ひとが何事かをなす時に、大切なものは「天の時と、地の利と、人に恵まれるか」だそうである。
戦国時代、地の利を最大に活かしたのが、織田信長であるならば、京から遠く雪国の宿命に泣いたのが、
上杉謙信であろう。けれども、領地を広げようと、私利私欲のためには、けっして戦をしなかったのも、
彼、謙信であった。その謙信が築いた春日山城址へ、いざ、参ろうと存ずる。
麓の小さな駐車場に停めようとして、上をみる。急な坂道の舗装道路が延々と続いている。
如何にもしんどそうだ。ふと、右手を見ると「上には駐車場はありません」の看板が、
やむ無く歩くことにする。
左手は深い谷だ。前途多難である。何台かの車が追い越して行く。「えっ、なんで…」。
舗装が切れて、左手にソバ屋があり、なんと右手には駐車スペースがあるではないか!!
目の前に大きな謙信の銅像が遠く越後平野を見つめている。ここからが春日山城址への本番である。
山道が延々と伸びて、天空へ吸い込まれるようだ。ベルトを締め直し、靴紐を結び直す。
丸太で補強された急な階段を登る。幾つもの曲輪跡や遺構が現れ、さらに登るのだが、
天守跡の看板など何時のことやら。鋭く切り立った崖の上には「毘沙門堂」があった。
再建されたもの。だが、格子戸から見える高さ30センチほどの毘沙門の像は、謙信の念持仏である。
出陣にあたり、この前で毘沙門天に祈り、檄を飛ばしたと言うことだ。
直江兼続の屋敷跡は、まるで天空に浮かぶ丸い台地だ。奥方のお舟さんや女人たちの健脚を思う。
こんな山の上で営まれた生活とは如何なるものか?想像だにできない。
そして、ようやくにして天守跡に立つ。はるかに日本海を望む。咲き残る山桜が可憐である。
なんたる、スケールの大きさ。地形を巧みに用いた、縄張りのこの絶妙な配置。唸るしかないのであった。
そして、いつものことながら、帰り道の遠いこと。けれど、じわじわと充実感の充ちてくる帰途であった。