このメッセージプレートは、石巻市門脇の「石巻焼きそば味平」のトレーラーハウスの壁面にびっしりと貼り付けているものの一部です。
全国の石巻を応援してくださった方、支援への感謝の気持ち等「えたいことをみんなに伝えるメッセージです。
このトレーラーハウスには、「ありがとうハウス」の横断幕(写真下)が張ってあります。
先日、久しぶりに門脇の方に行ってみました。
パルプ工場の所の砂山を過ぎて、南浜町・門脇の道路に入り進むと、相変わらず更地が続く中、左の小高い丘にアパートがさえぎるものもなく真近にはっきりと見えました。
「子どもの頃、いろいろな建物の間を歩いて行った○○君の住んでいたアパートはこんなに近くにあったのか!」と思わせられました。
少し、行くと、下の写真のような建物?がありました。それが、トレーラーハウスの「石巻焼きそば味平」のお店です。オーナーの尾形勝寿さんあが出てらしてお話を伺うことができました。(勝寿さんのことは、ホームページ「ありがとうハウス」に掲載されています。また、フェイスブックもしていらっしゃるとか。「尾形勝寿」で検索すると詳しいことが書いてあるとのことです。)
勝寿さんは、東日本大震災の前に現在トレーラーハウスのある辺りに住みラーメン店を営業していたそうです。津波被害でお店は全壊しましたがご自身は九死に一生を得たという方です。(その時の様子は、現在出版されている「津波からの生還ー石巻地方 100人の証言」に載っているそうです。)
現在は、「石巻焼きそば味平」を開き、支援してくださった方に感謝の気持ちを伝えながら、被災者と支援者を繋ぐ活動をしています。(その一つが初めの写真のメッセージプレートです。)
「石巻焼きそば」の宅配も受け付けています。3色セット(専用だし・揚げ玉・専用ソース付) ¥1080 です。
fax 0225-95-9313 翌日クロネコ配送:代引 とjのことです。
安いとは言えないかもしれませんが、これによって石巻を応援することができます。
また、「B1グランプリ・石巻茶色い焼きそば認定商品」いうことなので、是非その味を試してみてほしいと思います。
勝寿さんは、震災遺構を残す活動もしていらっしゃいます。
現在、遺構については難しい課題があります。
門脇小学校も震災遺構としての価値は認められながらも、被災者の方々からもう思い出したくないから残さないでほしいという声も多いのだそうです。
貴方はどう考えますか?
ちなみに、南三陸町の防災対策庁舎は町としては解体を決定したのですが、県の方で20年間管理をするという形で残したいという意向が示されています。(広島の原爆ドームについて、遺族の気持ちを尊重しながら県がしばらく管理し、後世に残したという経緯を参考にしたそうです。)
様々なことを考えると難しい問題ですね。
話は変わりますが、先日南三陸町のボランティアについての報道がありました。
南三陸町の同じ地域に定期的にボランティアで通い続けている方々が、続けることによって始める前よりも精神的に豊かな毎日を送っているという内容です。ちょっと分かるような気もします。町の人々との交流が温かいのかもせれませんね。
南三陸町には、そんな土壌があるのでしょうか?
次々に思いがけない災害や事件が起きる昨今、ささやかではありますがほっとする明るい話題でした。
「石巻焼きそば味平」の店の前の尾形勝寿さん
お店の前にある遺構候補写真(もう解体されたものもあります。)
「すいふよう」って、ふようの花の種類なんですか?どんな花なのでしょうか?調べてみます。結果が楽しみです。
「石巻焼きそば」 私は、高校生の時同じクラスのYさんの自宅で御馳走になったことがあります。Yさんが心を籠めて、確か醤油味で作ってくれました。それ以来焼きそばは醤油味が好みになっています{/face2_full_m/。
Yさんは覚えているかなあ...?
そして、仙台の焼きそばは色が違うなあと思っていました。「石巻焼きそば」と分かったのは、私もずっと後のことでした
コメントいただけて嬉しかったです
実家の近くに、○△商店の工場があったので、ずっとその商店の焼きそばだと思ってました。
どんぐりさんが震災以降お母様と暮らしていらっしゃるそうですが、最近、私が住んでる町に、Yさんがお母様と引っ越していらっしゃいました。
電話で話しただけですが、近いうちにお会いする約束をしました。
どんぐりさんのお母様お元気になられて良かったですね。
震災をきっかけに故郷を離れた年配の方々は多くいらしゃることと思います。きっとどんぐりさんのお母様お同じ思いをお持ちのことと思います。
そこで思いついたのですが、私達が同級会や同窓会をするように?故郷を離れた(年配の)方々向けの地域毎のイベントがあったら懐かしく心豊かなひと時が過ごせるのではないでしょうか?
実現には難しさがあると思いますが...。インフラ等の復興とともに心の復興の一助として、本当は大事なことなのではないかと思いました。
何か、そのようなイベントの企画を請け負うNPO等の組織があれば...と考えてしまいました。
でも、自分たちで何かできることがあるかもしれませんね。考えてみます。
「ありがとうハウス」のような拠点が門脇にあるのはいいことですね。
また3.11が近づきました。この間の津波警報・注意報では緊張しましたが、微妙な揺れがときどきありますね。
このごろ、地震後石巻から連れてきて一緒に暮らしている母に「元気になったので石巻に帰りたい」と言われるたびに当惑していますよ。
5月に仙石線が全線開通するのでしたよね。早く乗ってみたいです。
みんな元気でいるのかなあ。