湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

白川郷の、とめちゃん

2012年09月28日 | 詩歌・歳時記

この国の一番美しい町はどこであろうか? 勝手きままにさまざまな地方を放浪してきた私に

とって、岐阜の街こそが、青春の折り重なるような思い出とともに、真っ先に夢のごとく浮かび

あがる。 

深いみどりいろを湛えた長良川が町を流れ、稲葉山城がそびえる、そして衰退したとはいえ、

柳ヶ瀬の繁華街に、かの君、あのひとと散歩したひとときが、幻のようにフラッシュ・バックする

のである。 重たいラジカセを抱えて、イヤホンで聞きながら列車で通勤したのだった。

          走り根につまづきかけて曼珠沙華

          芙蓉咲くうしろすがたの敷き道に

ある会社の共同のロッカーに、もろに財布を置いていたひとがいた。「盗まれても仕方がない、

でも、盗むひとを創ってしまうのは、あなたの罪でもあるのだよ」と、やんわりと注意をした。

                                    

それが「とめちゃん」だった。 

私の打ち上げた写植印画紙を、版下に制作するのが仕事の彼女と、急速に親しくなった。

夜毎、滋賀へ帰る私と岐阜駅の待合室で、或いは喫茶店で時間も忘れて語り合った日々。

          われもこう白川郷は風のなか

          立秋のうしおのいろとなりにけり

ある晩秋の夜、とめちゃんのアパートへ初めて送っていった。月の明かりのほのかな塀際で

抱きしめあっていた。 その時だ。 ひとりの男のキツイ眼がふたりを刺し貫いたのだった。

                        

白川郷の両方の親同士が決めた、とめちゃんの許婚であった。

そして、それっきりであった。 あの夜以来・・・・私の胸に去来する調べは、

由紀さおりの 「枯葉の町」 の哀しい歌声であることだ。


鳩のマークの平和堂

2012年09月22日 | 詩歌・歳時記

支那の反日暴動は、常道を逸しています。 あちらの政府は、デモを黙認しながら、

若者たちの国への欲求不満を、日本への巧妙な反日へ転換したつもりだったのだが、

狂い始めています。

                    

破壊され、奪掠された「平和堂」は、昭和32年に、滋賀県彦根市のいっかくで 「靴とカバンの店」

平和堂として、産声をあげました。

まるで、かの「ダイエー」と同じような軌跡で発展し、日本の枠を超えて「支那」にまで、進出したの

である。 テレビに映るあの凌辱ぶりは、所詮「チョンコウ」と思わらずをえませんね。

三国志の、かの支那人は・・・・今何処。 

日本全体で、支那から総引き上げをしましょう。 所詮、朝鮮人・支那人は・・・・程度が・・・・

低すぎるのだ。

             秋風や 胸に秘めおく さくら貝


竹島は朝鮮に、下げ渡そう!!

2012年09月16日 | 詩歌・歳時記

あいも変わらず領土問題がかまびすしい。 北方、尖閣、竹島・・・・。

石原都知事の尖閣3島買い上げの腹案を、横から掬い取った政府には憤りを覚える。

燈台も船泊まりも、一切の建造物を造らないだと!! そんな国有化があるものか!!

                 

さて、竹島である。この島にはヘリポートが造られ、朝鮮人の観光スポットになっている事実。

山の頂上には、砲台が築かれ、その銃口はわが日本に向けられているのである。

満州で暮らした両親から、いやというほど聞かされたものだ。

隙あらば物品を奪ってゆく、チョン公のしたたかな厭らしさ・・・・。 そんな輩とはまともな交渉

などは不可能である。

      

ましてや、お粗末なわが国の政府の外交であることだ。 

ここできっぱりと、竹島は物欲しそうな、見下げはてた朝鮮にくれてやろうではないか。

スマホを選ぶ時、その時点での性能は朝鮮製がトップだった。 けれども誰が買うものか!!

日本の優秀な技術者が、ヘッド・ハンティングでかの地へ渡っているとか。

                     

そもそも、領土とは何であろうか。 それは他国を侵略し、奪い取ったものである。

かって日本も、朝鮮半島を支配し、満州に国旗を立てたのだ。

この地球上に「男」が存在しているいじょう、戦争は絶えない、それが道理である。

竹島は、チョン坊に奪い取られてしまったのである。

             

朝鮮人と対等に交渉するなど、愚の骨頂である。

今思えば、秀吉の朝鮮征伐は正しかった・・・・・のかな!?

竹島は、朝鮮人に、恵んでやろう。


特別展 「湖北の観音」・・・・・長浜編

2012年09月10日 | 詩歌・歳時記

               

湖北・長浜はむかし昔は、今浜と呼ばれていた。かの姉川合戦の折の攻防の手柄によって、

豊臣秀吉・・・当時は羽柴秀吉が、織田信長から落城せしめられた浅井長政の居城、小谷の

城を頂戴した訳けだが、あまりの山城ゆえ、政治の中心都市として、寒村にすぎなかった

今浜に城を築き、信長の一字を頂き「長浜」と改名したのだ。

                      

その長浜市の「長浜城歴史博物館」で7日から、特別展「湖北の観音」が始まった。

おそらくは湖北は、祭られている観音像の数ではこの国随一であろう。

ひとは死ぬと、生前の行いによって六つの地獄へ堕ちてゆく、といわれている。

即ち、人間道・修羅道・畜生道・・・・らしい。誰がこんな嘘っぱちを発明したものやら、呆れ、

驚き・・・・人間というものの愚かさをしみじみと感じるのだが・・・・・。

 

生前に争いごとを繰り返した人間が堕ちるのが 「修羅道」 だ、そうだ。 

その守り本尊が「十一面観音」なんだ。って。 古来、湖北は争いの聖地である。

東海道、中仙道、北陸道・・・・交通の要衝を巡っての戦乱の絶える日はなかったのである。

                     

2階へ上がり、一番目の観音を見て、びっくりした。ナント、山門の和蔵堂の「十一面観音」では

ないか!!  私が湖北のナンバー・3と密かに慕う観音である。

眉目秀麗、 以前、このブログで書いたように、黄金造りの太刀をどこかに秘めて佇つ、公達の

ごとき品格と、凛々しく結ばれた口元。 このお方だけで、大満足したのだった。

          一村にひとつ観音桐の花

次は、余呉の山奥にある管山寺の十一面。軽妙洒脱なわずかに金箔を残した、地方仏らしい

たゆたい。一体、一体・・・・申していてはきりもない。馬頭観音、千手千足観音・・・・よくぞ、

これほど集められた、博物館の学芸員のたゆまない努力と、その熱情に、初めは拒否していた

村の観音の世話役の 「より多くの人に見てもらいたい」 との思いを、貴重な、尊いものと

心しつつ、三時間もの豊かな空間と、時の流れを堪能したのでありました。

          観音ゆ弥生の天地舞ひにけり

1時半、ゆっくり歩いて「鳥喜多」の親子丼を、久しぶりに味わった。うーむ、満足・・・満足。

                  

 

     


映画 「あなたへ」

2012年09月04日 | 詩歌・歳時記

                   

1年ほど前、高倉健主演の、富山が舞台の映画が撮影中であると、何かで知りました。

25日に全国封切られましたが、2日待って27日の月曜日に、彦根のビバ・シティへ観にでかけ

た。4っつあるホールのうち、一番スクリーンが小さな 「シネマ2」だって。何でやネン。

 

その前に原作本を、半日かけて読みました。期待がいやがうえにも盛り上がるではありませんか。

降旗康男監督は、ヤクザ映画を多く撮ってきたひとで、ボクとはそもそもの感性が違いすぎるよう

だ。 前半はガックリの連続であった。 第一に、妻役の田中裕子の声が小さすぎて、例え病人を

意識したにせよ、そのセリフの半分も聞き取れない。

                         

最期の帰宅の折り、コンビニへ飲み物を買いに行く場面は、とても素晴らしかった。

溝川にホタルが飛び交い、妻の今後を暗示する詩情あふれて、痛々しくも印象的なシーンを

端折ってしまっている。 シナリオにしろ演出にしろ、まったく「詩情」のかけらもなかったね。

 

長崎を目指して旅に出るわけだが、この監督は徹底して「観光地巡り的・映像」を、拒否している

ようだ。富山の海で、流木を拾うシーンは、島尾キャンプ場のある、松ヶ枝海岸である。

何故、雨晴しを使わないのか? 義経と弁慶が雨宿りした岩穴が、今も残っているのだ。

映画を観ながら、あらゆるシーンに憤慨していた。

         

飛騨・高山の道の駅に、健さんの車が入っていく。 山田洋次監督なら、さりげなく「ドライブ

ステーション板蔵」 を暗示するショットを入れる筈だ。 琵琶湖の畔のキャンプ場でのシーンも

最悪だった。湖西の知内浜・・・・夜明けの美しさを映像で提供しよう! なんて意気込みはゼロさ。

湖面に靄がたゆたい、鳥たちの羽ばたきが始まり、そして今日の旅が静に始まる、のだが。

 

長崎まで、二通目の遺言状を受け取りに行って、「さようなら」一行だけは、ないっしょう。

原作では、やや長すぎる妻の最期の言葉が書かれている。ボクも読んでいて、鬱陶しいとは

思ったんだ。 散骨の夕陽の凪いだ海のシーンにかぶせて、半分に要約した二通目の遺言を

田中裕子の・・・・はっきりした声で・・・・読ませるべきではなかろうか。

          

セリフをすべて聞き取れたのは、綾瀬はるか、次に、余 貴美子・・・・それだけで、初めて観た

ふたりの女優さんへ次の期待がかかるのだ。 佐藤浩市の演技は、抑えたなかに燃え損ねた

情念を秘めやに宿し、見事であった。 草薙某の青年は、ひとり浮いていた。最悪!!。

大スクリーンでなら、モウ一度観てみたい。 でも、また血圧があがりましょうか。