東日本大震災直後の「雲雀(ひばり)の海岸」
2023年 1月19日 仙台の街は沸き上がっていました。
芥川賞発表を心待ちにしている仙台市民が集って佐藤厚志氏の「荒れ地の家族」が本当に芥川賞を受賞するかと大盛り上がり!?
そして受賞が発表されるとすっかりヒートアップして喜び合っていました。
私も一応購入しようかと、とある書店に行ったところ、案の定もう売り切れていて予約をすると2月末頃には入る予定とのこと。
残念!! 本の表紙の写真をあてにしていたのですが.....。
通販での購入に今ひとつ迷う私…。どうしてかな?
急いで読みたいとも思わないのです。題名のイメージからかな?
Dさん曰く「読んでみたけど面白くなかったわよ。」「暗い感じだし…。」「もう一人の芥川賞の女性の作品は明るい感じ…」とのこと。
2作品選んだということに選者たちの意志が表れているのかもしれません。
とりあえず購入して「荒れ地の家族」を読んでみました。
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出だしの亘理の情景描写は私にとっては心地よいものでした。
読み始めて間もなく自分の身近な海岸付近の情景が浮かんできました。
生まれて間もない頃から身近にあった海とその付近の情景。「砂山(すなやま)」と呼ばれる小高い山?の付近に住んでいたので、その海が亘理や鳥の海とは多少違っていたかもしれませんが、「ひばりの海岸」と呼ばれる楽しい名前の海岸でした。ひばりがたくさん飛んでいたのでしょうか?
その海は私にとっていつも楽しいイメージの場所でした。
幼い頃家族で海水浴をしました。若かりし父の海水パンツ姿が今でも目に浮かびます。笑顔で逞しかった頼りになる父の姿を海は思い起こさせてくれます。
あの海は「ざっか」と呼ばれる急に深くなったりする場所がありました。小学生の頃にその海で子どもの事故が起こり、朝会等で注意や海の怖さを知らされたこともありました。
校歌や児童会の歌、または旧くからある校歌のような歌にも「・・・・しおざいちかくよぶところ・・若葉がかおる・・・・」等、海の土地ならではの言葉がたくさんちりばめられていました。
海に行くまでに松林に続く道がありました。右手にパルプ工場(何度か合併をし、名前が変わりましたが。)があり、歩いて向かいました。
そして、やがて松林があり、少し行くと、草原(くさはら)と土手!
この草原のあたりは、当時?競馬場があったりして、馬が歩いていたりしました。
草原は土手から続いていて、夕暮れになってくると、広い草原の草が一斉に風に吹かれてサワサワと波打つようにどこまでも続くのでした。そんな時は何か不思議な別の世界にいるような気がしたものでした。
でも、昼はおおらかに私たちを受け入れ、友達と一緒に土手の上から丸太のように転がり落ち、空と土がぐるぐると交互に替わり、止まると、パッと起き上がり、笑いあったものでした。(現代の子どもたちにもこのような身体を使った自由でダイナミックな遊びを経験させたいものです。)
波打ち際の砂浜は格好の遊び場でした。思いのままにふんだんに砂を使い、「私の部屋」と称してワクをつくり、中に湿った砂でソファをつくったりし、…そこは全部自分の世界でした。
でも、だんだん時計の針が進むにつれてその「私の部屋」に徐々に波打ち際が近づいてくるのです。
前の波の来た所に立ち、次にその足元を越していく波。そして、少しずつ少しずつ砂浜を上ってゆき、やがて「わたしのへや」も波にのまれて崩れさるのです。
そのような波を、果てしなく続く時間の中で何度も体験しました。
立っていると、寄せる波が足元を濡らしてゆきます。そして間もなく引いてきますがその時足元の両脇の砂がズーッと持ち去られていき、足の下の砂だけが少し高く残ります。引き波は力が強いのです。
引き波の強さを意味もよくわからないまま何度も体験していました。
今になって思えば、東日本大震災の津波は、その何百倍も何億倍もの波がやってきて、寄せる波以上に強い力の引き波になって根こそぎ地上のものを持ち去っていってしまったのでしょう。
等々、海に関する私の体験は尽きることがないのですが...。そのような者にとって「荒れ地の家族」の文章は主体が違っても海の持つ姿の描写を共通の目線で表現しているようで、海を知る様々な人々に自然に共感を想い起こさせる力があるように感じました。
主人公たちも特に文章には表れていないけど、昔おそらく様々な体験を持っているであろうことを感じます。
そして、小説の中で時々現れる東日本大震災の様子は、私が直接体験していない海の姿を見せます。
私の知る被災した人たちは、直後一生懸命語り部をしたり、集会に参加して作業や交流をしたりして一緒にこの災難を乗り越えようと頑張っていました。
数年後に話した時にはある人はやっと新しい家を建てたけど何か気が抜けたようで、何をする気も出てこないと言っている人もいました。(今がどうかは分かりませんが。)当面の目標が達成された安堵感なのでしょうか。
あるいは、ある方は、またもとの会社を再建し、商売もひとまず軌道に乗り安心しました。
また、ある方々は震災後に娘の元に避難され、しばらくして安らかに天に召されました。
でも、子どもたちの体力測定では全国平均を下回っていたり、不登校の子どもの数が多いことが報道されています。
震災直後は各地から応援をいただき無から立ち上がる人々の様子がマスコミ等で伝えられました。
でも、この「荒れ地の家族」を読むと、一時的に聞くものとは違った、忘れら去られるような中でも必死に生き抜いている人々がいるのだということを思い起こさせられます。そして、程度の差はあれこのような方々がたくさんいるのではないかと思いました。
「考えてもどうにもならないことがある」と何も考えずに身近にある自分のできることを無心に続ける主人公の姿勢は窮地からの脱出法の一つかもしれません。逃避ではなく意味ある生と言えるかもしれないと感じました。
というわけで、私の感想は「面白い」とかではないけど自分の身近な海の様子を思い起こさせる一つのきっかけとして機能したように思います。
また、以前と変わらない海辺で、以前とは全く変わった人生を必死で生きている人達がいることに改めて気づかせられました。
あまり海になじみのない方にとっては退屈で暗い物語でしかないかもしれません。
でも、海に育まれた人々にとっては懐かしくも無常な自然の中で必死に生きる人間の営みを見る思いがしました。
これが、東日本大震災という未曽有の天災に見舞われた土地に暮らす人々の生活の一断面としての価値がある小説なのではないかと思いました。
この暗いとも言える物語を読みながら私が始終海のある土地の暮らしや情景を感じ、懐かしさを感じたのは作者の意図とは少し?違っていたかもしれません。でも、この主人公も海のある土地に住む人の姿の一つと思い、暗さのなかにも清々しさを感じたのは何故でしょう?
そして、私も宮城県の作者のこの作品が芥川賞を受賞したことを喜んでいる一人です。
東日本大震災直後の「雲雀の海岸」の風景
※ 松林の写真はフリー写真です。
新しい仙台の作家が出てきてうれしいことだけど、震災を今書くと、こういう具合になるのかなあ、と、私は石巻とは比べずに思いました。
ひばり野海岸についてのまつぼっくりさんの描写のほうが、私は合点がいって、懐かしかったです。
仙台在の作家では、熊谷達也が大好きで、出たらすぐ買っていましたね。
昔は夢中になって読めたけど、もうそういう読み方できなくなりましたねえ。年ですね。
震災後の様々な活動がきっと実ってくるはずだと思います
今被災した当時はまだ幼かった人達が若者になって、震災を伝える活動を初めています。心強いことです。もっと力強い作品が生まれてくることを期待しています