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末の松山

2011-07-04 | 名所 旧跡
昔は教科書にも出ていたと記憶している浪打交差層。
教科書に出ていたかどうかは、私の記憶違いで図鑑だったかもしれません。
小さな写真と地層の説明部分を何かの本で見たのは確かですが、子供の頃の記憶なのであやふやではあります。
その浪打交差層が近くであると知ったのは最近のことで、今年の行って見たい場所のひとつでした。
昨年暮れに大雪があったため、二戸地方の山間部では倒木が道路を塞ぎ、5月の連休頃まで通行不能の道がありました。
浪打交差層までの道も倒木で車が通れず、先日になってやっとここへ行くことができました。

歴史好きでないと何のことはない山の中ですが、昔の主要道であり、菅江真澄も天明5年(1785年)9月にここを訪れ、「けふのせば布」にはその記載があります。
ここを通った歴史上の有名人には、明治天皇と東北巡幸に同道した維新の立役者も居り、万葉の時代から歌に詠まれたほどの有名地。
現在は国道4号線が馬淵川に沿って走り、峠越えの旧道は車一台が通れる幅の、ひっそりとした道でした。

今でも地層ははっきりと確認できて、ジャガード織のウィングス柄のよう。
和柄に似たようなものがあったと考えていたのですが、矢羽文様と同じなのかもしれません。
昔の日本人が地層の美しさを感じ取っていたのは、和の文様と同じだったからなのかもしれないと考えてしまいました。



菅江真澄 「けふのせば布」 9月6日一戸側から浪打峠に立ち寄る。土の中からワレカラ・ナミマカシワなどの小貝がでる。藤原家隆の和歌を挙げている。 
「東北御巡幸」 岡田益男


矢羽柄パターン









津軽で日本庭園巡りをするなら

2011-06-01 | 名所 旧跡
久しぶりに三沢市の三陸温泉に行ってみると、窓から見える小さな庭は、すっかり春らしくサツキ色に染まっていました。
日本庭園は、ツツジ・サツキの根締めを多用しますから、春のこの時期は普段よりも花の多い明るい庭園が楽しめます。
昨年は秋に津軽の庭園巡りをしていましたが、新緑と花の季節も見てみたい。
ひとつの場所に、季節を変えて何度も行けるのは、考えてみれば贅沢な話ですね。
津軽の日本庭園は見ごたえがあって、日本庭園をテーマに巡るのも楽しいかもしれません。
宮崎映画にもなった盛美園と、建物も見事な清藤氏書院庭園もお勧めです。


藤田記念庭園
貞昌寺庭園
揚亀園




入内の石神神社

2011-05-09 | 名所 旧跡
仏教と神道を区分けする以前は、日本的とも言える混沌の信仰があったはずで、教義経典を抜きにして畏れ多いものを祭り上げる、そんな精神風土があったのだろうと思っています。
青森には仏教でも神道でも、修験道でもないと思われる信仰形態があって、形式的に他の宗教との融合を明治期以降も続けている民間信仰が数多く残っています。

青森市の入内から山に向かった場所には、人の顔の形をした石を祭る石神神社があって、本尊はその石になっています。
目の形の窪みに溜った水に、眼病・難病治癒の霊験があると云われたようで、案内板には以下のように書かれています。

藩政時代、「石神様」としてその霊験が広く喧伝された。<中略> 草創年月は不詳であるが、霊泉の発見者は、眼病を煩っていた小館村(現青森市)の弥十郎という人であると伝えられている。
明治初年、神佛混淆禁止のとき、神社の形体が未整備の理由から信仰を禁止させられた。
しかし、霊泉を求める人が多く祈祷所を願い出たが、明治五年、県庁から「愚民を惑わす妖言」として不許可になった。その後、自然石の破壊も試みられたという。


明治初年から、明治政府は神道を国の宗教とするため、神仏判然令・神祗事務総督・神仏分離令と矢継ぎ早の太政官達が出され、神官は神祗省の職員となって一定の住宅戸数ごとに郷社と祠官(しかん)が決められました。
国による宗教の管理には、当然ながら反発もあったはずで、案内板に書かれた過激な表現は上からの命令に対する「じょっぱり」精神の発露と、神道・仏教とは違う自分達の信仰が認められない憤りも感じられます。

現在では祭神はアマテラス、ツクヨミ、オオヤマツミとなっていますが、後からの合祀なのでしょう。
青森の精神風土から生まれ出る信仰形態は、イタコや赤倉信仰、恐山や賽の河原など、今でもそこここに残っていて、そんな青森の原信仰の香りがとても興味のあるところです。


本尊である人面の形をした岩 


神社の少し手前には御鈴大滝神の鳥居があって、沢に下りると滝壺にも岩の御神体が 



場所は地図上で探せなかったのですが、入内の集会所を過ぎると小さな案内板があります。未舗装の林道を5kmほど登った先になります。



南部氏庭園秋の開園

2010-10-29 | 名所 旧跡
八戸市売市にある南部氏庭園は青森県南には数少ない江戸時代からの日本庭園のひとつです。
毎年春と秋には開園日を設けて公開されています。
公開日には市民ボランティアガイドの方もいて、庭の見所や歴史なども詳しく説明してくれて、見学者にとっての配慮も行き届いていました。

この庭を造ったのは、薩摩藩島津家から1838年に婿養子に来た八戸藩9代藩主の南部信順。
鹿児島の風景を懐かしんで造ったといわれるこの庭は、馬渕川を海に見立て八甲田山を桜島に見立てたのか、庭園内でひときわ目立つ三本のモミの木の間から高田大岳を望める場所が見所となっています。
大名庭園としては小さな庭ですが、明治以降この土地を切り売りしていったためではないかとも思える造りであり、作庭当初の形を想像するのもまた庭園鑑賞の楽しみの一つです。
鹿児島の名園である仙巌園[磯庭園]と比べてみると、故郷の雄大な風景を求めていた薩摩人の思いまでが伝わってきます。





揚亀園

2010-10-25 | 名所 旧跡
津軽藩ねぷた村の中にある揚亀園は明治時代に作庭された庭です。
大石武学流の代表的な庭園ということで、弘前市の日本庭園巡りにははずせません。

日本庭園といえば寺社庭園・武家庭園・大名庭園としての成立が多い中、青森県内の日本庭園は商家や豪農の作る個人の庭としての庭園が多い。
そして近代以降の作庭が多く、中央から離れていても文化を求める個人の気持ちの現れなのか、競い合うように作庭をしています。
京都から来た造園法といわれた「大石武学流」も、元であったはずの京都では全く知られずにこの地方だけに存在する流儀であって、津軽の負けず嫌いな一面を表しているとも感じます。

揚亀園も一実業家の造った庭園で、津軽の日本庭園としての流れを正しく踏襲しているようで、そんな意味でも代表的なのでしょう。
この庭からの岩木山は茶室の前からしか見えません。初期の頃の周囲の樹木や町並みなどは分かりませんが、茶室に上げる客に対してだけ一番の景色を見せるための「もてなしの庭」だったのかもしれません。

 





県名勝 貞昌寺庭園

2010-10-22 | 名所 旧跡
弘前の日本庭園の中でも、味のある庭といえば新寺町の貞昌寺庭園。
入り口から眺める庭と、小道を歩いて庭を巡った後では印象ががらりと変わる不思議な庭です。

公開はされているものの住職の私的な住まいでもあるため、庫裏に見学の申し出をして受け入れてもらってから庭へ回ります。
目の前は芝生が広がり明るい庭ですが、左手の築山への道を歩き出すと、まるで深い山の中のような雰囲気へと変わり、池の裏手を通って一番奥まった場所にある東屋までの景色を楽しめます。
わずかな距離でありながら次々と見せ場が現れるなか、やはりこの庭にも岩木山は隠されていて、それを観させるためにこの庭は設計されているのだと感じました。
この庭では作庭者は「いかがでしょうか」とソフトに語りかけてくる、そんな感覚を持ちました。

作庭者は江戸時代の茶人野本道玄。他に齋藤酒造の庭なども作庭しています。
津軽といえば大石武学流の庭が多い中、茶人の作庭が観る人をうならせる、ひねりの効いた庭でした。


 




日本庭園の楽しみ 藤田庭園

2010-10-21 | 名所 旧跡
長部日出雄の小説の中で、津軽三味線の弾き方を話すくだりがあり、
「初めに一の糸でドデン(びっくり)させて、三の糸で聴かせる」
そんな記述を思い出したのが、弘前市にある藤田記念庭園でした。
「借りぐらしのアリエッティ」のモデルとなった盛美園の人気から、日本庭園にも注目が集まっていますが、津軽地方には素晴らしい日本庭園が数多くあります。
その一つである藤田記念庭園は、庭園入り口の門を潜った途端に借景の岩木山が目に飛び込んできて「最初にドデン」させられます。

津軽地方の日本庭園の作庭にあたっては岩木山は借景として重要であると以前にも書きましたし、もちろん弘前城からも岩木山を望めます。津軽地方の名庭といわれる庭は岩木山の観せ方に趣向を凝らし、必ず何かどこかにそんな見せ場のための仕掛けを隠していると感じます。
藤田記念庭園でも、園内を歩きながらそんなポイントを見つけることができました。
その場所では「三の糸で魅せる」という表現がぴったりと当てはまるように、作庭者の意図を聴く事ができます。
すでに鬼門に入っているであろう作庭者の、「どうだ」とでも言いたげな声が聞こえてきそうな素晴らしい眺めを目にしながら、日本庭園の面白さをあらためて感じてしまいました。
紅葉の季節には、色づいた落葉樹の赤や黄色によって、また違う美しさを見せてくれるのでしょう。


・・・・・・追記・・・・・・
藤田記念庭園はミシュラン・グリーンガイド・ジャパンで星一つを獲得していますが、この庭園の「縁側」も独立して星一つの評価になっています。
縁側でいただく抹茶が高く評価されているのですね。

 
 
 





青森のパワースポット

2010-09-08 | 名所 旧跡
今日は旧暦の8月1日で、岩木山では「朔日山(ついたちやま)」のご来光を拝むために未明から山に登っている方も大勢いたのでしょう。Twitterを眺めていると今年のご来光は綺麗だったのが分かります。

パワースポットが流行しているのか、書店には関連雑誌が並んでいます。
青森県内のパワースポットとして紹介されている場所もありますが、個人的に青森のパワースポットBest1はこの「朔日山」の岩木山頂ではないかと思っています。
いつか私も参加したいと思いつつ、未だに果たせずにいるのですが。
主だったパワースポットといえば、恐山と十和田湖と岩木山でしょうか。岩木山は山自体が信仰の対象で、山麓にいくつもの宗教施設がある他、津軽地方の日本庭園の作庭にあたっては借景として重要であるとも言われています。
津軽地方では「岩木山の見える住宅地は土地価格が高い」とも聞きますが、本当のところはどうなのでしょう。

パワースポットとしての条件を考えてみると、自然の力と多くの人々の信仰心が融合したものとも読み取れます。いわゆるトンデモな話ではありますが、景勝地や湧水、奇岩が祭られるなど、自然の中にある理解不能な事象に神様の存在を感じた昔の人の精神性は今でも人の心の中に生きている。不安な世相だからこそそんな古い記憶が意識の表層に出てくるのかもしれません。







夏は涼しく 浄仙寺

2010-07-20 | 名所 旧跡
青森も梅雨明けなのか暑い日が続いています。
暑い日は山の上に限る、とドライブがてら出かけた黒石市の浄仙寺ではちょうど「黒森山 雅楽と花菖蒲まつり」という雅楽の演奏会がありました。
雅楽をライブで聴くのは初めてでしたが、「雅」という文字が表わしているように西洋楽器とは違った美しい音が本堂に溢れて暑さを忘れるひと時になりました。

東北地方で雅楽を聴く機会はほとんどなく、この演奏会も偶然居合わせただけでした。
それでも次の機会があればまた聴きに行ってみたい演奏会で、開催予定などを知る方法を探しています。
ちょっと涼みに行くつもりでしたけれど、素晴らしい偶然と幸運に感謝しています。

境内には茶店もあって、湧き水で淹れたコーヒーを味わえます。

 
 



美しい庭 ハッシャゲニア

2010-06-12 | 名所 旧跡
南部町にある国登録有形文化財の田中邸を、ギャラリーとしているハッシャゲニア。
私邸のために一般公開はしていないのですが、展示会開催中は展示品と合わせて明治時代に建造された屋敷も見ることができます。
展示会の開催は不定期のため、いつでも行けるわけではなく、イベント開催時期のチェックは欠かせません。
それでも何度か足を運んでいるのは、こちらの建物と、とりわけ庭の美しさが素晴らしいからです。

日本庭園は深山幽谷を庭の広さの中で表現するものです。
しかしその縮尺は様々で、小は盆栽から、大は巨木のある大庭園まで。
京都の苔寺のように自然そのものを表現した日本庭園もあります。
農家の日本庭園は実用も兼ね備えていたりで、一般的に日本庭園は岩と松の組み合わせという認識も多いのですが、もっと広がりのあるジャンルの造園です。

自然を表す、というテーマはまたイングリッシュガーデンとも通じていて、イギリスの著名な園芸家は古い農家を買い取って庭を造っています。
庭とは主役となる建物との関係の中に表現されるものであり、古い日本家屋にはそれを引き立てる庭との調和が何よりも大切だと感じます。
ハッシャゲニアはそんな調和に満ちた、どこを見ても絵になる美しい場所でした。



次の展示会は
「秋谷茂郎 日々のうつわ」
6月19日~25日  11:00~18:00(最終日は16:00まで)
南部町福田間ノ原5-1







国登録有形文化財「田中家住宅主屋・米蔵・門」