御食国<みけつくに>という言葉が古代にあった。
朝廷の食料を献上する国を、こう呼んだそうだ。
若狭地方もその一つであり、「御食国」という言葉が、福井県の観光のシンボルになっている。
若狭湾や広く日本海で捕れた魚介類を、京都へ運んだ幾筋もの山道を「鯖街道」と呼んでいる。
若狭・小浜から琵琶湖畔の港町、今津へ至る山道を九里半街道とも言い、その中継地が「熊川宿」である。平日のせいなのか、人も少なく、ゆっくりと歩きはじめる。
宿場の入り口にでんと構えるのが、復元された番所だ。所謂<入り鉄砲に出女>の統制と、
物資への課税が行われていた場所である。
ここから「上の町」が始まり、「中の町」「下の町」へと続く、南北1.1㎞、道の左側に前川と呼ばれるおそろしく流れの速い水路が、水音も高く、走り下ってゆく。
春に歩いた、木曾街道の奈良井宿ほどの賑わいはなく、朽ちかけたままに、ほって置かれる家屋もある。まぁ、多種多様な家々が両側に建ち並ぶ。棟を街道に対して平行させて建つ「平入建物」と呼ぶ町屋。「妻入建物」という、棟を通りに直角に置く、屋根の三角の部分が見える建物。その間には土蔵がある。
一番感心するのは、防火意識が強いことだ。柱はおろか壁一面が、塗り込められた塗込造の家。
一階の屋根の両端に、隣家からの延焼を防ぐ、卯建を上げた町屋、それぞれに工夫した意匠が面白い。熊川城址があり、徳川家康が越前攻めの折り、泊まったという「得法寺」には、家康腰かけの松が……。
一番下まで歩き、同じ道を引き返す。今度はゆるやかな登り坂である。ちょうど腹も減ってきた。
出発点の道の駅で、ざるそばと名物の鯖寿司を味わう。デザートは、名物の葛もちで仕上げだ。
馬籠や奈良井宿と比べると、確かに見劣りはする。だが、生活の匂いは一層に色濃く、つつましい。統一されていない面白さ。詩歌が湧いてくる邑ではある。