という図式も成立するかもと思います。

つまり、カーメーカーは新興国での販売の伸びがなければ「成長」はないという現実に直面しているのです。
日本を制覇した豊臣政権が「成長」を求めて、大陸に進出したのは、野望ではなく「成長」していかないと「政権が保てない」「社会が成立しない」つまり、成長を前提とした社会構造だったからそうなったのでは?という説もあります。

「水素社会」の本質は、「成長戦略の見直し」にあるのではないでしょうか?
つまり、「成長なしでも幸せに行きていける社会」。
・・・これは難しいですね。
しかし、カーメーカーで言えば「マツダ」が一定販売台数で、つまり成長して工場を増やすというのでないトコに企業コンセプトを定めているように聞きました。
企業戦略的にそうなったとしても、結果これが本当の先進企業かもしれません。

一般的に「成長」すれば「CO2」は増えるのです。
以前、北米大陸先住民の生活コンセプト「先代から受け継いだモノや自然をそのまま子孫にも残す」に私はハマったことがあります。写真集やグッズまで買ったりしました(笑)。
これだと、「CO2」は増えません。
しかし、精神的には成長するかもですが、「生活の成長」は見込めません。

あるいは、「成長」してもCO2が増えないようにする技術開発。
当然中途半端な「水素社会構想」ではなく、簡単に言うと「CO2排出なしに水素/エネルギーを安く作る」技術。

EVも電池革命が待たれますが、「水素社会」も技術革命が待たれます。
当然、待っていても来ないから、今からでも日本の教育システムを「革命を起こせる人」を育てるように変えるべき
と私は強く思います。
これからは、「改善」ですむ世の中ではなくなると思っています。
今、必要なのは本当の「イノベーション=革命」なんです。
諺に「急がば回れ」、アメリカの60`sバンドのベンチャーズの曲にも「Walk Don`t Run」(邦題「急がば回れ」)というのがあります。聴いてみて下さい。

教育からやり始めましょう。