東の春日奥山上空は雲で覆われ最低気温は7.4℃、9時前頃からの陽射しはある
も、昼前から冷たい西風とともに次々に黒雲が押し寄せ、気温は上がらず。
最高気温は15時前の11.8℃で、一気に寒ーい初冬の一日になりました。
12時、10.3℃、64%
東の春日奥山を見れば、若草山頂上も冬へと一歩一歩近づく。
この寒いのに、若草山一重目から二重目にかけインバウンド客の姿でしょう
春日奥山ではまだ紅葉が残っているようですね。
小庭では、今年の早咲きの椿、10月末に一輪だけ西王母が咲いただけ、蕾は
固く一輪だけ蕾の先端が桃色になるだけで、何か変ですね。
西南の隅から微かに甘い香り、見れば「ヒイラギ・柊」 の白い花が満開。
『柊の花一本の香かな』 高野素十
とげ状の鋸歯をもつ葉が特徴でから縁起木として鬼門に植えています。
*表鬼門(東北隅)にヒイラギ、裏鬼門(南西隅)はナンテンという
台湾と日本に自生するモクセイ科の常緑小高木で、冬になれば白い小花が
集まって咲き、甘い芳香を放つ。
別名は「ヒラギ/オニノメツキ」「オニサシ/オニオドシ」と。
和名の由来は、葉の縁の刺に触るとヒリヒリと痛み、古語動詞「疼(ひひら)く
・疼(ひいら)ぐ」の連用形・「疼(ひひら)き・疼(ひいら)ぎ」から名詞になった。
このことで、ヒイラギではなくヒヒラギと発音するのが正しい説もある。
なお漢字の「柊」は日本由来の国字で、「疼く」か開花時期を示すとも。
木の上部の葉にもトゲがなく、また老木になると棘がなくなることから、
若木のうちに動物に食べられてしまうことを防ぎ、生き残るための手段と
考えられている。 Wikipediaより
雌雄異株、白い花の形は雌雄とも変わらず直径5㎜ほど、雄蕊2本と雌蕊1本が
あり、雌花には発達した長い雌しべがある。
ヒイラギの名が記載されているのは古事記の景行天皇の条。
倭建命(やまとたけるのみこと)に東征を命じた景行帝は、その門出にあたり
「比比羅木之八尋矛」を賜ったとある。
「ヒイラギで作った八尋の長さの槍」を与えたという。
続日本紀(奈良時代の歴史書)
大宝2年正月に、造宮職が八尋の比比良木の庭木を文武天皇に献上したと。
でも万葉集には収録されておらず、不思議ですね。
さて昨日の御霊神社、今日は旧元興寺の境内巡りと考えていたが次回に。
今回は奈良ホテルの東隣の小高い山にある元興寺の鬼門除けの鎮守でもあった
「瑜伽神社・ゆうがじんじゃ」を訪れましょう。
万葉集にこの瑜伽神社は登場している。
奈良の隠れた紅葉の名所でもあるも11月8日だったため紅葉には早かった。
万葉集 巻六 992番「大伴坂上郎女詠元興寺之里歌一首」
大伴坂上郎女 元興寺(がんごうじ)の里を詠む歌一首、
*元興寺は明日香の法興寺を奈良遷都に伴い移転、平城の飛鳥寺とも呼ぶ
原)『古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見楽思好裳』
詠)「故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくし良しも」
意)古京となった飛鳥もよいけれども、
青丹よき奈良の明日香を見るのもよいことよ。万葉文化館より
この万葉歌碑を探しにいきましょう
福智院北交差点を東に道一つ、北へ50m程歩き、右折し20mほどで鳥居に。
案内板がありました。
平安期、興福寺の大乗院の鎮守社として崇敬され、その宗論の「瑜伽(ゆうが)」
となる。「瑜伽」とは仏教用語で、呼吸と精神の合一をはかる「ヨガ」の語源
とも言われる。御祭神は「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」で、
食べ物を司る神として産業全般を御守りして下さると。
社務所は閉まり、手水も出ていない
写真は急な石段の上がったところから
右横に古社で瑜伽大神の和魂、息災延命福運の「飛鳥神並社あすかかんなびしゃ」
と燈篭に隠れた桜楓歌碑がある。
瑜伽山櫻楓歌碑があり、古来から瑜伽山は桜と紅葉の名所として知られ、
大和名所図会・飛鳥社
奈良十六景には「瑜伽山の桜」と「瑜伽山の紅葉」もあり、紅葉狩に来た良材
夕陽に映える紅葉の美観に感嘆し尚も去り難い思いで春には又ここへ来て花見
をしたいものだと詠んだ歌
『春は又 花にとひこん 瑜伽の山 けふのもみちの かへさ惜しみて』 良材(よしき)
良材とは「梶野土佐守藤原良材」のことで、1831年4月8日奈良奉行となり、
同7年12月8日京都西町奉行に転出まで6年間奈良に在勤された。
なお著書は「山城大和見聞随筆」3巻がある。
最後の石段を登り切れば朱色に美しい拝殿、「瑜伽本宮」の扁額を大きく掲げ
御祭神「宇迦之御魂大神」食べ物を司る神として産業全般を御守りされる。
本殿の背後一帯は、お山と呼ばれ、大杉大明神・白玉大明神・末広大明神・
子金丸明神がそれぞれ石標を建てて祀られているというが・・・。
背後は古市氏が築城中だった「西方院山城跡」にもなり、全域が歴史的風土特
別保存地区(春日山特別保存地区)に指定されている。
右手に「一言稲荷社」と平城の飛鳥の万葉歌碑
平城の飛鳥の万葉歌碑には万葉集 巻六 992番 大伴坂郎女 773年の作
「大伴坂上郎女詠元興寺之里歌一首」と奈良時代には元興寺の里と
原)『古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳』良材
原)『古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳』良材
詠「ふるさとの あすかはあれど あおによし ならのあすかを みらくしよしも」
左手に久恵比古社と猿田彦神社が祀られている。
久恵比古社 猿田彦神社
本来は振り返れば大和青垣を見わたせ、空気の澄んだ日には大和三山を望む
こともできるというも。
大きなカエデの木などでほとんど見えなかった。
個々の季節になれば、イチョウは黄色く、楓は真っ赤に色ずくことでしょう。