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小金山神社と入内観音堂

2012-03-13 | 名所 旧跡
小金山神社は菅江真澄が遊覧記で記述している神社です。
この神社に思い入れがあったのか、菅江真澄は小金山神社を複数回訪れていたと記憶しています。

仏教が日本に伝来してから、元々あった日本の宗教は仏教との融合を進めました。
これは日本古来の宗教の側からも、仏教の側からも双方が歩み寄る形で進んでいます。
複雑に融合しながら変容した信仰形態から、江戸時代には国学という形で日本古来の信仰の再認識が広まっていきます。
日本という国をその歴史から再認識するために、仏教以前の神道などが探求されていました。
菅江真澄も国学に傾倒していたとの説もあり、「菅江真澄遊覧記」には幣を手向ける記述がたびたび出てきます。
小金山神社の当時の神主も、国学を学んでいたのか、または神道に造詣が深かったのか。
同じ敷地には津軽三十三観音の二十四番札所である入内観音堂もあります。
菅江真澄の時代には、すでに観音堂もあったはずで、当時の国学は仏教を排除するような尖鋭さはなく、庶民の信仰心を受け入れる懐深さもあったのかと思いながら、昨年春にこの歴史ある神社を見学していました。
早春の花を、写真整理をしていて見つけただけだったのですが、写真を見ながら思い出すことも多い。そして何より春の花が待ち遠しくなりました。




津軽三十三観音マップ


二つの美味しさ ラーメン三八

2012-03-08 | 青森の味
食事をするなら美味しい物を。外食をするならその土地ならではの物を。
常々そう考えているので、できればチェーン店ではなく、地元の個人営業店の食堂を選ぶようにしています。
地場の食材を使って地元の方が作った料理は、土地の味覚そのものなのだと思っています。

八戸市でも海に近い場所にある、ラーメン三八。煮干しスープとシャモロックスープの二種類から選べるラーメン店です。
下の写真はシャモロックスープで、白濁した濃厚な美味しさでした。
煮干し出汁は八戸らしい味で、青森市の煮干し出汁とは、同じ煮干しでありながらはっきりと方向性の違った味です。
南部と津軽のラーメンの味の違いは、たとえば民謡の曲調の違いのように、元は同じ曲であっても津軽と南部それぞれの土地で引き継がれる間に全く別の曲に聴こえてしまうような、そんな地域性のエッセンスが私の知らない場所に隠れているからではないか、などと夢想しています。

「二つの美味しさ」の「二つ」は、こちらの二種類のラーメンスープの事ではありません。
同じ建物の隣にある干物店のスルメを買い求めて食べたところ、これがとても美味しい。
ごく普通の固いスルメと、イカの一夜干しとの中間のような、柔らかく海の香りがするスルメでした。
洗濯ピンチに吊るされた干物は、港町八戸の象徴的風景だと思いますし、私はこんな風景が大好きだったのですが、食べても美味しいというのは嬉しい発見でした。

 
 







シンプルに生きたい

2012-03-03 | 思うこと
若い頃に放浪していた時期があり、自ら選んだけれども不安定で不自由の多いそんな生活の中で、いかに楽しく生きるかを追い求めていました。
僻地に行くと生活スキルの非常に高い人が多く、他に何かの技術を持っていて、困ったときはそれぞれの得意な技術に頼り頼られて生活していました。
そんな人たちに共通していたのは、家財道具が少ないこと。
最低限の道具で生活を成り立たせるためには、道具を上手く利用する知恵や技術が必須でした。
たとえば料理をするにも、包丁・まな板・鍋があればたいがいの料理が出来てしまいます。食材の知識が豊富であればより美味しく作れるでしょう。
そのかわり道具を使いこなす技術や、臨機応変な発想や味覚や想像力など、身に付けるべきものも多い。
身軽に動き回れる自由さのため、多くの事をどん欲に吸収していた時期でしたが、今思えば若さゆえに自信を付けたかっただけなのかもしれないし、無鉄砲さが賞賛されるような時代の感覚が少しだけ残っていたのかもしれません。

今でも家財や道具をあまり持たずに生活することが憧れではあります。
ただ便利な機械が増えてきて、一度それに頼ってしまうと、せっかく身に付けたものが退化してしまいそうな気がして、なるべくなら不便な方へ進もうと努力しています。
最低限の持ち物だけで暮らしていけたら、それは精神として自由なのだと個人的には思います。
自分の家財に行動を制限されることなく生きられるような。


プラスチックの郵便受けが寿命を迎え、次は木製の物をと思って探したものの、希望する製品が見当たらず自作してみました。
初めての木工でしたが、それなりに使えるものが作れましたし、思っていた以上に楽しいものでした。
器用に何でも作っていた人が昔いたな、などと思い出しながら。
諦めなければ人は意外と色々な事が出来るものだ、などと考えながら。