さて演出ノート後記2です。
前回に引き続き今回も劇団芝居屋第十六回公演「払暁の時・手紙」の作品創りに際して、役者達に要求した「時代を纏う」という意味合いを解説します。
しかしその前にこの「払暁の時・手紙」はどの様な物語なのかご紹介しようと思います。
そうです。このブログを読んでくれてる人は芝居を観た人とは限らないという事を失念していました。失礼しました。
「払暁の時・手紙」はこの二人の老人の出会いから始まります。白髪頭の老人が大槻、眼鏡をかけた老人が片野といいます。
彼らは戦後の第一世代生まれです。当然親は戦争を体験しています。
二人は普段街の行事などで顔をあわす顔見知りでしたが、互いの名前は知りませんでした。
片野の父は元通信兵で大槻の父親とは同郷同士でした。
特攻兵として再会した大槻の父は片野の父にまだ生まれていない我が子への遺書を託したのです。
片野の父親は大槻にこの遺書を渡す事を息子に託しこの世を去りました。
そして出会いとなりました。片野は大槻に父親から聞いた顛末を語るという物語です。
この様に現代から過去に展開する芝居に最も必要な事は、現代との対比です。
現代とは異なるあの時代をどの様にリアリティーをもって表現できるかにかかっています。
その責任は役者にあります。役者はその時代を我がものとし、現代に生きる己を封印しなければなりません。しかし己を封印するといっても当然考えるのは役者本人なのですから、自分で考えるのは当然です。封印するのは現代の自由を謳歌している場所からの発想です。
そこで必要となってくるのが「時代を纏う」という考え方となります。
さてその詳細は・・・燃料が切れたので、また次回。
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