腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

3月19日(土)のつぶやき

2011年03月20日 01時48分21秒 | 日記
07:15 from web
 職場の同僚と共同で出していた米国国防省の研究グラントに採用されたとの連絡。自分のデータを渡して、グラントの提出書類はほとんど同僚に書いてもらったので、自分はおこぼれに預かったようなものなのだが悪い気はしないものである。同僚はシニカルなジョークを飛ばしまくるがなかなかやり手だ。
11:58 from web
今回の大震災に際して全国民が力をあわせて被災者の方々のために、各々ができることをすべきであることは言うまでもない。日本人として最も情けないことは、政権担当与党たるものが今最も注力すべき新設予定の震災対策担当や原発事故担当の特命相を、自らでなく野党に打診する姿勢ではなかろうか。
23:58 from web
「君がやりたいことは、日本では砂漠だと思うよ。」日米の医療に精通したビジネスマンの方の言葉だけに胸に突き刺さった。プロレスの世界のごとく「格」というものが幅を利かせる日本社会は、こちらの世界を知ってしまうと窮屈この上ない。企業のほうは、随分改善されてきているようだが。
by smmysmmysmmy on Twitter

こころざし

2011年03月17日 02時34分55秒 | 日記

母校の医局の同僚からメールがきた。同期が留学するかもしれないとのこと。仲間の最近の様子も記されていた。

こちらに来て、今月末で一年半が経過しようとしている。振り返れば、こちらで認めてもらおうと力が入りすぎた所もあり、あっという間に時間が経過したように思う。

 職場で共同研究を始めた血液内科医の同僚がいる。彼は、僕とほぼ同じ年齢でもうすぐAssistant menberという職位に上がり、日本の大学でいうところのAssistant Professor(助教、講師)クラスである。9歳のときに両親とロシア(当時はソ連)から渡ってきた彼は、もともとフランクな性格でシニカルなジョークが大好きで話していて面白いし、会話が弾むためかいろいろなことを教えてくれる。

彼によると今の職場での昇進基準は、以下のとおりだそうである。聞いていて、自分が恥ずかしくなった。

Assistant member(病院ではasssitant attending)(日本でいうAssistant professor)は、専門医クラスで、自分で研究予算を獲得でき独立して仕事ができるレベル。

Associate attending(同associate attending)(日本でいうAssociate professor;準教授)は、自分の専門分野で名の通ったリーダー。

Member(同attending)(日本でいうprofessor;教授)は、自分の専門分野で世界的なリーダー。

当たり前だが、我々のような日本の地方の大学とは、求められるレベル、「こころざし」が違うのである。日本では、ポジションが空いている場合、実力がない人間でもタイミングがあえば簡単にスタッフになってしまうことも多い(かつての私もそうだった...)が、今の職場でも、もちろん例外はあるが、そのような事例は少ないし、実績がないとポジションを維持できないシステムになっている。

ここのassistantの中には、若くても本当の意味で独立して仕事を進めることができるひともいる。と同時に、30代後半でもポジションを獲得できていない人間もたくさんひしめいている。そして、スタッフになっても予算が獲得できなければ、ポジションを失う。今年も、いくつかの研究室がなくなる。

日本の医者は努力すればするほど、しんどくなるのは当然としても、実は経済的にも苦しくなってしまう。医学の学問としての奥深さ、醍醐味を味わうためには、多くの自己犠牲とサバイバルを伴う。

はたして、僕は今後、母校の仲間と同じ目標、夢を共有できるのであろうか。なんだか、とてもさびしい夜である。

 


日本人としての誇り。

2011年03月14日 21時23分01秒 | 日記

 日本で起こった史上まれにみる大震災。

 テレビやインターネットに映し出されるニュースでのあまりに悲惨な光景に、われわれ日本人だけでなく、世界中の人々が被災者の方々に心を痛めている。職場内の同じグループのメンバーだけでなく、他の職場に変わっていったメンバー、普段挨拶程度しかしていなかった掃除のおじさんやおばさんまでが、直接またはメール等で我々の家族の安否を気遣ってくれる。今朝は、何人の人が、自分のデスクまで訪ねてきてくれたことであろうか。

 日本人として誇りに思うのは、「日本人がこのような事態においても、治安の乱れを生じないほど民度が高い」、という報道がこちらでも盛んになされていることである。同じ人間として恥ずかしく悲しいことであるが、混乱に乗じて、盗みや強盗を働く輩が多いことも世界の常識なのであろう。情けないことに、過去には日本においても、第二次世界大戦敗戦後の混乱に乗じて闇市で暴利をむさぼった人でなしが、その財をもとに、実業家面して後々まで君臨している事実も忘れてはならない。その構成員のなかに日本人も少なからず存在したことは、我々日本人の末代までの恥であることも後世に伝えていかないといけない。

  「有事にお互いが助け合う。」

当たり前と言えば、当たり前であるが、そのことを当然のごとくできる国は実はそれほど多くないようである。今こそ、私たちが力を合わせてこの危機を乗り切り、世界の人々の模範を示すときであろう。

私たち家族は、いま国外に住んでいるが、たとえ微力でも何か人々のお役に立てることをしなければならない。子供たちにも、自分たちに何ができるかしっかりと考えるように促したい。