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よいお年を

2010-12-30 | 青森
今年も色々あったし、遣り残したことも色々だった。
毎年暮れは大掃除をしながらそんなことを考えます。
不思議なことに掃除や草むしりなどで体を動かしていた方が、考え事をするときに良いアイデアを思いついたり、忘れていた昔の事を不意に思い出したりします。
なので考え事で煮詰まった時は、とりあえず片付けなどを始めることも多い。
大掃除はやらない家庭も多くなっているようですし、掃除をするなら秋頃が気候的には適していると思っても、正月の年神様がわが家を素通りしてしまいそうな気がして、やっぱりそれなりに掃除を始めてしまいます。
そして今年の事などをつらつらと考える時間にもなっています。

今は正月も営業している店があり、三が日の食料を買い溜めしなくても問題はないのに、なぜかあれもこれもと買い込んで冷蔵庫内が充実してしまいます。
私の子供の世代はそんな行動を取らなくなるのかもしれませんが、なんとなくしないと気がすまない年中行事は、それとなく心に残って欲しいとも思っています。





好き嫌い

2010-12-28 | 料理
青森は海産物が美味しい。
サバやサンマは脂が乗っていて新鮮で、焼き魚もいいし刺身でも食べられるほど。
旨いものは多いのに、私はウニやイクラが苦手です。
八戸といえば毛ガニが有名ですが、カニ味噌も食べられません。
好きな人には堪らない美味しさでも、嫌いなのだから興味がないし相場の価格もよく分からない。
なんとなく高いもの、といった認識なのですが、八戸の八食センターで見つけたウニのおにぎり160円は、もしかして安いのかと。
たとえ安くても自分が買う事はないのですが。謎です。





巨木と信仰 3

2010-12-25 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
神道において神様の数え方は一柱、二柱です。
神社の御神体は人間の形からイメージされた神像ではなく、石や鏡や玉である場合が多く、御神木と云われるように樹木が神とされる場合もある。
八百万の神は全ての自然物に宿るわけですから、御神体も様々であってもいいはずですが、樹木の神格化の例は全国といわず国境を越えて多くあります。
樹木を木材まで広げて考えれば、例はもっと多くなります。日本は木材で家を作る位ありふれた素材だからとも言えますが、それだけとも言えないような。
木柱といえば諏訪大社の御柱祭を思い出しますし、ストーンサークルの木柱版ともいえるウッドサークルは縄文時代まで歴史を遡ります。
神を柱と数えるその後ろには樹木を神格化する考え方があるのではと想像してしまいます。

寺社巡りをしていると、地面に挿した杖から根付いたという御神木の謂れがよくあります。
杖の持ち主は高僧であったり歴史上の有名人であったりと様々ですが、杖と大地が生み出す不思議は樹木に限らず、泉が湧き出した理由にもなっています。
杖もまた木であって、木-柱-杖は神または神の依り代として扱われ、密教の呪具としての錫杖には神聖な力があるとみなされます。
さらに箸もその関係につながって、茶碗に盛ったご飯に箸を突き立てることは現代でも葬祭儀礼の一つです。


四国には山の忌み木として錫杖木(しゃくじょうぎ)と呼ばれる木があるそうです。
錫杖の形を見ると○と1が合体したФ型ですが、自然樹形として想像すれば三股か窓型になるのでしょうか。
物の形がその性質を現している、という考え方は古くからあり、薬草でも「葉の形が~に似ているから~に効く」のような言い伝えも多くあります。
樹木は成長過程の偶然からとても変わった形を作り出すことがあります。
奇異な形を尊ぶ以外に、神聖を現す何かに似た形のものをもまた神聖であると捉える信仰も広くあります。
たとえば観音様に似た自然石を神として祭るなど。

錫杖は修験道において重要な呪具です。
修験道といえば日本全国に霊山がある山岳信仰で、山で仕事をする人々と修験者・山伏の信仰は関係が深い。
三股の木と神の言い伝えに関連がありそうです。

ちなみに修験道といえば真言、天台の密教と繋がっています。
密教の呪具である三鈷や五鈷の形は三股の木とよく似ている。個人的にはこのあたりが三股の木の言い伝えの元ではないかと思っているのですが。


参考図書
箸と俎  鳥越憲三郎 毎日新聞社
カミの発生  萩原秀三郎 大和書房


巨木と信仰 2

2010-12-24 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
山で木を切る杣人・山子といわれる人々も機械化された現代ではほぼいなくなり、その伝承も途絶えようとしています。
そんな山仕事を書籍より抜粋してみました。

採面を分ければ、山子の仕事に入るわけだども、最初の一日は一本だけ伐って飯場に帰ると、山の神様に拝んだものだス。これを鉞立て(まさかりだて)といったが、これがら山で仕事するんて、怪我しないように守ってけれど、山の神様に頼むわけだスな。
(P60)

杣が山に入り木を切るとき、一番大切なことはその木が倒れる方向だ。高さが30メートルぐらいもあり、1トン以上もの木が倒れるのだから、極めて危険な作業だ。<中略>・・そのとき、うまい杣人は狙った方向に正確に倒す。もちろん人のいる方向には絶対に倒さない。それだけでなく、倒すとき、別の木にぶつからないように倒す。別の木にぶつかると、倒された木もぶつけられた木も傷がつき、材としての価値が下がってしまうからだ。
(P95)

【聞き書き資料】秋田杉を運んだ人たち 野添憲治著 御茶ノ水書房


山で木を切る仕事は危険と隣り合わせでした。
作業の安全を願って山仕事を始めるときは山の神様を祭り、山の中での戒律も厳しく守られていたそうです。
仕事中は尻を下ろすな、木を倒すときは大声を上げよ、など安全のために必要な戒律もありますが、山の神様は女性だから身だしなみを整えなければいけない、など宗教的な戒律も多かったようです。
どちらとも言えないのが「忌み木」に関する言い伝えで、暴れ木、癖木、窓木など。伐ってはいけない、伐ればよくない事が起こると言われていた木の事で三股の木もここに含まれます。
これは奇異な形をした木に神性を感じるからという理由の他に、伐り倒す際にどこへ倒れるのかの予測が付き難く危険だからとも言えるのでしょう。
上に挙げた書籍の中にはこのように書かれています。

ただ、現場には何本かの、特別に難儀な木があったもんだス。根上がりをして棚を組まんと伐れない木とか、丸太のような枝がついている木とかで、これをあぼれ木といったものね。

今も生きている巨木は何かしらの理由があって伐られずにいた木でした。
その理由の一つに、伐り倒すさいの危険が挙げられます。
伐り倒す事もあったものの、神様の依り代などとしてそのまま残しておくことも多かったらしく、そうして残った木が神格化した場合もあったはずです。
杣人・山子と同じように山に用材を求めて入っていた木地師は、山に作業小屋を作るとき、近くの老木や巨木を御神木として祭ったとも。
日本において神は、災いをもたらす者でもあったのです。



参考図書
秋田杉を運んだ人たち 野添憲治著 御茶ノ水書房
本朝巨木伝  牧野和春 工作舎
木の聲  橋本正 小学館


巨木と信仰 1

2010-12-23 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
額に文字といえばマンガ「キン肉マン」を思い浮かべます。
東北地方では「ヤスコ」「アヤツコ」ともいわれ、乳幼児の額に×、犬、○などの文字を書き魔よけとする習俗です。
「アヤ」は×または十字を意味して、もとは×や十であった記号が犬、大などに変化したと考えられていて、東北に限らず全国に見られ、鎌倉時代には皇子女の幼少時の外出前に額に「犬」と奉書する慣習もあったとの事。
幼児だけでなく、葬送儀礼において遺体や葬儀を出す家に×印を記す習俗も全国に見られます。
「七歳までは神のうち」であった幼少時と、人が亡くなった印としての×や十。
まじないや民話の中に登場する二つの線が交わる記号は、ある種の神秘性を持っているようです。道路の交差する「つじ」は異界と現世の出会う場所ともいわれ、辻占いは現在でも生きている他、×には封筒の綴じ目に書かれるように封印の意味もあります。

青森県三戸郡地方や階上町晴山沢地区では三十三年忌に「マッカトウバ」「マダカリトウバ」といわれる、上部が二股または三叉になった落葉樹の丸木の塔婆を立てる習慣があり、アイヌと青森、岩手二県で同じ習俗が認められます。東日本には広く動物供養のためY字型塔婆を立てる習慣があったと記録されていますが、人の供養のための二股、三股の塔婆は弔いあげの際で、神様の領域へ移行する大きな区切りであり、人と神との境界を暗示しています。

十字型の他にY字型に関しては、二股の間から覗くと魔性の者が見分けられるとする俗信も多く、以下のような例もあり、十字型と意味の重なる部分も見られます。
・菅江真澄「けふのせばのゝ」 和賀と江刺の境界争いに白狐が現れたことから、二股の木を植えて境界を決めた
・古事記 根国行き 最後の部分 大国主命となった大穴牟遅神は八上比売を因幡から出雲へ連れてくるが、正妻の須世理毘売を畏れて生まれた子供を木の股にはさんで因幡へ帰ってしまった



×や十、Y型に関する習俗、伝承を拾い上げてきましたが、実はこれは前フリです。
「三頭木には神が宿る」という言い伝えを調べています。「三頭木」とは同じような太さで三股に分かれている木のことです。
三股に分かれた木の形を見ると、その要素としてYと十の形を含んでいて、型の持つ意味合いは伝承の意味を浮き上がらせてくれると思うのです。

林業・杣・山子の関連書籍を調べていくと、確かにこの言い伝えが出てきます。
『東北の生業 1 農林業』(明玄書房 昭和55年発行)では東北6県の内秋田県を除く全ての県で「三股の木」についての記載があり、秋田県に記載がないのは秋田杉についての記載で紙数を割いているため、このような伝承がないからではないと推察できます。

三股の木は ・神が宿る       ・惜しみの木
      ・山の神である     ・山の神のとまり木
      ・神の休み場である

表現は少しずつ違いますが、山の神と深く関係のある木が三股の木であることが分かります。
この他、「窓木」といわれる木も記載されていますが、二股になった木の枝が窓を開けたように上で交わる場合の他、単に二股の木としている場合もあり、上のY字型の俗信にもある通り、のぞき窓としての意味合いがあると思われます。

ここまで書いてきて、二股も三股もおなじでは ? と感じた方も多いと思いますが、三股の木について別の見方からの話はまだ続きます。

参考図書
しぐさの民俗学
井之口章次 日本の俗信
近代八戸地方の農村生活 八戸市発行
人・他界・馬
古事記
東北の生業 1 農林業(明玄書房 昭和55年発行)


発達障害と受験

2010-12-23 | 子供のこと
アスペルガーの次男は今年高校受験です。
将来なりたい職業の希望もあって県立高校を受験するのですが、問題は面接です。
やらなければいけない課題をこなす、一つのテーマについての話をする、などは出来るようになったけれども、周囲と合わせた団体行動などの不得意な部分は今でもあります。
面接や試験中の態度は合否を左右するといわれ、ここをどうクリアするかで担任と話し合った結果、診断書を提出することになりました。
「小学校時代の診断書は古いので最近のものをお願いします」
そう言われたものの、願書提出まで残りわずかなこの時期に受診の予約が取れるのかどうか。
地方では児童発達障害の専門医は少なく、診断に当たっては各種のテストなどを受けるので時間はかかるものの、ニーズは高いため予約には数ヶ月待ちが常態です。
受験準備としてもう少し早く分かっていれば対応できたのですが、この件についてはほぼ諦めていました。

会話がうまく成り立たず、本人も苦しかっただろう5~6年前は、包丁を持ち出して暴れたことも何度かありましたが、今ではちょっと変わったキャラと明るい性格で楽しそうに学校生活を送るようになり、将来の夢も持つようになった。それだけで充分嬉しいことです。
発達障害の子供の持つ発想の奇抜さや独特の感性を、将来社会のために使えるような人になって欲しい。欲張りな考えかもしれませんがそんな思いもあって、ダメ元で病院に問い合わせてみると、何とかやりくりして時間を作ってくれたらしく予約を受け付けてくれました。
世の中捨てたもんじゃない。すべての事に感謝したい、そんな出来事でした。





ハルピン飯店 五戸本店

2010-12-21 | 美味しいお店
こんなに派手な店構えなのに意外と気がつかない五戸のハルピン飯店。
安いのに美味しいと言われ、スタンダードな料理を食べるべく突撃したのですが、メニューに「酸っぱい辛いメン」500円 を見つけてあっさり方針転換してしまいました。

酸辣湯は、酢と胡椒の効いたパンチのある味のスープです。
中華料理で好きなメニューですが、それほどお目にかからないちょっとマイナーな料理。
そのスープと麺の組み合わせが酸辣湯麺。私はこれを食べるのは初めてです。
目の前に運ばれた「酸っぱい辛いメン」は地獄のようにぐつぐつと泡を立て、猫舌であることを思い出して少しひるみましたが、これだけ熱くてもしっかりと酢っぱくて、じわじわと辛くなる胡椒も効いています。
半分も食べないうちに顔は汗まみれで、温まることこの上なし。帰りの車内でもしばらくは汗が引かず、酢と胡椒のパワーを実感しました。

メニューには中国の家庭料理らしい料理が並んでいて、しかもとてもリーズナブル。
同行者のたのんだ五目チャーハンと水ギョーザもなかなかで、次はメニュー全制覇を目指してみたいと密かに思ったのでした。






ハルピン飯店 五戸本店
場所  三戸郡五戸町字下モ沢向13-134
営業時間 11:00~15:00 17:00~21:00
定休日  月曜



皆既月食の夜

2010-12-17 | 思うこと
皆既月食を観察しよう
天文は詳しくないのですが、皆既月食は月齢15.0の日という理解で合っているのかどうか。
21日は皆既月食なのだそうで、ふたご座流星群のすぐ後にまた天文ショーが楽しめそうです。

マリンスポーツに血道を上げていた頃は、月齢と潮汐は生活の一部でもありました。
海に行く予定は、大潮小潮の干満と目的によって時間が決まり、何気なく海を眺めているときでも、時刻と潮の具合からその日の月齢を考えたりしていました。
マリンスポーツを一切やめてからも、月を見て月齢を考えるのはなんとなく習慣化しています。

冬至の近い今の時期は朝起きても外は真っ暗で、毎朝庭に出て見上げるのは東の空が幽かに白んだ夜空のままで、満月に近ければこの時間には西の空に沈んでいます。
十六夜以降は日の出前に西の空に輝く月は、日を追うにつれ細くなって朝の太陽に近づきます。
天候に左右されますが、北国において朝の定点観測は冬の楽しみでもあります。
日の出が早くなると早朝の夜空を眺めるのも終わりますが、それは春の始まりでもあり、春の山野草の時期が気になる季節でもあります。



南部小絵馬の話

2010-12-11 | 民俗
友人から学芸会に使用する舞台背景画を頼まれました。
演目は「南部駒踊り」との事なので南部小絵馬を題材に描いたところ、反対向きでもう一枚とリクエストされました。
南部小絵馬は左向きの物しか見たことがなくて、もしも自分の知らない言い伝えなどがあれば伝統から外れてしまう危惧が。そう思って色々と調べだしてみると奥が深い。

元々は神様に神馬を奉納していたものの、次第に扱いやすい馬の人形や馬の絵に変遷してきたため、本来の絵馬はその名の通り馬の絵が描かれているものでした。
願い事の内容によって、馬の絵はいつしか他の絵柄に変わっていきます。
なぜ馬なのかは、馬は神の乗り物とする信仰や、馬は神様であるとする信仰など多くの要素が絡み合います。青森県南部地域に多い蒼前信仰は葦毛四白の馬を神様としていますし馬には縁の深い地域です。
現在でも馬の絵の絵馬は奉納されているようで、1700年代に多かった図柄の絵馬が八戸市の岡田観音堂にありました。
岡田観音堂は南部小絵馬が最初に認められた場所です。その後七戸町の見町観音堂や小田子不動堂から同じような図柄の絵馬が見つかり、現在は七戸町立鷹山宇一美術館で展示されていますが、下の写真のデザイン性の高い絵馬絵は「藤右衛門の小絵馬」と名づけられています。藤右衛門とは岡田観音堂を管理していた人の名前であって作者ではありません。しかし1700年代に70年ほど続くこの系統の絵は、南部小絵馬のイメージを形作るほど強烈なインパクトを持っています。
自分で絵馬絵を描いてみて思うのですが、「藤右衛門の小絵馬」のデフォルメはとても親しみを感じさせ、この型の絵が当時も今も何故か人の心を掴みます。
今流行の「ゆるキャラ」の先がけかもしれません。

ちなみに南部小絵馬にも右向きのものはありました。
小田子不動堂と見町観音堂の絵馬では、左向きが252点に対して右向きは4点。
左向きの方が描きやすい、馬は左から乗るから、などと考えられているようですが、圧倒的に多い左向きの絵馬には何かしらの信仰的な理由があるのではと思っています。


・・・・ 追記 ・・・・
現在認められている南部小絵馬の、奉納年代が室町時代のもので「藤右衛門の小絵馬」と同じデザイン性の高い絵柄の数点については、書かれている年号に疑問があるとされているため、「藤右衛門の小絵馬」は1700年代のものだけとしてまとめています。

 


七戸まちの駅

2010-12-06 | 蕎麦
このところ蕎麦ばかり食べ歩いて、なんとなく味の違いも分かりかけてきたこの頃(笑)
三日続きで手打ち蕎麦を食べていましたが、その中で一番おいしい蕎麦だと思ったのが七戸まちの駅の手打ち蕎麦。
七戸町の駅は地元農産物や加工品などを販売しながら、店内で簡単な食事もできる街ナカの店舗です。空き店舗活用のためのチャレンジショップから現在に至るため、お店の雰囲気はアレですが、年季の入っていそうな地元女性の打ったと思われる蕎麦はなかなかのもの。茹で具合も良い。
ただ大変もったいないことに、麺とツユが合わない。
あのツユがそれなりのものであったらどんなに美味しい蕎麦になるかと思うと残念でなりません。
と言いつつ、また行ってみようと企んでいるのですが。




しちのへ まちの駅
場所   七戸町字七戸296
営業時間 10:00~17:00
定休日  土曜・日曜