snclimbエス・クライムのブログはじめました!

初めまして、趣味の登山と釣りと囲碁と映画鑑賞と図書館巡りをアップしていきます。
月1回climb シネマ 開催

13-11.美瑛の写真家  前田 真三  2014.06.21 「252」

2025-01-23 16:40:28 | 写真

 

  13-11.美瑛の写真家 

 前田 真三  2014.06.21

前田真三 まえだしんぞう. 大正11年(1922)八王子市に生まれた前田真三は、17年間の商社勤務を経て、

昭和42年(1967)写真ライブラリー「丹渓(たんけい)」を設立して、写真作家活動に入った異色の写真家である。

「風景写真は出合いの瞬間が大切」を持論としている。風景を撮影する際に、

とかく一カ所に留まって天候や光線の状態が良くなる時を待ちながらシャッターチャンスをうかがうという消極的な姿勢になりがちなことに対し、

前田真三の場合は、風景に出合った瞬間に手際よく写してゆくという、積極的に風景を求めてゆく姿勢で取り組んでいる。

「風景はただ眺めていても、見えてはこない。積極的に風景に働きかけて、はじめて見えてくる」といい、

そのためには「とにかくよく見、よく撮ること」「見るうちに撮るうちに、次第に風景が自ずと見出せるようになるはずだ」と論じている。

作品を観た人からの「ずいぶん時間をかけて一枚の写真を撮るんでしょうね」との問いに対し、前田真三が「長い時間がかかっていますよ。

私の人生と同じだけの」と答えるようにしているのは、この作品にたどり着くまでに多くの写真を撮り込んで経験を重ねてきたことを表しているのである。

「風景は目で見た通りに撮る」ことも持論としている。

そのために原則として、「目線で撮る」「手前から遠景まで全てにピントを合わせる」の2点を基本にしている。

これは、人間が肉眼で日常見ている風景が、目線で見て、全部にピントが合っている風景であり、写真にしてもそれが一番自然に見えるからである。

前田 真三      

色彩の写真家(たびびと) 前田真三 出合いの瞬間をもとめて | FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア) | 美術館・展覧会情報サイト  アートアジェンダ

3.写真家 索引

索引 北海道の旅  2014.06.18~21 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12.前田 真三  十勝平原 2014.06.19 「161」

2025-01-23 16:38:37 | 写真

前田 真三  十勝平原 2014.06.19 

大地の詩や  前田真三  新たな出会い

                                                            淡登水

「風景写真は出合いの瞬間が大切」を持論としている。

風景を撮影する際に、とかく一カ所に留まって天候や光線の状態が良くなる時を待ちながら

シャッターチャンスをうかがうという消極的な姿勢になりがちなことに対し 、

前田真三の場合は、風景に出合った瞬間に手際よく写してゆくという、

積極的に風景を求めてゆく姿勢で取り組んでいる。

「風景はただ眺めていても、見えてはこない。

積極的に風景に働きかけて、はじめて見えてくる」

 

 

3.写真家 索引

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3.写真家 索引

2025-01-23 16:36:54 | 写真

3.写真家 索引

1.「戦場写真家 ゲルダ・タローの真実」 「81」

田沼武能

2.写真家 田沼武能 「78」

田淵行男

3.田淵行男 山岳無我 2019.1.20  「16」

江成 常夫

4.写真家 江成 常夫(えなり つねお ) 2021.4.15 「59」

桃井和馬

5.写真家 桃井和馬 2021.2.10 「59」

白川義員

6.白川義員”天地創造”を撮る 前編 2018.5.26 「6」

 7.白川義員”天地創造”を撮る 中編 エドワード・アビー (1927-1989) 2018.5.29 「6」 

  8.白川義員”天地創造”を撮る 後編  レーク・パウエル  2018.5.26 「6」

植田正治

Ueda-cho(植田調)」かっしー159のブログ | かっしーのページ - みんカラ

9.植田正治写真美術館 2014.07.13 「167」

10.植田正治写真美術館スマイル 2014.07.13

植田正治写真美術館 2014.07.13

カメラの中の伯耆大山 ⑥ 2017.07.15 「309」

僕もチャップリン ⑤ 2017.07.15 「309」

忘れたチャップリンの帽子 ④ 2017.07.15 「309」

逆さま伯耆大山 ③ 2017.07.15 「309」

写真するボク ② 2017.07.15 「309」

11.植田正治写真美術館 ① 外観  2017.07.15 「309」

前田 真三

12.前田 真三  十勝平原 2014.06.19 「161」

13.美瑛の写真家  前田 真三  2014.06.21 「252」

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11.植田正治写真美術館 ① 外観  2017.07.15 「309」

2025-01-23 16:35:55 | 写真

11.植田正治写真美術館 

① 外観  2017.07.15 

 

ライムライト<テリーのテーマ>(サウンド・トラック)

 

 三鈷峰  伯耆大山

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

植田正治写真美術館は父親の思い出

 

 

 

 

 

 

 

 

3.写真家 索引

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.植田正治写真美術館 スマイル 2014.07.13 「167」

2025-01-23 16:33:47 | 写真

10.植田正治写真美術館 スマイル  2014.07.13 

被写体をまるでオブジェのように配置した植田正治の演出写真

 地元出身の世界的写真家・植田正治氏。最近では、歌手、俳優として活躍するほか、

アーティストとしてもたぐい稀な才能を発揮する福山雅治さんが師事していることで、

一躍世間の注目を集めました。

 写真界の巨匠・故・植田正治は、世界で最も注目された日本人写真家です。

生地(鳥取県境港市)を離れず、山陰の空・地平線・そして砂丘を背景として、被写体をまるでオブジェのように配置した植田正治の演出写真は、

 写真誕生の地フランスで日本語表記そのままにUeda-cho(植田調)という言葉で広く紹介されています。もちろん、植田正治の作品はこのような作品ばかりではありません。

 70年近くに及ぶ作業活動を通して、我々に常に斬新で多彩なイメージを掲示しています。

アマチュア精神を抱き続けた偉大な写真家の軌跡は、まるで日本の写真史そのもののようでもあります。

ライムライト: テリーのテーマ

          スマイルや だいせんすその 写真館  

        

                                                                                      

 

  

 

  

 

3.写真家 索引

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9.植田正治写真美術館 2014.07.13 「167」

2025-01-23 16:32:22 | 写真

9.植田正治写真美術館 2014.07.13

 

植田正治写真美術館 2014.07.13  

        

 植田正治写真美術館は鳥取県西伯郡伯耆町にある写真家植田正治の個人美術館である。

1995年9月23日に開館した。

 

3.写真家 索引

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8.白川義員”天地創造”を撮る レーク・パウエル 後編 2018.5.26 「6」

2025-01-23 16:31:02 | 写真

8.白川義員”天地創造”を撮る 

レーク・パウエル   後編 2018.5.26

Beethoven's 5 Secrets - OneRepublic - The Piano Guys

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

3.写真家 索引

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7-2.白川義員”天地創造”を撮る 中編 エドワード・アビー (1927-1989) 2018.5.29 「6」 

2025-01-23 16:29:49 | 写真

7-2.白川義員”天地創造”を撮る   中編

 エドワード・アビー (1927-1989) 2018.5.29 

 

 Beethoven's 5 Secrets - OneRepublic - The Piano Guys

1927年ペンシルヴェニア州ホーム生まれ。

アメリカ西部が生んだもっとも人気のある作家と言われ、しばしば「西部のヘンリー・デイヴィッド・ソロー」と称される。

国立公園レンジャーとしての経験を書いた初めてのノンフィクション作品『砂の楽園』でネイチャーライターとしての地位を確立し、

自然を守る破壊活動団の活躍をコミカルに描いた代表作『モンキーレンチ・ギャング』は、

25年を経てなお読み継がれるロングセラーとなった。1989年死去 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.写真家 索引

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6.白川義員”天地創造”を撮る 前編 2018.5.26 「6」

2025-01-23 16:28:17 | 写真

6.白川義員”天地創造”を撮る 前編 

「世界百名山」などの作品で山岳写真家として

世界的に有名な白川義員(しらかわよしかず)さん(82)が

新たな撮影プロジェクト「天地創造」に挑む。

神がかった最後の「写真家」。

単なる自然や風景を撮るのではなく、自身の思想、メッセージが強く背景にあり

冨田勲 「月の光」  Isao Tomita / "Clair de Lune"   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.写真家 索引

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5.写真家 桃井和馬 2021.2.10 「59」

2025-01-23 16:26:49 | 写真

5.写真家 桃井和馬 2021.2.10

写真家の桃井和馬さん(57歳)は、世界140か国以上を廻(まわ)り戦場や紛争地の写真を撮ってきました。

しかしある時から、争いではなく、自然など人間を超えた大いなるものにレンズを向け始めました。

そして桜美林大学の客員教授を務める現在、学生たちと共にスペインの巡礼路約1000キロを歩く活動をしています。

なぜ桃井さんの被写体は変わっていったのか?なぜ、いま学生たちと共に巡礼路を歩くのか?桃井さんの歩みをうかがいます。

冨田勲 「月の光」  Isao Tomita / "Clair de Lune"   

 

 

ルワンダの山の写真

インドネシアのカリマンタンのジャングル

   パタゴニアの一番高い山がパイネグランデ

 

3.写真家 索引

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4.写真家 江成 常夫(えなり つねお ) 2021.4.15 「59」

2025-01-23 16:24:32 | 写真

4.写真家 江成 常夫(えなり つねお ) 2021.4.15 

 

江成 常夫(えなり つねお、1936年10月8日 - )は、日本の写真家。九州産業大学名誉教授。

アメリカに住む日本人の戦争花嫁や中国残留孤児、旧満州国、原爆など主に日本の負の遺産を撮った写真で知られる。

また近年は九州産業大学教授、ニッコールクラブ会長、ニコンサロン運営委員も務めた。

1998年、右脇の下に悪性腫瘍が見付かり、2000年5月手術を行い回復したが、現在も闘病中である。

また、この経験から、自分自身や身近にある何気ない風景にも眼を向けたテーマで写真を撮っている。

冨田勲 「月の光」  Isao Tomita / "Clair de Lune"   

 

3.写真家 索引

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3.田淵行男 山岳無我 2019.1.20  「16」

2025-01-23 16:23:07 | 写真

3.田淵行男 

山岳無我 2019.1.20

 

1905年鳥取県生まれ。1945年疎開をきっかけに安曇野に移り住む。

1951年朝日新聞社から初めての著書『田淵行男山岳写真傑作集』を出版。

以降、亡くなる1989年までの間に計36冊の著書を発表。

壮大な北アルプスと緑豊かな安曇野をメインフィールドとして、高山蝶、アシナガバチなどの生態研究や、山岳などの自然写真の撮影にその生涯を捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.写真家 索引

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1.「戦場写真家 ゲルダ・タローの真実」 「81」

2025-01-23 16:19:15 | 写真

1.「戦場写真家 ゲルダ・タローの真実」

世界的な写真家、ロバート・キャパの公私にわたるパートナー、ゲルダ・タロー。

キャパの作品とされていた写真がタローの作品だったことが判明し、注目が高まっている。

世界的な写真家、ロバート・キャパの公私にわたるパートナー、ゲルダ・タロー。

近年の研究で、キャパの作品とされていた写真がタローとの共同作業、またはタローの作品だったことが判明し注目が高まっている。

スペイン戦争では前線に単独乗り込み、“戦争と人間”のテーマで写真を撮影した。

タローの生涯、そしてタローとキャパの関係に光を当てる。

Once upon a time in America - Yo Yo Ma plays Ennio Morricone

戦場写真家 ゲルダ・タローの真実。 - くりまんじゅうの日記

 

 

 

 

3.写真家 索引

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2.写真家 田沼武能 「78」

2025-01-23 16:12:54 | 写真

2.写真家 田沼武能

世界の子どもや下町の風景などを長年記録し続けた写真家の田沼武能(たぬま・たけよし)さん

田沼さんは1929(昭和4)年2月18日、東京・浅草の写真館の家に6人兄弟の次男で生まれた。小学校に通う道すがらに仏像を彫る家があった。

それで彫刻家になろうと思ったが、父親に反対され、建築家に妥協した。

 16歳の1945年3月10日、東京に大空襲があった。自宅周辺は火の海に包まれた。道路には逃げる人でいっぱいで、どうにも身動きがとれない。

田沼さんと父親は、「ガスタンクがあって爆発するかもしれない」と恐れて、人がまばらな方向に自転車を走らせた。

竹ノ塚方面に逃げようと鐘紡の工場の土手まで来たが、メラメラと炎が土手を越えていた。

熱さでこれ以上は無理と、反対方向に戻り、隅田川の河畔の原っぱで一夜を明かした。

「もし引き返さずそのまま進んでいたら死んでいたでしょう」

 自宅に戻ると、家は全焼していた。

自宅前の熱で水が枯れてしまった防火用水槽に3歳くらいの子どもが燻製のように黒焦げになって直立不動の姿で亡くなっていた。

「その姿はまるでお地蔵様のようだった」。

そのときからお地蔵様は子どもの化身だと思うようになった。

Dinner/Nocturne - Yo Yo Ma plays Ennio Morricone

3.写真家 索引

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする