1日に石巻の川開きに行ってきました。
昼に降っていた雨が上がり、浴衣姿の若者があふれている石巻駅前は、とても賑やかでした。
こんな光景を見ると、祭りの必要性が納得できるような気がします。(非日常の世界は、何かを感じさせてくれたり、普段は気づかなかったことに気づかせてくれたり、とにかくウキウキ、ワクワクします。こんな年齢の私でもそうなんですから。)
ところで、この石巻川開きは、治水で石巻の街を救った川村孫兵衛重吉翁に対する報恩感謝の祭りとして1916年から始められたのだそうです。ずいぶん歴史があったのですね。花火大会、流灯等も行われたそうです。
翌年1917年に、8月の第一日曜日を開催日と決め、行事内容は、花火大会(打ち上げ花火・仕掛け花火)と水上行事(ボート・水泳)だったとのことです。それから、いろいろと趣向を凝らしながら続いてきているのです。(門中時代に、私達の同級生のお姉さんがミス川開きの準ミスになったとか、知ってましたか?)
今年も(?)パレードで小学校の鼓笛隊も参加し、門脇小学校が参加していたようですが石巻小学校に統合されることになっており、最後なのでしょうか。
門小の校舎は、震災遺構として残すことに決まりましたが、門脇小学校は、幕を閉じるのです。卒業生としては、残念ですが、実情を考えるとやむを得ないのでしょう。
でも、卒業生の心の中には、いつまでも楽しかった門小は存在しています。先日同級生と集まりましたが、そこの会話にも心の中にも昔のまま存在していました。
当時の子どもの頃の自分たちと、40~50年経った現在の自分たち...。ちょっと不思議な空間でしたね。
ところで、金華山の道標、しっかり立っているところを見てきました。そして、その石碑の裏にはたくさん文字が刻まれていました。江戸時代の人が残したものです。でも、このお話は後にすることにします。
私達が行った時、お祭り広場では丁度和太鼓の演技?が行われていました。地元の方々の太鼓でした。人数は5~6人と多くはないのですが、一人ひとりの音がとても力強く周りの空気を震わすように響いてきました。
そういえば、昨年は県外の和太鼓サークル?の方々が宮城の人たちを応援に駆けつけてくれていたのでした。今年は自分たちで太鼓を打てるようになったのだと復興の兆しを感じました。
もう一つニュースがありました。
仙石線が来年の6月に全線開通する見通しです。とてもグッドニュースです。これでやっともっともっと交流がしやすくなります。
今日は、とりあえずこの辺で。後は写真で紹介します。
仙台七夕のような全国区のお祭りになってくれるとうれしいんだけどね。
そう、和太鼓が出ていましたか。
花火はどうだったでしょうねえ。
私も自分の町の花火の音を聞きながら、石巻の花火に思いを重ねていました。
仙台七夕と比べると、何となく開放感が感じられます。
観光地として、仙台とは一味違った、海の街ならではの力強さや大らかさがある石巻を味わえるような旅行コースができると面白いと思います
花火は、今年は昔ながらの中瀬の近くであげられました。これにも懐かしさを覚えました。頭上に降ってくるような花火!目を奪われて見入っていた子どもの頃の気持ちを思い出します
中瀬の仕掛け花火もありましたよね
仙石線開通の見通しは嬉しいこと、一方復興のために無くなってしまうものがあることは淋しいこと、ではありますが、一歩ずつ前に進んでいることは感じられます。
私も石巻に行ってきました。
友にもあってきましたし、大川小学校、雄勝にも行ってきました。時間が止まってしまったところもあれば、がんばっているところもあり、希望が見えてきたところも……。
3年と5か月の、時の経過を感じました。
クローバーさんは岸壁から花火を眺めたのですね私は、2階の屋根で見たりしました
同じ花火が海の方からも山の方からも見えるなんて、まるで星や月のようですね
年に1回そうやってみんなで同じ花火を楽しむことができたって素敵ですね
どんぐりさん。石巻行きお疲れ様でした
地元にいて肌で感じることは、テレビ等で見るのとは比較にならない程大きく心が揺さぶられますよね。
いずれそのお話を聞かせていただけることを楽しみにしています
どんぐり