これは、津波被災後4月20日の日本製紙石巻工場の正門の写真です。
どんぐりさんが送ってくれました。そして、1冊の本の紹介をしてくれます。
以下は、その文面です。
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『紙つなけ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』
佐々涼子著 早川書房
今年の6月25日発行のこの本の紹介が朝日新聞に載ったのは7月15日付夕刊。私よりも18歳も若く、石巻に縁もゆかりもない佐々涼子さんというノンフィクションライターによって、日本製紙石巻工場の再生の軌跡が残されたことに、誰かがやってくれないかと願っていた私は、佐々さんあなたがやってくれたのですねという感謝で胸が熱くなった。
私はこの工場の社宅で育ってき、今の実家も社宅の脇にあって、石巻の実家に帰ればいつも否応なく社宅の中を通り道としていた。津波のあとも帰るたびに石巻工場のその時その時を見てきていた。
現在、私も紙に関わる仕事に携わる身として、石巻工場で造られた紙の行きつく先で仕事をしていることを実感させられた津波被害だった。石巻工場の被災により、確かにあのとき、出版する本の紙がなくなって、紙を替えるということで、編集者が右往左往させられていた。
毎日見てきた高い煙突と工場から立ち上る白い蒸気、不夜城のごとく一晩中輝いている明かり……。そこで造られ、トラックに積まれて運ばれる大きい紙のロール。
それが当たり前の日常だった工場の、津波後の惨状はすさまじかった。敷地が広く規模が大きい工場だけに、どこから手をつければいいかわからないほどの瓦礫の山だった。
帰るたびに見かける片づけの作業をしている方々の顔の暗いこと。黙って重い足取りで瓦礫の工場の中に集団で吸い込まれていくヘルメット姿の人々……。食事や休憩に戻ってきても無言で疲れ切っていたようだった。いろいろな会社や地域から応援にきている方も多かったようだ。
その人たちが、被災から半年後にマシンを動かそうと、努力した闘いのさまがこの本には記録されている。こういう工場では、人間は小さな小さな存在でしかない。その小さな人間たちの努力が報われるような記録が、その方たちの造った紙に刻まれ残るということが、今回のこの本の紙の使命となった。幸運な紙たちだ。
今後本も電子本全盛となって、そのうち紙の本の需要はなくなるかもしれない。ノンフィクションという分野も、素人がインターネットでリアルな情報を流すことによって、その需要がめっきり減ってしまったようだ。どちらも将来、先細りになる運命にあるノンフィクションの書籍『紙つなげ!……』。
今回この本の出版で、少なくともここまで日本の出版文化を下支えしてきたのは石巻の工場で造られた紙であると、たくさんの人に気づいてもらえるのではないだろうか。
そういう紙がまたどんどん石巻工場で造られ、紙の本が読まれ、日本の出版文化も続いていってほしいものだ。
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どんぐりさん、ありがとうございます。
ちなみに、昨年私が行った時には、工場はきちんと整備されていました。(写真下)それから、私達の同級生M君は、日本製紙工場に勤務していたので、その頃の様子や苦労を肌で感じながら頑張ったのでしょうね。
ついでに、パルプ工場の近くの私たちのおなじみの階段の写真も載せます。思いでありませんか?(昨年のものです。)
「講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤」
本当にそうでした。目からうろこです
今、私達の身の回りに当たり前にあって、目もくれないものが突然手にはいらなくなって困ってしまう物は実はたくさんあるのだと気づかせられました。
そして当たり前と思っている物の供給のためには、実は目にみえないたくさんんの方々のご苦労があってのものだと思いまし。
当たり前だと思わず感謝しながら大事にしていかなければなりませんね