外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南&北京=>故郷へ

北京五輪の翌年(2009年)からの外教(外国籍教師)生活と地元での留学生との触れ合いを綴っています。

出発

2013年01月03日 | 日記
1月3日(木) 快晴

旅立ちを祝福してくれるかのような見事な晴天でした。
雪は当分溶けそうになく朝の運動はもう諦めておりましたが、朝食はいつも通りの時間。
芳がまたもや私の食事を既に買っておりました。
昨夜の夕食でお調子者の劉揚が朝も一緒に食べると言っておりましたが、予想通り来ません
でしたね。

元旦休みになってまたもや使えなくなったシャワー、仕方なく元日は例のごとく下の部屋のを
使ったのですが、今度は下の部屋のも使えなくなってしまい昨夜はシャワーを浴びることが
できず、頭にはタオルを巻いて寝たのですが、今朝せめて頭だけは軽く洗いたいと思い水道の
水を沸かそうとしましたら、水が出ない。またもやどこかで水道管が壊れて修理中なのでは
ないかというのが主任の話。なんともコメディのような話ですが、最後まで楽しませてくれる
学校です。
幸い飲料水が多量に残っていたので、それを沸かして頭を流しました。

午前中後半に張先生の授業があったので、余っていたカレーのルウをお土産に持ちつつ、学生
達に最後の別れの挨拶。まるで1年生の時を彷彿させるような元気な挨拶に少し涙ぐみました。

出発が12時の為11時に昼食。ここは雪と芳と共に昨年週2回一緒に食べた野菜麺をあの頃
を思い出しながら食べたのですが、悲しみを抑えていたせいか麺なのに喉を通らず、三人とも
あまり食べないまま食事を終えました。芳は既に涙をこらえきれず、食後に私の部屋で車を
待っている間中ずっと涙を流しておりました。
その時間に流した涙が少しは枯れてくれたのか、車に乗った後は一つ飴をくれてお礼を言うと
笑顔が戻ったので『やっと笑ってくれたね』と話すと後はずっと笑顔でした。

今日のドライバーはこの3年で何度もお世話になったとても無口ながらプロ級の運転手。
スピードをあまり出していないように見えるものの、いつも到着時間を見て驚くのです。
ただ、今日は高速に合流するまでの道がまだ溶けない氷に覆われており長時間が予想され
更に運転手の「俺も道がわからない」という言葉で不安が増大。
こちらに来て初めて船を使った際はカーナビがある車だったのですが、高速道路が途中で
工事のため寸断され運転手がお手上げ状態のところ、同乗してくれた友達の彼女が青島に
いたころがあり、彼女のナビでなんとか到着できたのですが、今日は誰も分かる人間がいない。
私のiphoneで電波が弱いながらグーグルマップを拾うものの、地図があっても分かりずらい
場所なので、この運転手さえもお手上げ状態。
時間に遅れそうなので船会社に電話するも電話に出ない。
チケットを手配してくれるこの会社に直接関連のある代理店の女性に電話したら少しの遅れ
なら大丈夫とのこと。しかし、何分遅れるのか分からない。
そこで運転手から提案が。
誰か一人がタクシーを拾って、そのタクシーに我々を先導させるというもの。
なかなかの妙案です。
早速雪がタクシーを拾って誘導させました。
道を見ているとやはり地図だけでは到底分からない複雑な道です。

桟橋ターミナルに到着してすぐに代理店の女性にお金を払いチケットを入手。
乗船開始の約10分前でした。
道に迷い始めてからは時間との勝負で芳もずっと携帯電話で時間を気にしておりましたので
感傷に浸る余裕は無かったのですが、乗船開始となった時に再び涙が。
芳を抱き寄せ、雪も抱き寄せて別れを告げました。
私ももう涙をこらえずに歩き始めたのですが、雪はやはり強い女の子。
「先生、行ってらっしゃい」の言葉になんとか笑顔を作り
『行ってきます。元気でね』と返事をしてゲートの中に入っていきました。

大粒の涙を流している私に向かって、「ここの手荷物制限あってないようなものですよね」と
なんだか馴れ馴れしく話しかけてくる関西人が目の前に。
『ああ、そうですか』と軽い返事をして、後方の芳と雪を目で確認しているのに、
「ここのスタッフ中国語しかわからへんのですよ、以前・・・」と構わず話しかけてくる。
あまりにKYさにこちらの感情が台無しになってしまいました。
悲しみを抑えるには良かったのかもしれませんが・・・。

それにしても・・、初めて維坊を訪れた日といい、離れた今日といい、何かしらハプニングが
ありますね。

2013.1.3 出発


このブログは1月8日に掲載しました
コメント
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