青森市の桜川といえば春の桜がトンネルのように続く桜並木で有名です。
4月下旬には桜川町内会と桜川商店会によるライトアップや、道路を車両通行止めにしての祭りが開催されています。
青森市内で一番早く咲きだすといわれ枝ぶりの良い大木である桜川の桜は、40年程前に一人の人物の寄付によって植えられたのでした。
昭和41年、それまでは田んぼの広がるこの地区に青森県住宅供給公社が桜川団地を造成し、同年に分譲を開始しました。当初この道路にはプラタナスが植樹されていましたが、42年に青森市の議員による視察の際に、すでに入居していた住人から「桜川という地名なのに桜の木は一本もない」という話が出て、当時青森市議会議員であった山上清三郎氏が個人でソメイヨシノの苗木900本程を寄贈しました。
43年春、十数戸の住民総出で、桜の木は一日で植えられたそうです。山上清三郎氏は荒川に住んでいましたが、氏の呼びかけにより荒川の住民有志もバスに乗って桜川の植樹の手伝いに出かけたとも聞きました。
当初は900本近くあった桜の木も、枯れたり傷んだものを伐採し、現在は350本。
植樹に携わった桜川住民にも桜の木は分けられ、現在でも何本かは個人の家の庭にも植えてあるとのこと。
私がこの話に興味を持ったのは、ネット上の友人であり故山上清三郎氏の孫でもあるK氏の話からでした。
「祖父さんは借金で桜の木を植えたけど、残した借金の返済が大変だ」
K氏は30代で釣りの好きなナイスガイ。今でも借金返済のため家業に勤しんでいます。
今の世の中では不思議に思われるこの話の経緯が知りたくなって、青森市に問い合わせたところ桜川町内会に関連資料があると聞き、K氏と一緒に桜川町内会事務所を訪問してきました。
夏祭りの準備に忙しそうな事務所で、現在の桜並木の状況や当時を知る方からの説明を聞き、資料も見せていただきました。毎年春の祭りの写真は大勢の見物客で賑わっていて、この桜並木が多くの人から愛されていることがわかります。
花びらや落ち葉の掃除が大変だという話に続いて、
「でもこの桜があってよかった。私たちは山上桜と名付けてもいいと思っている」とも。
K氏によると、山上清三郎氏は周囲に迎合したり擦り寄ったりはしない人だったという。ただ思いつきで突拍子もないことをする所があると。
「桜がない」という住民の言葉が山上清三郎氏にとってどんな意味があったかは知る由もありませんが、その後山上氏は三内霊園や陸軍墓地、横内から雲谷までの旧道にも桜の植樹をしています。
津軽方言に「もつけ」という言葉があります。
現在では、お調子者・お人よし・おだてに乗る人、という意味で使われているそうですが、「人の嫌がる大切な仕事を買って出る人」という意味もあると聞いた事があり、その意味で山上清三郎氏はまさに「もつけの人」だと感じました。
町づくりに必要なのは、ばか者・若者・よそ者。40年も前にすでにその役割を買って出ていた山上清三郎氏の残した桜は、今でも地域の核になり多くの人の目を楽しませています。
後日、この話をブログに書くための承諾をK氏に問い合わせたところ、「むしろ名誉なことです」という返事を貰いました。
「今、やんちゃな子を一人預かっているんですよ」そう語るK氏も「もつけ」の血をひく一人なのでしょう。
4月下旬には桜川町内会と桜川商店会によるライトアップや、道路を車両通行止めにしての祭りが開催されています。
青森市内で一番早く咲きだすといわれ枝ぶりの良い大木である桜川の桜は、40年程前に一人の人物の寄付によって植えられたのでした。
昭和41年、それまでは田んぼの広がるこの地区に青森県住宅供給公社が桜川団地を造成し、同年に分譲を開始しました。当初この道路にはプラタナスが植樹されていましたが、42年に青森市の議員による視察の際に、すでに入居していた住人から「桜川という地名なのに桜の木は一本もない」という話が出て、当時青森市議会議員であった山上清三郎氏が個人でソメイヨシノの苗木900本程を寄贈しました。
43年春、十数戸の住民総出で、桜の木は一日で植えられたそうです。山上清三郎氏は荒川に住んでいましたが、氏の呼びかけにより荒川の住民有志もバスに乗って桜川の植樹の手伝いに出かけたとも聞きました。
当初は900本近くあった桜の木も、枯れたり傷んだものを伐採し、現在は350本。
植樹に携わった桜川住民にも桜の木は分けられ、現在でも何本かは個人の家の庭にも植えてあるとのこと。
私がこの話に興味を持ったのは、ネット上の友人であり故山上清三郎氏の孫でもあるK氏の話からでした。
「祖父さんは借金で桜の木を植えたけど、残した借金の返済が大変だ」
K氏は30代で釣りの好きなナイスガイ。今でも借金返済のため家業に勤しんでいます。
今の世の中では不思議に思われるこの話の経緯が知りたくなって、青森市に問い合わせたところ桜川町内会に関連資料があると聞き、K氏と一緒に桜川町内会事務所を訪問してきました。
夏祭りの準備に忙しそうな事務所で、現在の桜並木の状況や当時を知る方からの説明を聞き、資料も見せていただきました。毎年春の祭りの写真は大勢の見物客で賑わっていて、この桜並木が多くの人から愛されていることがわかります。
花びらや落ち葉の掃除が大変だという話に続いて、
「でもこの桜があってよかった。私たちは山上桜と名付けてもいいと思っている」とも。
K氏によると、山上清三郎氏は周囲に迎合したり擦り寄ったりはしない人だったという。ただ思いつきで突拍子もないことをする所があると。
「桜がない」という住民の言葉が山上清三郎氏にとってどんな意味があったかは知る由もありませんが、その後山上氏は三内霊園や陸軍墓地、横内から雲谷までの旧道にも桜の植樹をしています。
津軽方言に「もつけ」という言葉があります。
現在では、お調子者・お人よし・おだてに乗る人、という意味で使われているそうですが、「人の嫌がる大切な仕事を買って出る人」という意味もあると聞いた事があり、その意味で山上清三郎氏はまさに「もつけの人」だと感じました。
町づくりに必要なのは、ばか者・若者・よそ者。40年も前にすでにその役割を買って出ていた山上清三郎氏の残した桜は、今でも地域の核になり多くの人の目を楽しませています。
後日、この話をブログに書くための承諾をK氏に問い合わせたところ、「むしろ名誉なことです」という返事を貰いました。
「今、やんちゃな子を一人預かっているんですよ」そう語るK氏も「もつけ」の血をひく一人なのでしょう。