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七戸創造の森 カタクリ開花状況

2012-04-29 | 青森自然
ゴールデンウイークになってから、急に暖かく良い天気が続いています。
カタクリの見頃の場所は少しずつ移動していて、連休中が見頃になる七戸創造の森もこれから咲き出すところです。
連休一杯は見頃が続くと思われます。

まだ残雪も所々残っていて、この冬の雪の多さを実感しますが、今年は雪が解けたばかりのためか、福寿草もカタクリもイチゲもニリンソウまで同時に咲き出しています。
毎年思うのは、七戸のエンゴサクのスカイブルーの美しさ。
この地域の花色はこの色ばかりで、個人的に「七戸ブルー」と呼んでいます。
浅虫湯の島はほとんどが白で、夏泊大島は白から濃いブルーまでの色変化があります。
七戸より南は紫色に近い赤みを帯びた青で、他に同じようなスカイブルー色の場所は未だに見つけられません。


 


七戸創造の森
青森県上北郡七戸町字左組142-1 東八甲田家族旅行村内




夏泊半島で焼干しを買う

2012-04-28 | 青森の味
週末は鶏ガラスープを作るようになりました。もちろん煮干しも合わせています。
ラーメンの好きな子供に週末の昼食として自家製ラーメンを作るためです。
大きな鍋で鶏ガラを煮出すと必ず残ります。
この残ったスープを使ってゴボウや人参、コンニャクを煮ると、大変美味しい煮物が出来上がりますし、おひたしのつけ汁にしてもなかなかの味になります。

先日、夏泊半島の大島へ行った際に、サンライズフクシの食堂のラーメンが美味しくて、このラーメンの出汁に使われている焼干しも購入しました。
焼干しは煮ても形が崩れないで、臭みの少ない美味しい出汁がとれるとのこと。
目の前の海で獲れたイワシやアジの焼干しは、そのまま食べても良い固さと塩加減です。
出汁をとる目的で買っているのですが、そのままおやつ代わりに消費する方が多くなっていて、まだ焼干しスープのラーメンが作れずにいます。









青森のカタクリシーズン

2012-04-25 | 青森自然
桜の季節はもう少し先ですが、あちこちからカタクリの花の開花情報が届いています。
浅虫湯の島は満開をやや過ぎ、夏泊大島は八分咲きといった所でしょうか。
七戸創造の森は五月の連休から開園ですが、残雪も多いので、連休にはちょうど見ごろとなっていると思われます。
(4月28日に福寿草・カタクリまつりとの広報があるようです)


有名なカタクリ花見ポイントは、今年の雪の多さと春の寒気で、例年になく開花が遅れている状況です。
遅い春は例年より綺麗ではないかと思っていましたが、初夏の花である草丈の高い花の葉が伸びてしまうので、カタクリのように草丈の低い花は、満開の頃には他の植物の葉の下になってしまうのだと今年初めて知りました。
それでも残雪が解けたばかりの場所では例年通りに美しいカタクリが見られます。

自宅の庭にもカタクリを植えていて、毎年春の花の時期を教えてもらっています。
カタクリは春に葉と花を展開させた後、葉は六月頃に枯れてしまいます。
二か月もない短い期間で今年の花と実と、来年の花をつけるためのの栄養を賄っています。
今出ている数枚の葉だけが、今年と来年の栄養を貯めているのですが、この葉を踏んでしまうと、もう今年は葉を新たに出せず来年の花のための栄養も作れません。
踏んでしまった靴跡の形だけ葉が折れてしまい、翌年の花が期待できなくなります。
来年も美しい花を美しいまま観賞できるよう、遊歩道だけを歩くよう心がけてほしいと思います。
スプリング・エフェメラルは、春から秋の長い時間ではなく、ほんのわずかな成長期を過ぎると休眠に入ってしまいます。
斜面一杯に咲く花を見たいのであれば、花の時期には大切にしてほしいと思います。


下の左写真の下方には、カタクリの今年発芽の芽と、おそらく二年目の葉が見えます。松葉のような葉が本年発芽。エンゴサクの二年目三出葉苗も。





十世紀の自然災害と修験道

2012-04-19 | 民俗
震災以降よく語られるようになったのが貞観地震で、古い時代の災害についての理解も進んでいるように感じます。
貞観地震は869年と推定されていますが、9世紀は自然災害の多かった時代で、特に東北地方では871年に鳥海山の噴火、915年には十和田湖の御倉半島噴火と大災害が続いています。

9世紀の東北地方は文献記録も少なく、考古学的には末期古墳時代で防御性環濠集落が多く造られた時代であり、北海道アイヌ由来の擦文土器の出土が見られることから津軽海峡を越えた人的・経済的交流も盛んであった時代です。
725年には大和政権による多賀城が設置され、9世紀まで大和政権による支配の北上が続き、政治的には不安定であったとも考えられます。
新しい支配者による統治の途上に大災害が続いているのが9世紀のありようで、北方との交易と大和政権による「柵」と言われる出先機関の混在する時代、東北の人心掌握は宗教による部分が大きかったと思われます。
『日本三代実録』では9世紀の豪雨災害に対して「禍を転じて福と為すには、仏神是れ先となす。宜しく法を修め幣を奉るべし」と、信仰心を説く勅が発せられています。
鳥海山噴火では「明神にに祈っておりながらまだ感謝もしておらず(中略)神が怒って山を焼き、この災異を起こした。もし鎮め感謝しないならば兵役があるであろう」とのト占が出された記録があります。
「法を修め幣を奉る」「明神」「鎮め」などのキーワードを見ると、未だ精神的には大和国家といえない時代に、精神的な統一感をもたらすのは宗教による教化の力で、元々あった古信仰を取り込んだ修験道に近い信仰形態だったと推測されます。

「八郎太郎」の伝説は、蛇と化した八郎太郎と南祖坊が十和田湖を舞台に戦い、法力によって南祖坊が勝ち十和田湖の主となる話です。
これは915年に噴火した十和田湖御倉半島を伝える話だという解釈があります。
ここで注目したいのは十和田湖噴火と火砕流を表す八郎太郎が、宗教者の法力に負けたという話の流れで、自然災害に対して「法を修め幣を奉るべし」と説く権力者と、実際に布教に関わった宗教者が語ったであろう説話の相乗効果です。
十和田湖の噴火はヤマセの季節であったらしく、噴煙は西に流れ青森県南の被害はそれほど大きくはなかったと推測されていますが、それでも紀元後二千年間で最大とも考えられる大噴火を間近に見た人々の恐怖は大きかったのでしょう。
自然災害に対して神に祈るしかない時代、大きな恐怖はそのまま信仰心へと強く結びつきます。逆に信仰心があるからこそ乗り越えられる苦難もある。
現代でも十和田神社の名を持つ社や祠は多く、十和田湖の休屋にある十和田神社は熊野系修験道の一大聖地でした。
江戸時代までは女人禁制の聖地だったとも言われています。
十和田神社は対岸にある御倉半島を祭り鎮めるため建立されたと考えられます。


この十和田湖への信仰を布教したのはどんな人々であったかについて、下のリンク内に詳しく書かれていますが、南祖坊の出身地とされる南部町の斗賀観音または八戸市豊崎にあった永福寺の修験道者ではないかとの説があります。
この二つの内、八戸市豊崎には七崎神社があり、また、近隣には防御性環濠集落遺跡である上七崎遺跡があります。
この遺跡は10世紀後半頃と推定されていますが、錫杖型鉄製品も複数発見されています。
10世紀は空也上人の時代でもあり、この時代において錫杖の持つ意味は宗教的な祭具と考えて差し支えないでしょう。
北東北に文字記録の無い時代から現代まで続いていて、十和田湖の噴火と十和田信仰とも深く関わっているのが、巨木の杜である七崎神社ではないか。そんな想像をしています。


十和田湖神社の占い場では、明治と昭和時代に複数回の潜水調査がなされ、たくさんの古銭が回収されたとのこと。
古銭の年代調査ができれば十和田湖信仰の歴史も詳しく知ることができるのでしょうが、明治時代に引き上げられた古銭は散逸してしまったらしく、現在もどこかで展示されているのかは寡聞にして知りません。
ぜひ見てみたいと思う歴史の遺物です。





秋田県出土銭貨資料一覧
『秋田銭貨史』によると、昭和10年頃「十和田湖、十和田神社の占場の湖水から夥しい金、銀、銅、鉄銭、銀貨、銅貨が潜水夫によって引き揚げられる」とある。占場の湖水は、十和田湖に突き出る二本の半島に挟まれた中湖を指す。占場は、十和田湖第一の霊地とされ、神社参拝者がここから浄財を湖中に投ずる風習があり、水揚げされた銭貨は信仰に伴う賽銭と推定される。   
地学セミナー 十和田湖の成り立ちと平安時代に起こった大噴火
十和田湖と周辺域の歴史と現状 [PDF]
日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日 --十和田湖と白頭山--
十和田湖「謎の洞窟探検記」
参考図書
青森県史 資料編 考古3 弥生~古代
十和田湖  武田千代三郎著
十和田湖町史 上





湯の島カタクリ祭りが始まっています

2012-04-17 | 青森
先週まで冬の風景だった庭は、ほんの一週間の暖かさで急に春になりました。
昨年の写真を見ると、四月の中旬はスプリング・エフェメラルの花盛りで、例年ならあちこちへ花を見に歩いている時期です。
今年は積雪が多かったため、山沿いには今も残雪があり、恒例の花見ポイントの時期が予想しづらくて、まだ出かけていません。
青森市浅虫の湯の島カタクリ祭りは、既に始まっていますが、今週末が見頃のようです。

春の花を、どこへ見に行くかが毎年春の始まりの楽しみで、春の花の次は巨木であったり滝であったり遺跡であったりと、毎年の計画でありながら見てみたいものは尽きません。





送る春

2012-04-02 | 子供のこと
進学のため長男を送り出す。
これから家を出て、自分の道に進む子供を見送るのは達成感と寂しさに溢れた春の風物とは言うものの、今まで毎日の弁当を作り、あれこれと気にかけていた状態から急に離れるのは、やはり先達の言うとおり寂しいものです。

保育所へはたった5年しか通ってないのに、永遠に続くかと思われるほど長かった。小学校はそれほどでもなくて、中学校は驚くほど短かった。高校はあっと言う間だった。
そんな話を知人から聞いたことがあって、当時中学生になったばかりの長男を思いながら「そうかもしれない」などと考えていましたが、今思えば確かにその通りだと感じます。
高校に入ってからの弁当作りも、ほんのわずかな間だけだったような気もします。
子供時代の我が子と過ごす時間は本当に短い。

子供を送り出す人は、今までも数多くいたわけで、自分がその立場になって初めて分かる事はまだまだたくさんあるのでしょうし、理屈では割り切れない感覚は、経験してみないと理解できないという新しい発見ではありました。