湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

近江・弧篷庵の秋

2011年09月27日 | 詩歌・歳時記

年に一度来る、東京の親友を連れて行くところは、ふたつお決まりだ。

ひとつは、渡岸寺・国宝・十一面観音菩薩。もうひとつは、湖北の山里にひっそりと息する

「近江・弧篷庵」である。

               

江戸期の、総合芸術家、小堀遠州の菩提寺である。いわゆる「綺麗さび」の奥義を極めた

粋人だ。

ゆるやかな坂道を登る。参道というより、詩歌をゆったりと誘う幽玄の路である。

     

右手の刈り込みは、満天星躑躅。春、花は咲かない。緑を楽しむ趣向である。

玄関には、誰もいない。ただ、ご芳志を置いて、2面の庭と対面する。

枯山水の庭は、今なら筆竜胆の咲き乱れに出会える。

                      

もうひとつの庭は、琵琶湖を形どった小さな池を前景に、秋も深まれば圧倒的な紅葉に

出会えるだろう。大阪、京都方面から、観光バスを連ねて、それは大変な人出なのである。

けれど、今は誰もいない。ゆったりと過ぎ去る時の流れを、独り占めである。

  

友の声が聞こえるようだ。「あー、ここなんだよな、近江に来たぜ・・・さぁ、一句、披露しろよな」

俳句が、次々に湧いてくる。そして、やや浮き足だったような日常を、正常に戻してくれる、

近江・弧篷庵・・・・俳句・短歌作者にとっては、聖地ともいえる清浄な庵ではある。

                    


ひこにゃん

2011年09月21日 | 詩歌・歳時記

            

あっちこちで、ゆるキャラブームである。雨後のたけのこ状態。

関東の状況はわからないのだが、まぁ、日本全国的な盛り上がりなのだろう。

とくに滋賀県は、その数、圧倒的に多いのではないかな。

                          

今年はNHK大河ドラマ「江」の影響で、浅井三姉妹のゆるキャラは、地元浅井町製作のものと、

使用条件のもめごとのあげく、県が後追いで作ったものの2種類あるしまつだ。

それにしても「ゆるキャラ」とは、なんと絶妙なネーミングだろうか。

       

しかし、縫いぐるみなんぞには、なんの興味がない私がみても「ゆるキャラ」の名にもっとも

ふさわしいのは、城下町・彦根の〈ひこにゃん〉であろう。

天真爛漫、見る者の心を平和にしてくれる、素直なお方。傑作であります。

                          

ここまで人気になるのには、しっかりとした歴史のうらずけがあるのである。

彦根2代藩主、直孝公が世田谷・豪徳寺に参詣の折、大木の下で雨宿りをしていたところ、

白い猫が手招いた。思わず近寄って行った後で、落雷が大木を直撃したのだった。

      

それ以来、豪徳寺を井伊家の菩提寺としたそうな。で、ひこにゃんは白いのですよ。

 


円空さんの十一面観音

2011年09月03日 | 詩歌・歳時記

                    

湖北の観音堂には、渡岸寺や石道寺のように、 「世話人」 が常に受け付けにおられる

み堂もあるが、扉に 「当番表」 がぶら下がっていて、電話をして案内を乞うお堂も数多くある。

伊吹山の麓、春照(すんじょ)の集落にある、円空さんの十一面観音の収蔵庫も、

入り口にその年の世話人の、名前と電話番号が書いてある。

「角から三軒目・・・」 などと書かれていれば、直接に頼みに行く訳である。

         

さて、その十一面観音であるが、2メートルに近い堂々たる仏像である。

満面に微笑みを湛えて、円空さんの特徴を余すところなく、表現されている。

畳に坐り、見上げていると、知らずに口もとがゆるむのである。

江戸時代前期、美濃に生まれた円空さなは、長良川の大洪水で母を亡くしたことにより、

12万体の仏像を刻むことを発願し、伊吹山の太平寺で修行をつみ、飛騨の御嶽山、

北海道の有珠山などで、山岳修行のかたわら、全国を行脚し、

                                                         

悩み苦しむ人には菩薩像を、病に苦しむ人には薬師像を、災害に苦しむ人には不動明王を、

限りあるいのちを救うために阿弥陀像などを刻み歩いた訳けである。

寺院に安置される立派な仏像はもとより、道端にころがっている木片を刻む、

いわゆる「木っ端仏」まで、その足跡は美濃・飛騨にとどまらず、滋賀、関東、東北を越えて、

北海道にまで及んでいる。

                                   

還暦をすぎ、母の命を奪った長良川の畔で、即身仏としてその身を終えたのである。