真夏、日本海を左に見てひたすら北上する。国道8号線である。
何処で高速道路にあがるか? と思いながら金沢に突入してしまった。
オー・ミステークだった。突然の渋滞。まぁ、いいか、車の流れのままに進む。
やがて、富山と能登有料道路との分岐点。懇切丁寧な道標だ。
日本海が見えてきて、さすらいの旅の始まりだ。
海岸から幅30メートルほどあるかな、砂浜がギュッと固められ、南北に8キロに伸びる
「千里浜なぎさドライブウェイ」をゆっくりと走る。砂の粒が恐ろしく小さいのだ。
海水浴する家族連れ、浜焼きの店が並び、キラキラと光る波。
日本の正しい夏の風景が、東北の人たちには申し訳けない事ながら、車窓に続く。
「能登千里浜・休暇村」併設のキャンプ場に到着。松林のなか、とにかくも広い。
日陰の良い場所を選んで、テントを張る。「mont-bell ムーン・ライト」30年来の相棒である。
こっちの身体は、あちこち傷んできたが、テントには何のほころびもない。頼もしい奴である。
若者のグループを避け、テント回りにアウトドアの遊び道具の多い、ファミリーを選んで
テント・サイトを決める。昼間のお遊びに疲れて、早く寝てくれるのだ。
年期を積んだ家族ならなお良しである。
本館の温泉でのびのびする。風呂上がりのビールの旨さ!!
今回は極力、カメラを封印。短歌・俳句に専念する積もりだ。
レンズを通して見るか? 自分の眸と心で見るか? しかし、カメラと詩歌は両立しないものだ。
思惑通り、両隣りのテントはすぐに灯を消し、静かになった。
ウィスキーの水割りを遣る。短歌が湧き、俳句が訪れる。
潮騒をのせて夜風が吹き抜ける。至福のひとときが、静かに流れ、能登の夜は更けていく。
俳優・加藤 剛の清潔感が好きだ。代表作として映画「砂の器」、テレビドラマ「関ヶ原」を挙げたい。
「砂の器」は、松本清張の原作を読んで、まぁ並みの推理小説と思った。
それが映画化されるという。あんな複雑な話を、どう料理するのか? 興味津々見に出かけた。
圧倒されました。二人の犯罪者、二人のヒロインを、一人づつに置き換えて、物語がすっきりした。
また、父と子の苦難の巡礼のシーンに映像を絞った点、脚本の大勝利と言えよう。
ラスト・シーンのリサイタルで、加藤剛の演奏とかぶさる、親子の旅の場面に涙がとまらなかった。
「彼は今、音楽のなかで父と逢っている」と言った丹波哲郎の刑事に、理不尽な物を感じた。
和賀英良の恩人、緒方拳への殺人行為だけは、許されてしかるべきではないだろうか?
加藤剛の清潔感と、潔癖な凛々しさが、そう思わせるのだろうか。この世の不条理が哀しい。
「関ヶ原」は、司馬遼太郎の原作を元にした大作ドラマだ。三成の家老、嶋 左近 の三船敏郎が良かった。
当時、こんな戯れ歌が流行ったそうだ。「三成に過ぎたるものが二つある。嶋の左近と佐和山の城」。
愚痴になるが、左近の武将としての提案、作戦を総て採用していれば、関ヶ原合戦は勝利していたろう。
それが出来なかったのは、三成の正義感、潔癖さ。戦国の世に、通用しない清潔感であった。
加藤剛とイメージがピタリと重なる石田三成であることだ。
雨降る松尾山へ、小早川秀秋への説得に向かう苦渋の横顔の加藤剛、いやさ三成の不安感。
戦さ半ば、西軍の優勢に「勝った…」とつぶやく三成の、加藤剛の恍惚とした上気した表情。
見所多い、テレビドラマの傑作である。
伊吹山麓に棲む、もともとの日本人を、朝鮮半島から渡来して、侵略した天皇側からは「蛮族」と呼ぶ。
その一族を制圧に向かった、日本武尊が傷つき、おそらく目潰しにやられて、
高熱のまま辿り着いた、湧水に体を浸したところ、目が醒めた。
それ故、この湧水を「居醒めの泉」と言い、土地の名を「醒ヶ井」と言う。
しかるにパンフレット等にはこうある。「日本武尊が伊吹山の大蛇の毒気に当たった時、
その高熱をこの清水で癒したところ、熱が引いたというゆかりの湧水…」
可憐な梅花藻の花が、水中に揺れる醒ヶ井から南へ一里、渓谷の奥に「醒ヶ井養鱒場」がある。
明治の初期に、ビワ鱒の研究育成の機関として、開設されたのだが、紆余曲折、
今は虹鱒の養殖と並んで、観光地として春の桜、夏の避暑、秋は紅葉の名所として賑わいをみせている。
高校生の頃は土日ともなると、観光バスが何台も連なり、丹生川沿いの狭い道にひしめいたものだが、
今は昔日の面影はない。が、木陰を選んでのんびり歩いていると、
渓流や池面から吹きあがる涼風に、たちまち汗はひき、結構な避暑気分である。
広い場内の最奥に、湧水の源流へと行ける山道があるのだが、今は通行禁止になっている。
生き物である虹鱒の健康のため、細菌の侵入防止をはかっている訳けだが、
一番詩歌が湧いてくる、原始の魅力に富んだ場所だけに、まっこと残念なことではある。
日々仰ぐ、伊吹山には、さまざまな伝承、伝説が伝えられている。
近江、美濃を分ける、標高1377メートル、それほど高い山ではないが、一山だけすくっと聳えている。
関東へ行った時、武甲山を見て、あぁ、伊吹山だと、懐かしく望郷の想いに駆られたものだ。
奈良時代、僧の修行の場であった伊吹の地に、唐の国から修行僧がそばを持ち帰り、
栽培したことから日本の蕎麦の歴史が始まったとか。にわかには、信じがたい話ではあるが…。
関ケ原から伊吹山の麓を抜けて、余呉湖から山越えで、越前へ至る道を「北国街道」と言うのだが、
さまざまな歴史や、庶民の哀感に充ちたエピソードに満ち満ちた一本道である。
さて、何年か前、伊吹山の麓に「伊吹野そば」と申す店ができた。
山麓の農家と委託契約し、休耕田で蕎麦を栽培しはじめた訳けである。
いつかの年、新そばを食べたが、口の中にそばの香りがいつまでも消えなかった。
白に近い、洗練された味わいである。遠来の客がひきもきらず、大変な繁盛振りである。
やがて大きな施設に立て替えて、売店も併設。あまつさえ、お隣には道の駅もでき、
一大観光拠点として育つに至った。時分時をはずして行っても、店の前の椅子には客が座ってるほどだ。
伊吹の特産物のひとつである「峠大根」とも呼ばれる、やや小振りな、独特な辛味の伊吹大根の
おろしそばは、この店の名物である。そば打ちを体験できる「そば道場」も併設されている。
秋、山麓の随所にある蕎麦畠に、白い花が揺れるだろう。そして長い雪の季節が訪れる湖北ではある。