毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
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あれから五年

2016-03-11 | 思うこと
あの日に何をしていたか毎年思い出します。
次男の高校受験も合格して明るい春の日でした。
買い物などの出先で地震がきて、とりあえず自宅に戻りました。地震とともに停電になり、何も情報が無いまま鷹揚に構えていましたが、二日後に停電が復旧してからテレビを見て初めて震災の大きさに唖然としたのでした。
あの時、自宅から数キロの場所にも津波が来ていたことも当時の自分は知らず。
たまたま津波のこなかった場所にいただけで、テレビ画面に映る被災地の人々と私は、そのわずかな違いでしかなかったのだと思います。

震災以降は考え方が変わりました。
生きている今が大切になりました。たぶん劇的に変わったのではなく、少しずつ変わったのだと思いますが、自分自身が変わる事をずっと不安な気持ちでいたんだと思います。
五年経った今年の初めに、突然「これでいいんだ」と納得できたことに驚きました。自分の考え方や行動にOKが出せていなかった事に気が付いたのはその時でしたから。
そして何かを納得できて自分の中に上手く収めるには、とても時間がかかるというのも分かったように思います。


生きるために必要なのは美意識だと思う

2014-03-06 | 思うこと
アスペルガーの息子が進学のため間もなく家を出ます。
長男も家を出て、遠くで学んで遠くで働くことになり、家を出て一年くらいはとても寂しい思いをしました。
今度家を出るのは発達障害であったこともあり全力で育てた子供で、しばらくは喪失感と闘う自分を想像できます。

仕送りをしながら学生生活を支えるのですから、独り立ちさせたとは言えなくても、出立間際まで色々とああしなさいこうしなさいの私からのアドバイスは続くのでしょう。
子供を育てながらずっと思っていたのは、子供の記憶に刻み込まれるような考え方の基本を教えるには臨界期があるという事でした。
おおむね〇歳までにはどの生活習慣が確立していればいいか。
それは兄弟であっても個々人に違いがあって、今回家を出る息子には甘い設定でいました。
生活習慣は自分の健康を守るために必要ですし、食事や生活習慣はそれなりに考えて守ってほしいと思っています。
でも、本当に必要なのは美意識を持っているか、それを大切に貫く気持ちを持っいるかどうかだと思います。

人として捨ててはいけない何かを、出立前の短い時間で伝える事はできません。
今まで私はそういう事をきちんと伝えられていたのかなあ。そう思い悩む気持ちがなんとなく重いこの頃です。



狩猟と漁労

2014-02-15 | 思うこと
昔はダイビングをしていました。
日本のあちこちを潜り歩きながら思ったのは、特に僻地ではとても魚影が濃いことです。
交通機関が不便な場所ほど、たぶん出荷に時間がかかるとか運賃が高いとかという理由なのか、感動するほど魚の数が多い。
そういう所では岸の近くまで回遊魚も来るし、釣竿の下をサメが何度も通るので釣れないという体験もしました。

青森県内でダイビングをした事はありませんが、陸奥湾では手漕ぎボートで岸から500mでもタイの大物が釣れるとか。
海に潜っていた頃は、大潮の上げ潮時にチヌ(タイの仲間)などが水深50cm程度の浅瀬まで来るのを何度も目にしています。
カツオの群れが小さな入り江まで入ってくるのも見た事があります。
海の中は陸とは比べ物にならないほど生物の密度が濃い。

縄文時代は狩猟採取の時代とよく言われます。
でも陸上の動物はそれほど密度多く生息しているわけではなく、捕るにも難しい。
縄文時代の人々も陸上動物より魚や貝を主に採っていたのは貝塚などの遺跡からも明らかですし、たぶんその時代は日本のどこでも魚影は濃かったのだろうと思います。
北日本では季節を少しずつ変えながら、鮭やサクラマス、ニジマスなどのトラウト類が産卵のため川を遡上します。
当地でも作られている鮭の干し肉である「鮭トバ」は、アイヌの人々の保存食であり換金生産物でもあったわけですが、常温保存しかできなかった時代には、海で獲れる脂ののった鮭より川を遡上する油の落ちた鮭の方が、干物にした時の油焼けが少なく好まれたとか。
「狩猟採取」の名称は想像による誤解を生む言葉だと思うのです。

想像による誤解といえば、古事記のイザナミ・イザナギの話の中で、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)は地底に伸びた洞窟の様な想像をしてしまいますが、古い時代に山が葬送の場であった歴史を考えると、黄泉比良坂は山上へと続く坂道だったのではないかと思います。
などと考えていたら、Wikipediaに書かれていましたね。
黄泉
あの地底の洞窟のイメージは、子供の頃に見た子供向けの本の挿絵のせいなのでしょうか。

写真は昨年一戸町での藍染展示イベントのもの。





パンドラの箱の残り物

2014-01-28 | 思うこと
東京では知事選が盛り上がっているのか、ネットを見ていると選挙関連の情報が多く流れてきます。
そんな中で、「東日本大震災はチャンスだ」という選挙演説への反論も流れてきます。
個人の意見は人それぞれですから、選挙はさておき、その一言が気に入らない人もいるでしょう。


子供の頃に、父親から申し渡された教えがあります。
ちょうど関東大震災から何十年目だったか、関東地方に何時大きな地震がきてもおかしくないと話題になった頃の事です。
父親は
「もしも大地震が来て、家でなくとこかでそんな事になったら、誰でもいい、近くにいる大人に助けてと言いなさい。一緒について行って避難しなさい」
そう、私たち兄弟に言いました。
私が小学生の時分だったと思います。子供の判断だけでは危ない時に、誰でもいいから近くにいた大人に頼れと。
それからずいぶんと経って私が親になった時、世の中は、知らない人は不審者であるというのが一般常識になっていました。

あの頃はそう言われたけれども、今はもう違うんだよ。
そんな風に感じていた、そしてそういう世の中になってしまったと信じていた時に東日本大震災は起きました。
大変悲惨な震災であった事は確かです。
ただ、その時の私の周囲の人々が取った行動や、伝え聞く話の中で、他人の事を心配し他人のために行動したという話は多々ありました。
全く面識のない他者への信頼というものは、資本経済の中で消えてしまったかのように感じていましたが、本当はまだまだ残っているのかもしれない。

「東日本大震災はチャンスだ」
という選挙演説の一言は、他者への信頼、社会への信頼がまだ残っているかもしれない事に気が付いた、そんな意味合いじゃないかと感じています。
無くなってしまったと思っていても、本当はどこかに残っているかもしれない本能のような物。
パンドラの箱に最後に残っていたのは何だったでしょうか。




芸術の定義とはなんだろう

2014-01-18 | 思うこと
芸術、またはアートというのは厳密な定義が無いといわれています。
それでも芸術が好きな人には個人的に定義を持っている事も多く、言葉として持っていなくても、なにかもやっとした線引きをしている人もまた多い。
末端ながら私も定義を持っていて、それは個人のこだわりをそのまま表した形だと思っています。
たとえば「こうすれば他の人からどう見られるだろうか」などという邪念のようなものが感じられず、「自分はこれこそが美しい」という個人の美意識の表出が純粋にできているか、それこそが芸術なのだと思っています。
流行や他人の美意識に引きずられない、個人の中に持つ美の形。
だからその「美」を造りだすために技術が必要なのでしょうし、また、他人ウケを狙う何かが芸術にはならないのだと思っています。


昨年、ある蒐集家の方とお話ししたときに、
「古い土器に作った人の爪の後が残っているのを見つけると、それだけで感動する」
という話をすると賛同されたことがありました。
造形物の中に、作り手の集中力とかこだわりとか思いとか、魂のような何かがこもっているのを垣間見るような気がして。
そしてその作り手の心と同調するような感動を覚えるのですが、こんな話をしても理解してくれる人もいなかったので、妙に嬉しかったのです。

近年はアートで町おこしなどのイベントを見ますが、古い工芸の中にも芸術はあって、それを探し出してくれる目を持った人が少なくなっているだけではないのかとも感じます。
青森は芸術に溢れているのに。




2013年の年の瀬に

2013-12-29 | 思うこと
北欧のデザインは色使いが美しい。
今までずっと、暗いイメージとかけ離れている色使いが不思議だったのですが、白夜とは白々とした夜が続くのではなくて朝焼けと夕焼けが一日中続いている状態で、そんな空の色を見続けてていれば色に対する感性も磨かれてくるに違いありません。

北国に対して勝手に持っていた思い込みとイメージは根深いものがあります。
本州の最果てである青森県も、寒風吹きすさぶ不毛の地のようなイメージを持たれているかもしれませんね。私もここに住むまでは少しそんな感覚を持っていたようにも思います。
でも、今まで住んできて感動するほど美しい風景を何度も見て、不思議な縁でここに住んでいることをありがたく思っています。
そして、まだまだ見ていないたくさんの美しい風景を、これからも見続けていたいと思うのです。

今年は更新も少なくなってしまいましたが、当ブログを読んでいただいてありがとうございました。
来年はもう少し更新を増やすのが目標です。
それと、大雨の日に使って以来不調のカメラを更新するのも目標です。







懐かしい風景

2013-06-24 | 思うこと
子供時代には関東平野で育っているので、日常見ている山というものはありません。
公害とか光化学スモッグなどがありふれていて、遠くの山が見える事も無い時代でしたし、年に数度、秋の空気の澄んだ日に、学校などの高い建物の屋上から富士山が見える事もある子供時代でした。
それでも山を見ると何故か懐かしさを感じます。

近所に古い木造の洋館があって、「あの家はオバケが出るらしい」というまことしやかな噂に興じたものでした。誰かが言う、その家のちょっと猟奇的な歴史が本当であったかなど検証しようもなく、ただ古い木造の洋館風の家が持つイメージを子供心に膨らませいてただけかもしれませんし、当時流行っていた怖いマンガの影響かもしれません。
当時私が住んでいた住んでいた自宅は、ごく普通の日本の住宅でした。
「懐かしい」と思う要素が無いのに、古い洋風建築を見て懐かしさを覚えるのは何故でしょう。
子供時代のオバケ話のインパクトの強さが影響しているのか、子供時代の忘れてしまった記憶の中では木造洋館は大きな位置を占めていたのかもしれません。

先日、板柳町に行ってきました。
板柳町の商店街は古い大きな蔵などの建物が多く、それを新しい店舗として使っている店もまた多く、街並みを見学しながらの買い物も楽しそうです。
そして板柳駅の近くにある板柳温泉は、古い木造学校を彷彿とさせる洋風建築のような建物が魅力的で、次はぜひ入浴して内部も見学してみたいと思いました。
内部はこちら参照→ 板柳温泉 シドの温泉日記

青森県内をドライブしていると、興味をそそる温泉があちこちにあって、毎回風呂道具を持っていない事を後悔しているのに、この日も同じで、風呂道具は持ち歩くべきだと反省しています。

 






個性の魅力

2013-03-09 | 思うこと
自分と同じ服を着た人と街で出会って不快感を感じる経験があります。
あれは何故に湧きあがる感覚なのか、いまだにはっきりとした原因は理解できないけれど、その時来ていた服は二度と着ることが無かった。
売られている洋服を買うのが当然であれば、同じロットから生まれるであろう服の数だけ、そんな体験の可能性があるわけで、仕方ないといえば仕方ない話です。

個人的におしゃれだなと感じる人は、たいてい強烈な個性を発散しながら奇抜とまでは行かない微妙な線の上にいて、そんな人のように着こなそうと思ってもなかなか真似のできないような、そんな人です。
値段の高いものを着ているわけでもなく、古い服を上手に組み合わせているだけなのですが、全体としてその人なりの個性が出来上がっているような。
ああいう感性はどこから出てくるのか考えた事がありますが、好き嫌いがはっきりしているとか、流行に流されないとか、色彩感覚が優れているとか、そんな理由しか思い浮かびませんでした。
なかでも自分の好きな物だけを着ているのが大きい理由のように思います。
好みは独自の個性そのものを表現しているのでしょうね。

強烈な個性といえば、各種セミナーやワークショップなどで非常に個性的で、今までどこにも無かったような尖った魅力的なアイデアが出る事があります。これを全体で話し合っていると、最終的にアクを抜かれて平凡で当たり障りのない案になってしまう場面を何度か目にしています。
みんなで話し合えばいい案が出てくる場合もあるのですが、際立って個性的なものに関しては当てはまらないようにも思います。





謹賀新年

2013-01-01 | 思うこと
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年は思うところあって、生活が今までとがらりと変わるかもしれません。
更新が途絶えたなら、それは個人的に何かを乗り越えているところだと、暖かく見守ってくださいね。
それでも青森に関する話や、巨木についての新しい知見などを書き続けていきたいですし、どうしても見てみたかった、いくつかの滝についても、もし実際に見る事が出来たなら報告したいと思っています。




注連飾りについて

2012-12-30 | 思うこと
正月しめ飾りが店頭に並ぶ季節です。
年末の買い物も済ませて、しめ飾りも飾ったのですが、毎年しめ飾りを選びながら思うのは、プラスチックなど石油製品の飾りが多くて質素に稲わらと紙だけの飾りはとても少ないという事です。
しめ縄やしめ飾りを玄関に飾るのは、自宅にやって来る年神をお迎えするためで、年神の依代としての意味もあったかと思います。
年神は穀物の神とも云われていますし、依代としては稲を使っていないと御利益が無いような気もします。なのであちこち探した結果、藁と紙だけのシンプルなしめ飾りを買い求めました。
価格があまりにも安かったため、子供から嫌味を言われてしまいましたが、工業製品に年神様は来るだろうかと反論していた年の瀬でした。


今年は更新も少ない一年でしたが、このブログを読んで頂きありがとうございました。

         2012年の年の瀬に     しょー助