午前7時前に最低気温が10.1℃だったが、東の山に掛る雲の隙間から陽が差し
込み、雲量は多いも気温は上がり、今日は22℃越えの穏やかな秋に一日・・・
ユキムシ様が飛び交うほどでした。
11時、18.1℃、63%
さて10月も終盤、玄関に掛けられた色紙が「道・遠い道を行く 好胤」に。
薬師寺127代管主、法相宗官長「高田好胤」の色紙で、巧みな話術で修学旅
行生などに「青空法話」をされ、1968年から「白鳳伽藍」再建を願い、金堂
再建のため100万巻「般若心経写経」勧進のため自ら全国を行脚された。
実は法相宗本山「薬師寺」は檀家がなく、僧も12名ほど、寄付に頼れば早く
再建は叶うが、広く全国から「写経」をして頂くことで、日本人の美しい心の
結晶として金堂上層(納経蔵)に納められている。
なお1998年に亡くなられるまでに金堂と西塔の再建まで進んだ。
こんな言葉を残されている。
"やたらに忙しいのはどんなものでしょう。
「忙」という字は「心が亡びる」と書きます"と
現在も写経運動が続けられ、白鳳伽藍は金堂、西塔、大講堂、中門、食堂及び
回廊の一部再建がなり、ほぼ完成形で、更に「玄奘三蔵院伽藍」までもが。
好胤さんの願いは50数年を経て叶えられそうですね。
50年前の国宝の東塔と東院堂、小さな旧講堂と旧金堂(現興福寺仮講堂)などが
今や皆様の小さな心の結晶が、回廊のある見間違うお寺に。
10月8日の「天武忌」に 薬師寺を訪れたときの写真になります。
解体修理の終わった大講堂屋根の上に、右は東塔・三重塔と、左に金堂が
その手前には2017年の「食堂・じきどう」、私も寄付させていただいた瓦が
僧侶が食事を摂る場所で、仏教儀礼が行われた。
田淵俊夫氏の「阿弥陀三蔵浄土図」と「仏教伝来の道と薬師寺」が納められる
2003年再建された「大講堂」、伝統工法の復元建物として史上最大
ご本尊は「弥勒三尊像」奈良時代、重文、仏足石(国宝)などが・・・
この前から金堂を見れば・・・
金堂と東塔・三重塔(西塔の屋根の反りの違いがわかりますか)
金堂と1981年再建の西塔・三重塔です。
好胤さんが一番初めに再建された金堂、1976年、二重屋根で各階に裳階(もこし)をもち、宮大工・西岡常一棟梁による昭和の大建築、内部はコンクリートに。
国宝の白鳳時代の「薬師三尊像」、中央に「薬師如来」、写実美の完成形、
向かって右に「日光菩薩」と左に「月光菩薩」が控えられる。
西塔の北側に佐左木信綱と会津八一の歌碑が
『ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲』佐佐木信綱
白鳳時代の国宝『東塔・三重塔』の上に雲が・・・
そして会津八一の歌碑
『すいえんの あまつをとめが ころもでの
ひまにもすめる あきのそらかな』八一
解体修理で取り外された1300年前の『水煙』を含め相輪なども展示がある。
「凍れる音楽」といわれる律動的な美しさに見とれていた。
もう一つの国宝は『東院堂』、鎌倉時代1285年に再建され、日本最古の禅堂、
本尊も気品のある端麗な「聖観世音菩薩立像」白鳳時代・国宝と
パンフレットより
四隅に四天王像(重文・鎌倉時代)が控えておられる。
私には東院堂が一番好きなお堂、人気も少なく時間があっという間に過ぎる。
でもカメラの電池が切れたので、玄奘三蔵伽藍には行けずに、残念!。
だが久しぶりの「薬師寺」良いお寺ですね。
これから西ノ京も秋が深まり、正倉院展のついでに訪れられては・・・。