子供の頃から小さい物を見るのが楽しくて、お風呂の隅の小さい汚れをじっと見つめながら、頑張って見ていればバイキンだって見えるかもしれないと思っていたものでした。
大人になって、さすがにそれは無理があると分かったものの、今でも頑張れば色々なことができるようになると信じている自分もいます。
育てられ方でそうなったと言うより、元々そんな可愛げのない子供だったのだと思います。
小さい頃は誰でも自分の可能性を大きく見積もっているはずで、男の子ならウルトラマンに、女の子ならサリーちゃん(古くてすみません)に「なる」と思う時期があったかと思います。
年齢が上がるにつれ、可能性の見積もりはは右肩下がりに下がっていって、思春期にはマイナスのレベルとも言えるほど。
なぜ自己認識がこれほど大きく変わるのか、考えてみれば不思議ですが、人間が大人になるためには天国と地獄を味わった方が良い、という天の采配かもしれません。
子供個人の特性は千差万別でありながら、それでも広い目で見れば同じような性質を持ち、同じように成長していきます。
個々の家庭で多様な教育があっても、家庭以外の人間関係からも学ぶことはありますし、我が家の発達障害の子供達を見ていても、成長の段階を同じように歩んでいます。
厳しく注意をしながら育てても、自由に行動させながら育てても、結果は同じなのかもしれません。子育ては科学ではないので、再現可能性もないし、同じ条件での子育てもできないのです。
子育ては、先人の試行錯誤の積み重ねから導き出された知恵に最善の方法があるはずで、しかも子供一人一人に合わせたサジ加減も必要です。
「しつけ」は、裁縫では本縫いの前に合わせた布がずれないように、簡単に縫いとめておく事で、始末良く生活する技術を身につけるためのものと解釈されています。
現在では身に付けなければ困る生活技術は少なくなっていて、本来のしつけ以外の物をも「しつけ」に繰り入れられています。
問題になるしつけは親の要求に沿う行動を求めることで、要求通りにできなければ親の感情を刺激します。親が子供から教えられる事は色々とありますが、この感情の起伏を治めていくのが最大の作業と言えるでしょう。
子供が親の要求通りの行動をしていても、親は超えられません。
それよりも、小さい子供の頃に持っている自分の可能性を信じる心を、ずっと忘れないように「しつけ」ておく方が、今の世の中では重要なのではないかと最近思うのです。
アスペルガーの次男は高校生になって、希望していた実業系の学校で勉強しています。
高校で初めて経験するその教科が好きらしく、毎朝明るい表情で出かけていきます。
先日は授業の内容を細かく説明し、「すごく楽しいんだ」と語っていました。
そんな話をされるだけで、親としてはとても幸せな気持ちになってしまいます。