49.感動した名言 49
『山を想えば人恋し 人を想えば山恋し』
百瀬 慎太郎(ももせ しんたろう、1892年 - 1949年)
1892年、大町市の旅館「對山館」経営者の長男として生まれる。
旧制大町中学在籍時に、白馬岳に2度登ったことを契機に登山に強く惹かれるようになり、1900年に日本山岳会に入会。
家業の旅館を経営しながら、1917年に大町登山案内人組合を設立。
中世以来の山岳信仰と無縁の宗教色を帯びない山岳ガイド組織としては日本初のものとなった。
槇有恒、辻村伊助らの登山家と交流する一方、自らも1923年3月、
伊藤孝一、赤沼千尋らとともに北アルプスの冬季横断(立山-黒部渓谷-針ノ木峠越え)に成功するなど積極的に登山を行った。
また、年々増加する登山者に対応して「日本アルプス登路案内図」を作成し、1925年には大沢小屋、1930年には針ノ木小屋の各山小屋を建設して経営を行っている。
晩年、若山牧水に触発されて多くの短歌や随筆を著した。
「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」の詩は、多くの登山家に親しまれている。
1949年、食道癌のため58歳で死去。
Once upon a time in America - Yo Yo Ma plays Ennio Morricone
槇有恒がスイスから百瀬慎太郎に送ったハガキ。
槇はアイガー東山稜の世界初登攀やマナスル登頂を成功させた登山家で、二人の交流は長く続いた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます