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木を切ろう

2009-05-18 | 環境
「木を植えよう」というキャッチフレーズがあちこちで使われていますが、何か大きな勘違いをされているようです。

日本は温帯にあり、海に囲まれた雨の多い国です。
植物にとっては恵まれた環境で、林の皆伐をしても20年もすれば立派な林になっています。
休耕田も多いのですが、雑木林に変わってしまって元の田んぼに戻すことが出来なくなっている所もあります。
人が手を加えなくても木は生えてきます。

日本では木を植えるよりも間伐などの手入れが重要です。
密植した林では木の成長が悪くなる上に、固有の野草も繁殖し難くなるからです。
昔は利用されていた間伐材は、今はただのゴミにされています。

作付け作物をバイオエネルギーとして利用するのは、穀物価格の高騰を招きます。
エネルギー原料にするのは、日本の場合には間伐材が一番良いと感じます。
日本に限っては豊かに成長する木々の有効利用が大切です。


熱帯雨林は高温と雨の多さから表土が薄く、伐採してしまうと森林の再生が難しくなります。
大陸で雨の少ないところでは、伐採による砂漠化で自然状態での森林再生が出来なくなります。
植物は光合成で炭素還元を行う他、熱の吸収蒸散もしています。
地面に直接日光が当たることで地温は大きく上昇して周りの空気も暖めます。
木を植えなければいけないのはこのような地域です。




こんな家に住みたい

2009-05-16 | 環境
次世代型超省エネ住宅「エコスカイハウス」、横浜市内でモデル竣工
三菱重工グループ菱興7社が実証開始、97%を自然エネルギーで


先日のニュースですが、やっと大手の企業でも始めたようです。
以前は物ズキな人しかしなかったことですが、時代が変わってきたのが分かります。

もし宝くじでも当たったら、パッシブソーラーで太陽光発電と中水用地下タンクのある家を建ててみたいと考えています。
家の北側には漬物貯蔵のためのバックヤードを作り、カマドを置いて剪定ゴミで煮炊きをする。
土のついた野菜を洗う水場、木工のできるスペース、ちょっと休憩できる場所。
トイレは微生物浄化式のもの。

庭には小さい温室と、藤棚ならぬキーウィ棚。
井戸を掘って夏に果物を冷やしたり。
落葉樹の林を作って山野草を楽しめるようにしたり。
小さい畑で葉物を育てて、ヤギを飼う。

畳の居間と広い台所。
土間と縁側。





今日は夢の話ばかりですみません。

風の博物誌

2009-05-15 | 環境
風の博物誌

発行年の古い本ですが何度か読み返しています。
ライアル・ワトソンはニューエイジャーとも言われていますが、科学の読み物として面白くイマジネーションを膨らませてくれます。

近年風力発電が増えてきたため風を考える機会も多くなっていますが、地球という星が今の環境になっているのも風の力と密接に関わっているようです。
無限にあるのですから有効に利用できればエネルギーとして役立つと思いますが、ここにも問題はあるようです。

県自然保護協:風力発電に伴う健康被害対策を--県に要望書 /福島

先日風力発電の風車を見てきたのですが、なぜか恐怖感を持ちました。
風車の下に長くいることができなかったのは、大きなものに対する怖さだけではなかったのかもしれません。

経済の枠組みから考えると規模を大きくすることは効果がありますが、環境に関係することについては小型化と普及がキーワードだと思います。
規模を小さくすることで個人が対応したほうが効率的なのは、発電の他に生ごみ処理や中水利用などがあります。中水とは雨水の飲用以外への利用です。

大規模化で問題解決という考え方から小規模化へ転換させることが、エコの考え方としていいのだと感じます。





木を植えた神父

2009-05-09 | 環境
ジャン・ジオノ 「木を植えた男」

少し前に書店でこの絵本を見つけ、小学校の読み聞かせに使えるか読んでみました。
文章が長く読み聞かせの時間内に終わりそうもなかったので購入は見送りましたが、とてもいい内容の本でした。
一人の人間ができることはすこししかありませんが、長い年月に亘って自分の思うことのために努力を続けることで大きな変化が起きる話は、気持ちを明るくさせてくれます。

日本でも同じように木や花を植え続けた人がいます。
桜の木を植え続けて桜の名所を作った方もいましたし、自分の山に花を植え続けて名所になった方もいました。
青森のすぐ隣、岩手県の二戸市にも木や花を植え続けた神父がいました。

Laudate 神父と野の花

10年ほど前に雑誌の記事になっていて初めて知りました。
その頃私も畑を借りて、種から育てた花を植えていました。
いつの間にか忘れていましたが、絵本を読んでふと思い出しました。

2004年に神父は亡くなっていますが、その生き方に共感する人々が本を出しています。
人に感動を与えられる生き方とは、自分の信念を貫く生き方でもあるのですね。





悲しい現実

2009-04-28 | 環境


山野草が好きなので近くの野山を覗きまわっています。
青森県は自然の豊かな所ですから、ちょっとした林の中でも都会では考えられないような珍しい花が咲いていたりします。

こちらで暮らすようになって一番びっくりしたのは田んぼの脇の水路に水芭蕉が咲いていたことです。
東京育ちの私には水芭蕉というのは高い山の中にある貴重な植物でした。
小学生の頃、尾瀬に登山に行って始めて見た水芭蕉に感動したことがあります。
それが当たり前のように道路脇や田んぼの脇などの平地に咲いている。
カルチャーショックとともに、これから美しい自然を見ることのできる幸せを噛みしめていました。

美しい花たちは、日常のすぐ隣に咲いています。
でも残念なことに、そこはごみの投げ捨てなどの多い場所でもあります。
花の写真を取りながらよく出会う風景は嬉しくなるものばかりではありません。

 

 


森が綺麗になりつつあります

2009-04-16 | 環境
先日種差海岸に行ったときに、あちこちで道路沿いの林を間伐しているのを見かけました。
八戸市内に限らず他自治体の林でも見かけます。
車を走らせていてなんとなく風景が変わっていたようですが、森林組合による間伐が増えているためのようです。
クロマツ初の大規模間伐 国名勝の種差海岸(2009/04/15)

不況のため各自治体では臨時職員を大量に雇用しています。
森林組合も少し前までは3Kの職場として敬遠されていた模様で、手入れのされない林が人手不足を物語っていました。
不況がこのような現場に人を送り込む原動力となっているようです。
皮肉なことですが「美しい国日本」は、逆境だから実現できるのかもしれません。

青森でもカタクリなどの山野草が減りつつあります。
盗掘が原因といわれていますが、数の多いものは森林環境の悪化が主な原因だと感じています。
里山を利用して人々が生活していたころは、林下の潅木や間伐で出た木材をエネルギー源にしていました。
結果として林下には山野草の生育する環境が整っていたのです。

人が手を加えない林は鬱蒼として暗く、風通しも悪い状態になっています。
日本の自然は人の手によって作り出されたものと言えます。
間伐が終わって陽射しが射し込む林床は、再び山野草の楽園に変化していくことでしょう。






資源小国日本

2009-03-27 | 環境
日本で産出しない資源は石油だけではありません。
あまり知られていませんが農業で肥料として使うリンも全量を輸入に頼っています。

枯渇する化学肥料
肥料用リンは下水道から回収

上は昨年5月に、リン鉱石輸出国である中国が輸出関税100%と、実質的な禁輸措置に踏み切ったことで話題となっていました。
それに対して日本では今年の3月になってから対応を打ち出しています。
その間10ヶ月、リン鉱石の取引価格はすでに大暴騰しています。


<グラフ出典  農業協同組合新聞>

有機農産物が持てはやされている今でも、化学肥料は日本の農業を支えています。
農業という職業に注目が集まるようにはなってきましたが、化学肥料の語感の悪さからこの問題は置き去りにされています。
食料自給率を支える農業資材は重要だと思います。

すでに多くの自治体では多くの取り組みをしています。
青森県でも上北地方で下水汚泥を発酵させた肥料が生産されていました。
自治体における家庭系生ゴミの資源化状況について
こちらの資料11ページを見ると、家庭からの生ごみまで活用しようとしていた事が判ります。
大変安くて使いやすい肥料だったため私もよく購入していましたが、生産中止になっているようです。
経済原則だけでは立ち行かないものも多くあるのでしょう。

以前畑を借りていろいろ栽培していましたが、牛堆肥を頼んで貰っていました。
牛を飼育する農家にとっては処分に困るものであっても、無農薬農業をする人には大事な農業資材です。
今では家庭園芸だけですが、生ごみ堆肥は花の大切な肥料です。
ごみとして燃やすのではなく資源として見る事が出来れば、日本はまだ多くの資源が眠っているのでしょう。



あれから10年

2009-03-25 | 環境
1999年に発覚した青森岩手県境産廃不法投棄事件。
すでに10年が経とうとしています。

県境産廃不法投棄事件

昨年、一昨年と二年に亘りこの現場を見学してきました。
手元にはかなりたくさんの資料があります。
この現場は八戸市の取水場上流の山の上にあり、現場近くから湧き出ている地下水が馬淵川支流へ流れていく地理関係にあります。
青森県は浸出水処理施設を整備して集水処理を行っています。






現地見学の際にはヘルメットと活性炭入りのマスクが渡されます。
マスクをはずすと化学物質の刺激のある匂いが強くします。
ここで働く人達は防毒マスクをつけています。




水処理施設では放流までに9過程の処理を加えています。
完全ではないかもしれませんが最大限の努力をしています。

全国で起こっている不法投棄事件ですが、ほとんどは封じ込めで対応しています。
香川県豊島とここの現場だけが全量撤去、事業費用は青森岩手両県合わせて655億円を見積もっています。
事件を起こした会社はどれほどの売り上げを上げたのでしょう。
少なくとも処理費用よりは少なかったはずです。
処理を依頼した会社からも費用分の取立てをしていくようですが、大半は税金からの支出になるのでしょう。

産廃の撤去が終わっても土地が元通りになるわけではありません。
人間は経済のためにこれほど愚かな事が出来る生き物のようです。





ECOという名の消費

2009-03-24 | 環境
福祉関係の集まりに出席してきました。
弁護士による多重債務解消手続の話などがあり勉強にもなったのですが、リサイクルによる繋がり作りの話には、かなりの違和感を抱きました。
話題になったのは次の三つです。

 ○町内会単位の廃油回収でバイオディーゼル燃料を作る運動
 ○ペットボトルキャップ収集で途上国のワクチン費用を作る運動
 ○プルタブを集めて車椅子を寄付する運動

一見するととても良いように感じますが、それはエコと聞いただけで思考停止に陥る病理のようです。
廃油回収は家庭用の少量の廃油を集めるための燃料の使用、製油のための燃料の使用を考えてみれば分かりますが、必ずしも省資源にはならないということです。
プルタブはアルミ金属を売った金額のことですから、必ずしもプルタブである必要はなく、わざわざプルタブだけを集める非効率が問題です。

ペットボトルキャップは、現状ではペットボトルのリサイクル自体が経済的にもエネルギー消費の視点からも破綻しているという問題が抜け落ちています。
リサイクルに回すという免罪符からペットボトル消費は増えつつあり、分別回収や流通により多くの手間とエネルギー資源が消費されています。
ペットボトルはリサイクルすることで原料から作り出すよりも多くの石油を使います。

私自身はエコというのは消費喚起のためのコマーシャルだと感じています。
リサイクルをするという安心感が無駄な消費を誘っている。
ペットボトル飲料は便利なものではありますが、消費者はその容器と輸送コストに料金の半分以上を払っているという現実も知ってもらいたいと思います。
マスコミは製造元が顧客ですからそんなことはテレビ、新聞には出てこないのですが。

いまだにエコは良い事だという洗脳が行き渡っていて、福祉関係の団体でこのような話になるのが悲しくもあります。
ちょっと怒りを覚えながらそんな意見をしてきました。
人の繋がりは大切ですが、もっと違う方法もたくさんあると感じます。






地球温暖化

2009-02-14 | 環境
白鳥が少しずつ北へ移動を始めました。
鳴きながら空を飛ぶ白鳥は、声でここを通ると教えてくれます。
声のするほうを見上げると、白いV字が青空の中で光っています。

二月は一番寒い時期なのに、今年はもう雪も消えかけて春のような日差しが現れた地面に注いでいます。
今年の春はせっかちなのでしょう。

近年グリーンランド氷床のボーリング調査から過去40万年の地球の温度変化が解明されたそうです。
それによると地球は大きな温度変化を繰り返しながら今に至っているようで、現在の気温は長いスパンで視ると平均的な温度のようです。
平均といっても氷河期などもあったのですからまだまだ高温の時期もあったのです。

青森県の三内丸山遺跡、あの巨大な柱が立てられた時、青森はそれほど雪が降らなかった。
そのころは海水面が今より30メートルも高かったと判っています。
縄文の人は暖かいこの地で豊かに暮らしていたのでしょう。

地球温暖化の説明で使われるデータは1850年から現在までの気温変動に関するもので、それ以前に地球がどれほどダイナミックな変化をしていたかはあまり出てきません。
急激に上がる温度変化のグラフは、危機感を煽り新たな消費へと向かわせる陰謀のように感じてしまいます。
それでも省エネの努力をしているのは、次の世代にも幸せな未来が来ることを願っているからです。

子供たちが大人になっても、生まれてきて良かったと思えるように。