毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

ブログランキングに参加しています

人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 青森情報へ

まずは相談してみよう

2010-02-27 | 登校拒否について
先日顔見知りの方に会ったので挨拶をすると、子供のことを色々と質問してきました。
聞けばその方の子供も登校拒否で、親としてどうしていいものか悩んでいる様子でした。
控えめに話していましたが、やはり担任や学校に対しての不満が見えてきます。

子供が登校拒否に至るまでは様々な事情もありますが、その間の学校側の対応に不満を持つことはごく自然な流れです。
前兆を素早くキャッチして適切な対応ができていれば登校拒否に至る事もなかったはず、そう思うことも分かります。私もそう考えていました。
でも人の心の内を完全に理解することなどできることではなく、教師もまた人であれば常に完全な指導ができるわけでもありません。
過去の事を挙げて責任の所在を突き止めても、現在進行している事態にはあまり関係はなく、現状だけがそのまま取り残されてしまいます。

過去に不満はあるとしても、今がどのような状況で、ではどうして行けばいいのかの方向性は、子供に関わるなるべく多くの人と考えていく事がベストな対応だと思います。
学校はその子供に対しての情報をたくさん持っています。
担任に話しづらいのであれば、教務・教頭・校長など教育のベテランもいますし、子供を育てていくという目的は親とも同じはずです。
何より親が学校に対して不信感を持ったままでは、親の気持ちが子供に反映されてしまわないか心配です。

先日お会いした方にも
「不満もあるかと思うけど、まずは教頭か校長先生に相談してみたらいいと思う。私はそれで良い方向に進んでるよ」
親と学校側が共同戦線を張れたら、それは大きな力になれると思うのです。








百石えんぶり

2010-02-26 | 青森
先日、青森に来て初めての"えんぶり"を見てきました。
新聞などで目にするのは烏帽子をかぶった男性の「摺り」と言われるものが多いのですが、実際に見てみるとその他に祝い唄に合わせた演舞との組み合わせで構成されていて、昔の地域の娯楽としての要素も持っていると感じました。

このところ途切れていた祭りを復活させる取り組みをよく聞きます。
十和田の南部切田神楽が30数年ぶり霞廻り
これもそんなニュースの一つでしたが、祭りが持つ地域への効果があらためて見直されつつあるようです。
地域への愛着、人との関係作り、子供への教育など、地域の祭りは思われている以上に重要な力を持っています。
ちょうど読み返していた本『津軽三味線』倉光俊夫著 の中に高橋竹山の気持ちを語った一節があります。


"すでに故郷のことは諦めていたが、一つだけどうしても忘れられないことがあったそうだ。それは祭りだったという。祭りは、どこの村にもある。たいてい、それは稲穂が稔り田という田が黄金色に染まったころ、何本も白い幟が神社の森に立ち、もう村の入り口にさしかかったところで太鼓の音が聞こえてきたものだ。その太鼓の音をきくと、彼の胸はじゃわめいた。
「祭りだなあ、帰りたいなあ」
と、心の底からおもったそうである。"

以上抜粋


太鼓をたたく人をじっと見つめていた子供は、この町に住んでいれば将来はやはり"えんぶり"を子供にもさせるのでしょうし、この町を離れても太鼓の音とともにこの町のことを懐かしく思い出すにちがいありません。







「津軽三味線」 倉光俊夫 

2010-02-25 | book
津軽三味線を習いだす頃、この本を読みました。
三味線奏者、高橋竹山の半生を軸に、仁太坊や梅田峯月など津軽三味線の名手を語りながら、その時代の青森県の情景と芸人の世界を描き出しています。
この本は昭和50~51年に執筆されており、当時まだ存命だった高橋竹山との間に交わした話や、明治から大正にかけて生きた芸人を実際に見た人の話の聞き取りは、時代の持つ雰囲気を濃厚に漂わせています。

まだ貧しかった時代に目の見えない人が生きていくためには、男はボサマ、女はイタコになるのが青森でのならいだったこの時代、真冬に着物一枚だけで門付けをして歩くのは寒さ以上に心が痛むことだったとしても、その日の食べ物にありついてその日の命を永らえるただひとつの方法だったとしても、現在では想像もできない生き方です。
口をあけると雪が入ってくるような吹雪の中を、目の見えない人が次の町を目指して歩いていく。それも今のような道路ではなく防寒着といえるものもなく。

その時代はボサマといわれる三味線弾きなどの遊芸人はさげすみの対象でした。
ほんの数年前に「津軽三味線など習うのは恥ずかしいことだ」とご主人に言われたご婦人の話を聞きました。
同じ頃、70代の方から「ちいさいころはボサマがこの辺にも来ていて、よく追いかけて石を投げたりしたナ、今思えば悪いことをした」という話も聞いています。
吉田兄弟が海外公演をこなすこの時代でも、ボサマが門付けをして歩いた時代の記憶はいまだ微かに残っている、青森とはそんな不思議なところです。








地方の歩き方

2010-02-24 | 青森
ちょっと遠出をする時は、行った先の食品を扱うお店を必ず覘きます。
距離の長短にかかわらず地域ごとの食文化はその地の特色を持っていて、自分の住む町との違いを感じたり、その違いを見つける楽しさを味わったりできます。

昨年は津軽方面に行くことも多かったのですが、とある地元スーパーでは売られている焼きそばの麺が太くて、黒石や浪岡の焼きそばは太い麺を使用していることを思い出しました。
食堂で出される焼きそばばかりでなく、家庭でも太い焼きそばを作っているのでしょう。
そんな地域の味や生活を食品売り場は語っています。

お土産品として売られているものでも美味しい品が多くなりましたが、いつもと少し違う他所の町の味も、土産話と一緒に味わう楽しみがあります。




腰椎椎間板ヘルニアに悩んでいる方へ

2010-02-23 | 健康
私自身10年前に椎間板ヘルニアで入院の経験があり、腰には注意をしています。
昨年の春に無理をしてしまい、二ヶ月ほどリハビリの日々を送っていました。
リハビリと言っても自宅療養なのですが、気をつけていたのは姿勢と体重管理です。

10年前に入院した時は、世の中にこれほど痛い事はない、そう思えるほどの痛みを感じました。
こんな痛みを味わうのは二度と御免だ、そんな思いと当時熱中していた運動を止めるのが嫌で、再びならないために何をすればいいのか真剣に考えていました。
楽しんでいた運動に復帰したい、その願いから出した答えは姿勢を良くする事と体重を減らす事でした。

腰椎ヘルニアでは治療として牽引をします。
2~3時間は少し楽になるのですが、その後は元通りの状態に戻ってしまいます。
ではその時間にしている事が腰に負担を与えているからだとしたら、何をしているのだろうか。
考えてみると自分の姿勢が猫背で、立っているだけで腰に負担をかけ続けていた事が分かりました。
ずっと負担をかけ続けていては腰も良くなるはずもありません。思い切って大幅な減量と前かがみになっていた姿勢の矯正を始め、それと共にヘルニアの症状も感じない程になっていきました。

姿勢を良くするポイントは、頭の中心を骨盤と背骨の結節点の真上にすることです。鏡などに映して横から見るとよくわかります。
体重は昨年から少し増えてしまったために、また減量しなければいけなくなりましたが、夕食の炭水化物をたんぱく質に置き換える方法を使っています。
高たんぱく低カロリーの食品で身近なものが豆腐です。他の食材も利用しますが手軽さでは豆腐が一番なので、豆腐料理でアレンジしています。








森のイスキア 佐藤初女講話会

2010-02-22 | 青森
三沢市で『森のイスキア』を主催する佐藤初女さんの講話会がありました。
森のイスキア



食の大切さを、おむすびを握ることで表現する佐藤初女さんの語りは静かに心に響いてきます。
特別難しい話をするわけではなく、ただ思いや祈りは人に伝わって苦しむ人を助けることができるということを、心をこめて作る食事が伝えるものを、静かに語ってくれました。

便利な世の中になり、お金さえあればすぐに食べられる食べ物は買ってくることができるけれど、人の食べるものは全て他の生き物の命であり、他の命の犠牲の上に成り立つ食事にもっと感謝の気持ちを持っていただくこと。食事を作る人も、それを食べる人に思いを馳せながら食材を使い切ること。
そんな話を聞きながら、人の心が本来求めているはずの喜びや潤いや幸せを、それが一番大切なものだと語りだす人が多くなってきていると考えていました。
多くの人が様々なアプローチで、色々なファクターを通して語る人の心の話は、どれも同じことを言っていると感じます。
私にはまだそれを説明する言葉が見つからないのですが、確かに同じ何かを語っている、そんな確信がありました。




観音参りのヒーリング効果

2010-02-21 | 人間心理
観音参りが好きなのですが、観音堂へ行くのはとても怖いのです。
誰かと一緒に行きたいところですが、そんな趣味の人も少なく自分一人で行くことも少なくありません。
一人で歩く参道は身のすくむ思いがして寒気すら感じます。
それでもお堂の前で手を合わせていると、次第に気持ちが落ち着いて、心が洗われていく気がします。

観音参りは現世利益を願うものと認識されることも多いのですが、信仰や祈りの効果はもっと別の所にあると思っています。
何か大きな存在の前で感じる自分の小ささと、だからこそ感じる今自分がここにある感謝の気持ちは対になっています。
遠い昔から、人間は知恵とともに脆い心も持っていて、その脆さを補うための方法として信仰があったのだと感じます。
科学技術が発達した現在でも、人の心は遠い昔と変わりはなく脆いままなのに、なぜか心までもが強くなったと感じてしまうのでしょうか。
怖いものもなくなった世の中で、やはり何かに不安と恐怖を感じ続けてしまう、そんな脆さを持っているのに。






合せ鏡のように

2010-02-19 | 人間心理
まだまだ寒い日が続いていますが、もう2月も後半です。
雪の景色を見るのも残り少なくなり、日照も長くなりました。

私自身も冬期欝の症状でふさぎ込んでいましたが、知人が更年期欝と子供が家を出る事による空の巣症候群で苦しんでいるという話を人づてに聞いて、おしゃれもせずに頑張ってきたこの人のためにストールを編み出してから私の症状も好転してきました。
出来上がったストールを喜んでくれるだろうか、装う楽しみを思い出すだろうか。
ウキウキした気分でそんなことを考えながら編み物をしていると、不思議と気持ちが明るくなります。

考えてみれば、冬の間身だしなみも整えずに過ごしていたのは私もです。
人を思う気持ちは自分にも帰ってきて、ちょっとだけ幸せな気分を感じました。










三沢市の巨木

2010-02-18 | 巨木
三沢市の浜三沢地区出身の知人がいて、
「緑が多くて良い所だったんだよ」
という話を聞いたことがあります。
航空機騒音対策として集落の移転があってからまだ10年も経っていませんが、以前小学校のあった場所近辺は殆んどが更地となっていて、もう過去の町並みを思い出すこともできなくなっています。

県道10号線の南側には移転対象とならなかった集落が残っていますが、先日書いた浜見のエノキの他にも名もない巨木が残っています。
葉のない冬場は樹種の特定はできませんが、目通り4m以上の巨木が住宅地にある光景は素晴らしいものです。

 

自然の多い青森県でも、巨木といえる木はどこにでもあるわけではありません。
身近な山林は林業によって管理されているので、数十年単位で更新されています。
人里近くにある巨木は、神域にあるものやシンボル・ツリーとして大切に守られていることが多く、それでも地域の継承の消滅によって消えていく木も少なくない現状です。
数百年の時間をかけて育ってきた巨木を、これからも大切に守ってほしいと願っています。






「もっと」と思う気持ちが

2010-02-17 | 子供のこと
子供が生まれるときに親が思うことは、五体満足に生まれてくるかとか元気に生まれてくるかとか、とにかく生きているかどうかが大切です。
生きる力を持って生まれてくれただけで嬉しいと思います。私もそうでした。
ところが子供が育ってくると当初のただひたすら感謝する気持ちは薄れてきて、できない事ばかりに目が行ってしまいます。
ふと気がつくと子供との会話は「あれをしなさい、これをしなさい」の要求と小言ばかりになっています。

子供が生まれたばかりの頃、この子との将来は楽しく過ごしたり一緒に遊んだりの素晴らしい時間を思い描いていたはずなのに、なぜ年月とともにそんなことを忘れていってしまうのでしょう。

より良いものを求める気持ちは人の向上心には必要なのですが、そればかりを追いかけていれば理想と現実のギャップに苦しみます。
子供は日々成長していくものですが、成長の速度は人それぞれ。
「這えば立て、立てば歩めの親心」
この諺は、親とはそういったものだという意味と、だからそんなに焦らず見つめていようという二つの意味があったと思います。